金子兜太(93歳)の俳句論--自由・流動・かるみ

俳句の金子兜太の二つの著書を読んでみた。

現代俳句の最高峰のこの人は1919年生まれとあるから、今年93歳。途中戦争にゆき、日銀で定年まで仕事をしながら俳句に打ち込み、定年を迎えてからが本当の人生となる。
55歳の定年以降の年月は、もうすぐ40年に及ぶことになる。
60歳で朝日カルチャーセンターの講師を師の加藤楸邨から譲られ、それから俳句生活が始まる。64歳、現代俳句協会会長。68歳、朝日俳壇選者。69歳、紫綬褒章。89歳、文化功労者。91歳、毎日芸術賞特別賞、菊池寛賞

荒凡夫 一茶

荒凡夫 一茶

金子は人間の幸せというのは、煩悩のまま、欲のまま、本能のままに生きていくことであり、それこそが最高の自由だという。
金子兜太のテーマは、自由にある。そして人間の実存とは、流れること、流動、しかしその都度、立場を明確にしていくこだ。
そういう価値からは、孔子ではなく、老子芭蕉ではなく、一茶に惹かれる。そして種田山頭火井上ひさし小沢昭一山田洋次などがその系譜に連なっている。

同じ傾向の小林一茶を描きながら自分を語ったのが「荒凡夫 一茶」(白水社)だ。
一茶は30代くらいから毎日ずっと日録をつけている。記録魔、メモ魔であり、生涯で2万の俳句を詠んでいる。因みに芭蕉は二千、三千。
一茶は、家業を持っている遊俳、懸賞俳句の雑俳ではなく、俳句そのものを商売にする業俳として世間にまみれて生きていく。
50歳、故郷に帰り、52歳で28歳の妻を娶る。58歳で中風、59歳、治癒。
60歳のときに、如来様に向けて「自分は荒凡夫になりたい」という。煩悩具足・五欲兼備の愚のままに生きていくということだ。
なまなましく生き、酒を飲み酔っぱらうように句を作り続ける。そういう「かるみ」が一茶にはある。
人間の暮らしが中心で、景色はそれに従属しべきものという考えから、季語を重視しない。
「俳句を楽しむ人生」(中経の文庫)は、金子兜太の自伝的な本だ。

金子兜太の俳句を楽しむ人生 (中経の文庫)

金子兜太の俳句を楽しむ人生 (中経の文庫)


一茶
 椋鳥と人に呼る寒哉
 これがまあつひの栖か五尺雪
 露の世は露の世ながらさりながら
 ことしから丸儲けぞよ娑婆遊び
 蚤どもがさぞ夜永だろ淋しかろ
 花の影寝まじ未来が恐ろしき
 やれ打な蠅が手をする足をする
 犬どもが蛍まぶれに寝たりけり
 芭蕉翁の脛をかじって夕涼

兜太
 白梅や老子無心の旅に住む
 酒止めようかどの本能と遊ぼうか
 髭伸びて天辺薄き自然かな
 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
 長寿の母うんこのように我を産みぬ
 男根は落ち鮎のごと垂れにけり

自分を磨き上げていく精進の芭蕉と、放埓な一茶。どちらが好きかは、性格の違いによるのだろう。