庄内の酒田市で講演。

 

羽田空港からANA山形県庄内空港へ。

18時からの酒田市の菅原工務所創業80周年の記念講演。菅原常務から紹介される。

1937年創業ということは、盧溝橋事件から始まる日中戦争から今日まで続いている、地元の有力企業だ。

f:id:k-hisatune:20170727063516j:image

 

終了後は、懇親会。  前社長の母親と現社長の息子と酒田の名酒を飲みながら歓談。

f:id:k-hisatune:20170727063530j:image

 

2次会は菅原社長らとクラブへ。

 

 

「副学長日誌・志塾の風」170727

午前

・人事委員会

・学部運営委員会

・杉本係長:次回の戦略会議の打ち合わせ

 

 

「名現との対話」バーナード・ショー「こう半分しか残っていないと嘆くのが悲観主義者、まだ半分残っていると喜ぶのが楽観主義者である」

バーナード・ショー(1856年7月26日ー1950年11月2日)はアイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。

バーナード・ショーヴィクトリア朝時代から近代にかけて、様々な分野で活躍した才人である。94歳で亡くなるまでに書いた戯曲は53本。1925年にはノーベル文学賞を受賞した。この時固辞していたが賞金を寄付するという条件で受け入れた。映画分野ではアカデミー賞脚本賞を授与されている。教育家としてはロンドン・スクール・オヴ・エコノミクスの創設に尽力。政治家としては社会民主主義者としてイギリス労働党の前身のフェビアン協会に属した。

持論の菜食主義で90歳を超えても健康な生活を送った。自宅で庭の手入れ時にはしごから転落して骨折した時の手術の経過が悪かった為に死を迎えたというから、それがなければどこまで生きただろうか。自分が永遠に生きるのではないかと思うと空恐ろしくなると語っており、それが「菜食主義者の唯一の欠点である」と述べている。

また遺言によって、遺灰は先に亡くなった妻の遺灰と混ぜ合わされて庭園の小道に式散らされた。

「歳をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから歳をとるのだ」

「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を恐れる」

「青春は若い奴らにはもったいない」

「有能なものは行う。無能なものは講釈する」

ある女優が「あなたの頭脳と私の肉体を持った子供が生まれたらどんなにすばらしい事でしょう」と言ったが、ショーは「私の肉体とあなたの頭脳を持った子供が生まれたら大変ですよ」と言ったという逸話も残している。ショーは舌鋒鋭い皮肉屋でもあった。

悲観主義者と楽観主義者の生態をこれほど上手に説明した警句にはお目にかかったことはない。主義とは思うに、性格による。

 

 

 

 

多摩大学ゲスト講師の会--出版、テレビ、ホテル、新聞、百貨店、観光、IT、政府、、、。

「副学長日誌・志塾の風」170725

夜は、渡辺客員教授主催の「多摩大学ゲスト講師の会」を九段の文庫カフェで開催。

26名が参加。多摩大からは中村その子先生と金先生と私が参加。

f:id:k-hisatune:20170725222033j:image

 小学館の青山さん。ワンダーテーブルの秋元さん。小学館の井亀さん。日本テレビの伊佐治さん。外務省の石田さん。京王プラザホテルの市川さん。ヤフーの祝前さん。三越伊勢丹の榎本さん。アナウンサーの菅家さん。日経新聞の佐藤さん。デジタル・アドバタイジングコンソーシアムの砂田さん。外務省の森本さん。グライダーアソシエイツの山口さん。香港政府観光局の山本さん。南京中医大学の楊さん。三越伊勢丹の渡辺さん。フジテレビの渡辺さん。ギリーの渡辺さん夫婦。

 

 三越伊勢丹の前社長の大西洋さんは香港から遅れて到着。

f:id:k-hisatune:20170725222102j:image

 

