座間市の高齢者学級「あすなろ大学」。図解テキストの通信教育の録音とり。佐藤慶太郎と美術館。

11時:座間市の高齢者学級「あすなろ大学」の市の担当者と代表の方が講演依頼に見えた。 30年続いていて「座間モデル」と言われるほど素晴らしい内容の会だ。毎年200人が登録。調べ学習がテーマ。男性が中心。

  asunarodaigaku.main.jp   

 f:id:k-hisatune:20181211220227j:image

「この度、久恒先生に、あすなろ大学が毎年実施しております「大学展」での特別講演をお願いいたしたく、ご連絡を差し上げた次第でございます。8月7日の「自分史まつり」での久恒先生のご講演を拝聴させていただき、まさに「人生百年時代」に向け、シニアの方々が楽しく、生き生きと、主体となってその学習成果を発表する大学展のテーマにぴったりと感じ、ぜひともあすなろ大学の方々に聞いていただきたいと強く感じました。また、ご講演はあすなろ大学の大学生だけではなく、これから生涯学習の場を探し、一歩踏み出そうとしているシニアの方々もお迎え致します。ぜひとも、「自分史まつり」でご講演していただいた内容をベースにご講演いただき、座間市のシニア世代の方々の生涯学習を勇気づけていただき、そして、自分史の魅力をお伝えしていただきたく、何卒よろしくお願い申し上げます。あすなろ大学は現在、「大航海ゼミナール」という「調べ学習」を学習活動の柱に据えており、受講生が主体的に企画管理発信していますホームページ活動も活発です。久恒先生の「自分史」「図解」「HP」というキーワードは、とても関係が深い高齢者学級であります。」

 -------------------

15時:神田のN社を訪問。図解テキストの通信教育の録音とり。終了後、力丸君と打ち合わせ。

ーーーーーーーー

今日の収穫。東京新聞日経新聞

東京都美術館:日本最初の公立美術館。「石炭の神様」と呼ばれた九州の実業家・佐藤慶太郎の篤志で実現した。東京府美術館(現・東京都美術館)の建設計画が資金難のため頓挫しつつあることを知り、面識があった東京府知事阿部浩に即座に100万円(現在の約33億円相当)の寄付を申し出た。これにより、岡倉天心や横山大観らの「美術館が欲しい」という明治以来の日本美術界の悲願が実現することとなった。

佐藤 慶太郎(さとう けいたろう、1868年11月22日明治元年10月9日〉 – 1940年昭和15年1月17日)は、福岡県出身の実業家

佐藤は若いころに読んだアメリカの実業家カーネギーの伝記に感銘を受け、カーネギーの言葉「富んだまま死ぬのは不名誉なことだ」( The man who dies rich, dies disgraced )を信条としていた。1935年、寄付金150万円により、財団法人大日本生活協会を設立。衣食住、家庭経済、風俗習慣などの改善研究をやり実験設備として生活訓練所、児童研究所、模範部落建設、教育機関 を通じて新生活指導者を養成するほか新興生活実行組合を全国に作るという大掛りな構想を発表した。その拠点として1937年に「佐藤新興生活館」(現・山の上ホテル本館)を建設した。

また、貧困により医薬が購入できない人への救済組織として「財団法人若松救療会」などを設置したり、「福岡農士学校」開設にも協力するなど、「美しい生活とは何か」を希求し続け、食生活や農村の改善、女子教育の向上にも尽力した。優秀な若者には奨学金を提供し、先見性のある医師や社会活動家に支援を惜しまず、日本の芸術文化と生活文化の双方に寄与した。その社会奉仕の功績を顕彰し、その精神を未来に継承する芸術文化活動や生活文化活動を奨励しようという「佐藤慶太郎顕彰会」が齊藤泰嘉筑波大学教授らにより設立されている。 どこかで聞いた名前だと思ったら、別府市美術館をつくった人だった。2013年9月1日に訪れている。石炭の神様と呼ばれた佐藤慶太郎の寄付金をもとに1950年に設立された。この美術館の佐藤の肖像画は、岡田三郎助。胸像は、朝倉文夫。佐藤は温泉地である大分県別府市に移住、晩年を同地で過ごしている。

渋谷ヒカリエ「CUBE 1、2、3」:版画家、斎藤清。日本のピカソ。「ハニワ」。斎藤 清(さいとう きよし、1907年4月27日 - 1997年11月14日)は、福島県河沼郡会津坂下町出身の木版画家文化功労者(1995年)。独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に魅せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残している。
ーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月11日。三輪壽雪「健康第一。体調は作品に表れるので、体調の悪いときにいくら頑張っても良いものはできん。健康は基本じゃ」

