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第21回在京中津会。

日暮里のラングウッドホテルで第21回在京中津会に参加。150人という大きな会だった。中津北高の同級の20回生6人が参加。松田、清原、芦田、小野、峰、私。

  • 中津から奥塚市長が見えて挨拶「耶馬溪が日本遺産」「八面山が夜景遺産」「出生率が1.94で県で1番」。一度母校で会ったことがある市長に挨拶。母の出版物が話題になった。
  • 歌手の芹洋子さんが挨拶「美しき山国川」がキングレコードから月1日発売。
  • 「在京中津会の歌」があるのには驚いた。
  • 終了後、仲間4人でビール。松田君の直近のマチュペチュ旅行の話を聞く。

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「名言との対話」5月28日。浜井信三「重い障害とともに歩んできたあなたの生き方は、懸命に生きることの大切さを教えてくれ ます 私達はあなたが歩んでこられた道から学んで その道をたどって参りたいと思います 」

浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年1959年 - 1967年。通算4期市長を務めた)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。

原爆の投下で市役所の幹部の多くが爆死したため、40歳の一介の広島市と防空本部の配給課長ながら最前線に立ち奔走した浜井の逸話を聞いた小松左京が創作したのが、少年向けSF小説「お召し」である。

1986年2月26日広島平和記念資料館の講堂で開かれた、第4回広島地方同盟定期大会に出席し、不動の信念と抱負を訴え終えた直後、来賓席に戻ると同時に心筋梗塞で倒れた。直ちに広島市民病院から医師が駆けつけたものの、16時8分に死亡。62歳。3月8日山田節男市長らが発起人となって市民葬が執り行われた。

来日し広島を訪れた資格と聴覚の重複障害者(盲ろう者)ヘレン・ェラーは「私は決して広島と長崎を忘れません…人々は恐るべき状況にありながら、なおも与えようという気持ちを持っておられたのです。このような寛容さに対して私は一体どう答えればいいのでしょうか。」と語った。浜井信三市長はそのヘレンに冒頭の言葉を語った。広島は重い障害を背負っており、ヘレンの崇高な生き方をモデルにして歩んでいくと広島市民を代表して述べたのである。個人に生き方に広島市民が励まされたのだ。

 

九段サテライトにてインターゼミ。

 九段サテライトにてインターゼミ。

 

 始まる前。

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 バートル先生(国際交流委員長)から。

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金先生(アクティブラーニングセンター長)から。f:id:k-hisatune:20170527172513j:image

 

学長講話

  • 群馬県高崎高校で講演:AIと財政。小栗上野介パナマ地峡経由でワシントン。ウィラードホテル。フランスの力を借りて横須賀に造船所。西郷・勝会談の条件。無傷で新政権に譲渡。三野村利左衛門。益田孝の三井物産富岡製糸場の3人の女性。
  • インド史:オスマン帝国の壁。インドのムガール帝国とはモンゴル。
  • 大いなる多摩学会:リニア新幹線の相模原モデル。圏央道が9割完成。外環3道は5年いない。インフラ整備のインパクト。
  • BS11。文庫の見学。
  • 2017年5月:この夏をどう過ごすか?何を見てくるか?5月米国東海岸。6月香港。7月米国西海岸。8月ウイーンで中東エネルギー会議。9月モンゴル、、

「脳力のレッスン182ーインド史の深層:キーワードをピックアップ。

パンジャブ。インド・パキスタン分離。シーク兵のターバンと髭。即席カレー。天竺。ブッダバラモン教を基礎として登場した自由思想活動家・修行者。「我執を断ち、苦を滅却して生きる意味を問い詰めたブッダ成る存在」。人口13.3億のインド。13.7億のインド亜大陸ヒンディー語と英語。800を超す地方言語。灼熱の文明。ムガルとはモンゴル。古代インダス文明アーリア人の侵入。マウリア朝のアショカ王。ヒンドゥ教。玄奘イスラムの浸透。イスラム文化とヒンドゥ文化のモザイク構造。ムガル帝国の登場。インドの植民地化。英国東インド会社分断統治。文明化の使命。帝国の論理。英(綿製品)・印(アヘン)・中(茶、陶磁器)の三角貿易アヘン戦争。ボースとパル判事。影響力を残しながら後退する知恵。

