東京写真美術館「木村伊兵衛 写真に生きる」展ーー「日本人の目で今日の世界が、どこまで表現できるか、できるところまでやってみたい」

4月24日に訪問した東京写真美術館「木村伊兵衛 写真に生きる」展。

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木村 伊兵衛(きむら いへい1901年12月12日 - 1974年5月31日)は、20世紀に活動した日本写真家戦前戦後を通じて活動した日本を代表する著名な写真家の一人。

女性の写真で人気があったが親友の写真評論家から「アルチザン(職人)」と酷評されたこと、そして有名な写真家・ブレッソンの作品から衝撃を受けて、報道写真家の道を歩むことになる。

どこに行くにも、同時代の土門拳にようにテーマを決め打ちすることなく、そこで暮らす人間とその生活を撮る。それが木村伊兵衛のやり方だった。

  • 夢の島ー沖縄」:沖縄文化を紹介した写真は世に出るきっかけになった。
  • 「肖像と舞台」:役者の演技の一瞬をとらえ、「ライカの名手」と呼ばれるようになった。最初の個展は「ライカによる文芸家肖像写真集」だ。
  • 「昭和の列島風景」:街角と昭和。
  • 「ヨーロッパの旅」:ブレッソンやドアノーという著名な写真家との交流もあった。欧州には数度訪問している。
  • 「中国の旅」:『王道楽土』と『木村伊兵衛写真集 中国の旅』の2冊の写真集がある。
  • 「秋田の民俗」:日本社会の縮図として20年間通い続け、農民の姿を摂った。

木村伊兵衛は、美を撮るという芸術写真ではなく、「人間の顔」「日常生活」にこだわった。性格や感情の動きを撮るのである。その人の過去、現在、未来を撮ろうとした。それが報道写真である。

「日本人の目で今日の世界が、どこまで表現できるか、できるところまでやってみたい」、それが木村伊兵衛の志であった。

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「名言との対話」5月2日。かこさとし「真ん中だけがエライんじゃない、端っこで一生懸命に生きているものもいるんだよ」

かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日- 2018年5月2日)は、日本絵本作家児童文学者工学博士技術士(化学)。本名は中島哲。

福井県越前市出身。成蹊高校時代に俳人中村草田男に学ぶ。その影響だろうか、俳号を「里子」とする。東大工学部応用化学科を卒業後、昭和電工に入社。勤務の傍ら児童向けの人形劇や紙芝居などの活動を行う。工学博士を取得。技術士の資格を取得。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』に代表される「だるまちゃん」シリーズや科学絵本を手がける。加古の代名詞の「だるま」は、ロシアの民芸品人形のマトリョーシカにヒントを得ている。

1973年、47歳で昭和電工を退社し、子どを対象とした多彩な活動に本格的に取り組んでいく。

代表作は、「だるまちゃん」シリーズと、「からすのパンやさん」シリーズ、「どろぼうがっこう」などがある。いずれも子どもやお母さんに人気がある。作品には、台風、竜巻、富士山だいばくはつなど科学者としての目がふんだんに生かされている。そして伝統行事や子どもの遊びなど日本文化の紹介も入っている。

92歳までの生涯で600以上の絵本や紙芝居などの作品がある。最後の作品は2018年3月14日刊行だ。その年の5月に永眠しているから、最後まで現役の絵本作家だったことになる。

国民的絵本作家と呼ばれ、受賞も多い。1963年の産経児童出版文化賞大賞から、2017年の巌谷小波文藝賞まで、22の賞を受賞している。1975年には日本エッセイスト・クラブ賞、2008年には菊池寛賞、2011年には国際アンデルセン賞画家賞にノミネトされている。

NHK「あの人に会いたい」で映像をみた。軍国少年であった加古は19歳で終戦を迎える。「勉強が足りなかった」と反省し、子どもたちに賢く、健やかに育って欲しいとの願いを持つ。

そのことエネエルギーとなって子ども対象の絵本の出版などの活動になっていく。ところが本人は「私自身が、子どもたちから教わってきた」とし、「子供たちに未来を切りひらく力を持って欲しい」とのメッセージを穏やかに語っている。

「真ん中だけがエライんじゃない、端っこで一生懸命に生きているものもいるんだよ」というメッセージは、どの場所でもどの役割になったとしても真面目に生きることの尊さを教えているのだ。

越前市には「かこさとし ふるさと絵本館」がある。公式ホームパージをのぞくと今でもかこさとしにちなんだイベントが行われており、かこさとしの仕事の余韻をみるこことができる。

会社勤務と絵本作家の二刀流で腕を磨き、47歳で絵本で一本立ちする。青年期を終えて、壮年期、実年期、そして熟年期の初めまで、若い時の志を維持し、多くの子どもに親しまれた。子どもの心と科学の目をもった人である。