 始まりの挨拶など。

・多摩大のPR。「文科省・大学改革ランキング2016」。

・「偉人の命日366名言集」のPR。

 

f:id:k-hisatune:20170725222126j:image

 桜井社長差し入れの「獺祭2割3分」を飲みながら、素晴らしい豊かな時間を過ごした。多摩大での縁をネットワークにしてくれている渡辺さん、ありがとうございます。

 ----------

 午後は、大学。

・スケジュール調整と今後の講演資料準備。

・高野課長

・趙先生:採用人事

 

 

 「名言との対話」7月25日。中村ひろ子「ピアニストはバレリーナや体操選手と同じで筋肉労働者でもあるんです」

中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 - 2016年7月26日)は、日本ピアニスト

安宅コレクションで有名な安宅英一の奨学金をもらうのだが、当時15歳の中村ひろこは「骨董趣味って、いやらしい」という名言を吐いていた。

「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」、「ロマンティックな音楽への親和力」が、中村ひろ子の演奏の特色だった。

 小柄で手も小さめでピアニスト向きの体格ではなかったが、筋力トレーニングなどを続けていた。以下、筋肉労働者としての芸術家の言。

「ピアノはハングリーじゃないとダメなんです。ボクシングと同じです」

「ピアニストの肉体的な故障というのは野球のピッチャーと同じところを痛めるんです。腕のつなぎ目ですね。そういうのをしょっちゅう手入れをして、手入れするだけでは物足りなくなって、筋力トレーニングを始めてもう5年ぐらいになります」

 「一日休むと一日衰えてしまう。筋肉だけではありません。耳も感受性も一緒に退化するんです」

「やはり日々の努力が必要。自分の血肉になるまで弾き抜くことが大切なんですよね」

中村ひろ子は、エッセイスト・ノンフィクション参加としての顔も持っている。1989年には『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。豊かな感受性と鋭い観察眼の持ち主でもあったという証明だ。

中村ひろ子の演奏を聴いたとき、太い腕で弾く迫力に驚いたことがある。ピアニストをピッチャー、バレリーナ、体操選手、ボクサーに例えていたとは意外だった。今思えば、本人が言うように確かにピアニストは肉体労働者でもある。精神と肉体、感受性と超技巧、、。体操の平均台の上の狭い道を、微妙なバランスを保ちながら歩いているような人生だったのだ。

 

「あなたはこの授業を受けてどう変わりましたか?」

「副学長日誌・志塾の風」

  • 午後:多摩キャンパス:秘書とスケジュール打ち合わせ。
  • 夕刻:九段サテライト:学長と人事案件。杉田学部長と。

--------------------

 春学期の「ビジネスコミュニケーション」の最終回のアンケート「あなたはこの授業を受けてどう変わりましたか?」

・以前は全く新聞を読まなかったのに、最近よく読むようになった。図を書くのが楽しくなった

・重要だと思うところに線を引いたり図にすることによって文章を理解できるようになった。嫌いな感情も消えた。

・文章読み解く力がついた。図解にするために文をよく読むようになった。長文でも読むのに抵抗がなくなった

・新聞を読むのが早くなり、必要な所を読み取れるようになった。長文の読解がしやすくなった。選挙に行かないといけないと思った。

・以前まではニュースやネットの記事を鵜呑みしていたが、今は自分の考え方をしっかりと持てるようになった。

・自分の頭の中で大まかに図解を描き、ロジカルに考えられるようになった

・以前まではニュースやネットの記事を鵜呑みしていたが、今は自分の考え方をしっかりと持てるようになった。

・難しい内容でも頭の中で図解を作れるようになり、理解力が格段に上がった。どの分野でも図解が作れる自信がついた。

・文章の意味をより理解しながら読めるようになった。図解を意識することで、頭に留まるようになった。この授業に出会えて良かった

・知らないうちに力がついてきた。この講義が終わっても続けていきたい。

・図解の万能性に気づいた。

・文章などを手で読め!と先生から教わり、実際に手で読んでみると、内容が頭に入ってくることを学んだ。

・特別講座を図で書いてようと思った。分かりやすく楽しい講義だったので図を書くことが好きになった。

・難しいことをやっているが、これが成長していくという事に繋がると感じる事ができた。

以下、留学生。

・以前より系統を立てて考えられるようになってきた。人によって図解は違い、興味がそそられてきた。「文章から図」はマクロの視点で、「図から文章」はミクロの視点ですね。この両方の視点もプレゼン表現や論文の書き方に影響を与えるので、これからも続けて、図解を中心に練習しようと思っている。