 

 アジア・ダイナミズム班

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AI班。多摩学班。

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サービス・エンタテイメント班

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 「名言との対話」5月27日。広瀬武夫「杉野はいずこ」

広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫1868年7月16日慶応4年5月27日) - 1904年明治37年)3月27日)は、日本海軍軍人。戦前は「軍神」として神格化された。

広瀬武夫中佐は1904年日露戦争で旅順港口で37歳で戦死。ロシアに留学後、ロシア駐在武官となる。戦艦朝日の水雷長として日露戦争に従軍。第二回旅順港閉塞作戦で福井丸を指揮、同船の沈没間際まで行方不明の部下杉野孫七をさがしつづけ、やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。最近の研究によると、広瀬はその日(1904年3月27日)、ロシア戦艦レトヴィザンから複数の内火艇の射撃を受けて海中に落ちた。ロシア艦船が発見して引き揚げ、軍外(がい)套(とう)を着た状態で収容した。頭部以外はほとんど損傷はなかった。遺体は、広瀬がロシア駐在武官のころ交際した令嬢アリアズナの兄(ロシア軍大尉)らが確認。ロシア軍隊の軍旗、葬送曲を伴った完ぺきな栄誉礼をもって厳粛な葬儀が執り行われた。遺体はその後、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。納棺の際にはアリアズナから贈られた懐中時計も発見された。

講道館新館2階の「資料室」の中に「殿堂」への入り口があり、その奥に「師範室」がある。資料室は柔道の誕生から世界200各国に伝播するまでの歴史の資料が展示されている。殿堂には、柔道界を担った先達の写真と経歴が記してある。この中に、広瀬武夫6段の名前を見つけた。嘉納治五郎は広瀬の戦死を聞いて号泣したという。

大分県竹田市の広瀬神社の中にある記念館では、80歳の祖母に送った二つの写真が紹介されている。海軍大尉の正装とふんどし姿の写真の2枚。昭和10年に建立された広瀬神社の一角に「陸軍大臣 阿南惟機 顕彰碑   岸信介書」という碑が建っている。

広瀬中佐は船倉から戻らぬ部下・杉野孫七上等兵を呼び続けた。この広瀬中佐の言葉は文部省唱歌に歌われている。広瀬中佐は、剛毅、果断、勇武、鬼、と呼ばれていたが、部下思いの情の人でもあったのだ。「杉野はいずこ」は軍神・広瀬中佐の最後の言葉だった。

今日はフルコース:多摩(学部授業)・九段(会議)・品川(大学院授業)

多摩キャンパス・九段サテライト・品川キャンパスのフルコース。

 

午前:多摩キャンパス

  • 橘川先生と歓談

午後:九段サテライト

  • 大学戦略会議:本日のテーマは「地域」。経営情報学部連合。国際・観光学部連携。産学官民連携センター。学部ゼミは○○研究室。大学院・学部連携。総研研究員。院は産業界連携。、、、具体的なアイデアが満載の会議となった。
  • 第1回研究活性化センター会議:私立大学研究活ブランディング事業申請
  • 大学運営会議:非常勤採用。戦略会議報告。各セクション報告(離学対策)。決算速報。、、。

夜:品川キャンパス

大学院授業:テーマは「共謀罪」。朝日・毎日・読売・産経・日経・東京・河北・西日本・中日の各紙の社説と、国連特別報告者のケナタッチ氏の総理宛書簡が材料。以下、受講生の終了後の感想から。

