横山紘一『阿頼耶識の発見』

横山紘一『阿頼耶識の発見』(幻冬舎新書)を読了。

・心を変えるには、脳科学ではなく、心科学が必要。それが唯識思想。

唯識思想は、科学(分析)と哲学(空・真如を悟る)と宗教(解脱)を兼ねている。

・八識:表層心の六識「眼識(げんしき)・耳識(にしき)・鼻識(びしき)・舌識(ぜつしき)・身識(しんしき)。「意識(思考)」。七識「末那識(自我執着心」。八識「阿頼耶識(根本心)」。

・阿頼識は、記憶の貯蔵蔵。悪い業は汚れを、善い業は清らかな結果を貯蔵。深層心と身体は安危同一。美しい言葉を深層心に植えつけると自分が変わる。心身あげての強烈な体験は深層心を変える。

・「いのち」は総合的なもの。

釈尊「自灯明、法灯明」。自灯明の自とは、自分を勘定に入れずに他人のために東西南北に奔走する人。

・菩薩は他が先で、自は後の精神に生きる人。 

阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

 

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九識論との違いは何か。

・六識は意識、思考となっているが、そうか?

・九識「阿摩羅識」とは何か?

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「名言との対話」7月15日。佐藤道夫「自分の起こした不始末はまず自分で始末するというのが、子どもの躾の第一歩である。責任をとるとは、そういうことをいう」

佐藤 道夫(さとう みちお、1932年10月24日 - 2009年7月15日)は、日本 検察官 政治家弁護士

札幌地方検察庁検事東京地方検察庁特別捜査部検事・同庁刑事部長・最高検察庁検事などを歴任した検事である。

 東京地検特捜部では、1971年沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった、いわゆる西山事件の捜査を担当し起訴状を書いた。起訴状では、西山記者は外務省女性事務官と「ひそかに情を通じて」、これを利用して秘密文書を持ち出させたとした。この言葉で国家の密約問題から、スキャンダル事件へと本質がすり替えられたという批判がある。後に「言論の弾圧といっている世の中のインテリ、知識層、あるいはマスコミ関係者なんかにもね、ちょっと痛い目にあわせてやれという思い」から起訴状の文言を考えたと述懐している。是非はともかく佐藤の意図どおりに進展したわけだ。

東京佐川急便事件においては、自民党金丸信元副総裁が政治資金規正法違反に問われたが略式起訴となり、それを批判する文を朝日新聞読書欄に「特別な人を特別に扱うのは司法の世界では絶対にあってはならない」と現役の札幌高検検事長として投稿し、国民の支持を集めた。

 1995年、佐藤の正義感や人柄に目をつけた青島幸男氏が「私の議席を引き継いでほしい」とアプローチし、佐藤氏は二院クラブから参院選に出馬して初当選し、二院ク代表を務める。議員としてもオレンジ共済組合事件友部達夫参院議員に対する議員辞職勧告決議案に一人反対する、根拠薄弱で始めたイラク戦争で、アメリカがフセインを逮捕したとき、何の罪なのかを明らかにせよと小泉総理に迫るなど、活躍した。

著書『検事調書の余白』(朝日文庫)は、「週刊朝日」連載の「法談余談」をもとに、38年の長い検事生活で出あった事件を題材に、「法律」と「人間」の狭間で繰り広げられる本物の人生ドラマを鮮やかに描き出した。これは後にNHKで本当のドラマになった。

夕刊フジでは、「佐藤道夫の政界よろず調書」も連載している。記者には「僕の仕事は、政界や社会に対して『大切なことを忘れていませんか?』と問いかけること」と語っていた」という。

さて、「責任をとる」とはどういうことか。高い地位の職務には相応の責任が伴うのは当然だ。期待された結果を出せないとき、不祥事が起こったとき、高い地位の人は責任をとる必要がでてくる。昨今の偉い人たちの出処進退の悪さは目にあまるが、自分の起こした不始末は自分で始末せよ、という佐藤の言はさわやかに響く。ここでいう自分とは自分そのものだけではない。自分とは自分が統べる組織や集団の総体を指すのだ。

 

 

 

「九識」の理解のために。

「九識」の理解へ向けて、まず以下の本を読むことに。

三島由紀夫天人五衰』。

師茂樹『大乗五蘊論を読む』

・横山紘一『唯識の思想』

・横山紘一『阿頼耶識の発見』

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インターゼミ(社会工学研究会)。九段サテライトにて。

8月の箱根での夏合宿の中間発表に向けて佳境に。

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「名言との対話(平成命日編)」7月14日。深田祐介「これも週休2日制のお蔭です」。