・図解がクセになった。この授業を受けてとても良かった。

・図解を書けるようになった。図解を読めるようになった

 

夜は、銀座で高校のミニ同級会。今回は女性陣が二人入り賑やか。

f:id:k-hisatune:20170724213636j:image

 

 

「名言との対話」7月24日。谷崎潤一郎「筋の面白さは、言ひ換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである」

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年明治19年)7月24日 - 1965年昭和40年)7月30日)は、日本小説家

46歳、根津松子と恋愛関係になり離婚し、松子と結婚。谷崎は生涯で3度結婚しているが、松子こそ理想の女性であり、この後、谷崎は作風を変化させて、「細雪」に代表される傑作を書き続ける。「細雪」は軍部の圧力により「中央公論」に掲載中止となるが、谷崎は書き続ける。この間、中央公論の嶋中社長は原稿料を払い続けた。60歳、「細雪」上巻。61歳、「細雪」中巻。62歳、「細雪」下巻。毎日出版文化賞、朝日文化賞を受賞し、63歳、文化勲章を受章。65歳、全26冊の「谷崎源氏」で文化功労者となった。その後も旺盛な執筆が続き、74歳と78歳ではノーベル文学賞の最終候補になっている。谷崎は、自伝的作品、マゾヒズム小説、怪奇小説、芸術家小説、少年ものなどの作品や、戯曲、そして映画製作にも関わるなど、まさに怒涛の仕事量をこなした。

世間に認められるのが、死後のことがよくある。谷崎潤一郎大谷崎と言われるのは死の翌年から全集が刊行されてからだ。

「人一倍遅筆な私が、日に四五枚の進行が精々である私が」と書いているのは意外に思えるが、もしそうなら膨大な作品群を残したということは、相当な時間を執筆にあてたのだろう。谷崎潤一郎は、己の天才を信じ、それに殉じた人生であった。

「文章に実用的と芸術的の区別なし」「分からせるように書くと云う一事で、文章の役目は手一杯なのであります」と、『文章読本』に記している大谷崎と呼ばれた谷崎潤一郎の小説の醍醐味は、本人が述べているように壮麗な建築物の美を味わうことにあるのだ。

「トレンド・ウオッチャー第8回」。日経新聞に「偉人の命日366名言集」の広告。

2017年の「夏の計画」を練る。「邪馬台」。母の卒寿の会。新潟。岡山。読書。、、。

 

日本経済新聞に広告。

f:id:k-hisatune:20170723052856j:image

 

 「副学長日誌・志塾の風」170723

www.youtube.com

  「名言との対話」7月23日。幸田露伴「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」

 幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日慶応3年7月23日) - 1947年昭和22年)7月30日)は、日本小説家。。第1回文化勲章受章者。

代表作は『五重塔』ということになっているが、『努力論』もいい。 文豪・幸田露伴の厚みのある人生論で、努力論というより日本を代表する幸福論だ。運命。人力。自己革新。努力。修学。資質。四季。疾病。気。こういうキーワードで事細かく生き方を論じた名著であり、首肯するところが多い。

・努力は人生の最大最善なる尊いものである。 

・「努力して努力する」----これは真によいものとは言えない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。

 ・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。

  京都帝国大学文科大学初代学長の狩野亨吉に、東洋史講座の内藤湖南と一緒に国文学講座の講師に請われているが、わずか1年で退官している。また 斎藤茂吉が尊敬していたのは、森鴎外幸田露伴であり、この二人だけは「先生」と呼んでいたというから、独学で到達した文学者としての力量はやはり群を抜いていたのだろう。