 三輪壽雪(みわ じゅせつ 1910年2月4日 - 2012年12月11日)は日本の陶芸家。享年102。

山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。 旧制萩中学校卒業後、兄・十代休雪を助けながら伝統技法を学ぶ。1941年川喜田半泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込む。

1955年に作家活動を開始。1957年日本伝統工芸展に初出品した「組皿」が入選し、1960年には日本工芸会正会員になるなど、高い評価を受けた。萩焼の伝統的な茶陶の作風に新たな展開を示した。純白の藁灰釉による「休雪白」の作品を発表している。1967年、兄の休雪の隠居後、三輪窯を受け継ぎ十一代休雪を襲名。1976年紫綬褒章1982年には勲四等瑞宝章を受章、1983年4月13日に重要無形文化財萩焼」保持者に認定された。兄弟での人間国宝認定は陶芸界で前例の無い快挙だ。

近代萩焼の革新者であり、それまで注目されなかった桃山時代の雄渾なスタイルを現代に甦らせることで、現在美術としての萩焼を創出させた。美濃焼における荒川豊蔵唐津焼における中里無庵、あるいは備前焼における金重陶陽らに、匹敵する人である。

「若い連中がまねしてやろうという根性になってはだめ。自分の仕事の力になるように受け止めないと」

全ての作陶過程を自らの手で行う事にこだわりを持ち、晩年まで活動を続けた。2012年12月11日、老衰のため死去。102歳没。百寿(100歳)の上もあることが今回わかった。茶寿(108歳)、皇寿 (111歳)、大還暦(120歳)。三輪壽雪は胃腸が悪く、長生きしようと自分で健康法を編み出して実践した。4時半に起床し、体操と全身マッサージを1時間半。その後、無農薬野菜をつくる畑仕事を1時間。冷水を2杯飲んで朝食。就寝は9時半。 体が弱かったことが、かえって長生きにつながった。体調管理はどのような分野でもいい仕事をするための基本である。

三輪壽雪は「不器用は、不器用なりに。茶碗の場合はの。器用すぎてもいかんのじゃ、これは。茶碗の場合はの。器用すぎるほど、土が伸びてしまっていかんのじゃ。やっぱし技術的には稚拙なところが、多少はあるほうが茶陶、茶碗としては、好ましい雰囲気のものになるわけじゃ」と不器用を克服し、健康第一の心がけで百寿の名人になった人だ。30年の修業期間を経ての45歳からの作家活動は遅いと見えるが、100歳を超えるまで半世紀以上の時間があったことになる。この人も遅咲きといえる。

 

 

 

 

 

 

「凄いことを軽くおしゃってますが、大丈夫でしょうか(笑)?」ーー『図で考えれば文章がうまくなる』の書評!

 以下のサイトに拙著の書評を発見!「きっち」さん。

本の本 #2 / ブログに役立つ文章読本 - 単純な生活 / 気がつけば本を読んでいる

ブログ作成に役立つ(であろう)「文章読本」を6冊紹介。

01. 『日本語の作文技術 / 本田勝一』(朝日新聞出版)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

 

 文章を書くうえでの基本のキは、この本ですべて学べる。「修飾語の順序」「句読点のうちかた」「助詞の使い方」、この3つの章を読んで実践するだけでも文章力は格段にアップするはず。初版が出たのが1980年代初頭だが、内容はまったく古びていない。

02. 『論文の書き方 / 清水幾太郎』(岩波書店 / 新書)

論文の書き方 (岩波新書)

論文の書き方 (岩波新書)

 

 文章読本の名著のひとつ。「論文の書き方」となっているが、いわゆる論文だけではなく、フィクション以外の文章の書き方を、著者の経験を交えながら説明していく。タイトルのかたさとは違って、語り口は意外に柔らかく読みやすい。

03. 『知的生産の技術 / 梅棹忠夫』(岩波書店 / 新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

 これも名著.。文章を書く以前の、発想とそのまとめ方について詳しく論じている。著者は、発想(思いついたこと)を書きとめてまとめるのにカードを使っているが、いまならスマホで代用できるかも知れない。古い本だが(初版が1969年)、ここに書かれている方法は今でも十分通用する。

04. 『図で考えれば文章がうまくなる / 久恒啓一』(PHP

図で考えれば文章がうまくなる (PHP文庫 ひ 31-1)

図で考えれば文章がうまくなる (PHP文庫 ひ 31-1)

 