深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、本名:雄輔 1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本作家である。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した1976年の『新西洋事情』は、ミリオンセラーになった。1982年にマニラを舞台にした『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。1983年にテレビドラマ化された『スチュワーデス物語』は大ヒットした。1987年には『新東洋事情』を書いている。深田祐介は高度成長期に海外で活躍する日本人の奮闘をユーモアのある軽妙洒脱な文章で描き、多くの読者を得た。

深田祐介さんとは同じ企業に勤務していたこともあり、20歳近くの年齢差があったが、幾度かの接触があった。20代でJALのロンドン空港に実習派遣員で1年余り滞在したとき、深田祐介にならって「新西洋情事」を書くぞと冗談を言っていたのだが、結果的には、真面目な「ロンドン空港労務事情」という日本的労務管理についての実証的研究を社内レポートとして提出した。それが労働経済学の小池和男教授の目にとまり、紆余曲折の後に「中央公論経営問題」での深田さんらのビジネスマンの座談会になり、紙上で冒頭に若干紹介され、そのことが目の前の仕事に正面から取り組むきっかけとなった。二度目は成田での深田さんの社内講演会時に、この論文についての質問をした時だ。三度目は、30代後半で広報部勤務の時、深田さんから何かの仕事の関係で電話をもらい、担当者として対応した記憶がある。考えてみると、二足の草鞋を履いているサラリーマン作家のモデルとして20代からこの人を意識していたのであろう。

今回1999年出版の本を改題した『美味交友録』というエッセイを読んでみて、この人の背景と日常を知ることができた。パリ、札幌、名古屋、客室などの舞台で私も知っている先輩たちが登場する。深田さんは東京麹町で中流家庭に育った。父が連れて行った羽田の零戦が飛ぶエアーショー、横浜での新造汽船の見学、横須賀の軍艦、一流店野料理で、震えるような感動を味わう。絵と作文が得意だった航空少年は、その結果、感受性が磨かれて作家になったと述懐している。この本に紹介されているレストランを挙げてみよう。六本木「真露ガーデン」。銀座「キャンティ」。広尾「プティ・ポワン」。神楽坂「田原屋」。紀尾井町「エリオ」。名古屋「カポネ」「鯛飯楼」。札幌「杉ノ目」「景勝園」。パリ「ラセール」。「ルドワイヤン」。台北「ごーるでんトップ」。六本木「中国飯店」。福岡「あまのや」。ロンドン「ザ・コンノトート」「まさこ」、、。

月曜日から金曜日までは社員として仕事、土曜日と日曜日に作家として原稿を書くという「二足の草鞋」スタイルで作品を書き続け一家をなしたのだ。私が入社した1973年からJALでは週休2日制が始まった。「これも週休2日制のお蔭です」は、サラリーマン作家・深田祐介の本音だっただろう。就いた仕事を深掘りして、生きる時代を凝視し、その現場からみえる世界を描くことに自らの資質を存分に生かす。こういう生き方は普遍的である。

 

美味交友録 (新潮文庫)

美味交友録 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

午前は学部授業。夜は大学院授業。--テーマは文藝春秋『2018年の論点』

・学部授業は13回目。

・橘川先生:情報交換。

・岩澤さん:図解ウェブのブラッシュアップ。

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夕刻から、品川キャンパスで大学院の授業の7回目。

文藝春秋『2018年の論点』の論文を題材に図解演習と3分間の発表。

富山和彦「医療、自動社、、シリアスな産業がデジタル革命の主役に」。佐藤優「教育の大改革 新時代に必要なスペックとは?」。後藤謙次「チルドレンはいらない 政治家に競争原理を導入せよ」。所功「新元号はいかにして決定されるか」。飯田将史「戦前の日米関係と酷似 米中衝突はあるのか」。橘玲「国家を超える!? 電子貨幣ビットコインの可能性と弱点」。岩下直行「フィンテックは金融ビジネスを根底から変える」。井上久男「すべてのクルマがEVになる日はくるか」。牧野知弘「民泊ビジネスは地方でこそ推進せよ」。落合陽一「誰が生き残るか?AI時代の起業に必要な条件」。草笛一郎「年間150日休むドイツ人の働き方」。橋田壽賀子「92歳の私が安楽死を考える理由」。外岡潤「超高齢社会 認知症者が主役の制度に改めよ」。河崎貴一「世界も注目する知られざる日本の食材」。喜連川優「桁違いの巨大データベース競争 鍵を握るのは超高速データベース技術だ」。西田宗千佳「何が来るか?スマートフォンの次の時代」。森健「2012年 大学入試はここまで変わる」。北野新太「天才棋士藤井聡太四段 最年少タイトル獲得なるか>」