「天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、。」こういう世界観の中で露伴は、「幸福三説」を主張する。

惜福。分福。植福、これを三福という。惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。

最後に「植福哉、植福哉」と言っているように、幸福三説の中でもっとも大事なのは植福だろう。正しい努力である精進を続ける事で、望ましい未来が創造できるという人生観が基底になっている。露伴の『努力論』の命名の意味はそこにある。将来の福を植える、幸福の種を播いておくこと。自己の福を植え、同時に社会の福を植える。そういう心がけでいきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」:異次元の高齢社会のミクロの姿とマクロの姿。

佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」(小学館)を読了。

  90万部を超えるベストセラー本。

九十歳。何がめでたい

九十歳。何がめでたい

 

2017年5月の時点で日本の65歳以上の人口は3400万人、80歳以上の人口は1000万人を超えた。100歳以上は7万人である。異次元の高齢社会に突入したのである。

これからは、90歳が普通になる時代だ。この本の読者はたぶん、高齢者だろう。今後は、先日105歳で亡くなった日野原重明先生や佐藤愛子のような超高齢者がスターになる時代を迎えることになるだろう。佐藤愛子が2015年に「女性セブン」に連載したエッセイの集合体がこの本である。当時は92歳。大正12年生まれだから今年中に94歳になるはずだ。

さて、佐藤愛子は昔は「身の上相談」と言っていた新聞の「人生相談」の愛読者である。時代とそこで生きる人の人生が垣間見えて、回答者の価値観、人生の軌跡がうかがわれて興味深いからという。この本の話題は、高齢者となった自身の経験と新聞の「人生相談」から見える世相への怒りが中心だ。長生きして、居直った、歯に衣着せぬ舌鋒が読者の共感を呼んでいる。

「ああ、長生きすることは、全く面倒くさいことだ。耳だけじゃない。眼も悪い。始終、涙が滲み出て目尻目頭のジクジクが止まらない。膝からは時々力が脱けてよろめく。脳みそも減ってきた。そのうち歯も抜けるだろう。なのに私はまだ生きている」

「本を読めば涙が出てメガネが曇る。テレビをつければよく聞こえない。庭を眺めると雑草が伸びてていて、草取りをしなければと思っても、それをすると腰が痛くなってマッサージの名手に来てもらわなければならなくなるので、ただ眺めては仕方なくムッとしているのです。そうしてだんだん、気が滅入ってきて、ご飯を食べるのも面倒くさくなり、たまに娘や孫が顔を出してもしゃべる気がなくなり、ウツウツとして「老人性ウツ病」というのはこれだな、と思いながら、ムッと坐っているのでした」

このような状況の中で、「女性セブン」での隔週連載が始まってみると、錆びていた脳細胞が働き始め、老人性ウツ病から抜け出たのである。人間は「のんびりしよう」と考えてはダメだというのが佐藤愛子の悟りである。

以下、佐藤愛子語録。

・愛と恋は違う。愛は積み重ねて昇華して行くものだけれど、恋は燃え上がってやがては灰になってしまうものだ。

・もう「進歩」はこの辺で」いい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要としたら、それが人間の精神力である。

・「一生意思を曲げない覚悟」ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」である。

ミクロで見るとこの本が述べているのが異次元の高齢化の中身だが、マクロで見ると違った姿が見える。現在医療は40兆円、予防10兆円、介護10兆円で、計60兆円規模だ。2025年(?)には、医療60兆円、予防20兆円、介護20兆円、計100兆円になるという予測だ。マクロでもミクロでも大変な時代になる。

 

「副学長日誌・志塾の風」170722

九段

・グランドパレスホテルで立岡さんと面談:自閉症。ソーシャルビジネス。学生起業。

 