  • 本日もあっと言う間の講義でした。文章の図解作業はインプットとアウトプットを同時に行う作業であり、すさまじい集中力を必要とする行為であると改めて感じた時間となりました。そして、共謀罪というテーマでの社説の図解。各新聞社の主張にそれぞれカラーがあり、1紙だけの情報を真実とすることへの危うさを実感しました。また、ほとんどの新聞には載らない事実があるなど、情報が溢れるなかで、真実を見極める情報収集力が必要であることを再認識させて頂きました。
  • 本日は共謀罪に関する各紙の社説を図解。担当した読売新聞は議論内容に深入りせず、政府頑張れ早くやれの論調。他紙ではとにかく反対やもっと議論を、など様々。ここまで主張(のみ?)が強いのかと驚きました。あらためて自分が政治に疎いことを反省しました。自分の意見を論理立てて主張できるほど理解出来ないにしても、概要や状況を理解するのに図解は効果が高いですね。今は各自の図解をそれぞれ順に概観していますが、一枚の図に対し皆で論点を確認しながら議論してみたいとも思います。
  • 共謀罪が危うい犯罪を防止するために、そもそもいいけど、犯罪の内容は曖昧なので断罪することをまちがえやすいと思います。例えば、計画階段ではどのように犯罪を明確しますか?具体的な行為がまだしないですから。一緒に犯罪するのは冗談かもしれないので、明確に断罪しにくいし、裁判をまちがえやすいし、政府が市民の自由を監視しすぎて、逆に市民が不安に陥ります。ですから、計画階段で共謀罪を裁判するのは無理だと思います。

  • 関係を考えながら図を書くということが、少しずつ少しずつ理解でき始めている気がした講義でした。同じテーマを取り上げた社説を皆で図解してみて思ったのは、考えるための判断材料を取り込むのも難しい、ということ。新聞や書籍以外にもテレビに雑誌、ネットなど情報を手に入れやすいからこそ、何が本質なのかという視点を大事にしなければならないと思います。

