「The 21」からのZOOM取材。春学期の成績つけ。ZOOMのバージョンアップ。

ビジネス雑誌「The 21」からZOOM取材を1時間半ほど受けた。自分の発言が録画で残るのはありがたい。

THE21

「50歳」が最近のテーマになってきている。青年期から壮年期への脱皮の季節という認識を持とうというメッセージ。紹介した遅咲きの人物は以下。34年の歳月をつかってライフワークを完成させた本居宣長徳富蘇峰。二足のわらじ派として、永田耕衣新田次郎宮脇俊三、村野四郎。女性は石井桃子

「久恒啓一図解Web :: 取材依頼」のフォームからの申し込み。

1.取材テーマ   読めば元気になる! 「遅咲き偉人伝」
2.媒体名、掲載日時  THE21 10月号(9月10日発売)
3.取材場所     電話取材もしくはオンライン取材(zoom等)
4.なぜ名前が挙がったのか  久恒先生のご著書「遅咲き偉人伝」を拝読したため
5.取材日時     8月11日(火)頃まで
6.自由記述欄   弊誌では、『50代から楽しく生きる人生戦略』をテーマに特集いたします。その記事内で、久恒先生に遅咲きの偉人に見る「50代からの生き方の知恵」を紹介していただければと存じます。
企業団体名       PHP研究所

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春学期の成績つけ:最終課題の「都知事選」の図解を採点。

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ZOOMのバージョンアップのニュースあり。5.2。バーチャル背景に写真が可能に。パワーポイントを背景に。動画がスムーズに流せる。、、、。

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「名言との対話」8月5日。マリリン・モンロー「お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの」

マリリン・モンローMarilyn Monroe1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国女優モデルである。

カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。母が精神病を患っていたこともあり、9歳で孤児院へ入り、その後いくつもの養家をたらい回しにされる。16歳で高校を中退して最初の結婚。1946年、映画会社のスクリーン・テストに合格したが、夫は理解を示さずに離婚。27歳で出演した『ナイアガラ』で初主演し、 腰を大きく振って歩くモンロー・ウォークを披露した。『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』など主演映画が続々公開され人気女優に駆け上がる。28歳、野球選手のジョー・ディマジオと結婚するが、結婚生活は9ヵ月しか続かなかった。30歳、劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、精神的に不安定な状態が続き、流産も経験し、ミラーとも離婚。1962年、36歳のときに自宅の寝室で死亡しているのが発見される。死因は睡眠薬による自殺説や何者かによる謀殺説などがある。ケネディ大統領と不倫関係にあったことも明らかになる。

井上篤夫『追憶 マリリン・モンロー』(集英社)を読んだ。モンローと関係のあった人々の証言録である。モンローが亡くなった時の検視官のトーマス・野口は日本人だ。全裸で死亡し遺書はなかった。モンローは162㎝、52.1㎏。身体解剖と心理解剖も行い、自殺と判断している。後に他殺説もでてくる。

マリリン・モンローは今でもセクシーな女性の代名詞として、世界中の人々に愛され続けている。以下、モンロー語録から。

自分について:「私は成長するにつれて、自分がほかの子と違うことに気づいたの。私の生活には両親からのキスもうれしい約束もなかったから」「私は呪われた女。そして清らかな女なの。私が最悪の時に上手く扱えないのなら、最高の瞬間にも一緒にはいられないわ」「一人でいると、充電して自分を取り戻せる」

愛について:「男性は女性のことを本みたいに思っている。表紙が目立たなかったら、中身を読もうとさえしないの」「私がこの世で何をおいても求めているものは、愛し愛されること」「私は善人だけど、天使じゃない。罪を犯すけど、悪魔じゃない。私はただ巨大な世界にいる小さな女の子で、愛すことのできる人を探しているの」「もし女性を笑わせることができれば、彼女にどんなことでもしてもらえるわ」

人生について:「友達とはあなたが聞きたいことを言う人で、親友とは真実を言ってくれる人よ」「成功は多くの人を敵に回すわ。そうじゃなければいいのにって思うわ。周囲の人々の目に嫉妬もなく、成功を楽しむことができたらすばらしいのに」「もし全てのルールを守っていたら、どこにもたどり着けていなかったわ」「人生がどんなものかなんてちゃんと生きてみるまで決して分からないのよ」「ハリウッドは、キスには10万円を払ってくれるけど、人間性には1銭も払ってくれないところです」

私の ブログには、モンローは2回登場している。若い男性の都会的ライフスタイルを提示しようとし、性をタブー視していた当時のアメリカでの「セックスは善である」とする性革命を先導したヒュー・ヘフナーは、1953年12月に『PLAYBOY』誌を創刊する。創刊号はマリリン・モンローのヌードというデビューだった。指圧の浪越徳次郎は、1956年に29歳のマリリン・モンローが来日時に胃けいれんで苦しんだときの施術をしている。「世紀の肉体」「ガウンの下には何もつけていない」「白磁の肌」「金色」、、、。7回の機会で、指の法悦を味わったそうだ。

最初の夫のジム・ドアティはアイリッシュの元警察官でノーマン・ジーン時代のモンローが16歳の時に結婚した人だ。彼女は「多くの人に愛されました。だが、孤独のまま亡くなった」。「ノーマン・ジーン、私に素敵な思い出をくれてありがとう」。

2番目の夫のメジャー・リーガーのスーパースターだったジョー・ディマジオは、モンローの葬儀を取り仕切っている。墓のセッティングもそうだ。二人は1954年1月14日に二人は結婚し、2月1日に新婚旅行で日本を訪れた。「世の中には金にかえられないものがある。それは愛の思い出だ」とディマジオは言っている。愛の思い出とはモンローとのことだろう。

3番目の夫の10歳年上のアーサー・ミラーはイタリアンの劇作家で戯曲「セールスマンの死」でピューリッツァー賞を受賞した巨匠。ミラーはマリリンのために脚本を書くなど結婚生活は順風満帆と思われたが、マリリンの精神が次第に不安定になってき、 5年後に離婚した。

モンローは「私は誰も恨んでない。三度結婚して三度とも失敗したけれど、きっと私に悪いところがあるの」と語っている。モンローは個人的な幸せをつかむことはできなかったが、世界中の人びとを幸せな気持ちにさせた「素晴らしい女性」である。  

追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)

追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)

 

 

照ノ富士。由紀さおり。荻生徂徠。野村萬。井上靖。ドラッカー。志賀直哉。童門冬二。横田滋。

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今日の収穫(東京新聞文芸春秋致知

照ノ富士「自分の優勝額を見ていた。その写真が下りるまでに新しいものを飾るということが目標で、それができてよかった」

由紀さおり「50年間歌い続け、この先の自分が目指すものの一つとして、能舞台でのお芝居に挑戦し続けたいと思います」

「人の教えられたる理屈は皆つけやきばにて、用に立たぬもの也」

野村萬「芸の技は常に磨かなくてはいけませんが行き着くところは役者の人間性です」

井上靖「『わたしの城下町』みたいな歌を書いてみたいのです」

ドラッカー「自らをマネジメントするということは、一つの革命である」

志賀直哉「人間にとって一番大切な言葉を、小学校4年生の子供が理解できるような言葉で話すのが一番の名文」

童門冬二「高齢者になったら、そばにいてくれるだけでいい人になりましょう。聖路加病院の日野原先生のように、という、私なりの生涯学習の目標がある」

横田滋「これまでに1400回くらい講演したと思います」

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NHK聞き逃し配信で鹿島茂渋沢栄一 その思想と実践」の文化講演を聴く

