「知研読書会」の22回目ーー毎回、新しい読書法を試しています

「知研読書会」の22回目。以下、紹介された本。

  • ラテン語さん『世界はラテン語でできている』SB新書(2014)
  • ピオリカ・マリアン著 今井むつみ監訳『言葉の力』KADOKAWA(2023)
  • 田内学『きみのお金は誰のため』
  • ダニー・ドーリング(遠藤真美訳)『Slow Down 減速するすばらしき世界』東洋経済(2022)
  • 竹内宏「元気の経済学」PHP研究所(1986)

以下、主宰者のまとめ。

「最後のまとめとして、今回は言語と経済(成長と成熟)の2つにまとめられるが、ほとんどの本が関係をもっていること、自分のもっている経験や知識から読むこととが大切なこと、例えば成長と成熟にしても流行った本だけを頼りにせずよく考えること、西洋的な考えの中に巻き込まれないよう注意が必要、などが挙げられていました。」

次は私の図メモ。

私の発表した本。

、「PEP BUSINESS LBRARY 「元気」の 経済学 低成長時代の新たな活力とは 竹内 宏」というテキストの画像のようです

準備した資料:バブル直前の約40年前の本。その当時の経済状況、数十年後の予想。打開策の提示。実施できなかった場合の姿。

まさに改革を怠った約40年後の現在の日本の惨状を予言している。

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「名言との対話」4月25日。田畑義夫「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」

田端 義夫(たばた よしお、1919年大正8年1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本歌手ギタリスト。享年94。

三重県松坂市出身。赤貧のため小学校は3年で中退。トラコーマで右目の視力を石失う。名古屋で丁稚奉公。

1939年、「島の船歌」でデビューし以降もヒットを続け、東海林太郎、上原敏と並ぶヒット歌手となった。

戦後の1946年には「かえり船」が累計180万枚を売り上げる大ヒットとなり、岡春夫、近江俊郎と戦後三羽烏と呼ばれている。その当時、復員兵が大阪駅に到着したとき、「かえり船」が流され、家族との再会時に一緒に涙を流しながら聴き入った姿をみる。「ああ、私の歌で涙を流す人がいる。歌手をやっていて良かったな、生きていて良かったんだな」と思った。歌を歌うことが「ライフワーク」となったのである。

1960年には山口組(田岡一雄)と明友会との全面抗争に巻き込まれた(明友会事件)。それ以来、ヒットは出なかったが、1962年に「島育ち」を歌い、大ヒットを記録する。

その後も、精力的に歌手活動を展開していく。1984年には医療過誤であろうか、一時半身不随となったが、リハビリにあh下三奇跡的に回復している。年号が平成になっても新曲を発表し続けた。

人柄も好かったようで、1985年以降は日本歌手協会会長、名誉会長を続けている。因みに結婚は4度である、

現役時代が長く、レコーディングした曲の総数は実に約1200曲という膨大な数である。没後には、日本作詞大賞・テレビ東京特別賞と、日本レコー大賞特別功労賞が贈られている。

田端義夫がギターを横向きに構えて、情感たっぷりに歌う姿は、テレビでよく見かけた。かなりに年配になても歌っているなという印象を持っていたのだが、それは田端自身の信条によるものだった。

「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」という考えで、常に新曲に挑んだのだ。ファンの支持やレコード会社の評価がなければ、実現できるものではないから、現役でいつづけることは難しいのだ。それをやったことに頭が下がる。そして「90歳までは歌う」という執念のとおり、最後まで現役歌手として舞台に立ったのである。

私がやってきた知的生産の分野においても、本を出し続けることもなかなか難しいことである。読者の支持、出版社の意向、そして自身の力量、時代が求めるテーマ設定など、いくつもの要素の組み合わせが成功しければ、新刊本の刊行をながく続けることはできない。「90歳までは歌う」という決意で文字通りのライフワークを歌を歌い続けた田端義夫には学ぶことが多い。人生100年時代の生き方のモデルである。