八王子夢美術館「川瀬巴水ーー旅と郷愁の風景」展:出会い・出来事、そして旅。

八王子夢美術館「川瀬巴水ーー旅と郷愁の風景」展。

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高齢の夫婦と中年女性が多かった。巴水展はSOMPO美術館と日本橋丸善の企画展で見てきたが、あたらめて画力を堪能した。

詳しくは別途書くことにするが、今回の訪問の趣意は、彼の人生行路に興味を持ったからだ。

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川瀬巴水(1883-1957)という人物を理解するカギは、出会いと出来事、そして旅である。

絵の道に進むことができたのは、家業が傾いたことにより反対がなくなったことによる。その時、巴水はすでに25歳となっていた。27歳で入門した鏑木清方門下の伊東深水木版画に影響を受けて、木版画に挑戦すること決意する。

その後の2つほど年下の版元・渡邊庄三郎との出会いは大きい。二人は同志となって「新版画」を開拓していく。

そしてもう一つは人生の節目に行った大旅行である。1923年の関東大震災で写生帖などが焼けるという悲運に見舞われる。震災以前は思い切った構図が特長だった。巴水は庄三郎に励まされ、102日間の旅にでる。その後は、鮮やかな色彩と精密な筆致の作品を描いいている。

マンネリ化した作風を突破したのは、朝鮮への旅行だ。初めてみる異国の風景と珍しい風俗を新鮮に感じ、その成果は戦中、戦後に開花する。

戦後は海外から版画に注目が集まるようになり、多忙となる。その間、国内を旅を何度も重ね、日本の原風景を描いた。その旅情あふれる作品は今日でもファンが多い。この展覧会で改めてそのことを確認した。

川瀬巴水は、文部省からの高い評価や、三菱財閥の総帥たちの起用によって、木版画の中心人物になっていく。「昭和の広重」という最大の尊称をうけるまでになる。

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粟津潔 - 作家|大地の芸術祭

「名言との対話」4月28日。粟津潔「ものを創りだすことは、見ることだと思う」

粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は日本グラフィックデザイナー

小学校を出ると建具職組合の給仕をしながら夜間の商業学校で学ぶ。神田の古本屋街や自宅に間借りしていた哲学者からも影響を受ける。古い映画雑誌の口絵などを教科書として、「独学」で絵を描き始める。山手線を循環しながら人物描写のスケッチ練習を重ねた。20歳頃には、政治運動に熱中。この間、ベン・シャーンというリトアニア出身のデザイナーの仕事に「出会う」ことでデザインの世界に入る。そして図案家、商業美術家という職人的地位を脱しようとする人々の動きの中に入っていく。

1956年、日活映画宣伝部に入り、職業デザイナーの道を歩む。20代は演劇、映画、そして街頭の芸術であるという考え方でポスターを手がけた。1960年建築家の有志を募り新陳代謝を提案する『メタボリズム』を結成する。その後武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任。「デザイン批評」編集長もつとめた。

粟津潔のデザインのモチーフをあげてみよう。指紋、地図、印鑑、手相図、人相図、肖像写真。亀、花、鳥、。既成のイメージを引用、再編、聖化していく。阿部定の顔、モナ・リザの手、髪、家相図、地相図、方位図、胎児、嬰児、陰毛、人体解剖図、統計、同性愛、、、。死と魔の世界といってもよい。こういった世界は「生」をつきつけてくるという。粟津の方法は、模倣し、取り入れ、表現することだ。ベン・シャーン北斎、ガウディ、白川静などがその対象だった。

粟津は日常の中にデザインがあると考えていた。日常に身を投じながら、創造していくというスタイルを通していく。土着的なモチーフを大事にしたのは、デザイン作品は生活や人間をきりはなせないと考えていたからだ。根源は「生いたち」の中にあるとする。そして「誰かと誰かが「出会う」という事実によって、何か今までになかった世界がつくられます。お互いが未知なるものを秘めながら、必然的であろうと偶然的であろうと、そこから新しい出来事が始まります」。

書籍のデザイン、いわゆるブックデザインにも力を注いでいる。長いあいだ残る作品であり、複合的なデザインが要求される分野だ。内容とデザインを一致させる必要があり、結果としてさまざまの領域の本を読むことになった。他人の思想を生かしながら自己成長を続けていったのだ。粟津潔の仕事は膨大で、かつその都度、大きなインパクトを与えている。注目のデザイナーとして若きデザイン学生たちが杉浦康平粟津潔を挙げていたことからもその影響力がわかる。

私の記憶にあるのは、映画『田園に死す』での詩人役、日本文化デザイン会議の諸ポスター作品、映画『心中天網島美術監督、つくば万国博覧会・テーマ館アートプロデューサーなどだ。作品は国際的にも評価が高い。ニューヨーク近代美術館、アムステルダム現代美術館、オスロ近代美術館ワルシャワ・ポスター美術館、富山県立近代美術館、金沢21世紀美術館などに作品が所蔵されている。

粟津潔の『デザインになにができるか』(企画制作:金沢21世紀美術館)を面白く読んだ。何人か私も縁のある人の名前があった。この中で、「生い立ち」「出会い」「出来事」という言葉がでてくる。私は「人生鳥瞰図」というコンセプトデザインを提唱しているが、この中で人の「価値観」を導くのは、この三者であるとしている。粟津と同じ方向を向いている感じがする。そして粟津は人との「出会い」や、イベントなどの「出来事」によって、学習し、経験し、デザインという仕事を広げ、深めていったとみえる。粟津潔は「独学」と、「ヒトリノヒトガヒトリデタッテイル」と本人がいうように「独歩」の士であった。

「ものを創りだすことは、見ることだと思う」という。見ること、見えてくること、見抜くこと。見て、見て、見つづけることが、やがて創りだすことである。独創の秘訣は見ることにある。