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「名言との対話」8月4日。道上伯「心技体」

道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は日本柔道家である。

京都の武専から、旧制高知高校を出て、上海の東亜同文書院で柔道を教える。その後、ヨーロッパに渡る。身長173 cm体重75kgの道上は生涯無敗の柔道家であった。

誰よりも強く誰もが憧れる柔道家を育てるためには、スーパースターを作るのが早い。選ばれたのはオランダのヘーシンクだった。自転車、ランニング、フットボール、バーべル・ダンベル・エキスパンダーなどのウェイト・トレーニング、レスリング、水泳、などを取り入れた。ヘーシンクは、アルコールと煙草を口にしないという強い意志で、合理的で力学的な指導に従った。そして「私にはウイーク・ポイントがない」というまでになった。

1961年の世界選手権と1964年の東京オリンピックでオランダのヘーシンクは日本を破った。東京オリンピックの無差別級では、日本の神永はヘーシンクに判定負けした予選と敗者復活での一本での決勝と2度敗れた。このときの衝撃は中学生だった私にも強烈なものだった。

柔道は武道としての柔道から、ヨーロッパスタンダードのスポーツとしてのジュードーへと変化した。その流れに講道館を中心とする独善の日本柔道は敗れたのである。柔道の変質は、日本の柔道が国際的な発言権を喪失していく過程と軌を一にしている。

 「心技体」と言う言葉を最初に使ったのは道上伯である。「柔道の最終的な目的は、心技体の錬成を通じて、立派な人間になろうと努力することである。身体を鍛えて強くなろうとすれば、技術の錬成が欠かせない。技術を身につけようとすれば、苦しさに耐えて練習を積み重ねなければならない。苦しみに耐えてそれを続ければ精神力を強くする。このように心と身体と技を同時に鍛錬するのが、柔道というものだ、柔道は人間形成そのものなのだ」

「体」は体格ではなく、体力である。体重や力の強さに加えて、筋力の強靭さ、弾力、反射能力の総合を意味する。その体力が技術を100%生かすのだ。日本柔道は体格と腕力ではなく、ヘーシンクの体力に負けたのである。体力というものは意志の力で作りあげるものなのだ。それは立派な人間になろうとする人間形成の過程なのである。

ヘーシンクを育てた男

ヘーシンクを育てた男

 

 

 

出版プロジェクト進行中。

・市ヶ谷のN出版社:企画の打ち合わせ。年内に出したい。

荻窪の地研:「全集」の8月の新聞広告は大きく。第1巻の配本スケジュールの確認。第2巻の本の選択、文字の大きさなどの最初の打ち合わせ。

17時半の京王線新宿駅の乗り場。「後ろ姿探検隊」。

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・ZOOM会議:「仕事を創る」。

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「名言との対話」8月3日。時実利彦「人間の喜びは快楽の追求ではなくて、創造の喜びの体得にある」

時実 利彦(ときざね としひこ、1909年9月4日 - 1973年8月3日)は、日本の生理学者。

岡山一中、旧制六高、東大医学部卒業。東大医学部脳研究所所長、京大霊長類研究所教授。

脳の生理学を専門に研究する講座を開いた開拓者である。この人名前にはよく遭遇する。育児の神様・内藤寿七郎(1906年生)は、脳科学の東大教授時実利彦先生と一緒に勉強会まで開いて理論的基盤も追求している新日鉄武田豊社長(1914年生)は、時実利彦博士に、大脳生理学を長く学んだことをビジネスで生かしている。

時実利彦『脳を育てる』(三笠書房)をじっくりと読んで、脳の知識を整理して頭に叩き込んでおこう。

大脳皮質は3層構造になっている。脳幹は身体の活動を司るいのちの座。古い皮質は本能と情動の座で食欲・性欲・集団欲を司る本能と快・不快・怒り・恐れなど情動の心の座だ。新しい皮質は知・情・意の座で、後ろの方は視角、聴覚、皮膚感覚などで情報を取り入れる役割、前の方(前頭葉)は、創造を司る意志決定をする役割で、思考し、意図し、実行しようとする働きを持つ。

3歳までは後頭葉と前頂葉が発達するから知識を注ぎ込むのがいい。父母の行動が手本になる。模倣の時代だ。5歳から10歳になると意欲を司る前頭葉が発達するから意欲を伸ばすのが正しい教育である。5-6歳からは自主性、主体性がでてくるからそれを伸ばす。創造の時代だ。10歳前後からは意欲と訓練が絡み合うようなアドバイスが大事である。錬成の時代である。そして脳細胞は125歳まで働く。

人間の尊厳は、新しい皮質で古い皮質をコントロールすることにある。制御がいきすぎると古い皮質がゆがみ健康をそこなうこともあるから、抑圧から解放することも大事だ。それは、酒、歌、踊り、勝負ごとによるうさばらしでできる。古い皮質の解放である。まさに酒は「こころのうさのすてどころ」なのだ。それだけに頼らずに、人間だけができる高い喜び、つまり創造の喜びで、次元の高いうさばらしで健康をつくりだすことが人間の尊厳といえる。

教育の目的は前頭葉の複雑、緻密にからみあわせ、意欲、創造の精神を育てることだ。勉強の喜び、研究の喜び、仕事の喜びを体得させることだ。人間を人間たらしめている前頭葉を鍛え上げることだ。それが人間形成である。

人間のもっとも重要な能力は考える能力である。その能力を発揮させるのは意欲である。学校教育には思考力の訓練が欠けている。自分でも脳を毎日鍛えよう。

多くのビジネス書などに時実博士の名前や理論が出てくるのは、文章が平易でわかりやすいからだろう。この本の中にある脳の構造の図も非常にわかりやすく参考になった。快楽ではなく歓喜、それは創造の喜びだ。この歓喜を述べている人を探してみよう。

辻邦生「生命とは歓喜であり、文学はそれを自覚させる手段である」。

小田規矩之助「人は誰だって快楽を求める。しかし君、男子たるもの歓喜を求めにゃいかんよ」

中村天風「常に心に感謝と歓喜を持って事に当たれば、宇宙のエネルギーが流入する」

ベートーベン「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」

白鳥省吾「風の自由  大地の健康  星の永遠  大地のかくしゃく  それら一切のごとく  形体の束縛を脱して  恒久の苦悶に堪え  歓喜の大道を歩まむ」

サムエル・ウルマン「60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生の興味への歓喜がある」

以上の人間として高次の喜び、歓喜についてのさまざまの考察は、時実利彦の大脳生理学の示すところだ。

時実利彦記念神経科学優秀博士研究賞がある。神経科学・ 脳科学分野の更なる発展に寄与することが期待される大学院博士課程学生に与えられる賞だ。この賞を受けた俊秀たちが、「脳の時代」を先導しているのだろう。開拓者の栄光はここにある。  

 

 

「あなたはオンライン授業を受けてどう感じましたか?」ーーコロナ禍という歴史的な時代を生きる仲間感、同じ課題に立ち向かっているという使命感、臨場感と緊張感。

13回の初のオンライン授業が終わった。対象は2年生が中心で受講生は100名ほど。最終回は、オンライン授業についての質問も入れて課題アンケートを書いてもらった。成果、課題、などが網羅されている。

教員である私も、受講している学生も、コロナ禍での初めてのリモート授業であるとの歴史的な時間であるとの感覚があり、同時代を生きる臨場感と緊張感と仲間感、同じ課題に立ち向かっているという使命感があった気もする。以下は、貴重な感想だ。