 上記の3冊を読むのが面倒くさい人は、これ1冊読めば事足りる。第1章で、文章読本の名著たち(「文章読本 / 谷崎潤一郎」「論文の書き方 / 清水幾太郎」「理科系の作文技術 / 木下惟雄」「日本語の作文技術 / 本田勝一」「超文章法 / 野口悠起雄」の5冊)の勘所をすべて図解入りで説明している。ひじょうにわかりやすい。 さらに第2章では、“文章の技術よりも先に学ぶべきこと”として、梅棹忠夫の『知的生産の技術』が取り上げられている。図解で詳しく解説されているので、『知的生産の技術』そのものを読むよりわかりやすい。 第3章以降が、著者の主張である「図解文章法」の解説となる。

 

    文章が苦手な人は多いと思います。

 (中略)

 しかし文章書きが苦手な人にも、この図解文章法は光明をもたらすでしょう。文章を書くのは苦手でも、図解文章法ではすらすらと書けるという体験をすることになり、驚くことでしょう。パズルをつなげるように単語を並べ、自分の考えを足していくと、あっという間にたくさんの文章が書けるのです。おもしろいくらいにペンが動いて文章自体がうまくなったような気がするでしょう。 ~p.121

凄いことを軽くおしゃってますが、大丈夫でしょうか(笑)?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

久恒「よく読んでくれました! そのとおり、大丈夫ですよ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

書評を書いた本人「きっち」さんから、コメント、いただきました。以下。

コメントありがとうございます。まさかご本人からコメントがあるとは!ちいさい頃、母親から「悪さをしたら、ぜったい誰かが見てるからね!」と脅されたことを思い出しました(笑)。生意気なことを言わせてもらうと、この記事を書くために30冊以上文章読本の類を読みましたが、先生の本は、わかりやすさと実用性ではトップ3に入りますね。

ーーーーーーーーー

久恒「いい読み手がいないと、書き手も張り合いがありません。期待していますよ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大学

10時40分:アクティブラーニングセンター運営委員会。

12時半:学長室渡辺さん:戦略会議の相談。「地域」。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月10日。山本七平「われわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である」

山本 七平(やまもと しちへい、1921年大正10年)12月18日 - 1991年平成3年)12月10日)は、聖書学専門の山本書店店主。

日本社会日本文化日本人の行動様式を「空気」「実体語・空体語」といった概念を用いて分析した。その独自の業績を総称して「山本学」と呼ばれる。

クリスチャンの両親は神の安息日(日曜)生まれから「七平」となずけた。青山学院で学んだ山本本人も10代で洗礼を受けた敬虔なプロテスタントだ。ルソン島終戦を迎え、マニラの捕虜収容所に収容されるという惨烈な軍隊経験を持つ。

1947年復員。1958年翻訳書を中心に聖書関係の書籍を刊行する山本書店を設立する。1970年に出版し、山本が訳者であった『日本人とユダヤ人』は、私の大学生時代に話題になり、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し単行本・文庫本の合計で300万部を超える大ベストセラーになった。同書で「日本人は水と安全はタダだと思っている」と喝破した。著者のイザヤ・ベンダサンの正体をめぐってマスコミが沸いたが、山本七平ペンネームであるようだ。当時、ベンダサンと本多勝一との論争を楽しんだことがある。また1979年頃ロンドン駐在していた時に、上司のJALロンドン支店長が「山本さんと会っていたよ」と語っていたことを思いだした。

山本七平の著作は60冊以上に及ぶ。『私の中の日本軍』などの「日本軍」もの。『「空気」の研究』などの「日本人論」。『勤勉の哲学』『日本資本主義の精神』『現人神の創作者たち』などの「日本思想史」。『昭和天皇の研究』など「歴史」もの。『聖書の旅』など「聖書」関係。『論語の読み方』などの「中国古典」。『静かなる細き声』など自伝。そしてイザヤ・ベンダサンの作品としても『日本人とユダヤ人』『日本教について』『日本教徒』などがある。いずれも名著である。何冊かは読んでいる。

山本七平賞は、PHP研究所が主催する学術賞。日本語で執筆され日本国内で出版された社会学政治学、経済学、歴史学、哲学、宗教学、比較文化等の人文科学、社会科学の学術書、論文が対象となっているように、山本自身の守備範囲が広いことがわかる。

今回ユーチューブで山本七平のリーダーシップ論を聞いた。戦国から徳川時代への橋渡しをした家康、幕末から明治への橋渡しをした大久保。創業と守成、禄と位、人事と組織、リーダーは、判定・決断・実行できればよい、、、。創業から守成への転換期についての講義だったが、論旨が明快で揺るぎがない。鋭い着眼、 本質をずばりと突く慧眼の持ち主であることを改めて確認した。

山本七平は、日本独特の「空気」を取り上げた。おかしなことと思いながらも、だれも異を挟めないままに進行し、やがてモラルが腐敗していく姿を「空気の前には道理が引っ込む」と分析した。空気論は今でも生きている。空気が読めない人を「KY」といって揶揄するのも山本の空気論が正鵠を得ていることを証明している。