九段サテライトでインターゼミ。

・杉田学部長:打ち合わせ

・水盛先生・バートル先生:中国関係の学会「日本日中関係学会」「霞山会」、、。モンゴル出張。

・松井先生(目黒高校):幼稚園、中学との連携。

・荻野先生:オリンピックボランティア

・追分さん:大学院OB会のリレー講座

  • 以下、箱根合宿へ向けてグループ作業。AI班はモロッコから学会主張中の久保田先生がスカイプで登場!

f:id:k-hisatune:20170722164739j:image

 

 

f:id:k-hisatune:20170722164719j:image

 

 

 f:id:k-hisatune:20170722164732j:image

 

 

 

f:id:k-hisatune:20170722164710j:image

 

 「名言との対話」7月22日。浜口庫之助「流行歌は作るものではなく生まれてくるもの」

浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本の作曲家。

「ハマクラ」と呼ばれたこの人の作曲した歌で、私の耳に残っている歌を以下あげてみよう。それぞれのメロディを口ずさむと、自分が生きた時代の思い出が甦ってくる。

僕は泣いちっち(歌:守屋浩)(1959年)。涙くんさよなら(歌:坂本九ジャニーズ和田弘とマヒナスターズジョニー・ティロットソンの競作)(1965年)。愛して愛して愛しちゃったのよ(歌:田代美代子和田弘とマヒナスターズ)(1965年)。星娘(歌:西郷輝彦)(1965年)。星のフラメンコ(歌:西郷輝彦)(1966年)。バラが咲いた(歌:マイク真木)(1966年)。夕陽が泣いている(歌:ザ・スパイダース)(1966年)。風が泣いている(歌:ザ・スパイダース)(1967年)。夜霧よ今夜も有難う(歌:石原裕次郎(1967年)、吉田拓郎(1977年))。粋な別れ(歌:石原裕次郎)(1967年)。エンピツが一本(歌:坂本九)(1967年)。空に太陽がある限り(歌:にしきのあきら)(1971年)。恋の町札幌(歌:石原裕次郎(1972年)、石原裕次郎川中美幸(1995年)、里見浩太朗熊田胡々(2012年))、、、。

とらえどころのない時代の心にヒットした歌が流行する。歌というものは長く生き続けるとつくづく思う。作曲家という職業は時代を生きる人々の心を描き出し、生きる勇気を与える神聖な仕事だ。

春学期の最終講義:学部「ビジネスコミュニケーション」、大学院「インサイトコミュニケーション」

 

「副学長日誌・志塾の風」170721

学部授業「ビジネスコミュニケーション」の最終回。最終レポートの課題は「日本の論点2017」(文藝春秋)の論文を図解すること。パワーポイントが望ましい。一つのテーマを一流の論客が書くいた難しい論文であるが、挑戦してもらっている。これができればどのようなものでもできるようになる。ガンバレ!

f:id:k-hisatune:20170722071518j:image

 

  大学フットサル部の練習風景。福住監督の指導に耳を傾ける部員たち。2年連続全国大会3位。今年は日本一を期待したい。ガンバレ!

f:id:k-hisatune:20170722071533j:image

 