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最近はオンライン授業の為課題レポートが多く授業内容の振り返りや、レポートで書くことの整理に図解を使い始めました。オンライン授業に関しては”一長一短”という印象でした。対面での意見交換やグループワークというものは出来ないという点は残念でした。しかし通学にかかる時間がゼロになったというのは凄く良い点でした。私は通学に片道一時間半以上かかるのでその時間を趣味や勉強、休息など他の事に使えたことはとても有意義でした。

大学側のオンライン授業に対する準備は不手際の少なさからもわかる通り、学生側としては指示通りに講義が受けられ、通学時間も要さず自分は非常に楽だと感じました。その反面、秋学期に全て一斉に元通りとなると、半年以上続いた生活が急変するので正直不安です。徐々に戻していく方が、今回得たノウハウを忘れず今後の状況への適応力も高まり、学生側の負担も減り能率が上がるとも考えられるので、もう少しの期間、試験的な取り組みをするべきであると自分は考えています。

オンライン授業は、やりにくい部分それは今までの生活がそう思わせているとは思うが、会社でも今までレンタル会議室を使っていた会社が、ズームでもよいのではと思い、そこに費やしていた費用を削減できるというメリットも感じたので、オンライン授業も受け方次第やネット環境次第でかなりいろんな可能性が広がると感じました。

通信環境に何かしらの問題があった場面で凄く困った。授業に参加できなくて、遅れてしまう心配があった。対面しなくても、先生方の授業資料と説明によって授業は成り立つことは分かった。だが、先生によっては、授業中の通信環境の不具合で授業に参加出来なかったりした場合の処置をしてくれなく、納得のいかない部分もあった。

初めてのオンライン授業で、最初はとても不安でしたが、回数を重ねるとともに慣れてきて使いこなすことができるようになったと思います。これからの時代、オンライン○○など何かと増えてくると思うので、もっと使いこなせるように勉強しようと思いました。

オンライ授業を受ける環境がよければ今後も続けるべきだと考える。カメラオンやそれ以外のルールを学生と学校の両者が納得する範囲で設けることで、より円滑な授業になると思う。また、大学の教員もこれを気に独立して個人で授業を格安に提供できる社会になればよりレベルの高い教育ができると感じた。

今学期はオンラインでの授業がほとんどで学校に通えていない。通学時間を短縮できたのはよかったが、その分、自分自身で調べたりすることが増えてしまったため、時間に余裕が出来ているわけではない。授業の質はお世辞にも良いとは言えない。zoomでは、人の表情を細かく確認することもできない。率直に言えば、学費に見合った授業を受けれている気は全くしないし、もはや、浪費になっている。経営が何たるかを教える学校でこの経営指針はいかがかと思う。私情はなしに、オンライン授業のみにフォーカスするならば、このサービスで満足する者は一定層いるだろうし、それを売りにするなら頷ける。残念に思うがこれが現状である。

オンライン授業を受けて最初はなれなかったですが学校に行き手間が省けて時間が余りその分予習だったり自分に充てる時間が増えたと思います。わからないキーワードもすぐに調べられるのでいいと思いました。ずっと家にいなきゃいけないのは嫌ですがしょうがないので学校の方針に合わせていきたいと思います。

オンラインのリモートの授業のほうが図や解説がよく聞こえ、よく見えて目に留まりやすかったです。教室だと騒がしかったりするので自分の家で静かにしっかり授業をうけれてとても良いと感じました。

オンライン授業は、私にとってはとても良いと感じました。理由はまず大学まで行くのにお金がかからないこと、そのお金を貯金に回せることです。または、一対一で受けてるかのように集中できることです。悪い点では電波障害や、押したのに押されてなかったりして課題がまだせなかったりとかそう言ったこともあるのでそれは残念だと思います。

オンライン授業は、コロナのためやるしかない方法ですが、私にとって、やはり対面授業方がいいと思います。オンラインで目が板倉て、そして、授業内の時間全部専心することが難しいだと思う。 

zoomなどを使ったオンライン抗議は無駄な移動の時間や今後今まで以上にリモートワーク等が推奨されていくと思うので良いと思います。ですが長時間ともなると目や体がかなり疲れるので間隔をあけつつうまく活用していく必要があると思います。

.オンライン講義、とても良いです。理由は多数ありますが一番は講義の内容に集中できるという点と時間を有効活用できるという点でしょう。まず騒いでいる人がいない。これはとても大きく対面だと講義中にも関わらず楽しく雑談をしているバカがいる。嫌でも聞こえてくる声を我慢しながら講義を受けるはめになる。その点先生の声しか聞こえない環境というのはとてもありがたい。また時間的優位性も忘れないという事で先生がうるさい生徒を注意する時間や教室移動、通学時間が3時間を超える私としては家にいながら集中できる環境、とても良かった。一生オンライン講義で良い。戻りたくない。

オンラインはやはり、途中で音が途切れてしまったり、声が聞こえづらかったりしましたが大まかには対面と変わらずに受けることができたと思います。グループで意見を交換する際、画面上でのやりとりで誰が仕切るか、話始めるかのような問題がすこし不便に感じました。

学校に通うのとは違う疲れを感じました。学校に通学してた時は、脳はあまり疲れず寝て起きたらスッキリする感じだったが、オンラインになって寝てもずっと疲れが取れないとデメリットも実感することができました。自分のやりたいことはできるがネット疲れはありました。

オンライン授業でも、問題なく受けることはできた。しかし、対面が一番だなと感じた。理由としては、集中力が欠けるといった部分やオンラインでのグループワークはやりづらかった。姿勢もパソコンをずっと見ているので、疲れた。秋学期は、対面で受けれると良い。

オンライン授業は通学時間も自分の時間として有効活用できるため有意義であった。しかし、回線の問題で電波が悪くなってしまうなどといったインターネット上のトラブルは止むおえない。そのため、わざわざリアルタイムで行わなくても良いのではないかと感じた。動画を配信してくれた方が、電波環境で先生の声が聞き取れなくなるよりはずっと良い。

自分はオンライン授業はあまり好きではありません。なぜかというと単純に日々の課題の量が多いからです後はオンライン授業だとなんかしっかりと受けてる気がしないし集中力がないので大学に行って行った方が余程良いと感じました。

オンライン授業に対する不安もあったが、やってみると授業の質は落ちているが、家にいることで時間に余裕を持つことで課題やテストへの取り組み姿勢は対面授業よりも良かったと感じている。だがオンライン授業では物足りないため対面授業が再開することを望んでいる。

今学期はコロナウイルスの影響でZOOMを使った授業という形で、とてもイレギュラーな形でしたが、対面と変わらずグループディスカッションを出来たり、先生との会話も出来、今後ZOOMでも余り支障が無いのではないかと思いました。通学がないのでその時間を有効に使えるので、学びが増えると思いました。

オンライン授業では、通学時間を省くことができるため今までよりも時間を有効に使いことができた。新型コロナウイルスの感染状況も落ち着きを見せる様子がないため、秋学期もオンラインでの講義がいいと考える。しかし、この講義のように図を見せ合うようなことは対面時よりも行いにくいので、手書きだけでなく最終課題のようにwordをより多く活用し、共有し意見を出し合う形を取り入れるべきであると感じた。

この授業は他の授業と比べて生徒とグループディスカッションを通して親しみやすくリモート授業ながらやりやすいと思った。

オンライン授業に関しては英語など対面で行った方がいいと思うものもありましたが自分の中でオンライン授業はとても良かったと思います。後期もオンラインになった場合は沖縄で授業を受けることを検討しています。