  • 内容について深くは言及しない地方新聞は, 中立的立場をとりながらも, どちらかというと国民多数派の見解を支持する傾向にあるらしい。【記事中身】UN職員ではないJ. Cannataci 氏の専任過程が不透明な中, 初動で「公開書簡」というやり方には疑問を感じるが, 指摘事項はするどく, 共感できる。というのも対米追従的な首相の理想国家に近づく改法案にはすべて反対であるからだ。これまで数カ国の監視社会で生活をしてきたが, 諸外国がどのような基準で「共謀罪」を制定し, 適用しているか考えたことがなく, また, 簡単に見えるものでもない。当該コンフリクトが続き, もし「国連脱退」を日本が選択した場合, 喜ぶ国々はどこなのであろうか。ちなみにFBアカウントがアメリカ政府にモニターされている事は否めないです, どの言語で書こうとも。
  • 共謀罪について日本の各紙の論説は、賛成にしろ反対にしろ手続きを批判しているものにしろ、落としどころをどのようにしたら良いかまでを考えた論説になっていないように思われました。結局は数の力で押し切られることを前提とした論説ではまずいのではないでしょうか。その点国連人権理事会から選任を受けたジョセフ・ケナタッチ氏の書簡は、懸念される問題点を指摘し、それに対する対応まで提案している点に日本の各紙の稚拙さを感じざるを得ませんでした。国内事情を優先して国際社会からどのようにみられているのかを無視する政府の現状を見ていると、戦前の日本の姿がだぶって見えるのは私だけでしょうか。
  • 各社様々な意見であることが発見でした。多様な意見が存在することは、議論を深めるという意味で良いことだと感じました。
    今回の講義を通じて、(スピード感を持続する前提のもと、)各論点についてさらに議論を深掘りする必要性を感じることができました。また、各社の意見、ファクトのリンクを集約したものがあると良いと仰っておられたのが印象的でした。「まじめなNAVERまとめ」みたいなサービスに対して需要あるかな?と思いました。
  • 共謀罪について各社の社説を読だ、そして共謀罪のいくつか問題点が出ました。一般人は対象外としているが、一般人かどうかを決めるのは政府。誰でも捕まる可能性はある。社会の監視の目が厳しくなる。警察による過剰な捜査が行われる。(電話やメールなどの盗聴、GPS捜査)個人プライバシーが侵害される。テロ対策のためにも共謀罪は必要ですが、しかしもう少し慎重的に考えばもっと良い結果が現れると思う。
  • 今日の講義の始めに、社会や歴史など因果関係があるものは図解が良い、というお話がありました。社会は想像しやすいですが、歴史は図解できいるというのが驚きでした。言われてみれば、歴史はつながっており、因果も一つの関係性と言えます。何かを中心において、その関係性を描いていくと、いろいろなものが図解できると言うことですね。現在の世の中や科学においては、因果関係がはっきりしない、複雑系非線形というものがあります。これらを図解で表現できるのか、今後の受講のテーマにしていきたいと思います。以前のレポートで「図解は捨てることが大切」と書きましたが、すべてを表現することでなく、本当に言いたいことは何かを明確にし、そうだとしたら足りないことや表現が弱いところはどこかを見直すツールとして活用でき、また、連続性を大事にする大企業にとっては、なんらかの因果関係を持たせて図解できれば、コミュニケーションはスムーズになると思いました。さて、今日のテーマの共謀罪、私は日本人がテロを計画したり起こしたりするとは全く考えていませんが、悪意を持って来日する外国の人はいるのではないかと思い、東京オリンピックまでに共謀罪の成立は国際組織犯罪防止条約に批准するためには当然のこと、と頭ごなしに考えており、全く内容を知らず、「共謀罪」と「テロ等準備罪」の違いも全く分かりませんでした。ちなみに、共謀罪は組織犯罪を計画した時点での取り締まりが可能ですが、テロ等準備罪は計画後に実行準備を行った場合、使用可能となります。計画段階で捜査する共謀罪は対象の犯罪が600以上ありましたが、テロ等準備罪では半分以下の277罪にまで狭め、より厳密な内容へと変更した、とのまとめがありました。277を減らせ、という社説はありましたが、共謀罪の時から半減したとは、いずれの社説にもありませんでしたね。(テロ等準備罪を今でも共謀罪と呼ぶのは新聞社ごとの判断だそうです)またすべての対象犯罪についてはなかなか情報がありませんでした。東京新聞のツイート画面くらいです。西條さんのご指摘通り、社説が全てではありませんね!あの意見には、本当にハッとしました。西條さん、ありがとうございます。東京新聞の対象犯罪の紹介方法は、分かりやすく伝えやすく、というより「ホラ見て、こーんなにあるんだよっ!」という意図を感じますが・・・。これらの情報を探していた中で驚いたのは、時事通信が『【図解・行政】「テロ等準備罪」対象犯罪の内訳』という記事を発信しており、おお!これで私たちへの宿題が減った!と喜んでクリックしてみたら、図などどこにもなく、表が一つあったのみだったことです。これで、図解と言うのか。衝撃の『図解』は、こちらです。また、久恒先生がおっしゃっていた、日本政府から国連特別報告者の所感への返信も見つけました。国連人権理事会の「プライバシーの権利」特別報告者による公開書簡に対する日本政府見解(外務省サイト)日本側は、「国際組織犯罪防止条例を締結するには必要な法の整備であり、すでに共謀罪として10年以上検討してきた。定義があいまいと言うが、対象犯罪はちゃんと定義している。そもそも、特別報告者が我が国の説明も聞かずに一方的に公開書簡を発出したことに強く抗議します。」と回答しています。テロは、昔と違い、悪の親玉がいて子分たちが起こすものではなく、見えないテロの共鳴者が勝手に計画して実行してしまうゲリラ戦のようなものが多くなっています。だとすると、それを取り締まる法律も情勢の変化に合わせなくてはいけないと思いますが、今回の講義でテロ等準備罪の内容を少し理解したので、これを核に膨大な情報の中から久恒先生のように、ちょっと毛色の異なる面白い情報を救い上げられる力が身についたらいいな、と思いました。