夜は、品川の大学院の「インサイトコミュニケーション」の最終授業。

  • 今日が最終講義でしたが、これまでで感じたことは、図解でつかう頭はこれまで全く使ったことのない部分で、かなり苦しんだことと、まだ上手くは書けませんが、良い図解はすぐに理解でき、図解が足りないものには違和感を覚えるようになり、図解の見方は分かったのかなと思います。図解の上手な方は、経営層との話が早い。また整理が早く軸がぶれない。だから信頼される。なるほどと思いました。図解は、子どものときに学んでいたら、もっと勉強が楽しかったのに、と思いました。今日の講義が超お得だったのは、久恒先生の図解のDVDを見せていただけたこと。値段を見たら、なんと76,000円(税別)。Amazonで見たら、8万円超えてました。そんな高価なDVDを惜しげもなく全編放映くださいました。ご覧になれなかった方にちょっと紹介すると…。1.図解の心得3ヶ条  ①図解はキーワードのかたまり  ②大胆に、そして細心に  ③〇と→を使うだけで十分!2.テクニック  ①流れのある図解にすること  ②横長に書くなら…ここから先は、ぜひ図書館のDVDでご確認ください。『企画・プレゼンに活かす図解表現の技術』日経BPhttp://www.nikkeibpm.co.jp/item/649/649/index.html10年前の久恒先生が解説してくださいます。また、久恒先生の図解のラフスケッチの様子が見られます。私はこれが一番、印象的でした。どのように図解を始めていらっしゃるのか、こうした姿はなかなか見られないと思います。しかし、さすが久恒先生。最後のコンビニエンスストアの図解は、図自体はもちろん、言葉一つ一つが磨かれていて、図解の道のりは遠いな、とガッカリしつつ、また、その図解をベースにすると、なぜかどんどんアイデアがわいてきそうな不思議な感覚がありました。この図解は、一人で作られたのではなくチームで検討している中で磨かれていった、という制作中のエピソードも印象的でした。最後に、ざっくばらんにいろいろとお話ししてくださった中では、「評価」を「評判」に言い換えたエピソードが心に残っています。「顧客評価」「業務評価」…なんだか、絶対にバツを付けられて減点されるイメージが浮かびます。「お客様からの評判」「業務の評判」…なんだか、失敗してもプラスになることにチャレンジしたくなるイメージです。どちらの職場が楽しいか、比べるまでもありません。図解をしていると、言葉力も磨かれていくようです。先日、ある選挙候補者の方の演説を聞きました。急な立候補で、また性格のおっとりした方のようで、すごく良い人柄は伝わるのですが、公約に説得力がないのです。恐らく、公約を文章で覚えようとしたんだろうな、と思いました。図解して本質を見出して、言葉を磨けば、きっと一言でズバッと説得力のある言葉で伝えられるのではないか。図解は演説にも使えると思いました。前回の講義を業務で休んでしまったため、宿題をやれなかった私は、久恒先生の著書『団塊坊ちゃん青春記』のレビューが宿題ですね。私も山口大学時代、探検部に体験入部して洞窟にいくつか連れて行ってもらいましたので、読ませていただくのが楽しみです。今後も、図解の活動になんらか関われたらと思います。来月の未来フェスも成功をお祈りしております。久恒先生が意外にも学生時代は三日坊主だったと聞き、なんだか親近感がわきました。私にはどうしても継続できるものが見つからないのですが、と申し上げたら、「続けられるものを探すんじゃなく、まずは続けることですよ」とアドバイスしてくださいました。確かに。この講義は、久恒先生の鋭い解説も楽しみでしたが、他の方の図解の解説や意見も聞いていて楽しかったです。おお、そこに着目されたのか、とか、へえー、その図解、面白いし、分かりやすいなー、とか。自分の図解にいただくコメントもすごく勉強になりました。やはり、図解を勉強されるなら、独りで本を読むだけではダメで、誰かとワイワイ図解をやってみて、あれこれコメントしあうのが良いと思いました。久恒先生、多摩大学シンガポール校、楽しみにしております。お金持ちになったら、ぜひ遊びに行かせてください。また、世界のあちこちに図解でどてっ腹に風穴を開けちゃってください!春学期、本当にありがとうございました。ご一緒させていただいた皆さまにもお礼申し上げます。ありがとうございました。
  • 約四ヶ月間、先生、皆さま、お世話になりました。本日最終講、これまでの学びがさらに深まり、図解マスターとしての最初の一歩を踏み出せた気がします。ただ、やはり、キーワードの抽出、配置、そしてコピーライター並みの言葉の選び方等は難しく、とても奥の深い世界であることを目の当たりにしました。実際のビジネスの現場で活用できることが本当の勝負ですので、日々この新たに身に付けたOSをアップデートし続け、会社に風穴を開けられる人間、そして社会の問題を解決していける人間になりたいと思います。本当に有り難うございました。
  • 4か月間ありがとうございました。昨年受講した同期に「論文書くのに役立つから」と言われて受講を決めたのですが、受講してみて考えを分かりやすく図解でまとめてみようとする習慣はついてきたかと思います。論文作成はこれからですが、4か月間学んできたことをもとに分かりやすく論文をまとめていきたいと思います。
  • 講義ありがとうございました。授業では自身で描いた図解についてフィードバック頂けることが、自身の考え方の改善に繋がりますので大変勉強になります。
    また、様々なスキルは高度であればあるほど狭く限定された領域にのみ特化して適用可能なように感じておりますが、図解のスキルは幅広く活用できますので、これからも自己研鑽しつつ活用させて頂きます。また、秋学期の授業に参加できず恐縮ですが、図解アルチザンの取り組みに非常に興味を持っております。こちらのアップデートございましたらご一報頂けますと大変有り難いです。どうぞ宜しくお願いします。

