河端敏博創業の薬日本堂の企業ミュージアム 「ニホンドウ薬ミュージアム」ーー「一に養生、二に漢方」

先週、企業ミュージアムのひとつの 「ニホンドウ薬ミュージアム」を訪問しました。その報告です。

「健康と美の漢方ミュージアム」である。ギャラリー、レストラン(薬膳レストラン10ZEN)、ブティック(ニホンドウ漢方ブティック品川本店)、スクール(薬日本堂漢方スクール品川校)の4つの施設で成り立っている。世界で初の漢方ライフスタイル提案型複合ショップだ。薬日本堂は1969年創業の老舗漢方専門店で、全国に20店舗を展開している。

東洋の智恵。漢方薬鍼灸、薬膳、養生(生命を養う)など自然の力で生活そのものを見直す予防医学。病気にならないこと。自然治癒力を高める。古代中国医学を基礎とした医薬養生学。中医学韓医学、日本漢方にわかれる。

人体をシステムとみなす整体観。心と体のバランス、自然との調和を重視。鍼灸、あんま、気功、太極拳、薬膳、入浴も、入る。

「神農本草経」。神農とは医薬の祖。「薬食同源」。本草学は草(植物)を本とする漢方の薬物学。365種の生薬。植物薬252種、動物薬67種、鉱物薬46種。上品が養命薬(老化防止)。中品が養生薬(心身のバランス)。下品が治療薬(治療)。

陰陽論。五行説:木・火・土・金・水。五臓六腑:五臓とは肝、心、脾、肺、腎。六腑とは体内の生理機能で、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦(水分の通り道)。気血水:体を構成する成分で「気」は生命エネルギー。

五味:酸(肝)。苦(心)。甘(脾)。辛(肺)。カン(塩味。腎)。五性:寒。涼。平。温。熱。

資格には、一般向けの漢方養生指導士(スタイリスト)。医療関係者向けの漢方臨床指導士(カウンセラー)がある。

以上、ギャラリーで勉強した。よく聞く言葉の概念が少しわかった。

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薬日本堂という企業は1969年に河端敏博が創業。基本理念は「一に養生、二に漢方」で、ホームページには創業者のメッセージがある。「薬日本堂株式会社が提案する「大自然医薬養生学」は、日本で発展してきた漢方の知識をベースに、心身共に健康に生きるための生活の智慧=「養生」の基本を、独自に集大成した実践的な学問体系です。「養生」とは、生(いのち)を養うこと。つまり、「自分の健康は、自分で作る」といった、主体的で前向きな姿勢と考えます」。

この企業は、創業から50年たって漢方の総合ミュージアムを完成させた。見事なものである。

全改訂版 薬膳・漢方検定公式テキスト 日本漢方養生学協会 認定

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「名言との対話」4月20日塚本三郎「天敵を排除したことに気づかなくなったとき、独裁者の悲劇がはじまる」

塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年昭和2年4月20日 - 2020年(令和2年)5月20日)は、日本政治家

名古屋出身。1958年の総選挙社会党から出馬し初当選を果たす。その後、社会党を離党し民主社会党結成に参加。衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。

 1974年2月、民社党書記長に昇格し11年務めた。委員長の佐々木良作社公民路線を推進したのに対し、春日一幸自公民路線を主導した。1985年4月に民社党委員長に就任。1989年2月7日に党委員長を辞任し常任顧問に退いた。1994年12月に民社党が解党した折には新進党には参加しなかった。1996年1月に自民党に入党。

風雲急を告げる1944年(昭和19年)、ある宗教家から「勝つにこしたことはないけれど、負けることの方が幸せになることだってある」「正しいことが不幸せになることは決してない。それが仏教の教えです」と諭され、法華経に親しむことを教えられ、信者になった。その後、労働組組合の指導者に推され、東京の本部に派遣され、中央大学の夜間部で学ぶ。卒業後、政治をこころざす。政治の世界は、塚本の信仰を実践する場だったのだ。

マスコミでよく実直そうな顔をみていたが、仏法、とくに日蓮の崇拝者だったことを、塚本三郎『善知識の橋』(読売新聞社)を読んで知った。10代から70数年後に亡くなるまで仏法を学んでいて、その真髄を自分史と絡めて書いた本だ。

サブタイトルに「仏眼でみる権力の興亡」とあるように、戦国時代から始まる日本の歴史、そして参画した現代政治について論じている。その結論は、「仏法の眼で見た権力の歴史の流れは、正に因果応報の繰り返しであったと言い得る」であった。

権力とは権(かり)の力であり、権実(ごんじつ)のはざまに我々は生きている。権力とは、仮の力、借りた力、預かった力であるという指摘が勉強になった。

「天敵を排除したことに気づかなくなったとき、独裁者の悲劇がはじまる」と、ながく野党暮らしをした政治家らしい発言もある。天敵を遠ざけ、批判と忠告に耳を傾けず、追従者の言をとるとき、衰亡がはじまる。

この見方には賛同する。与党に対する野党、政治家に対する官僚、政党執行部に対する反主流派、政治に対するマスコミ、経営者に対する労働組合、そいう天敵がいなくなった時、権力の堕落がはじまるのだ。批判者がいることによって、辛うじて権力は成り立っているのだ。危ういバランスこそが大事なのだ。そういう意味で現代の日本には危惧を覚える。

善知識の橋―仏眼でみる権力の興亡