授業開始当初はzoomの扱いに慣れなかったが、徐々に慣れてきた。今後、AIなど、オンライン化が進む時代において、春学期にzoomを使いこなせるようになってきたことは、自分の強みになったと感じた。

今回初めてオンライン授業を受けてみて、1人の空間のため学校にいる時よりもより集中して授業に取り組めたような気がしました。ですが、ずっとパソコンを見ているため、体の疲れや目の疲れがあり、以前よりも疲れが結構きたかなという感じです。

オンライン授業は学生同士のコミニュケーションが特定の機会でないととりずらく本来の授業とは異なるものとなった。対面で得られるものの方が多く、個人的には課題の多さも考えたら、対面授業の方が理にかなっていると感じた。

秋学期がオンライン授業の形になるとは思っていなかったけどオンライン授業は対面の授業とは違いオンラインなりの良さもあった。常にパソコンの画面と向かい合っているので授業への理解度は高まったと思う。パワーポイントやスライドが見やすくて課題の作成にも役立った。

今年の春学期はコロナウイルスの影響で全部がズームでのオンライン授業で最初は全然慣れずに目が疲れたりしてしまったが次第に慣れていき今ではこのままでもいいと感じるようになった。対面授業でもオンライン授業でもどちらにもメリットがあるためより良くなっていけばいいと思う。

登校時間や移動時間などがなく、時間を効率的に使えるので私は良いと思いました。秋学期も引き続きオンライン授業でも全く問題ありません。

オンライン授業には、メリットとデメリット両方ともあると思った。メリットは、朝の起きる時間が対面時より遅くなり、昼食代や飲み物代などのお金を使わなくなるなどがある。デメリットは、授業がわかりずらい、授業後に質問ができない、PCやWi-Fiの状態に左右される、課題が明らかに増えすぎなどがある。なので、私は対面の方が良いと思う。

オンライン授業は初めてだった事前にゼミなどでやり方を説明されていたので苦戦することなくできた。だが対面で今まで慣れていたので講義のスピードについていくのに大変だったけど量をつむと効率よく勉強することができ自身のためになった。

オンライン講義は、移動がないため時間を無駄にしないで生活できるメリットがありました。しかしその反対に頭に入りにくいという課題もあります。私は早く対面で講義を受けたいと思いました。

初めてでオンラインで何かするという不安がありましたちゃんとできるかと不具合がないかとかちゃんと集中できるか不安があったがしっかりした授業ができ対面とあまりかわらない授業が受けられたと思います。でもグループワークは対面のほうがやりやすいし面白いとおもいました。

オンライン授業では、最初はいつもと違う環境に戸惑ったが、回数を重ねるにつれて慣れていった。課題もインターネットを使っての提出になったため、データの管理をいつも以上に慎重にした。課題の出し忘れ等をしないよう、最期まで気を引き締めていきたい。後期がどうなるかはまだわからないが、柔軟に対応したいと思う。

オンライン授業は、直接的に先生と対面で授業を受けられない分自分の時間が多いので、自分で考えて、噛み砕ける時間が余裕にできると思う。しかし、対面でやる方が身につくものは多いと自分は思う。たまにネットの回線が悪く、パソコンが落ちてしまうこともあるので自分はやはり、対面の方がいいと思う。

オンライン授業について、誰もやったことのないことであったのでいろいろとトラブルに直面したが、対面で授業するよりも先生との距離が近いと感じた。質問など話すときに対面であれば、何百人からであるが、オンライン授業では1対1で話している感覚になる。それは良いことではないかと私は考えた。

オンライン授業は通う手間がかからなくていいと思うがzoomを1時間半受けたのに課題をださければ出席ならないとか、他の授業でテストなどがあった時に、エラーなどでまともにテスト受けられず低い点数をとり落単につながったりするのは対面だったらありえないことなので私は嫌です。実際に私はそれでテスト中エラーが発生し、回答時間が減って低い点数をとりました。このままzoomなどで授業して正しい評価をだすのは難しいと思います。

オンライン授業はやっぱりオフライン授業よりは不便だったと思います。 直接会いながら話もして顔も見ながら対話もしなければならないのにそうすることができなくて少し退屈でした。 しかし朝早くから準備して学校に行かなくても良いといういいところはあったと思います。

画面共有等もしっかりされていたので特に不便とは感じなかった。

私は学校で受講するのと同等、又はそれ以上の魅力を感じました。理由としては、対面と差し支えない授業内容に加えて、他の人に阻害されない環境下であり、常にブルーライトを浴びている状況下なので目は疲れますが、眠気が少ないので集中出来るところです。デメリットとしては、スマートフォンや他のことをしてても分かりにくく、バレないという気持ちから集中力低下を懸念する声もあると思いますが、私の意見としてはそういう人は対面でも先生の目を盗んで、授業以外の事もするので意味がないと思います。だとすると、真面目に授業を受講しようとしている人達の環境の質は対面よりもオンライン授業の方が良いと考えました。

オンライン講義では、家にいる時間が増えるので、図解といった新たな知識を増やし、日常生活に役立てていくことができるので有意義な時間にできると考えます。

臨場感のない中でモチベーションを保つことが大変でした。また、講義後に質問などができなかったため操作系の授業は対面のほうがいいのかなと思いました。

とにかく不安でしかありませんでした。ちゃんと繋がるのか、単位がこれでちゃんと取れるのかといった不安でしか無かったんですが、徐々にzoomにも慣れていき、今回のオンラインは今後オンラインが普及していくなかでいい経験になったんじゃないかと思いました。

オンライン授業は、wifiとデバイスさえあれば、どこでも勉強ができる。計画的な利用で、生活リズムを整えることができる。といった良い面だけでなく、集中力が必要で、疲れやすい、画面の見過ぎで、運動不足になる。低年齢では、大人のサポートが必要になるといったマイナス面もあります。貴重な勉強時間は、事前の学習環境を整えることによって、有意義に過ごすことができます。

 オンライン授業になって感じたことは、通学時間が減ったことによって、自分の時間が少し増えたことである。コロナの影響で就職活動は大変になっているため、どのような職業が有利になるのかを考える時間として有効に活用できた。このように、良い部分もあったが、液晶画面を見る機会が多くなり、目や頭が痛くなることもあった。しかし、そのほかの部分では特に問題なかったため集中して授業に取り組めた。

オンライン授業は意外と集中できたと思う。課題が多いため大変な部分もあったが、時間に余裕ができたことで自分のために有効に活用することができた。

オンライン授業を受けて個人的に対面のほうが質問から答えまでが早くていいなと感じた。逆にオンラインだと質問しても先生が質問を見ているかわかんないためどうしたらよいのかわからないことが多々あった。

 オンライン授業を受けてみて感じたことはノートに聞いた話をメモすることが対面で授業をしていた時よりも少なくなったことである。確かに、自分で重要だと思ったことはメモをしていたが、ほとんどの授業でT-NEXT上などで授業前にスライドを公開していたためメモ回数が減ってしまった。リモートで活動することは社会人になってからも増えると考えたため、その点は直していきたい。

オンラインで授業に関しては、私はすごく便利に感じました。グループディスカッションなどもzoomの機能を駆使してできていたので不便なく出来ていたのではないかと感じます。ただ、電波などにより落ちてしまうこともあるのでそこは難点かとも思いましたが全体的にみて利点が多かったです。

zoom授業を半年間うけて、メリットも有ればデメリットもいっぱいありました。できれば後期は対面がいいです。

私はオンライン授業は肯定的に捉えている。ウィズコロナの時代で、対面授業を行うことは厳しいので最善の策だと思う。友達と電話したり、直接コミュニケーションを取ると嬉しいが、密になるので、対面のクオリティーが高いのは理解できるが、秋学期もオンラインで無理する必要はないと考える。