 

「空気」の研究 (文春文庫)

「空気」の研究 (文春文庫)

 

 

神保町周遊ーー25冊で1万2千円なり。

f:id:k-hisatune:20181209175653j:image

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

神保町の古本屋街で過ごす。

つい25冊ほど購入してしまったが、1万2千円ほどで済む。やはり、この街には通わないと。新刊書の三省堂にも「古本」コーナーがある。日曜・祝日は休みの古本屋が多いのは困る。

ーーーーーーーー

今日の収穫

12月9日の日経文化欄に映画の吉田喜重監督(1933年生)の「小説と映画のはざま」と題するエッセイを載っている。70歳を過ぎた折、たまたまなってしまった映画監督を辞めて自分が天職と考えてきた文学、言葉の世界に還ろうと思うと言う。映像はあいまいで相手の想像力にゆだねるものであり、小説では「わたし」自身を登場させることができるからだ。十歳の頃に名前を知った「アドルフ・ヘス」というナチス副総統(1941年にイギリスに亡命)を題材に虚実入り混じった小説『自己処刑 ルドルフ・ヘス』を10年近い歳月を費やして2019年夏に上梓するとのことだ。86歳で天職にたどりついたのだろう。

ーーーーーーーー

「名言との対話」12月9日。坂口謹一郎「酒は生き物が造り、その上にに人間という微妙なセンスの動物が鑑賞するのであるから、今、科学にとってこれほど手ごわい相手はたくさんいない」

坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年11月17日 - 1994年12月9日)は、日本の農芸化学者

発酵醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。 結核を患っていたため禁酒令が医者から出ていたが、禁酒令が無意味だったことがわかり、40歳で酒を覚えた。これ以降、体重が増えて健康になった。

「酒によりて得がたきを得しいのちなれば酒にささげむと思い切りぬる」。

50歳で歌を詠み始める。旅の途中で「歌のようなもの」を書くくせがあると自嘲しているが、1975年には新春御歌会始めに召人とのなっているから優れた歌人でもあったのだろう。

「うま酒は うましともなく 飲むうちに 酔ひてののちも 口のさやけき」。

「スコッチのつはものこもる古城にはるけくともるまもりのともしび」

「かぐわしき香り流る酒庫(くら)のうち静かに湧けりこれのもろみは」

「とつくにのさけにまさりてひのもとのさけはかほりもあじもさやけき」

「うつりゆく世相横目にこの余生いかに生きなむと盃に対する」

「うちに千万無量の複雑性を蔵しながら、さわりなく水の如くに飲める」酒がいいとのことだ。吟醸酒のブームを予言していたように思える。

坂口は微生物培養に用いられる坂口フラスコを発明している。そして1967年には「永年にわたる微生物学の基礎および応用の分野における貢献」によって文化勲章、1974年には勲一等瑞宝章を受章した。那覇沖縄県酒造組合の前庭には揮ごうした「君知るや 名酒 あわもり」の文字が刻まれた大きな石がある。故郷の上越市にはその業績を記念した「坂口記念館」があるが、その建物は元々同じ高田市内にあった旧家を移築したものである。那覇上越には訪問しなければならない。

ベストセラーになった『世界の酒』 (岩波新書)以降、『日本の酒』、『古酒新酒』、『愛酒楽酔』、著作集『坂口謹一郎酒学集成』(全5巻)などを書いた。『愛酒楽酔』の中に、先日訪問した山梨県登美のサントリーのワイナリーの創設時のエピソードがあった。国産のシャンパン酒をつくろうとした日本は、ラインのぶどう酒の専門家であるハムというドイツ軍人を雇って山梨県登美村に東洋一の大ぶどう園をつくるが、大震災もあり荒廃した。寿屋の鳥井信治郎社長が赤玉ポートワインをつくるのに国産ぶどうを使いたいというので、坂口は川上善兵衛の指導を受けることをすすめた。川上は登美の農園を買うことを鳥井にすすめた。こういう経緯が書いてある。また、この本は、1992年にサントリー広報室の小玉武に依頼したとある。小玉さんはTBSブリタニカ時代に「知的生産の技術」研究会の出版の関係でお会いしたことがある方だった。

酒で健康になった坂口謹一郎は、専門の研究が酒と大いに関係するという特権を縦横に生かした道を迷いなく歩いた。科学にとってまことに手ごわい難敵であった酒は、また100年になんなんとする97年にわたる生涯の親友であった。今宵は、坂口謹一郎博士をしのびながら、愛酒「獺祭」を堪能しよう。

代日本のエッセイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多摩大学AL(アクティブラーイング)発表祭2018ーー大学、高校が連携した高大接続AL。