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 「名言との対話」5月26日。マイルス・デイビス「創造し続けようと思う人間には、変化しかあり得ない。人生は変化であり、挑戦だ」

マイルス・デューイ・デイヴィス三世Miles Dewey Davis III, 1926年5月26日 - 1991年9月28日)は、アメリカ合衆国ジャズトランペット奏者。

タモリがインタビューした時にはずっと絵を描き続けて、その絵をプレゼントした。そしてタモリが持参したトランペットにも絵を描いた。「自分の音楽をよく聴いてくれている」とタモリを褒めたというエピソードもある。

クール・ジャズハード・バップモード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョン、ヒップホップなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引したデイビスは「俺の音楽をジャズと呼ぶな」とも語っている。創造は変化の中にある。

 

 

 

 

リレー講座:寺島学長「「日本経済および社会構造の変化」

加計学園問題。

朝、朝日新聞1面と週刊文春の特報の前川証言を読む。昼、youtube参院委員会の野党質疑を聴く。テレビ番組の報道をチェック。夜、テレビで前川前文部次官のインタビューを見る。

 

「副学長日誌・志塾の風」170525

・学長と打ち合わせ:多摩大出版会。多摩大モデル、、、、。

・秋のリレー講座の講師人選会議:GIN。金先生・小林先生・高野課長。

・本日のリレー講座:講師は学長「日本経済および社会構造の変化」

  • 米国東海岸出張報告:ジャパノロジストの総退場(チャンスである。トランプ政権の基盤は不安定(支持率。政治任用。経済政策の分裂)。北朝鮮問題(日本には構想力がない。北朝鮮は72年前の日本の姿)
  • 日本:アジアダイナミズム。世界経済は好調(中国・印度・アセアン5で6-7%成長)。米中貿易は日米貿易の3倍。日本海物流は2日速い。日本海港湾の成長率は10年で44.8%。圏央道インパクト)。
  • 日本経済の変化:経世済民。日本は貧困化。中間層の没落。内向する日本。
  • 異次元の高齢化:100才時代をどう生きるか。国道16号線沿いの団地の高齢化。急速な単身化。、、)

以下、図メモ。

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  •  17時半:品川での大学院運営委員会:自己点検報告。教務分科会。入試・広報分科会。院生分科会。プロジェクト分科会。その他。
  • 18時半:滝川課長と来週の研究開発機構評議員会の打ち合わせ。金井さんと雑談。

「名言との対話」5月25日。エマーソン「その日、その日が『一年で最高の一日である』と心に刻め」

ラルフ・ウォルドー・エマーソンRalph Waldo Emerson1803年5月25日 - 1882年4月27日)は、アメリカ合衆国思想家哲学者作家詩人エッセイスト

エマーソンは『自然論』を刊行し、アメリカンルネッサンスと称されるアメリカ文学黄金時代の中心に位置していた。彼は自分の内部に多くの動物を感じている。あやしい共感に動かされるともいう。それは「自然は精神の象徴である」という表現になった。

「恐怖は常に、無知から発生する」

「私は引用が嫌いだ。君の知っていることだけ話してくれ」

「靴屋は良い靴を作る。靴以外のものを何も作らないから」

「偉大であることは、誤解されるということだ」

毎日を最後の人生最後の日だと思って生きよう。それは毎日を一年で最高の一日にしようというエマーソンの言葉と同義語だ。それは天から与えられた才能を発揮し続けることだ。毎日が人生最高の日となっていく。そして「世界をほんの少し、良い場所にして去る」ことになる。そういった人生は偉大である。

