東京国立博物館「法然と極楽浄土」展ーー「極楽と地獄」の姿を描いた浄土美術

東京国立博物館法然と極楽浄土」展。

法然の浄土宗からみた、弟子・親鸞浄土真宗を興味を持ってみたが、ほとんど親鸞の名は出てこない。「浄土宗系譜」の中に単なる弟子の一人として「親鸞」と「浄土真宗」の記述があるに過ぎない。親鸞からみた、師・法然の姿とは違ったことに驚いた。

2024年は浄土宗開宗850年。中国唐代に浄土宗を大成した善導(法然と並んで二祖)の「観無量寿経琉」の一節「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、これを正定の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に」に出会い、廻心する。そして43歳で立教開宗する。享年78。

南無阿弥陀仏」という6文字をひたすら唱える「専修念仏」(せんじゅねんぶつ)のシンプルさは、既存の宗派から迫害をうけ乍らも多くの信者を獲得していった。

徳川家康と以後の将軍たちは浄土宗を保護している。総本山が京都の「知恩院」、関東の大本山が「増上寺」だ。

平安時代源空の『往生要集』は、極楽と地獄の具体的な姿のまとめの書である。それは絵図にもなって、極楽と地獄の様がみえるようになった。その200年後に法然が開宗した浄土宗が根づく要因となった。それが浄土教美術として発展し、この企画展になったのだ。

岡山に法然上人を本尊とする誕生寺があり、訪問すると1147年法然15歳のときに植えたとのいわれのある老木があった。法然の教えが1000年近く経っても生きていると感じた。

親鸞に関する本もいくつか読んできたし、京都の東西の本願寺築地本願寺などで教えに接している。南無阿弥陀仏を唱えることで身分を問わず誰でも浄土へ行けるとした法然、そして悪人(凡夫)は「正機」、つまり優先的に浄土へ行けるとし師の教えを一歩進めた親鸞、この二人によって、日本の宗教はそれ以前の国家仏教から民衆仏教への一大転換が起こったのだ。

ーーーーーーーーーーーーー

今日の収穫

  • 200勝を挙げたダルビッシュ「キャリアは関係ない。プロでずっと成長したいという姿勢は崩してはいけない」(2023年のWBC合宿)
  • 林芙美子NHKアーカイブス):46歳時のイアンタビューを聴いた。47歳で死去する前年だ。今はデッサンのようなもの。蚕が糸を吐くように書いている。勉強のつもり。60歳、70歳になったら、いいものを書ける。70から。楽天主義、楽観的、庶民精神。朗らかな笑い。残念なことに林芙美子は、青年期で人生が終わってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

訃報:与謝野馨さん78歳=元官房長官、元財務相 - 毎日新聞

名言との対話」5月21日。与謝野馨「過去の日本にも往々にしてあったことだが、声の大きい者たちや偉い実力者が出てくると、皆が何も言わなくなってしまいがちだ。とりわけ政治の世界で『本当のこと』が言えなくなったら、世の中は真っ暗になってしまう」

與謝野 馨(よさの かおる、1938年〈昭和13年〉8月22日 - 2017年〈平成29年〉5月21日)は、日本の政治家。享年78。

東京都千代田区出身。与謝野鉄幹・晶子夫妻の次男・秀(外交官)の息子である。東大法学部卒業後、日本原子力発電勤務。中曽根康弘元首相秘書を経て、1976年に自民党公認衆院初当選し、衆院議員を計10期務めた。文相、通産相などを歴任。2004年、自民党政調会長に就き、当時の小泉純一郎首相が目指す郵政民営化の党内取りまとめに当たった。財政再建論議も本格化させ、経済財政担当相、財務相では消費税増税への環境づくりに努めた。

2010年、たちあがれ日本の結成に参画し、自民党から除名された。2011年には菅直人第2次改造内閣の経済財政担当相に起用され、たちあがれ日本を離党。社会保障・税の一体改革を策定した。

一方で、がんとの闘いを強いられ、体験談『全身がん政治家』も出版。2013年、咽頭がんの影響で声帯を切除して引退した。その後は都内の事務所で執筆活動などをしていた。2017年4月30日、自民党に復党した。(産経新聞の訃報より)

 祖父鉄幹は生まれる前に死去し、祖母晶子は4歳の時に亡くなっているから、二人の思い出はない。馨は晶子が注力した学校法人文化学院の院長もつとめた。

民主党政権菅直人内閣の大臣に就任したとき、誰もが驚いた。内閣府特命担当大臣(経済財政政策、男女共同参画少子化対策)に就任し、新設された社会保障と税の一体改革担当大臣も兼務した。長く自民党の重鎮だったため、節操がないとの批判があったが、「政治家は、歴史と勝負している、という気概を持たなければいけない」と考える与謝野は日本を救うために仕事をすると表明していた。

亡くなったとき、ホームぺージを覗いて「随想」を読んでみた。人物論中心だ。佐藤信二と南原晃などの訃報。そしてノーベル賞をもらう前の大村(智)先生とのゴルフも出てくる。ジュリアスシーザーという天才政治家をめぐっては、塩野七生から「ジュリアス・シーザーは2000年に一人しか出て来ない人間。そういう人は何をやっても許されるのよ。与謝野さん達は駄目ですよ」と言われたと書いている。

経歴をみると、囲碁の腕前はアマ七段、パソコンを自作できるほどの知識の持ち主、写真は玄人はだし、天体観測や釣りにも凝っている、という多趣味の人だった。政策について、テレビで穏やかに語りかける人柄はよく覚えている。

与謝野馨に仕えた知人の官僚からは、「尊敬している」と聞いていた。また朝日新聞政治記者だった鮫島浩は『朝日新聞政治部』(講談社)の中で政治権力の監視という記者の矜持をもって、与謝野にも接したと語っているが悪い印象ではなかったようだ。

「日本が戦争に向けて坂道を転げ落ちていった昭和の初期。政治家は皆国民に迎合し、耳障りのいいことばかりを言っていた。今になって見れば、ほとんど皆、歴史の評価には一切耐えられないような政治に加担してしまったのではなかったか」

与謝野馨が言うように、本当のことを言えない、いや本当のことを言わないという状態の組織や集団の未来は暗い。「政治の世界で『本当のこと』が言えなくなったら、世の中は真っ暗になってしまう」。その通りだ。