 

「名言との対話」7月21日。宇沢弘文「制度は人間のためにあるものであって、人苑が制度の犠牲になっってはいけない」

宇沢(宇澤) 弘文(うざわ ひろふみ、1928年昭和3年)7月21日 - 2014年平成26年)9月18日[4])は、日本経済学者。専門は数理経済学東京大学教授。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。文化勲章受章者。

宇沢弘文の代名詞であり話題になった社会的今共通資本とは、自然環境、社会的インフラ、制度資本の3つである。制度資本とは、教育、医療、金融、司法、行政などをさす。これらは市場原理にまかせてはいけない。人間の生存にかかわる重要な財産であり「社会的共通資本」として、他の「資本」とは別に管理・運営をしていくことがこれからの人類に共通の課題である、という考え方だ。以下、宇沢の考え方を述べる。
本の学校教育の現場の荒廃は、教育というもっとも大事な社会的共通資本を官僚的に管理したり、反社会的な考えにもとづいて粗末に取り扱ってきた結果として起こってきたものだ。このような論法で、経済学の碩学宇沢弘文は、以下、社会を切っていく。

・教育の役割は能力を育てることと人格的諸条件を身につけることだ。出発点は言語と数学。読み書き算盤。大学がビジネスマンという俗世界によって管理・運営されるようになってはいけない。

・農の営みは重要であり、農村は社会的共通資本と考えるべきである。専業農家への所得補償をすべきだ。

・経済を医療に合わせるのが社会的共通資本の考え方だ。日本は医療最適性と経営的最適性のかい離がある。独立採算の原則は妥当ではない。

宇沢は自動車の社会的費用についても言及している。「需要調整のために価格に社会的費用に見合う額を賦課金として上乗せする。公害と環境破壊に伴う社会的費用を計測すべきである」と主張した。また、成田空港問題シンポジウムを主催した隅谷調査団の団員として活動したり、地球的課題の実験村構想具体化検討委員会では座長を努めるなど、現実の問題解決にも尽力している。

「経済は人間のためにあるものであって,人間が経済の犠牲になってはいけない」をもじって制度と人間の関係を論じたが、人間の顔と心を持った経済学者宇沢弘文には共鳴する人が今なお多い。日本人は経済学の分野ではノーベル賞をもらった人は皆無だが、宇沢弘文はその候補だったらしい。

三菱一号館美術館。「レオナルドXミケランジェロ展」

  三菱一号館美術館。「レオナルドXミケランジェロ展」。

イタリアルネッサンス時代の二人の天才の対比を中心とした70点の「素描」がテーマの企画展。「万能人」・レオナルド・ダ・ビンチ(1452ー1519年。67才で没)。「神のごとき」・ミケランジェロ(1475ー1564年。88才で没)。同時代を生きたライバルの二人の年齢差は23才。