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以下、受講生の感想から。

・ 本日の私のテーマは、超高齢社会における<認知症者が主役>の制度に改めよ、の論説を読んで図解にまとめ3分で発表することでした。本日の新しい試みは、3分で発表できるように図解でまとめることでした。まず論説を読みながらキーワードと重要な短い節文にラインを引き、それを本題に対する問題点と対策にわけ、図解しました。まず中心に認知症者を置き、その周囲に3つの問題点とその対策、解決案をカラー分けして図解し、聴いていただく方たちに一目でわかるようにしました。今回は3分の制約のためできるだけ簡単にまとめることに主眼を置きました。

・ ・読みながら構造化し、図解へ。 ・言いたいことを選ぶ。 ・インプットとそこから作るストーリー。今回は読みながら図解のイメージができたので、書きながら気になる部分を考えることができました。結果、いろいろと気になる部分があり、これが自分の考えとの相違点や質問ポイントになるということが感じられました。

・今日はあるジャーナリストの政治家に対する提言をまとめました。前回より時間がかからずに図解にするとこはできたが、構想力がいまひとつ、流れで書いてしまっているので、もう少し大枠でどう捉えるか考えられるといいと感じました。
まずは、構想、そこから関係をつなぐ。全体像が浮かぶかどうか。全部を言わない、どれを選ぶか。本質が見える。これらを意識してすこしでも図解を自分のものにしたいと思います。

・キーワードを書き出す前に、大枠を捉え、全体の構成を考えたうえで、図解を書き始めることで、話の繋がりが分かりやすくなるなと感じました。また構成を考える中で、主張したいことに合致しない情報を除いていくことも、大事だと理解しました。

・文書を図解にする際に文章全体の構造をイメージすることが重要であることが経験できました。また、どのKey Wordを中心にして図解を作成するかで図の形を変えられることも経験出来ました。

・前回数字からインサイトを読み解いて更に図解で説明するというハードルの高い課題に取り組んだが、今回は文章からということで、全体の構造を掴みやすかった。テーマは2020年の教育改革で求められるスペックと言うタイトルだったが先生のコメントにもあったように求められるスペックである、文章を読み解いて理解して正しく伝えるという力は正に図解そのものであると同感した。図を使いながらストーリー性を持って伝える時にビジュアルは聞き手と共同化する為の最良のツールである。あと限られた時間内でポイントを伝える事も重要な要素であり、大きな流れと結論を先に話して聞き手の理解度を確認しながら詳細に入るというアプローチを取る事でプレゼンのコントロールが出来ると感じた。またメタファになっている部分などをイラストにする事で図が柔らかくなりイメージの共有が更に深まると考える。

・文章を読むと図が浮かび上がってくる」まさに理想的な状態だと感じました。私はまだそこまでは至りませんが仕事に関する資料や論文などを図解していくクセをつけたいと思います。「文章から何を選ぶか」これも本質的な言葉だと思いました。今までは矢印の使い方など、いかにキレイな図解を作れるかに主眼が向いていました。しかしそれは図解のスキルのほんの一部であり、その前段や周辺にもっと大切なスキルがあることを改めて感じました。

・期待して読みましたが、図示化により精読することになり、かなり粗が見えて残念な結果になりました。ちょうどこの分野での起業準備を半年以上かけて行っており、ベース知識があるので尚更でした。人に読んでもらうということは購入費用と時間を使ってもらうということなので、自分がその立場になった時はきちんと準備して見合った結果を生み出せるようにしようと思いました。

・今回、米中衝突はあるのか、というテーマで、防衛省職員の文章を扱いました。私は今回、筆者が言いたいことと、その論拠を抽出して、繋げてまとめました。理由は、枝葉でしかない話が結構あり、筆者の結論とは直接、結び付かないと思ったからです。分解して繋げてみると、筆者の主張として、今後少なくとも10年は米中摩擦は続く、としているのに、肝心の貿易摩擦には触れていませんでした。防衛省職員だから経済産業省所管の内容に触れていない訳ですが、誰がどの立場で主張しているのかを図解しながら特定して行くと、主張のベクトルの矢印も識別できて、発表時間の短縮にも繋がると思いました。

・文字を大きく書く事で端的になることを目指した。わかりやすさとは細かいことを言わないことでもあると考えました。何を選ぶか?尖らせるか?

