「名言との対話」は本日で2800日ーー偉人。偉い人。真人間。代表的日本人。

「名言との対話」が、2016年1月1日以来、本日で連続2800日目を迎えた。

取り上げる人物は、年によってその日が命日か誕生日の日本人であり、人選には苦労する。また、対象人物の名言の選択は、自分の心の琴線に触れたものを選ぶようにしているから、いきおい私自身の人生観が出ることになる。

2016年は日本史に登場した人物を時代に関係なく取り上げたが、2017年以降は近代、現代の人物を取り上げた。2023年の今年は8年目になる。

人は時代の中に生きているから、同じ分野の人は当然だが、他の分野の人とも交流がある。それは後で、気がつくことになるから、その人についての理解が深くなってくる。また人は歴史の中に生きているから、前の人から影響を受け、後に人に影響を与えていく。したがって、タテ・ヨコがひろがって、人物についての読みも厚くなっていく。

この8年の過程を経る中で、日本近現代史を歩いている感覚になっている。歴史、なかんずく近代と現代の日本の歴史空間を、登場人物たちと一緒に歩む旅である。日本近現代史の旅であり、実に楽しい日々だ。

こういう試みには障害が多い。人物をどうやって見つけるか、資料となる書物をどうやって手に入れるか、そして自分をめぐる環境の変化や、自身の体調や意欲の継続の問題もある。継続するのは難しいと思いながら始めたのだが、一日一人であるので、なんとかやれている。今日は誰と向きあおうかと思うと、楽しくなってくる。

ところで、取り上げたのはどういう人たちなのか。最初は「偉人」というイメージを持っていたが、命日と誕生日で人選するから、誰が登場するかわからない。学者、事業家、教育者、絵描き、彫刻家、音楽家、建築家、芸人、アスリート、相撲取り、長寿者、軍人、政治家、発明家、小説家、書家、冒険家、探検家、登山家、武人、俳優、外交官、記者、歌人俳人、柳人、詩人、宗教者、、、などあらゆる分野にわたっている。

しだいに彼らを「偉い人」だと思うようになった。偉い人とは、役職ではなく、影響力の大きい人だ。深く、広く、長く、そして永く影響を与えた人が、偉い人である。

また、これらの人物の実像を追いかけているのではない。彼らから何を学ぶか、をテーマとしており、理解が浅い面があるのは承知の上で続けている。

本日、NHKの朝の番組で「新しい学校のリーダーズ」という女性グループの歌を聴いた。「マ人間」という曲名だった。

📸 画像:新しい学校のリーダーズ|新しい学校のリーダーズ、『NIKE 塾』タイアップ曲「WOO! GO!」をデジタルリリース!

人間 いつになったら変わんだ? 暴いて殴って そう引きずり出してやる
何が悪かを知りたいのさ 言葉だけじゃわからないの 呆れちゃうぜ本当もう バカバカしくなっちゃうよ 裏の裏まで
嘘の海で 本音は揉み消されていたのさ 許せない
人間 いつになったら変わんだ? つまんねぇし くだんねぇものに支配されてる
人間 偉そうなお前らを暴いて殴って 白日の下に今 引きずり出してやる
消された声が聞きたいのさ 見て見ぬふりは出来ないの 無力さに潰された あの日みたくなっちゃうよ 死ぬまで後悔なんてしたくない
嘘にされた本当が 泣き叫んでいたのさ 許せない
人間 それで本当にいいのか? 隠して逸らして 興味すら失くして
人間 いつになったら変わんだ? つまんねぇし くだんねぇものに支配されてる
人間 偉そうなお前らを暴いて殴って 白日の下に今 引きずり出してやる
(Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/atarashii-gakko/maningen/

この歌を聴き、キレのいいダンスをみながら、この「マ人間」のメッセージに深く共感した。この若い女性グループの歌は現代社会の告発の歌だ。

最近は忘れらているが、かつては「真人間」という言葉があった。人の道を踏み外さない人、正しい生き方をしている人、まともな人、まっとうな人である。こういう人間になれというのが、先生や親の意向だったような気がする。