私自身オンライン授業を通して、正直なところ、対面授業より集中して取り組むことができたと感じる。特に大きなトラブルもなく受講することができたのでこれからもオンラインでの授業となっても問題はないと感じる。

私自身オンライン授業を通して、正直なところ、対面授業より集中して取り組むことができたと感じる。特に大きなトラブルもなく受講することができたのでこれからもオンラインでの授業となっても問題はないと感じる。

オンライン授業では、話の内容が対面よりも入ってこないような感じもしたが自宅で受けることができたのでとてもリラックスして受けることができた。また書いた図解をみんなのまえで発表の時にカメラにかざすだけで図解が共有できたのは便利だと思った。

他の講義で出た対面講義を始めて受けた一年生の意見であるが、「オンラインとあまり変わらない質の講義を受けれた。多摩大学のオンライン講義の本格的なところを、対面講義を通じて味わえた。」とのコメントを見かけたのだが、どうにも気になるのである。あまり質の変わらない講義ならオンライン講義のままでよいのではないか。まビジネスコミュニケーションの講義を対面で受けていないため、本講義に対する意見とは異なってしまうが、初の対面講義を受けた1年生がオンライン講義と対面講義の質があまり変わらないとコメントしている。という現状を多摩大学の先生には周知の事実として知っていただきたい。

最初はオンラインで授業はほんとに学べるのかなって思ったが、オンラインでも講義をきちんと受けられるので、よかったと思う。だが、ほかの授業ではオンラインで受けるのは厳しいのがあったり、画面上では伝わり切れない部分もあるので対面の方が良いところもある。

私はオンライン授業は、デメリットは、やはり対面と違い、授業を最初から最後までしっかり集中することが大変難しく感じましたら。後はグールプワークで話し合いする時、他の人たちの図解が見えなくいのが欠点だと思いました。メリットは、オンラインだと資料も残り、復讐などしたい時手軽でよいとかんじました。後は登校する必要が無いので、登校時間がない分、少しよゆうが出来てよかったです。

オンライン授業は始めたての頃は、まだ慣れていなく実際学校に行って講義を受けるよりとても大変であったが、数をこなしていくうちに慣れてきてやりやすかった。一つ欠点といえば、画面をずっと見ていることで目が図かれやすくなったり、気を付けていても背筋が曲がってしまい腰に負荷がかかってしまったのがデメリットであった。

オンライン授業を受けては新しい形となったが、グループディスカッションなどがうまくいかなかったです。これは対面になったら少しは改善されるだろうと思いました。

オンライン授業はやっぱりオフライン授業よりは不便だったと思います。 直接会いながら話もして顔も見ながら対話もしなければならないのにそうすることができなくて少し退屈でした。 しかし朝早くから準備して学校に行かなくても良いといういいところはあったと思います。

面共有等もしっかりされていたので特に不便とは感じなかった。

今学期のオンライン授業を通して感じたことは、私は学校で受講するのと同等、又はそれ以上の魅力を感じました。理由としては、対面と差し支えない授業内容に加えて、他の人に阻害されない環境下であり、常にブルーライトを浴びている状況下なので目は疲れますが、眠気が少ないので集中出来るところです。デメリットとしては、スマートフォンや他のことをしてても分かりにくく、バレないという気持ちから集中力低下を懸念する声もあると思いますが、私の意見としてはそういう人は対面でも先生の目を盗んで、授業以外の事もするので意味がないと思います。だとすると、真面目に授業を受講しようとしている人達の環境の質は対面よりもオンライン授業の方が良いと考えました。

オンライン講義では、家にいる時間が増えるので、図解といった新たな知識を増やし、日常生活に役立てていくことができるので有意義な時間にできると考えます。

臨場感のない中でモチベーションを保つことが大変でした。また、講義後に質問などができなかったため操作系の授業は対面のほうがいいのかなと思いました

とにかく不安でしかありませんでした。ちゃんと繋がるのか、単位がこれでちゃんと取れるのかといった不安でしか無かったんですが、徐々にzoomにも慣れていき、今回のオンラインは今後オンラインが普及していくなかでいい経験になったんじゃないかと思いました。

オンライン授業は意外と集中できたと思う。課題が多いため大変な部分もあったが、時間に余裕ができたことで自分のために有効に活用することができた。

オンライン授業を受けて個人的に対面のほうが質問から答えまでが早くていいなと感じた。逆にオンラインだと質問しても先生が質問を見ているかわかんないためどうしたらよいのかわからないことが多々あった。

 オンライン授業を受けてみて感じたことはノートに聞いた話をメモすることが対面で授業をしていた時よりも少なくなったことである。確かに、自分で重要だと思ったことはメモをしていたが、ほとんどの授業でT-NEXT上などで授業前にスライドを公開していたためメモ回数が減ってしまった。リモートで活動することは社会人になってからも増えると考えたため、その点は直していきたい。

オンラインで授業に関しては、私はすごく便利に感じました。グループディスカッションなどもzoomの機能を駆使してできていたので不便なく出来ていたのではないかと感じます。ただ、電波などにより落ちてしまうこともあるのでそこは難点かとも思いましたが全体的にみて利点が多かったです。

 zoom授業を半年間うけて、メリットも有ればデメリットもいっぱいありました。できれば後期は対面がいいです。

ンライン授業では、話の内容が対面よりも入ってこないような感じもしたが自宅で受けることができたのでとてもリラックスして受けることができた。また書いた図解をみんなのまえで発表の時にカメラにかざすだけで図解が共有できたのは便利だと思った。

オンライン授業自体は非常に良い試みであるように感じた。しかし、課題の量が多すぎると感じた。通学時間が無くなった分自分の興味のある分野を学ぼうと思っていたが全く時間がなかった。仕方ないことだとは思うが少し残念だった。

ンライン授業が始まった当初は、5月になってやっと授業が開始されることや登校時間がかからないことに喜びや期待を感じていた。しかし、オンライン授業に慣れてくるにつれて、学校とは異なる環境で勉強することに集中力は続かなくなったり、長時間パソコンを見続けることによる身体の不調が現れるなど、オンライン授業の不便さが気になるようになった。この年になって対面授業のありがたさを知ることが出来た。早く対面授業が開始されてほしい。

私はオンライン授業は良い面と悪い面があると思います。まず、オンラインだと直接先生に聞けないので分からないのが分からないままになってしますことがあります。またパワポで図解を作成している時に分からないところを聞きたいけど聞けない面がある。対面なら手を挙げたりして先生に聞くことが出来るがオンラインだとそーゆー事も出来ないと思う。授業後に聞くことは出来るが次の授業があるので聞けない時が沢山ある。

オンライン授業はオフラインではあった雑談というコミュニケーションが減ってしまった。一方通行のコミュニケーションだからこそ、アクティブラーニングと呼ぶには程遠く感じた。しかし、無駄な移動時間が解消でき、時間に余裕が生まれるという利点もあった。また、自分で環境を整えれば最高の環境で授業を受講することが出来た。

オンライン授業を受けて私はやりやすさ難しいものがあると感じた。まずやりやすさだがこれはオンラインなため家で基本出来るため時間をゆとり持つことができる。これにより授業の準備がしやすかったり予定が組みやすくなっている。一方難しいとは授業で分からないとこがあったら直接聞けないところである。これはレポートを作成する時に分からなかったら聞きたくてもどこがわからないか説明するのにオンラインだとわかる前提で進み、そのまま放置になっていしまうためどこが分からないか聞けないまま終わってしまうためである。よってオンライン授業は時間にゆとりを持ちやすいが人に聞けないのがあって一長一短であると感じた。