・今回の授業は比較的図を作成しやすかった方だと思います。そこで感じたのはストーリーがしっかりしている文章は図に表現しやすいということです。バラバラのパーツを組み立ていかにストーリーとして展開して行くか。そこに図で伝える真の能力が隠れていると感じました。授業中にも述べましたが、話の本質はなんなのか、全体的に何が言いたいのかを意識して身の回りの文章や話について意識するようになりました。

 

以下、留学生。

・今回私は「すべてのクルマがEVになる日はくるか」というルール戦略の国際情勢の図解を担当しました。キーワードを丸して、その中で一番重要主语から柱を捉え、主要なキーワーだが梁を左右を作用的に考えて枠を立て、矢を主张が現れて、図解が出来だ、図解をかけて、当今世界の企業潮流と ルール戦略変化の根を勉強になりましたどころが、文を理解するが一番の大切ですけど、日本語が勉強不足の私がだいぶ時間が文の中カタカナを調べる事にかかります、わかりにくい図解を出しました。先生とcopy担当先輩に迷惑をかけましたから、申仕訳ございません。短く時間割りで文のよく理解出来るようにbusiness school 留学生として、日本語を上達する、経済、newsを敏感的に関心を持つが一番大切な事と実感しました。

 ・私のテーマは天才棋士藤井聡太です。棋士について結構難しいから、理解できるように、何回も読みました。文章の内容が理解できて、レジュメが書けるようになります。又、勉強になります。ありがとうございます

 ・セミナーの収穫が大きかった日です。わたしのテーマはビットコインでした。実は、ITに関することはちょっと苦手です。理論などは分からないところがいっぱい。今後も関連する本を見た方がいいと思いました。 また、今日の3分の発表はギリギリでした。

・図解を何回して、今日、新しい感想ができました。前回より、ポイントを指摘する能力でも、ポイントを組み合わせる能力でも、全部高まってきました。さらに、質問を考える時でも、理路がもっと整然になりました。

・今回は、ドイツと日本の働き方の比較図です。GDPが近いが、実際こんなに差があることが初めて知りました。毎回練習して、最初より良い図表を作れるようになったと気がします。矢印とキーワードの接続や、全体図の表示方などいろんな図表の描き方を勉強しました。

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「名言との対話(平成命日編)」 劉暁波「私には敵はいない」

 劉 暁波(りゅう ぎょうは、リウ・シャオポー、1955年12月28日 - 2017年7月13日)は、中華人民共和国著作家。元北京師範大学文学部講師。民主化運動を始め広範な人権活動に参加し、度々投獄された。2010年、ノーベル平和賞を受賞。

吉林省長春に生まれる。吉林大学卒業後、北京師範大学で修士号、北京師範大で教鞭。博士号を取得。ノルウェーオスロ大学、アメリカ・ハワイ大学コロンビア大学で講義や研究。帰国し1989年の胡耀邦元総書記の死をきっかけとしたデモ隊を中国人民解放軍が鎮圧し多数の死傷者を出した「天安門事件」に関係し、反革命罪で投獄される。以後、文筆活動を行うが、再投獄される。

冒頭の「私は敵はいない」は、2009年、国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決の前の最後の陳述のタイトルである。これは獄中にあり出席できなかった2010年のノーベル平和賞授賞式で代読され、人々に感銘を与えた。

「20年前にハンスト宣言で表明した『私に敵はいない、憎しみもない』という信念に変わりはない。私を監視し、逮捕し、尋問してきた警察、起訴した検察官、判決を下した裁判官はすべて私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受け入れられないが、当局を代表して私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含め、あなた達の職業と人格を私は尊重する」。

「私は個人的な境遇を超越し、国家の発展と社会の変化を見据えて、最大の善意をもって政権からの敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かしたい」

「私は望んでいる。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄」の最後の犠牲者となることを。そして今後、言論を理由に罪に問われる人が二度と現れないことを」

ノーベル平和賞を受賞が決まった時、獄中の劉は妻の劉霞に、 ノーベル平和賞は「天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と述べ、涙を流した。詩人画家写真家であるその劉霞は自宅軟禁状態にあったが、2018年7月10日、ドイツにむけて出国し、新たな展開があるだろう。

世界を震撼させた1989年の天安門事件からはもうすぐ30年になる。中国は1990年にはGDP世界10位であり、また日本の貿易相手国シェアはわずか3.5%っであった。現在ではGDPは日本の3倍近くで世界2位、日本の貿易相手国シェアは21.7%とトップになり、大国となった。

敵意はない、憎しみもない、愛で憎しみを溶かしたい、「文字の獄」の最後の犠牲者になりたい。この神のような心境を持つ劉暁波は、民主化運動の象徴として、今後も長く影響を与え続けるだろう。この人は死んだが、死んではいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