多摩大学AL(アクティブラーイング)発表祭2018。

・田村理事長:現代の志塾。大学、付属中高とも連携し全学でALを推進。

・金ALセンター長:10回目。100件の発表。過去最高の数。高大接続。250科目すべてにALを導入。46のALプログラム。全35ゼミでAL。知識創造の場。

帝塚山大学(奈良)の松下先生:関西ではALといえば多摩大。

・東京経済大の山本先生:2014年からゼミ発表。多摩大に学んでいる。

・目黒高校の谷川先生:高校1年生全員が参加。

f:id:k-hisatune:20181209060723j:imagef:id:k-hisatune:20181209060732j:imagef:id:k-hisatune:20181209060745j:imagef:id:k-hisatune:20181209060844j:image

目黒高校の谷川先生:多摩大のゼミに高校生が参加。6プロジェクト。アジアダイナミズム。目黒イベントプロジェクト。プログラミング体験。いちょう団地プロジェクト。起業体験プロジェクト。きく・はなす・考えるワークショップ。
f:id:k-hisatune:20181209060840j:imagef:id:k-hisatune:20181209060830j:image
昭島市オリジナル婚姻届けプロジェクト:市民課と連携。婚姻届、出生届の作成。

増上寺七夕まつり、和紙キャンドルナイト2018:41770名(3.2倍)。天の川5400枚のキャンドル(東北の子供たちのメッセージ)。藍染体験。

帝塚山大学:奈良の昔の暮らしプロジェクト。

多文化共生に向けた取り組み、神奈川いちょう団地から見えた国際交流:3割が外国人(ベトナムカンボジアラオス)。8つの団体がサポート。言葉の壁、教育格差、アイデンティティの維持問題。
f:id:k-hisatune:20181209060905j:imagef:id:k-hisatune:20181209060848j:image

南スーダン共和国のハンドクリーム:チャリティハンドクリーム。オーガニックハニー。フェアトレードマーク。OEM.クラウドファンディング。収支。利益率。
つながり--いちょう団地、高齢者が求める自主サークル:健康クラブ。憩いの部屋。サードプレイス。つながりの実感。

インターゼミ多摩岳範:ジェロントロジー。アクティブシニアを活かす社会システム。フィジカル班、コミュニティ班、ワーク班、ファイナンス班。ふるさとチョイスとしてのアクティビティ提案。
f:id:k-hisatune:20181209060833j:imagef:id:k-hisatune:20181209060900j:image

f:id:k-hisatune:20181209060825j:imagef:id:k-hisatune:20181209060855j:image

閉会式:帝塚山大の松下先生:堂々とした発表。

杉田学部長:学びの場。教育を研究する場。

中庭先生(総合司会):終了!
f:id:k-hisatune:20181209060852j:imagef:id:k-hisatune:20181209060837j:image

高校生、大学生、他大学生、市民、、などが集った大アクティブラーニング発表祭。アクティブラーニングは「生涯学習」の場に発展していくだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月8日。西田 厚聡「センス・オブ・アージェンシー。緊迫感、緊張感、焦燥感」

西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年12月29日 - 2017年12月8日)は、日本実業家

1973年にイランで現地採用され、業績をあげて東芝という名門企業の社長になってアメリカの原子力事業を手に入れた栄光の経営者、、であったはずだが、それが契機となって東芝は奈落の底に落ちこんでいく。

経団連会長職を望んだとされる異端の経営者によって、東芝という巨大企業が原子力という「神の火・悪魔の火」に関わる事業展開で転落するストーリーをロングインタビューで構成した優れたノンフィクション『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』(児玉博)を読んだ。

西田という人物はいかなる人物か。「情報を集めるだけ集め、学び、考え、判断していく。これを繰り返す」「起床は4時半。集中」「情報を集めろ、重層的にしておけ」「営業にいく国の成り立ち、歴史、思想的背景、思想家、民族の英雄、、、」「常に、5-6冊の本を読む」「読書せよ」「就寝前には藤沢周平作品」「日本、世界を東京からではなく、パリやボンなどから見れることが必要」「経済、政治、文明、文化の知識、教養がビジネスで問われる」「学問の世界だけでは自分の人生が実現できない」「時代に中におかれた個人」、、。

「余力を残してはいけない」という経営哲学を持っており、その実力と迫力で東芝本体の社長、会長に昇り詰める。「リスクは冒します。でもビジネスは賭けではありませんから、決して無謀なことはしません。、、大手ウェスチングハウス社の株式買収について、原子力は20年から30年のタイムスパンで収益性を考えなければいけない事業です」と説明していた。宴席で東芝の幹部だった私の友人も西田を高く評価していた。