オンライン授業について、コミュニケーションをとることは難しいと思いますが、今の世の中の状況を見ればわかりますが、オンライン授業を推進していくべきだと思います。実際に前期はオンラインで授業が行うことができているのだからコロナが治るまではオンラインで行くべきだと思います。持病を抱えている身からすると大学は対面をなどという問題ではないです。

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第70回NHK杯トーナメント」1回戦で塚田泰明九段(55)を113手で下した将棋をテレビでみた。塚田九段の投了の場面を撮影することができた。17歳の藤井棋聖の頭の提げ方は好感を持てる。

夕刻は、幕尻の照ノ富士5年ぶりの復活優勝を果たす場面をみた

新人の活躍は楽しいが、どん底から這いあがった人の姿は美しい。

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「名言との対話」8月2日。出口保夫「英国流シンプル生活術」

出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、英文学者、英国文化研究家。

三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。

1963年大英博物館研究員として渡英し、その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。

ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。1970年代以降、イギリス文化に関する啓蒙書の翻訳や執筆に取り組み、特に紅茶を中心とした生活文化に関するエッセイ等を多数刊行した。日本紅茶同好会会長、ロンドン漱石記念館名誉館長、イギリス・ロマン派学会会長などを歴任した。

キーツ全詩集』の訳業で、1974年度第11回日本翻訳文化賞を受賞し、『キーツとその時代』などで、1999年度の大隈記念学術褒賞を受ける。2002年には第51回神奈川文化賞(学術)を受賞するなど、受賞歴多数。

1975年の『現代イギリスの小説家たち』評論社から本格的な執筆が始まる。『イギリス文学の基礎知識』評論社、1977年。『新英国読本』ジャパン・パブリッシャーズ、1977年。『クオリティ社会の風景―続新英国読本』ジャパン・パブリッシャーズ、1978年。『私のロンドン案内』主婦の友社〈Tomo選書〉、1978年。、、、、。

75歳以降も精力的に執筆を続けている。『物語 大英博物館-二五〇年の軌跡』中央公論新社中公新書〉、2005年。『英国流シンプル生活術』ランダムハウス講談社、2006年。『漱石とともにロンドンを歩く』ランダムハウス講談社、2007年。『英国ミステリー紀行』ランダムハウス講談社、2007年。『英国流、質素で豊かな暮らし方―“一杯の紅茶”を毎日淹れる幸福論』柏書房、2007年。新編『新-私のロンドン案内』ランダムハウス講談社、2008年。『知っておきたい 英国紅茶の話』ランダムハウス講談社、2009年。『美しき英国へようこそ』ランダムハウス講談社、2009年。『イギリスの豊かな生活の知恵』ランダムハウス講談社、2009年。最後の『評伝 ワーズワス』研究社は2014年の84歳のときの作品だ。

共編著は1997年の出口保夫・林望『イギリスは賢い』PHP研究所など7冊を数える翻訳書は、1974年のジョン・キーツキーツ全詩集〈第1巻-第3巻、別巻〉』白凰社など11冊。

私は20代の後半にロンドンに駐在することになった。その前に『新英国読本』を読んだ。イギリスの国旗を表紙にした本を、山高帽を被った人が読んでいるというデザインの本である。私の1年余のイギリス生活はこの本から始まった。懐かしいデザインでよく覚えている。帰国後、この表紙をもじって年賀状をつくったのだが、取材に訪れたイラストレータ河原淳さんから、デザインを褒められたことがあることを思い出した。

最近ではイギリスの食文化・イギリス人の食生活に関する随筆『イギリスはおいしい』(平凡社文春文庫)でデビューしたリンボウ先生こと、林望 との共著『イギリスは賢い』も楽しく読んだ記憶がある。

英国流シンプルライフとは、古い家と家具にこだわるイギリス人の生活のことだ。これは実感としてわかる。門下生の一人に英文学者・作家遠藤徹がいる。出口保夫のイギリス探検の旅は、まだ、続いているとういうことだろう。

 

 

新英国読本 (1977年)

新英国読本 (1977年)

 

 

ヨガ教室。FD勉強会。オンライン読書会。

9時:ヨガ教室:8月から土曜日の男性教室に。

10時40分:FD勉強会:対面授業から面接授業へ。新しい次元の面接授業へ。出席率・集中力・提出率は上昇。内容は少し。臨場感をオンラインに。完全面接授業が前提。面接授業にニーズあり。楽する感覚でゆでがえる状態。教員の情熱が半端でなかった。死角はほとんどなし。予習復習をしっかり。オンライン授業をやり切った自信。面接授業をオンライン配信する覚悟。夏休み中もFDは継続。トップ。都内の小中高が基準。21%。文科省「面接授業。7割が希望」。アメリカ65%が面接授業を準備。併用の落とし穴。父兄。、、、、、。

20時:オンライン「未来フェス」読書会に参加。2時間。橘川さんの『参加型社会宣言』の読書会。テーマは「スポーツとソーシャル」。発表者:松栄秀士(パクトオフィス)、宮崎智宏(一本ゲタ)。田中陽子女子サッカー)。牧野克彦(アナウンサー)。中村ゆりか(女子マラソン)。おなかともや(サイレントボイス)。渡剛(アットホーム)。キーワード:場づくり。ロールモデルとの出会い。聴覚障碍者の速読力。エクスペディション。選手も観察者に。音の図書館。知り合い:橘川、田原、猪股、仁上、為本、玉城、石村、小柳、、。若い人たちの志は素晴らしく元気がでる。日本の未来がここにある。図話。

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「名言との対話」8月1日。山本素石会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」

山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト宗教家

各種学校を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始した釣り師である。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島韓国江原道まで彷徨した。

田辺聖子「すべってころんで」は、大阪の新興団地に住む中年夫婦の悲喜こもごもの日々を描いた作品だ。息子は学生運動、夫はツチノコ探検、妻は感傷旅行。人生の応援歌といえる「中年もの」の代表作で、モデルは素石である。この本は昭和40年代の謎の蛇、ツチノコブームの火付役となった
『山釣り夜話』を読んだ。山村紀行、怪異談、廃村紀行で、民俗学の系譜に連なる書き方だ。夜這いの聞き書き奥美濃夜話」も面白い。「ねずてん物語序説」「小森谷の一夜」「天狗襲来」、、。柳田国男の書物も出てくる。探検家の今西錦司もでてくる。

川釣りの中でも、最も源流部が舞台であり、最も釣りにくい釣りであり、最も美しくて最もおいしい渓魚であるイワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りを渓流釣りという。その先達が素石だ。

61歳で書いた「つりかげ」が傑作らしい。釣りの楽しみはどこにあるのか。素石は「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と語る。そしてその一瞬の快感を「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」と表現している。

JAL時代にサイパンの海で浜野安宏さんから釣りを教えてもらったことがある。釣り上げた時の感覚を思い出した。そして重量感のある命の輝きをずっしりと感じたこともよみがえった。

渓流釣りの中から、乱造されるダム建設によって荒廃していく川に危機感を持った素石は「いつの日か日本の川という川は、コンクリートと土砂で埋め立てられた巨大な階段に化す時がくるだろう」と警告している。そのとおりになってしまった。