リレー講座「知の再武装」。

松本先生:大いなる多摩学会。人事。

学長:人事案件の進捗。近刊著書の報告。知研の新プロジェクト。

杉田先生:人事。

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 リレー講座:寺島学長

・知の再武装。『ジェロントロジー宣言』(NHK出版新書)。3つの知能。1・流動性知能(博識。記憶力・IQ、、。年齢とともに衰える)。2・結晶性知能(判断力。体験・文献・出会いなどによって知と知のつながりがみえてくる。努力次第で高まってくる。ヨコ)。3・唯識性知能(本質を感じ取る感受性。心に中の深さ。タテ)。五識五感(センサー)、九識(六識。七:末那識。八:阿頼耶識。九:阿摩羅識)。AIは「認識」、目的手段合理性、recognize)。人間は「意識」、感動・宇宙・世界・美意識・宗教、consciousness)。仏教は無神論。思想。釈迦は自分の悟り。世親が唯識論を唱えた。それに超越的な神秘性を附加(加上)し変化したのが衆生救済の「大乗仏教」。三島由紀夫豊饒の海」の第4巻「天人五衰」。松尾芭蕉「よくみればなずな花咲く垣根かな」。観音は聞こえないような小さな音を観る。聞は見えない光を感じ取る。

・人類史における宗教。6万年前:アフリカからホモ・サピエンスのグレートジャーニー・3.8万年前:日本列島に到着。1万年前:定住。コミュニティ・協調・配慮・利他愛)。2500年前:ユダヤブッダ孔子

・人間とは何か。生命科学の発展とAIの進化によって問い直されている。動物行動学・進化認知学。2003年にヒトゲノム解読終了。チンパンジーとは脳のDNAは1.2%の違い。個体差を含めると1.06%。それは言語と意思疎通、コミュニケーションの分野。意識の深さ、思想、宗教。サルは現実・人間は空想。「サピエンス全史」では虚構を生み出す力が人間。

・「1968年再考」。50年前。フランス5月革命。アメリカはベトナム反戦、黒人の人人種差別撤廃運動。アメリカが色あせ。ソ連の軋み、プラハの春。中国は毛沢東文革中南米ゲバラカストロ、日本は大学紛争、日大・東大闘争。トランプはウオートンビジネススクールの2年生でカネと女。1989年「7月4日に生まれて」はベトナム戦争で傷病兵で帰還した主人公が蔑視で傷つく物語。対照的。クリントン(徴兵拒否、ドラッグ、フリーセックス、、)と同年。

・今の時代をどう思うか。

1・「なぜか。国会で参院の定数6人増」。自堕落さ極まれり。互助会。怒り。問題意識。消費税増税だから議員定数削減という約束の反古。議員は人口比でアメリカの2倍。2億円X6人X6年=72億円。人口3割減少していく中3割はヒアスのが当然。

・2・「なぜ北海道に米軍基地がないのか、なぜ沖縄に米軍基地が70.6%も集中しているのか」。沖縄:人口増加中。基地依存は5%。観光立国で自立。出生数増加と高齢者の移住。日米安保は対ソ連。米軍は北海道から一番遠い沖縄に陣取った。首都圏には横田基地厚木基地日本帝国主義復活を抑えるのが日米安保という「ビンの蓋」論。本当に必要な施設は何か。三沢から沖縄までを一つ一つテーブルに載せる。進駐軍のステイタス、思いやり予算。独立国に外交群が常駐という異常さ。ドイツは冷戦後に基地の段階的縮小と地位協定の改定を行い主権を回復。気づきと問題識から、調べ、自分の考えをつくっていく。

3・「金ジョンウンはなぜ中国の飛行機で米朝首脳会談シンガポールに行ったのか?」。中国の恫喝、恐怖心。アメリカ主導の半島統一の直前に北朝鮮に中国が軍事介入・駐留し、グリップするという戦略。南との融和に走り、中国には3回行った。カリュウ「中国は北に首輪をつけた」。周金平二次政権の実績として香港・台湾・北朝鮮が必要。

・「ジェロントロジー宣言」。都市郊外型高齢化が問題。高齢者を生かしきる、支える側にしていく。食と農、観光立国に対応する高度観光人材。一緒に時代を切り拓いていきましょう

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「名言との対話(平成命日編)」7月12日。大橋巨泉「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」

大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年昭和9年〉3月22- 2016年平成28年〉7月12日)は、日本タレントテレビ番組司会者ラジオパーソナリティ)。

放送作家エッセイスト評論家競馬評論家音楽評論家、時事評論家)、馬主政治家参議院議員)、実業家・芸能プロモーター、オーケーギフトショップグループ取締役社長)と、巨泉の肩書きの多さは天下一品だ。巨泉は1950年から使っている俳号である。

麻雀、ゴルフ、競馬などw厚かった「11PM」で司会者として活躍。1969年のパイロット万年筆のヒットCM「ハッパふみふみ」はユニークだった。「みじかびの きゃぷりてぃとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」。よくはわからないが、なんとなくわかるような気がするCMだった。俳句の575とジャズのリズムが結びついた傑作だった。その後、クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などで高い視聴率でテレビ界を席巻していく。