 

 

 

 

 

 

 

安岡正篤「禅と陽明学」(プレジデント社)

安岡正篤「禅と陽明学」(プレジデント社)を読了。

  陽明学に至る道筋を禅からたどり、陽明学を解説した書だ。東洋哲学は脳科学で証明されてきつつある。ダライ・ラマ仏教の解説も宇宙科学から説明して納得した覚えがある。最先端科学で哲学や宗教を説明する時代になった。

禅と陽明学〈下〉 (人間学講話)

禅と陽明学〈下〉 (人間学講話)

 

以下、自分なりに要点をまとめてみる。

人間の意識の深層は永遠につながっているから、真剣に学問求道をやれば主観を通じて大いなる客観に到達する。それが主客合一だ。良知を究める、それが致良知だ。

達磨から始まった禅宗では南都北漸というようになる。南派は直ちに悟る頓悟を旨とし、北派は修養を積んで悟る漸修を旨とする。五家七宗があり、そのうち臨済と曹洞が日本に伝わった。臨済宗は棒で殴り、怒鳴りつける喝を行う。曹洞宗は綿密である。

儒教仏教道教がしだいに総合されて易学が誕生し、宋の時代には新たな人生と社会の指導原理になった。太極から陰と陽が生まれる。この考えでは生まれた日が一番大事という運命学になる。それが統計学でもある四柱推命である。

禅は道を体得させる。実践を大事にする。自分の体で実践し考えさせる。そして主客一如になる。禅の奥義が華厳。何妙法蓮華経とは自分自身を蓮華のように清く尊いものにし、世界を美しい蓮華のような理想世界にすること。

スラブ人は虚無的で何者も信じない。中国人は人間を信じる。漢民族は生命力が偉大であり、最後まで残るだろう。日本人は偉大なものを信じる。その日本人の民族性が禅や陽明学に意義と魅力を感じる。

王陽明(1472-1528)。快活。良知・致良知とは大脳皮質の論理的思索から始まり生命・意識の偉大なる深層に徹することだ。知行合一とは、知と行が限りなく循環して発達していくもの。心身一如。

(蒙古ほど面白いものはない。50歳のジンギスカンと26歳の耶律楚材の出会い。楚材は30年間宰相だった。忘年の交わり、か)

(参考文献:「太極図説」。「易学入門」。露伴「運命」。「湛然居士集」。「碧巌録」「十八史略」。「抜本塞源論」)

 

「副学長日誌・志塾の風」170524

  • 人事委員会:10時から
  • 学部運営委員会10時40分から12時30分

研究室

・大学院授業準備:共謀罪

・学部授業準備:社長メッセージ

ラウンジ

・荻坂客員教授:学部の授業。大学院OB会、、、。

・杉本係長:戦略会議資料

・高野課長:「多摩大モデル」

・杉田学部長:事業構想

・大森映子先生

・金先生:アクティブラーニングの動き

・趙先生・飯田先生:読書コンクール


「名言との対話」。5月24日。結城豊太郎「忘年の交わり」

結城 豊太郎(ゆうき とよたろう、1877年(明治10年)5月24日 - 1951年(昭和26年)8月1日)は、日本銀行家大蔵大臣日本銀行総裁、第5代日本商工会議所会頭を歴任。

中学時代に家族銀行を提案し、話題になるなど早くから金融に興味を持っていた。採用が無いのに当時の高橋是清副総裁に直談判して入行。経世済民が原義の経済に関心を持ちこの分野を歩み続けた。

高等文官試験に通っていたが、経済金融を学ぶため日銀を選ぶ。請われて安田財閥に入り、大安田銀行の創建。興銀総裁、商工中金創立なども行った。実務よりも諸学国の視察に重点を置き、現状把握を通して未来に向かった。