WH買収の実態はいかなるものであったか。企業価値は2400億円。2700億円で落札。当初は最大4000億円と見込む。結果として6400億円で買収する。しかし東芝は現地企業をマネジメントができなかった。その結果が、粉飾決算、人事抗争、そして人物の払底となった。そして東芝債務超過に陥り、主要な利益部門の売却を迫られてしまう。そのさなかに西田は急性心筋梗塞で世を去った。

「センス・オブ・アージェンシー」、緊迫感、緊張感、焦燥感を携えて難問を解いて いった西田厚聰は、選択と集中を実行した「平成のスター経営者」から、最後は「名門崩壊を導いた戦犯」となった。安泰な企業はない。東芝自体も何度も危機に陥りその都度再建を果たしてきた。第15代社長のこの人の生涯を眺めると、仕事人生を全うすることは難事業だと思わざるを得ない。誰にとっても人生という作品を美しい姿に仕上げることは一大事業だ。

 

テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅

テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅

 

 

 

 

 

大学の授業は「日本への回帰」。「京王ビズプラザ」でミーティング。

f:id:k-hisatune:20181208051242j:image

授業:「日本への回帰」。司馬遼太郎梅棹忠夫

ーー

12時半:ラウンジ。

杉田先生、趙先生。樋口先生が加わる

13時:事務局とのミーティング

ーー

高橋さん来訪

岩沢さんと相談

ーーーーーーーー

多摩センターの京王プラザホテル

・「京王ビズプラザ」で。ミーティング

・コーヒーラウンジでミーティング

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月7日。市川健夫「私は「文字になっていないことを発見する」ことに一番興味があります。だから一貫して徹底したフィールドワークを行っていたのです」

市川 健夫(いちかわ たけお、1927年9月5日 - 2016年12月7日)は、日本人文地理学者。

 東京高等師範学校を卒業後、故郷の長野県で中学校教諭を経て高等学校教諭をつとめる。「八百長なし」という条件で県政100年史の編纂責任者として5年。東京学芸大学助教授、教授。信州短期大学学長時代は「学際・国際・民際の三際主義」を方針とする。長野県文化財保護審議会会長22年、うち10年は会長。「常民共栄」の方針で長野県立歴史館初代館長を12年つとめる。

「日本のブナ帯文化」の研究により第9回風土研究賞。第5回NHK地方放送文化賞。2010年春の叙勲では、教育研究・文化財保護功労で瑞宝小綬章小布施町名誉町民。

『週刊長野』に連載された「私のあゆみ」を興味深く読んだ。

地理学にのめりこんだ結果、高校教師として16年間同じ高校に勤務する。毎週土曜日の午後から調査対象を高冷地農業に絞ったフィールドワーク。菅平、川上村、開田高原、富士山麓などの高原地帯をコツコツと歩き、10年がかりの調査をまとめ論文で博士号を受ける。

 

1987年に発行した市川の『ブナ帯と日本人』という本が話題になった中尾佐助らによる「照葉樹林文化論」は西日本中心の生活様式で日本文化を論じた。一方、市川はクスノキ、シイ、カシ、ツバキなどの常緑広葉樹が茂る中央高地・北陸の山地から東北、北海道に広がる東日本は、水の涵養力、保水力があるブナなどの落葉広葉樹の土地であり、この視点からも日本を考えるべきであるとした。このブナ林帯では、縄文時代以来、米の代わりにヒエ、アワ、キビ、ソバなどの雑穀を栽培し、ダイコン、カブを植えた。また、馬を主体とする畜産の技術もあった。照葉樹林文化を基盤とする大和政権に飲み込まれるまで、まったく異なる文化が花開いていた。その一つが青森県三内丸山遺跡である。

 自然と人の関係を見ていくと、研究テーマは無限である。信州の特徴、地域性を対象にする学問に市川は「信州学」名付けた。 ネーミングが得意だと自分で語っている。「日本のチロル」、「日曜画家の村」、「縄文食のムラ」、対馬海流につけた「青潮」という愛称、そして「食の文化財」の提案など。丹念なフィールドワークによって、地域の特性にぴったりの言葉が浮かぶのだそうだ。

フィールドワークで得た資料をまとめる執筆も旺盛だった。一時は、年間で原稿用紙3000枚を手書きで書いていた。「現地調査の大切さというのは、無意識に自分たちの文化の中で暮らしている人々を、ある一定の知識をもって見て分析することです。歩いて発見したことが、それまでの発見とつながると新たな理論を生むことができます。その理論を、さらに歩いて検証していきます」。小学校時代には「野外巡検」という郷土教育と出会い、地理学に進む。この野外巡検がフィールドワークの始まりだったのである。