二人の気質、考え方の対比が興味深い。「素描」は、レオナルドにとってはデッサン、ドローイングであり、ミケランジェロにとってはデザイン、アイデア、構想であった。向かって左がレオナルドの素描、右はミケランジェロの素描。

f:id:k-hisatune:20170721054733j:image

 二人の言葉を拾う。

レオナルド:顔は内面を写す鏡。人相学。観相学。人体比率研究。それが「最後の晩餐」につながる。静的。「アントニオ、素描しなさい。素描しなさい、アントニオ。素描しなさい。時間を無駄にしないで」

ミケランジェロ:物語の中で生きる人物を描く。動的。それが「最後の審判」につながる。「画家は、まず優れた師匠の手になる素描を模写することに習熟しなければならない」

 

レオナルド:絵画は彫刻よりも優位。「平らなものを立体的に魅せるという技量、、、。画家はこの点で彫刻家を凌駕している」

ミケランジェロ:絵画と彫刻は等価値。「絵画と彫刻の両者は同じ才知に由来するものですから、お互いに仲直りして、大げさな議論は止めにしたいものである」

ミケランジェロ「絵画彫刻は共に素描から生まれた娘である」

 

レオナルド:動物、特に馬。ミケランジェロ:人間の裸体。建築。

 

大理石でできたミケランジェロキリスト像

f:id:k-hisatune:20170721054748j:image

 

 夜は、日本地域社会研究所。第三木曜日に編集企画会議を行うことになった。

f:id:k-hisatune:20170721054819j:image

 レオナルド「充実した生命は長い。充実した日々はいい眠りを与える。充実した生命は静寂な死を与える」

 

 

「名言との対話」7月20日。糸川英夫「人生でもっとも大切なのは失敗の歴史である」

糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日- 1999年2月21日)は、日本工学者。専門は航空工学宇宙工学ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。

第二次大戦では日本海軍は「ゼロ戦」が代表的な戦闘機で、堀越二郎が中心になって開発した。陸軍の名機「はやぶさ」を開発したのが糸川英夫である。この二人は当時の軍国少年の英雄だった。

糸川はバレエ占星術チェロヴァイオリンなど様々なことに興味を持った。故・富田勲の手がけた新プロジェクト「ドクター・コッペリア」は日本の宇宙探査機ハヤブサとロケット開発の父・イトカワの物語である。バレーに本気で挑戦していてバレー団に入団した62歳の川博士から「いつかホログラフィーと踊ってみたい」と言われる。当時はテクノロジーが実在していなかったが、富田は初音ミクを使って実現しようとした。2012年に冨田が『惑星 ULTIMET EDITION』をリリースした際には、「木星」と「土星」の間に冨田が糸川を偲んで作曲した「イトカワはやぶさ」が追加されている。富田勲の死後に完成した『ドクター・コッペリア』はテクノロジーとアートが融合した、バレリーナとバーチャルシンガーの競演になった。

2003年小惑星 25143 が糸川の名にちなんでイトカワと命名された。この小惑星が「イトカワ」と命名されたのは、日本の探査機はやぶさが打ち上げられて(命名されて)三ヶ月後である。イトカワには探査機はやぶさが訪れ、調査とサンプルリターンを行った。自らの名前がつけられた小惑星に、自らが開発に関係した戦闘機)と同名の探査機が着陸したことになるという素敵な物語である。そして2010年はやぶさは地球に無事帰還し英雄となった。糸川の遺体は砂漠に埋葬された。

 著書『逆転の発想』はベストセラーになり、「逆転の発想」という言葉が世に広まった。糸川は勉強する時に解答などで間違った所を消しゴムで消すなという勉強法を提唱した。また「不具合」という言葉は糸川ロケットが失敗した時の富士精密工業による造語である。戦闘機開発、ロケット開発の最前線で大活躍した天才技術者・糸川英夫の教訓が「失敗」であるのは興味深い。厖大な失敗の歴史の蓄積の上に、逆転の発想で新しい技術が誕生するということだろう。