「ふるさとは国の本なり」といい、人づくりに力を注ぐ。吉田松陰を尊敬。故郷の赤湯には、上下水道を引き、風也塾を設立し若者を運指導、臨雲文庫を設立し万巻の書を寄付し図書館とした。故郷の南陽市結城豊太郎記念館は江戸の旧薩摩藩邸を移築した門が入り口だった。

修身・斉家・治郷という言葉を用い、郷学という言葉も使っている。20歳年下の東洋学・人間学の権威である若き安岡正篤を亡年の交わりと称して交流した。忘年の交わりとは、漢代の大学者孔融(当時50歳)と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを世人が呼んだというい故事による言葉だ。忘年の交わりとは若い人に師の礼をとることだ。結城は21才年下の安岡に感服し師事した。そういう姿勢を見習いたいものだ。

 

司馬遼太郎「モンゴル紀行」(朝日文庫)

司馬遼太郎街道をゆく モンゴル紀行」(朝日文庫)を読了。

1974年発刊の本だから40年以上前のモンゴル。建国が1924年であり、世界で2番目の社会主義国だった。司馬節を楽しんだ。

ハバロフスクイルクーツク経由で、モンゴル人民共和国の首都・ウランバートル、そしてゴビ砂漠への旅行記。

街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)

 

 ・匈奴は、モンゴル族チベット族の総称。

・モンゴル人は野菜を食べない

・モンゴル人は性格がおおらかで素朴。他民族(漢民族以外)を憎悪することが少ない。

遊牧民族は民族的自尊心が強い。

・日本人の先祖という意識がある。

・モンゴルの詩人の詩がいい。

・日本人より5センチほど身長が高い。

・「元朝秘史

ソ連は日本人捕虜をモンゴルに配給。13847人。2年間の抑留中、1割強の1684人が死んだ。国立オペラ劇場は日本人捕虜の労役でつくられた。

 

「副学長日誌・志塾の風」170523

研究室

・授業準備(学部・大学院)

ラウンジ

・今泉先生、彩藤先生:アマゾンのプライムビデオとミュージック

・杉本係長:戦略会議

・高野課長

総研

・松本先生:研究開発機構評議員会資料

 

日本地域社会研究所にて打ち合わせ。

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 「名言との対話」。5月23日。サトウハチロー「母という字を書いてごらん。やさしいように見えてむずかしい字です。恰好のとれない字です。やせすぎたり、太りすぎたり、ゆがんだり、泣きくづれたり、、、笑ってしまったり」

サトウ ハチロー1903年明治36年)5月23日 - 1973年昭和48年)11月13日)は、日本詩人童謡作詞家作家

  サトウハチロー記念館は岩手県北上市にある。父の佐藤紅緑の出身地である青森と詩に出てくる母の出身地である仙台の中間地という理由で北上市に建てたという珍しい記念館である。落第3回、転校8回、勘当17回、中学中退というから、その素行は推して知るべしだ。「ビールは一日8−10本。ウイスキーが3日で1本、日本酒も同量ていど。タバコは一日100本、ほとんどアル中、ニコチン中毒に近い、、」と本人も書いているが、結果70歳まで(1973年)生きたから不思議である。ハチローは「ボクは日本一の個人的酒税納税者」と自慢していた。私はNHKの人気クイズ番組「話の泉」という番組で活躍する姿を覚えている。

この人の詩は歌になっているものが多い。以下、あげてみる。・「ちいさい秋みつけた」(誰かさんが 誰かさんが、、、)。1962年 日本レコード大賞童謡賞。・「ちいさい母のうた」。・「かわいいかくれんぼ」(ひよこがね お庭でぴょこぴょこ かくれんぼ、)。・「長崎の鐘」(こよなく晴れた 青空を、、)。・「うれしいひな祭り」(あかりをつけましょ ぼんぼりに、、)。・「うちの女房にゃ髭がある」(何か云おうと思っても 女房にゃ何だか、、)。・「二人は若い」(あなたと呼べば あなたと答える、、)。・「もしも月給が上がったら」(若しも月給が 上がったら 私はパラソル 買いたいわ ぼくは帽子と 洋服だ、、)。・「りんごの唄」(あかい林檎に くちびるよせて、、、)。・「悲しくてやりきれない」、、、、。