この「名言との対話」で登場した日本人たちこそ、「真人間」なのだと気がついた。この連載のテーマは真人間だったのだ。

また、1000人に及ぶ人物記念館の旅で出会った人たちも含めて、3000人を超える真人間のリストをながめると、彼らは「代表的日本人」であることがわかった。戦後78年の年月を経て、失われつつある日本人の原型がここにある。

自分自身のために、そして日本の未来のために、ささやかだが、この旅を続けていこう。

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「竹久夢二展」開催中です | 竹久 夢 二, 日本 偉人, 古い写真

「名言との対話」9月1日。竹久夢二「芸術はもう沢山だ。ほんとに人間としての悲しみを知る画かきが出ても好いと思ふ」

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年明治17年〉9月16日 - 1934年昭和9年〉9月1日)は、日本画家詩人

「私は詩人になりたいと思った。けれど、私の詩稿はパンの代りいはなりませぬでした。ある時、私は文字の代りに絵の形式で詩を画いてみた。それが意外にもある雑誌に発表せらるることになったので、臆病な私の心は狂喜した」。ここから夢二は出発する。

2012年に竹久夢二伊香保記念館を訪問した。竹久夢二は、不思議な魅力に満ちている。
夢二は職人の仕事として蔑まれた図案、デザインの分野に力を発揮した商業デザイナーとして多くの仕事を残している。
1923年に旗上げを計画した「どんたく図案社」は、図案、文案、美術装飾のすべて引き受けようとしていた。ポスター、レッテル、包装、チラシ、カード、新聞・雑誌広告、看板、飾窓、舞台装置などを行うつもりだった。しかしこの計画はこの年の9月1日の関東大震災で挫折する。この震災時には、連日焼跡をスケッチしている。

「絵は、僕の命だもの」という夢二の仕事量は半端なものではない。実に幅広く活躍している。新聞・雑誌は2,447点。そのうち表紙を描いたものは394点、口絵を描いたものは319点。コマ絵、挿絵は5492点。文章は805篇。詩346編。歌433首。俳句347句。

竹久夢二伊香保記念館では本格的なオルゴール演奏を聴かせてくれる。スイス、アメリカ、ドイツ製の本格的な音色である。「埴生の宿」や「庭の千草」などの演奏を聴いたが、これらが夢二の作詞だった。 榛名山をバックに、赤い着物を着た女性が大きく描かれている「榛名山賦」に強い印象を受けた。

ふり返ってみると、夢二の美術館や作品に触れることも多かった。2005年に根津の竹久夢二美術館を訪問した。そして2021年に再訪。弥生美術館、中廊下でつながっている竹久夢二美術館を訪問。竹久夢二美術館では「30のキーワードでひもとく竹久夢二展」。弥生美術館では「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物」展をみた。

2017年には岡山の夢路郷土美術館を訪問している。竹久夢二の絵は、夢二が泊まった会津のホテルでも観たし、旅館の中に夢二の絵を展示している旅館もいくつか記憶にある。

「芸術はもうたくさんだ。ほんとに人間としての悲しみを知る画かきが出てきても好いと思ふ」と考えた夢二は「芸術は壁に飾るものではなく、人の生活にとり入れてはじめて生きるもの」とし、45歳の時に伊香保の先の榛名山美術研究所を構想する。これは「手による産業」としての工芸運動という壮大なものだった。絵画、木工、陶工、染織など日常生活に必要なものを制作し、美術を生活の中に活かそうとする試みだった。多くの賛同者を得たのだが、突然の外遊と病によって途絶えしまったのは惜しまれる。

竹久夢二は人形制作にまで手を伸ばしており、「雛による展覧会」も開いたが、そのポスターの背景に記した言葉が興味深かった。「色彩・線条・交響・立体・平面・時間・詩」、そして「古代・近代・未来を超ゆるもの」とある。夢二の目指したキーワードだろう。竹久夢二は総合芸術をであった。