「ここから川が見えるか。川をみたいんや」といううわごとが辞世となった。吉田茂が最後に言った「富士を見たい」を思いだした。山本素石は「釣り登って天に」至ったのであろう。興味深い人だ。詩情あふれる半生を述懐した「つりかげーわが渓わが人生」を注文した。

山釣り夜話 (山本素石の本)

山釣り夜話 (山本素石の本)

 

 

朝は学部の春学期のリモート授業が終了。午後は出版社。夜は大学院のリモート授業、テーマは「SDGs」。

今日の13回目の授業で春学期の学部授業が終了。初めてのZOOMを使ったリモート授業であり、毎回が試行錯誤の連続で、進化の日々だった。

午後は出版社で、「全集」の入荷予定の確認、次回の新聞広告などを協議。

夜は大学院の6回目の授業。テーマは「SDGs」。17項目の全体像を一枚の図解にするという「ヨコにつらねる」授業。非常に面白かった。次回最終回までにそれぞれ「貧困」「飢餓」「健康福祉」「教育」「ジェンダー」(担当:田村)の「タテにつらぬく」図を描いてくるという宿題を出した。最終レポートは「私の仕事」。

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終了後のアンケートから。

  • ■本日はありがとうございました。自分の考えなり、主張を持つことの大切さを今更ながら認識した次第です。変化が激しい時代の中で、日々流されていくことが多いからこそ、改めて自分で考えることの習慣をしっかりと身に着けたく思います。まずはその為には、考えられるだけの情報や思考力を磨くことが大切とも思います。■SDGsについては、私の会社も、日本中が言葉に踊らされているような気がていました。じっくり考える機会を与えていただけて感謝しています。「SDGsを人に話せる。」気がします。せっかくですから、次回も面白い発表にしたく思います。
  • 先生、本日もありがとうございました。・本日のワークについて。本日はSDGSがテーマでした。SDGSは一つひとつのテーマが深く大きい課題であり、かつ項目数も17項目と多いため、色々な組み合わせや関係性が考えられ、複雑なものでした。他の人の図解を見ても、例えばインフラの言葉一つとっても社会インフラ、自然インフラなどの関係性が見つかったり、関係性だけでなく、どんどんステップアップしていく切り口などの発見もありました。いずれにしても、皆さんそれぞれの考え方や根底にある思想のようなものが図に表現されていて、とても興味深いワークでした。・感想:自分が気づいた点として、関係性が複雑な場合は、一旦考え方を整理するための図を作成し、再度清書を図解する方法も良いと思いました。手を動かして図解化を行っていると途中から気づきを得ることもあるため、まずはラフで図解を作り、手戻りを無くすことが必要だと感じました。本日も大変勉強となりました。ありがとうございます。

以下、留学生。

  • 本日はありがとうございました。本日の感想と学びところを述べます。■図解SDGsについては、客観的な文脈整理と主観的に捉えていきたい部分がございますので、本日、主観的な部分の扱い方とストーリーの形成について学びました。自分が共感できるところ、重要だと思っていることの部分を扱って、要素間の関連性を示すようなロジックを立てて、ストーリーで展開していくことが新しい理論の作り方です。■“深い”話について、梅棹先生の話や主観と客観の違いなどの哲学との対話によって、概念の重要性をわかってきた。人間同士の会話でたくさんの概念を使っている。また概念に対する理解は話し手よりぞれぞれ違います。人は思想や概念によって行動する動物だから、物事や概念をいかに理解することがわれわれの行動を左右されています。情報社会で生活している私が無意識の中で、他人が定義されている概念の中で生きている、今からそれらの概念と距離を保つのような意識を持ちながら、オリジナリティを発見していきたいと思います。本日大変学びができました。先生、皆さまありがとうございます。
  • 今日はSDGSの17の目標を全体的に図解しました。まえに私はある目標だけ聞いたことがありますけれども、全般的に了解していなかった。今度の授業のおかけで70%を覚えました。(笑)。先生がおっしゃったとおりに、一人ひとりの考えが違うから、描いた図も違います。みんなさん描いた図から思考方法など勉強させていただきます。先生がおっしゃったように図解は技術であり、思考の過程です。図を描いたうち、脳が働きながら、思考能力を鍛えられることにとても役に立つと感じました。

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今日の収穫。日経新聞

・老境とは楽隠居の、ゆったりした時間が流れるものと思っていた。しかし加速度的に仕事が増えていく。私は忙しすぎて死んでいる暇がない。(杉本博司。72歳。現代美術家

・かわりに、脱力して演奏できるようになった。演奏家として円熟していけば、体力はカバーできると楽観的でいる。80代まで第一線に居続けるのが目標だ。(神保彰。ドラマー。2019年2月に還暦)

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「名言との対話」7月31日。杉原千畝「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」

杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年明治33年〉1月1日 - 1986年昭和61年〉7月31日)は、日本外交官

杉原千畝には縁が深い。2005年以来、記念館訪問記も含めブログにまとまって書いているだけでも以下のように5回もある。古い順に並べてみよう。人物論も時間を重ねることによって、しだいに深まってくる。

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終戦60周年ドラマスペシャル「日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ・世界が涙した愛と感動のストーリー大戦下のヨーロッパで6000人ものユダヤ人を救った日本人がいた」は2時間の大型番組だった。第二次大戦の前後、外務省職員の杉原は当時リトアニア勤務。ドイツのユダヤ人虐殺が始まった頃、本省の反対を無視して2139枚のビザをユダヤ人に発行する。国外退去の寸前まで駅頭で書き続ける。終戦後、杉原はこのため解雇される。20年後にイスラエル大使館から、助けたユダヤ人の連絡が入る。1985年にはイスラエル政府から正式の感謝が伝えられる。そして1986年に死去。日本政府は生誕100年にあたって2000年にようやく名誉回復の措置をとる。当時の外相は河野洋平である。外務省の外交資料館には杉原の顕彰プレートが設置された。

八百津町は、昔は木曽川を使った木材の産地で賑わったが、今はマツタケの産地として知られている。秋の冷え込みと多雨がいい品質のマツタケ生育の条件だが、今年の収穫は悪いらしい。名鉄八百津線は既に廃線となっていた。途中、兼山という町があった。森蘭丸の里だ。また近くには明智という場所もあるなど、信長ゆかりの武将の出身地がある。

総檜づくりの杉原千畝記念館は、生誕100年にあたる平成12年7月にオープンした。1900年1月1日生まれだから年齢が数えやすい。英語教師になる夢を抱いた杉原は早稲田大学高等師範部英語科に入学するが、2年目にアルバイト先の倒産などの事情から、学費支給で3年間勉強できる外務省留学生試験を受けロシア語研修生として満州のハルピン学院の第一期生としてハルピンに渡る。この学院の校長は満鉄総裁であった後藤新平。杉原の座右の銘は「自治三訣」だったと館内の映像が語っていたが、それは後藤新平ボーイスカウト総裁として子どもたちに送った言葉だったことに気がついた。卒業後、外務省に入るが、上司と共に満州国外交部に移る。そこで北満鉄道の買収交渉で名をあげる。ロシア勤務を拒否され、1939年にリトアニア領事代理として家族と共に赴任する。このことが杉原の運命を決める。

1940年7月に、100人ほどの人々が領事館の前で何かを叫んでいる。聞くと、ナチス・ドイツのポーランド侵攻から逃げてきたユダヤ人で、中立国であったリトアニアに住んでいる人たちだった。彼らは日本の通過ビザを求めた。カリブ海のオランダ領キュラソー島に入れるという証明書をもらっていた彼らは、シベリア鉄道でソ連領を通過し日本に出て、そこからキュラソー島に渡るという計画を持っていた。それにはシベリア鉄道でロシアを横断する必要があった。その鉄道に乗るには日本の通過ビザが必要だった。当時は日独伊三国同盟が締結されており、大量のビザを出すことは敵対行為であり、外務省は反対した。杉原は、悩んだ末「人道博愛精神第一」との結論に達し、1か月にわたり、以後2132枚のビザを発給し、6000人の人々の命を救う。