消耗品にならないため自分でマネジメントするために、大橋巨泉事務所をつくる。原則は「映画とドラマはやらない」「一業種一種目を守る」「ナイター裏の番組は引き受けない」「週3本以上の番組はもたない」「番組の内容・構成には自ら関与する」、そして「自分の番組意外には出演しない」とうい大原則をつくる。これは20年間守られた。

「50歳でリタイヤ」のつもりだっが、ビートたけしという新しい才能と出会い、延ばす。報道と娯楽を結びつけた「巨泉の造語「インフォテイメント」番組の「巨泉のこんなモノいらない?!」は自身が言う代表作となった。

56歳で念願のセミ・リタイア生活に入る。冬はオーストラリアのゴールドコーストニュージーランドオークランド、春は日本、夏はカナダのバンクーバー、秋は日本。太陽を求めて温暖な気候の土地を渡り歩く「ひまわり生活」を堪能する。そのために、身軽に動けるようにパイプカットの避妊手術を行い子どもはつくらなかった。行く先の国の歴史や現状を勉強し、片言でもいいからその国の言葉をしゃべり、食事のメニューは自分で注文することにしていた。

巨泉には「僕は辞めると言ってはいないんです。辞めたのです」 (議員辞職の時)。「野球は巨人、司会は巨泉」、、など名言が多い。やはり俳句の影響だろう。

座右の銘岸信介総理にならって「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」であり、義理を欠くことにしていた。大橋巨泉という人物は、以上にみるように公私ともに、何事にも原則を持ち、明快な方針で臨んでいることに感銘を受ける。そして「それは違う、おかしい、というマトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」と警告を発していた。「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」と言っている。慧眼の巨泉はわれわれが、こころすべき言葉を残してくれた。

巨泉―人生の選択 (黄金の濡れ落葉講座)

巨泉―人生の選択 (黄金の濡れ落葉講座)

 

 

 

準備していると考えがまとまってくる。情報交換が次の行動を促してくれる。対話しているとアイデアが浮かんでくる。

多摩キャンパス。

・授業準備:学部・大学院。

・講演準備:準備していると考えがまとまってくる。

・高野課長:打ち合わせ。情報交換が次の行動を促してくれる。

・中村その子先生:教務の課題。将来展望。対話しているとアイデアが浮かんでくる。

・荻阪先生(客員):日経出版から出す4冊目の近刊の相談と報告を受ける。

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「名言との対話(平成命日編)」7月11日。岩田聡「人間は何を面白がるのか、何に驚くのか」

岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日は、日本プログラマHAL研究所代表取締役社長を経て、任天堂代表取締役社長。

北海道生まれ。東京工業大学卒業後、ゲーム開発会社ハル研究所に入社。ファミコン時代からゲーム開発に携わり、プログラミングを手掛け、社長を務めた後、40歳で任天堂に転職。2002年、入社2年目の42歳で任天堂中興の祖・山内社長から指名を受けて社長に就任。ゲーム人口の拡大を目指す方針のもと、5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線で集団指導で経営を行っていく。2004年、ニンテンドーDSを開発。ソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は「脳トレ」として流行語になり、社会現象にまでなる。2006年、1億台以上が売れた2006年のWiiを開発。これまでのゲーム愛好者とはまったく異なる層をつかみ任天堂を世界企業に押し上げる。

岩田は「プログラマーはノーと言っちゃいけない」と言い、未知の驚きや喜びを感じて喜んでくれるまで精進するのがプログラマーであるとし、人間を観察し続けて、試行錯誤を繰り返す。ゲームは景気変動の影響を受けない業界であり、驚きがない商品は、景気がいくら良くても売れない。やはり商品開発が命なのである。

ゲーム開発では、チーム内での数えきれないほどのやり取りの中でコンセプトが浸透し、共有され、商品に結実する。異なる部門が素早いキャッチボールを繰り返しながら、同じ目標、目標に突き進むことで、開発が成功するのである。優れた商品開発にはチームマネジメント、プロジェクトマネジメントが欠かせない。

岩田はゲーム開発者であることが天職だと信じていたが、会社の経営を任され、開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかり、経営も天職だと思うようになった。「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。心はゲーマーです」と語っている岩田社長は、驚きを提供するのだから、お客様の要望を聞くことは無駄になるとの考えだった。いわゆるマーケはティングは不要であるということになる。