希代のフィールドワーカー・市川健夫は、文字になっていない事実を発見し、それを文字にすることに生涯をかけた。徹底したフィールドワークに裏打ちされた理論は強い、市川健夫の生き方、行き方はそのことを教えてくれる。

 

 

ポッドキャスト新企画。昭島市役所。リレー講座「グローバルヒストリーへの展開」。

11時:「こえラボ」の岡田社長来訪。ポッドキャストで毎日配信している私の「名言との対話」は3500人が聴いている。新しい企画を相談。

12時:水嶋教務課長

13時:昭島市役所の方々が来訪。12月17日の「昭島サミット」の打ち合わせ。私はコーディネーター役。

14時:学長への報告

14時50分:リレー講座。寺島学長「グローバルヒストリーへの展開」

f:id:k-hisatune:20181206195057j:image

 1997年から5年間の連載のテーマは「20世紀とは何か」。「1900年への旅」は2冊の文庫本。

2002年からの8年間のテーマは「戦後日本」。「戦後に恩と問いかけとしての日米同盟」は2010年に単行本。

2010年からの10年間のテーマは「近現代を問う」。「17世紀オランダからの視界」は2020年に上下2巻の単行本に。立体世界認識への試み。

連載49回「ビッグヒストリーにおける人類史」:宇宙史、地球史、生命史、人類史、、。生命科学の急速な進化で「ヒトとは何か」。ヒトとチンパンジーのDNAは1.06%の差。言語と意思疎通に関わる能力。生きる意味の問いかけや歴史意識。10世代前(250年前)から2046人の血、20世代前(500万年前)からは209万人の血。純粋日本人などいない。

連載50回「グローバルヒストリーへの入口を探って」:人類は1万年前に狩猟社会から定住革命(農耕)へ。人と一緒に生きる。社会、コミュニティ、我慢。5000年前にメソポタミアでシュメール文化、人類最古のシュメール文字の誕生。

連載51回「アイスマンの衝撃」:1991年に5300年前の瞬間冷凍人間。157C、50k、45歳、O型、豊な食生活、タトゥー(ツボ)、胆石、殺された、、、。5000年前は日本の縄文時代

連載52回「人類史における宗教の淵源」:アニミズムフェティシズム多神教一神教という進化論のエドワード・タイラー「宗教進化論」は間違い。現代にもディズニーキャラクター、環境主義などのアニミズム、神セブン・ブランドへのこだわりなどのフェティシズムは存在、多様なものに価値があるという日本の多神教など。『神は人間がつくった』では、20万年前ホモサピエンス誕生、10万年前に内省的能力、省察力を身に着ける、6万年前に出アフリカ、4万年前に自伝的記憶能力を獲得し歴史意識を持つ。1万年前に定住革命、7千年前までに宗教の淵源である「神」が誕生。愛、利他愛。芥川竜之介「回心」、「さまよえる猶太人」。

「ジェロントロジー宣言」:国道16号線上のベッドタウン。工業生産力モデル。都市郊外型高齢化。食と農との接点がない。宗教がない。死生観がない高齢者。どう生きるか、どう死ぬか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」12月6日。辰濃和男「この世を救う妙薬、こころを柔らかくする妙薬があるとすれば、その筆頭は歩くことだ」

辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、朝日新聞記者出身のジャーナリスト、エッセイスト

1975年から198年まで45歳から58歳まで朝日新聞の「天声人語」を担当。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた

辰濃和男には『文章の書き方』(岩波新書)などの名著があり、私ももちろん読んでいる。今回は70歳で書いた『歩けば、風の色』を読んだ。志を持って仕事をしている全国の人々を紹介した本である。辰濃は人と言葉の収集家だ。「人の土台作りに参加している責任」「海や太陽に恥ずかしい生き方をしたくない」「私の通った後を前より少しだけきれいにできたらいいなと思う」「必ず一定の数を残すのが原則だった」「踊っている最中、ずうっと海とか山とか、大自然のイメージをもつ」「大切なのは、親が子どもになることだ」「百年後、二百年後」「大切なのは「まじめ作なんだ」「下塗りがいのちだ」「老人は何か一つ、夢中になれるものを持ったほうがいい」「音の詩を創ってゆきたい」、、、。紹介されているナチュラリストたちの名言の宝庫だ。

白樺、水楢、朴(ほお)、蔓蟻通(つるありどおし)、鋸草、靭草、山母子、峰薄雪草、科木(しなのき)、蝦夷紫陽花、藪椿、椎、隠れ蓑、白山木、武蔵鐙、常盤木、神籬(ひもろぎ)、木五部子(きぶし)、菫(すみれ)、七竈(ななかまど)、岳樺(だけかんば)小峰楓、裏白樫、栃、楓、羊歯、竜胆(りんどう)、岩桔梗、蝦夷金梅草、鬼胡桃、赤四手、山杜鵑草(やまほととぎす)、曼殊沙華、富士薊(ふじあざみ)、針樅。卯木、花筏、木通(あけび)、西洋踊り子草、、、、。本の中で何気なく紹介している花や木々の漢字の名前には感動する。こういうことを知っているというのは何と豊かだろうか。