小学校時代の同級生で「姿三四郎」の著者である富田常雄が「ハチローは神武以来の不良少年」と語っている。あらゆる刑務所に入った縁で知り合った人たちと友人になっており、罪滅ぼしのつもりか、壮年以降は不良防止、犯罪撲滅、警察官互助運動にも参加しているのは愉快だ。

トーハチローにはお母さんをうたった詩が多い。詩集「おかあさん」は180万部の売り上げを記録した。今でも詩集としては日本記録である。その「母」という字について述べた冒頭の言葉も味わい深い。天真爛漫なハチローと一緒に写っている人々はみんな心から笑っている。こちらも思わず笑がこみあげてくる、そんな人柄である。なんだかこちらも幸せな気分になって記念館をあとにした。

 

「野田一夫 90歳 バースデーパーティ」は900人が参集

「野田一夫 90歳 バースデーパーティ」に参加。品川。900名が参集。

華麗、かつ豪華。一番の高齢が野田先生というパーティ。若い人、女性経営者も多い。凄い人気に改めて驚く。

第一部:野田先生と、弟子の澤田HIS会長、南部パソナ代表との掛け合い。

第二部:司会は石田純一。発起人挨拶はキッコーマン茂木友三郎。乾杯は小泉純一郎総理。花束贈呈はジュディオング。

 

小泉純一郎の乾杯の挨拶。印象に残る短い挨拶。

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以下、 映像メッセージ

孫正義サウジアラビアにいるので出席できない。

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 コシノ・ジュンコf:id:k-hisatune:20170522202604j:image

 栗城史多(登山家)。ヒマラヤ7000メートルから。

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 野中ともよ

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 東儀秀樹

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 左から、富田さん(私の仙台のゴルフの師匠)、野田先生、小生、杉田先生(東京のゴルフの師匠)。

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出席者への野田先生の挨拶状

「小生未だ心身ともに壮健で、赤坂のオフィスを拠点に昔と変わらぬ人生を送っております、、」

 

 「名言との対話」5月22日。リヒャルト・ワーグナー「仕事をするときは上機嫌でやれ、そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない」

 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー1813年5月22日 - 1883年2月13日)は、歌劇の作で知られる19世紀ドイツ作曲家指揮者である。代表作は「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」など。

ほとんどの自作歌劇で台本を単独執筆し、理論家、文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした中心的文化人の一人でもある。また 音楽と演劇を融合させた総合芸術を目指し、楽劇と呼ばれる独自の様式を築き、「楽劇王」と呼ばれた。

ワーグナーは自分自身と自分の芸術が至高のものであり、人や社会がそのために奉仕するのが当然と考えていた。そのため、バイエルン国王を始め多くの人々が迷惑をしている。常軌を逸する浪費癖、そして自分より優れた作曲家は「神がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かうだろう」と言ったベートーベンだけだ、と公言するなど敵対者も多かった。音楽を聴くと堂々たる体躯を予想するが実際は167センチの中背であった。

ワーグナーの音楽と思想に影響を受けた人は、ダリ、ニーチェヒトラー、、、。反ユダヤ主義の思想は後にナチスに利用された。日本では、坪内逍遙三島由紀夫も影響を受けている。現代のシンセサイザー富田勲は、音の演出の面白さを特色とするワーグナーにヒントを得て、エレクトロニクス技術を使って音楽の世界を大きく広げていった。ワーグナーの影響は大きい。

「私は音楽に恋をしているのです」というブラームスは同時代のライバルだった。そしてワーグナーは常に上機嫌で愉快に音楽に立ち向かっていった。