2015年現在の調査では、日本のゲーム人口は全体の人数は4336万人、スマホタブレット用ゲーム人口は3099万人。家庭用ゲーム機所有者は5,224万人、家庭用ゲームアクティブユーザーは3,200万人、家庭用ゲーム継続プレイヤーは1,539万人。大学生たちが熱中する姿を見ていると、途方もなく、未来がある業界だとの感を深くする。

ゲーム、広く娯楽産業は、人種や文化の違いといった壁を越えて、人間は何を面白がるのか、人間は何に驚くのか、という本質の探究を行っている業界でもある。岩田を頂点とするプログラマーたちの「人間とは何か」を探る中で得られた深い人間観察が数々のヒット商品を生み出したのである。1959年生まれの岩田聡の社長在籍のままでの55歳というあまりにも若すぎる死は日本と世界のファンに大きな衝撃を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「漱石俳句集」より--宇佐八幡の句

宇佐出身の千葉雄君と電話で話したのをきっかけに、『漱石俳句集』に宇佐八幡を詠んだ句があったのを思い出した。漱石の俳句はいい。好みだが、子規よりも好きだ。

 

 松の苔鶴痩せながら神の春

 南無弓矢八幡殿に御慶かな

 神かけて祈る戀なし宇佐の春

 ぬかぢきて曰く正月二日なり

 宇佐に行くや佳き日を選む初暦

 蕭條たる古澤に入るや春の夕

 

宇佐八幡以外の句。

 元日や吾新たなる願あり

 詩を書かん君墨を磨れ今朝の春

 温泉や水滑らかに去年の垢

 天と地と打ち解けりな初霞

 初夢や金も拾はず死にもせず

 歯ぎしりの下婢恐ろしや春の宵

 金泥の鶴や朱塗りの屠蘇の盃

 そそのかす女の眉や春浅し

 永き日や欠伸うつして別れ行く

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「名言との対話(平成命日編)」7月10日。つかこうへい「間だの芸だのいらない。芝居はF1レース。0.01秒間違えると死ぬという真剣勝負を観に、客は来る。金を払って車庫入れを観に来る客はいない」

つか こうへい1948年4月24日 - 2010年7月10日)は、日本劇作家演出家小説家

1974年に自身の劇団を立ち上げ、8年後に一端解散したがその後も劇団やセミナーの立ち上げを行い後進の育成にも尽力し、多数の俳優や脚本家を育て上げたことでも有名。

"つかこうへい以前(第一世代)"、"つかこうへい以後(第三世代)"と呼ばれる程の一時代を築き、1970年代から1980年代にかけて一大 " "つかブーム"を巻き起こしたことで知られる。

稽古は、「口立て」という、しゃべりながらセリフをつける演出法であった。「作家が机の上で書く台詞は4割。あとの6割は稽古場で役者が自分に書かせてくれるもの」との考えで、稽古を重ねるごとにセリフが変わっていく。初日と楽日とでは演出が異なった。演出は「役者が持っている個人の生活史、言葉の生活史を探してやり、言葉のいい選択をしてやるため」のものだった。つかは、「生の刺し身」のような生き言葉を体全体から発するように役者に要求するのだった。「演出家の仕事は、漁師が、魚が知らないうちに網にかかってしまったと。いうように、観客を演出家の網にかけること」。

NHK「あの人に会いたい」を改めて観たが、「希望・愛・夢」や「ハッピーエンド」を語っている。役者の一番いい姿を引き出したいとする気迫あふれる演出は、新しいセリフを次々と生み出していく。つかこうへいは、役者を愛おしみ、人間をこよなく愛す人であった。「男と女の愛おしく思い合う力さえあれば、国は滅びん」みたいな、そういう夢を持ってみたい、と42歳のつかは1990年に語っている。そして、「愛情」と「大嫌い」の振幅の幅が大きいほどいい、演出家だと言う。「人を愛したり信じたりすることは今いちばん惨めな勇気を必要としている時代。それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃいけない」。1983年の「かけおち」では、大竹しのぶ沖雅也北村和夫が熱演していた。

熱海殺人事件』『ロマンス』等と並ぶつかこうへいの代表作の一つが「蒲田行進曲」だ。1980年には第15回紀伊國屋演劇賞を受賞、1982年には、小説『蒲田行進曲』が直木賞を受賞し、深作欣二監督で映画化され大ヒットした。この小説と映画は話題になった。

「人間にとって大切なのは、何を恥と思うかです」というつかは「文化とは『恥の方向性』であり、日本人はそれがわからなくなってきている」と嘆いた。在日韓国人二世であり、日本語がわからない母にもわかるように、名前をひらがなにしたのだ。死後に公表された最期のメッセージ(2010年1月1日付)には、「恥の多い人生でございました」とあり、『娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています』、とあった。

