雑誌『イコール』創刊号が到着ーー「イコール」を巡る動きが活発に。

雑誌『イコール』(橘川幸夫編集長)創刊号が到着。「時代の蔡戦線を個人の視点で語るメディア情報誌」の創刊です。

192ページという厚み。ゼロ号よりはるかにパワーアップされた内容。AIを使った表紙のインパクト。10代が主役の第一特集と70代が主役の第二特集という登場人物の幅の広さ。坂本龍一の墓碑銘に親友の塩崎恭久(元厚労大臣)の投稿。公文俊平情報塾活動中。多様で多彩な不思議な書評群。映画を語る会。糸島の動き。市会議員の今。蜃気楼大学報告。70年代を駆け抜けた風・真崎守。画家の気持ち。短歌とAIのコラボ。能登半島。未来研究所。なんでも未来研究所。ゲームは動詞でできている。30歳の転機。でも暮らし。AIのべりすと文学賞。田原真人研究室始動。連載小説。深呼吸学部のへの誘い。チャランポラン進化説の五條堀孝博士インタビュー。漫画・こどもオモ部。、、。これが「雑誌」だ。

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「イコール」関係の動き。

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「名言との対話」5月20日塚本三郎「天敵を排除したことに気づかなくなったとき、独裁者の悲劇がはじまる」

塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年昭和2年4月20日 - 2020年(令和2年)5月20日)は、日本政治家。享年93。

名古屋出身。1958年の総選挙社会党から出馬し初当選を果たす。その後、社会党を離党し民主社会党結成に参加。衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。

 1974年2月、民社党書記長に昇格し11年務めた。委員長の佐々木良作社公民路線を推進したのに対し、春日一幸自公民路線を主導した。1985年4月に民社党委員長に就任。1989年2月7日に党委員長を辞任し常任顧問に退いた。1994年12月に民社党が解党した折には新進党には参加しなかった。1996年1月に自民党に入党。

風雲急を告げる1944年、ある宗教家から「勝つにこしたことはないけれど、負けることの方が幸せになることだってある」「正しいことが不幸せになることは決してない。それが仏教の教えです」と諭され、法華経に親しむことを教えられ、信者になった。その後、労働組合の指導者に推され、東京の本部に派遣され、中央大学の夜間部で学ぶ。卒業後、政治をこころざす。政治の世界は、塚本の信仰を実践する場だったのだ。

マスコミで実直そうな顔をみていたが、仏法、とくに日蓮の崇拝者だったことを、塚本三郎『善知識の橋』(読売新聞社)を読んで知った。10代から70数年後に亡くなるまで仏法を学んでいて、その真髄を自分史と絡めて書いた本だ。

サブタイトルに「仏眼でみる権力の興亡」とあるように、戦国時代から始まる日本の歴史、そして参画した現代政治について論じている。その結論は、「仏法の眼で見た権力の歴史の流れは、正に因果応報の繰り返しであったと言い得る」であった。

権力とは権(かり)の力であり、権実(ごんじつ)のはざまに我々は生きている。権力とは、仮の力、借りた力、預かった力であるという指摘が勉強になった。

「天敵を排除したことに気づかなくなったとき、独裁者の悲劇がはじまる」と、ながく野党暮らしをした政治家らしい発言もある。天敵を遠ざけ、批判と忠告に耳を傾けず、追従者の言をとるとき、衰亡がはじまる。

この見方には賛同する。与党に対する野党、政治家に対する官僚、政党執行部に対する反主流派、政治に対するマスコミ、経営者に対する労働組合、そいう天敵がいなくなった時、権力の堕落がはじまるのだ。批判者がいることによって、辛うじて権力は成り立っているのだ。危ういバランスこそが大事なのだ。敵やライバルは導師なのだ。

善知識の橋―仏眼でみる権力の興亡