圏央道は、高尾の山を巨大な太い槍で貫く」という言葉には心を揺さぶられた。高尾山を貫く圏央道への反対運動は知っていたが、辰濃も関わっていたのである。私はゴルフに行くときなどに高尾山の腹に刺さった太い槍の中を車で走るという恩恵を受けているのだ。この本を読んでやや心苦しく思った。

歩くことによって、 自然の細部にほどこされた造花の神の営みに驚くこころをよみがえらせることができる。硬くなったこころを柔らかくするために、速足で歩くのではなく、余裕をもって、自然を楽しみながら歩きたい。 

歩けば、風の色―風と遊び風に学ぶ〈2〉
 

 

 

 

 

 

 

午前は人事委員会。京王プラザホテルで昼食会。午後は入試改革のプレゼンを受ける。夜は吉祥寺で同僚との懇親会。

朝日を浴びる黄金の輝きのマンション。

f:id:k-hisatune:20181205211538j:image

 

10時:大学:人事委員会:採用人事。

ーーーーーーーーーーー

12時15分 :久しぶりに多摩センターの京王プラザホテルのサテライトオフィス「京王ビズプラザ」を訪問。https://keio-bizplaza.jp/
ーーーーーーーーーーー

12時半:京王プラザホテルの中華の「南園」で仙台から見えた富田英夫さんを囲んで昼食。免疫療法で末期ガンを克服し奇跡の復活を遂げた話を聞く。

f:id:k-hisatune:20181205211602j:image

ーーーーーーーーーーーーーー

15時:進研アドからのプレゼンを受ける。杉田学部長、金入試委員長。宮地事務局長、森島入試課長、酒井主任。

-------------------

18時半:吉祥寺のロシア&ジョージア(旧グルジア)料理のレストラン「カフェ ロシア」で、同僚の樋口先生、中村先生、石川先生との懇親会。

f:id:k-hisatune:20181206062007j:image

 プーチン大統領の写真入りのカレンダーも。

f:id:k-hisatune:20181205211628j:image

 -------------------

 「名言との対話」12月5日。加藤周一私は自分自身にも、世間にも、あまり多くを期待しない。けだし失望を避ける唯一の方法は、やたらに高望みしないことだからである」

加藤 周一(かとう しゅういち、1919年大正8年)9月19日 - 2008年平成20年)12月5日)は、日本の評論家医学博士

1958年に医業を廃し、以後評論家として独立した。1984年版『大百科事典』(平凡社)の編集長をつとめる。1988年から1996年の間、東京都立中央図書館長も務めた。また、2004年に哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人となった。

上智大学教授イェール大学講師ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授立命館大学国際平和ミュージアム館長など歴任した国際的な学者でもある。

  1980年に『日本文学史序説』上・下で大佛次郎賞1993年朝日賞を受け、その長年の文化功労に対して、2000年、フランス政府からレジオンドヌール勲章オフィシエ賞)を授与される。

「読む時間が多すぎて、書く時間が少なすぎる」と嘆いた加藤は、 膨大な量の著作をものした。そして「読書術」という名著を書いた。精読術、読まずにすます読書術、原書の解読術、看破術、読破術、などが配置された究極のノウハウ本で、私も含め多くの読者の支持を得た。

加藤には『雑種文化』という著書がある。日本は外からの様々な文化の流入によって出来上がっており、純粋さを志向すると、おかしなことになると警告している。雑種性を認め、それを特徴として生かしていこうという趣旨だ。この本も話題になり、読んだことがある。

関係した 立命館大学には「加藤周一文庫」がある。加藤と親しく、『加藤周一はいかにして「加藤周一」となったのか』を書いた講談社の鷲津力は立命館加藤周一現代思想研究文化センター長を務めていた。鷲津は日航時代の上司が親しかったこともあり何度か酒席をご一緒したことがある。

加藤周一は、 理想的な社会というものは存在しないという考えを持っていた。現状が少しづつでもよくなればいいとして悪い流れに抵抗する。また自分自身に対しても失望を避けるために、多くを期待せず、高望みをしないことにしていた。それが少しづつ積み上げていくスタイルを生み、結果的に森羅万象に通じた「知の巨人」と呼ばれる自分を形成したのである。

 

ひとりでいいんです─加藤周一の遺した言葉

ひとりでいいんです─加藤周一の遺した言葉