「間だの芸などはいらない」と言う演劇界の革命児・つかこうへいは、岸田国士戯曲賞ゴールデン・アロー賞演劇賞、紀伊國屋演劇賞団体賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞読売文学賞などの賞を席巻している。「芝居はF1レース」といい、62歳の短い生涯をF1ドライバーのように、疾走したのである。

 

 

話題の「舞浜倶楽部」(介護付き有料老人ホーム)を見学--食事と音楽と人間関係。

新浦安の「舞浜倶楽部」を総研・松本先生と見学。グスタフ社長と廉隅顧問から説明を受ける。外観はエミルタージュ美術館を模した建物。

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 スエーデン式。食事と音楽。地域の力。地域と地域のつながり。ブンネメソッド。タクティールケア入門。ソーシャルサポート。認知症カフェ。サポーター養成講座。人材不足がテーマ。日本はコミュニティづくりに優れている。多様な主体の協働。人が集まるのは食事と音楽。看取りケア。おいしい食事と活発な人間関係。個人史(バックグラウンド)。多世代交流。食事は委託しない。一人一人の好みを把握。ブンネギター。クリニック併設。スタッフ120名で76名。普通食・嗜好食・軟菜食・ミキサー食・行事食・配慮食・きざみ食・医療食・特別配慮食。食事と排泄をきれいにまわす。チェックリスト3000。ピル・ケース。人材育成が一番。離職率が目安。

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隣の妹夫婦のマンションを訪問。

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 豊洲に住む娘の第二子が本日早朝に誕生。妹夫婦と一緒に病院を訪問し、新生児男子をみる。

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「名言との対話(平成命日編)」7月9日。山田五十鈴「「緻密な観察力と、たくましい創造力」

 山田 五十鈴(やまだ いすず、1917年2月5日 - 2012年7月9日)は、日本女優。女優初の文化勲章受賞者。享年95。

戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する映画女優1960年代以降は舞台女優としても活動し、水谷八重子杉村春子とともに「三大女優」と呼ばれた。

自伝『山田五十鈴 映画とともに』(日本図書センター)を読むと、この大女優が仕事に目覚め、精進し、ライフワークに挑戦していく成長の姿がよくわかる。結婚を3度しているのだが、そのつど相手からの影響で女優として、人間としての自覚を持ち、そしてそれを乗り越えて歩いていく姿が印象的だ。

結婚して子どもをもうけ、女優をやめる覚悟で最後の一本「浪華悲歌」に取り組むと、芸事に対する執念、貪欲さがわき上がってくる。そして演技者になろうとする強烈な欲望が生まれる。女優を一生をかける仕事だと決心すると、もっと勉強しなければという気持ちがわいてきて、「鶴八鶴次郎」の成功で自信がつき、かつてない貪欲さで勉強に没頭する。そして「私にはしなければならないしごとがあるのだ」という考えがさらに強くなり、「りっぱな演技者であるなら、つねに大衆の愛情と批判によってそだてられていくものであるというきびしさ」を知るようになっていく。

山田五十鈴の回想によれば、「浪華悲歌」「祇園の姉妹」が女優生活の方向を決定し、「鶴八鶴次郎」でかたまって、「或る夜の殿様」で戦中・戦後の私生活を含めたもやもやした空気を取りはらって、ライフワークである女優の道を迷いなく歩いていくようになった。

「人間がちゃんとした目的もなしに生きていることのくだらなさ、はかなさへの反省」、「人間としてのふかい自省というものがどんなにたいせつなものか」、 「演技を通じて成長していかなければならない」。

映画女優生活を長年送ってきたが、まだ映画演技の体系ができていないという山田五十鈴は、しかし幾通りもの表現のしかたをいっぱい引き出しのなかにしまって、撮影の現場に持っていかなければ間にあわないと、勉強を続けていく。

「いろんな人間を創造していく方法や、演技の創造方法について根本から勉強しなければならない」「日常の基礎訓練をつみかさねることと、観客の皆さまから教えていただくということが、つねに両立していかないと、ほんとうの俳優としての成長はありえない、人間としてもたかめられることがないのではないか」

「緻密な観察力と、たくましい創造力」を念頭に演技と表現に一生を捧げた山田五十鈴は、「みて下さる観客に自分のやっているしごとがどんなに大きく影響するかということ、こんなよろこびを感じるしごとは他にないのではないか」と仕事観を語っている。さまざまの人物の創造を試みるという志を持っている大女優の演技が大衆の生活に与える影響はきわめて大きなものがある。山田五十鈴は大いなる女優であり、また人間としても偉い人であった。

山田五十鈴―映画とともに (人間の記録)

山田五十鈴―映画とともに (人間の記録)