本国の反対を押し切ることで、文官服務規程に違反し昇進停止ないし解雇の恐れがあり、職を賭しての決断だったことがわかる。「ユダヤ民族の永遠の恨みを買ってまで、、、。国益にかなうことだというのか。」と書いている。ユダヤのことわざには「一人の命を救うことは世界を救うことだ」という言葉があり、そうならば杉原は宇宙を救った聖人だという声もあった。「もし、同じ事態に遭遇したら、私は、もう一度同じことをするに違いありません」との言葉も杉原は残している。

終戦後、ソ連に抑留された後、日本に戻った杉原は外務省を解雇される。以後、外務省との付き合いを避ける。いくつかの職場を経て、川上貿易という商社に勤務しモスクワ事務所長としても活躍する。イスラエルは6000人の命を救った杉原を探すが、見つからない。1968年にビザ発給者の一人と再会。1969年にはイスラエル政府宗教大臣より勲章を受ける。イスラエルからは1985年に「諸国民の中の正義の人・賞(ヤド・バシュム賞)」を受けるが、翌1986年に永眠した。

記念館には「決断の部屋」があり、杉原の机と椅子、そして当時の部屋が再現されている。椅子に座ってみるとビザのスタンプがあり、これを押すと壁の画面に「ありがとう」も文字が現われるという工夫もあった。また「肉声テープ」もあり、杉原の声を聞くことができた。

命を救われた世界中のユダヤ人からの手紙が展示してあった。大臣や博士など多くの有能な人々、そしてその子孫(ある人は30人の孫がいると書いてあった)が救われたのだ。杉原ウイーク2005という行事の中で短歌大会があり、小学校373、中学校804、高校273、一般430、もの短歌を集めていた。一般の部では「分秒を惜しみひたぶるに千畝書きし 命のビザよ 文字の乱れて」(井上さなえ)という歌が入選していた。

領事館のあったカウヌス(リトアニア第二の都市)の民家には「1939-1940 ユダヤ人の恩人・杉原千畝がここに領事館を構えていた」という石版がある。そして「スギハラ通り」も日本は、2000年になってやっと杉原の功績を認め河野洋平外務大臣が外交資料館の顕彰プレート除幕式で挨拶をしており、名誉回復がなった。

この記念館は雨にもかかわらず、家族連れをなど多くの人々が訪れて、杉原の偉業に親しんでいた。大正出版の「六千人の命のビザ」「決断」という2冊の本を買い、中部国際空港経由の帰路に読んだ。

偶然と必然によって、歴史的局面に遭遇することがある。杉原はこのときの決断によって仕事を取り上げられて、以後苦しむが、永遠の輝きをもって歴史に名を遺したことになる。

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41歳:プロイセンの在ケーニヒスベルク日本総領事館勤務。ルーマニアの在ブカレスト日本公使館勤務。45歳:捕虜収容所へ連行される。46歳:帰国の途につく。47歳:ナホトカ、4月博多。6月外務省退官。世界平和建設団事務局に就職。貿易会社・川上貿易モスクワ所長。68歳(1968年):元ユダヤ難民と再会。69歳(1969年):イスラエルで宗教大臣より勲章を受ける。85歳(1985年):イスラエルより「諸国民の中の正義の人章」受賞。この勲章には「一人の命を救う者が全世界を救う」と記されている。
1990年:杉原幸子「6千人の命のビザ」を発表。1991年にバルト三国の再独立で関心が高まった。86歳(1986年):永眠。2000年:生誕100年。河野洋平外務大臣が名誉回復措置。手嶋龍一「スギハラダラー」。インテリジェンス・オフィサーとしての杉原。

杉原が晩年に書いた「決断 外交官の回想」。

  • 全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか? それが果たして国益に叶うことだというのか?」
  • 三世代の3万6千人を救ったことになる。それから15年、銀河の星の数を数えるような数字になっているだろう。
  • 2011年3月11日の東日本大震災発生で、イスラエルのネタニヤフ首相が援助。コート1万着、毛布6千枚、手袋8千、簡易トイレ150を届ける。(資料:白石仁章「諜報の天才 杉原千畝」(新潮選書)。「歴史街道」(2013.11))
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リトアニアヒトラーに追われたユダヤ人6000人にカウナスで日本外務省の命令を無視してビザを発給し7年後には外務省をクビになる杉原千畝の物語。救われたユダヤ人の子孫は4万人以上に及ぶ。彼らは後に様々な国の大臣、芸術家などになり世界を変えていく。ユダヤのことわざに「一人の命を救うことは世界を救うことだ」があるが、その通りだ。

英露独仏語などを操るインタエリジェント・オフィサー杉原千畝は、満州フィンランドリトアニア、ドイツ、チェコルーマニアなどに滞在し、混とんとした世界情勢を収集し、本国へ発信し続けていた。有能な杉原はソ連から「好ましからざる人物」としてのリストに載っていたため、ソ連周辺諸国でしか活動できなかった。杉原の故郷の岐阜の記念館を訪問しているので、登場人物の言葉の細部まで背景を理解できた。例えば杉原とウラジオストック総領事代理の根井は「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして酬いを求めぬよう」という言葉をつぶやく。それは彼らが学んだハルピン学院の校訓である。それを作ったのは満鉄総裁であり、その学院をつくった後藤新平である。その言葉は、初代総裁をつとめたボーイスカウトの訓でもある。

駐ドイツ日本大使の大島浩は日独同盟の推進者であるが、彼の外務省への打電電報の内容はすべてアメリカによって解読されており、日本の敗戦の一つの要因でもあった。2000年の生誕100年にあたって日本は杉原の名誉回復の措置をとる。当時の外務大臣河野洋平であり、それを推進したのは鈴木宗男政務次官だった。

 

 

 

 

立川:東京新聞から取材。多摩:寺島実郎。リレー講座。仙川:プリ君。

朝:立川の東京新聞多摩支局で服部記者から『図解コミュニエーション全集』の取材を受ける。行きつけの整体の後。

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昼休み: 多摩大総研の所長・副所長ミーティング。

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14時:寺島学長と面談:推薦文をいただいた『図解コミュニケーション全集』を贈呈。近況報告。サイン入りの『日本再生の基軸』をいただく。

寺島文庫の林さん、杉田副学長、金先生、高野課長と懇談。f:id:k-hisatune:20200731035011j:image

 

14時50分:春学期のリレー講座最終回:寺島実郎「2020年夏 世界の構造変化と日本」。リアルとリモートのハイブリッド。

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本当のことを知る努力。全体知。コロナ鬱状態。強い感染力(潜伏期間が長い)と弱毒性(致死率が低い)。5月25日の緊急事態宣言解除時27万件のPCR検査数、7月29日までに49万件増えて76.5万件になった。3.4%が陽性。致死率は2.9%まで下がってきた。やがて1%以下になるだろう。日本の死者は1006人。ジャパンモデル「司令塔はダメなのに死者が少ない不思議」。専門家の誤謬「42万人の死者」という恫喝。2019年のインフルエンザ死者は3500人、コロナもこの範囲で収まるのではないか。もちで3000人、側溝で1500人。1-5月で日本人の死者は1.4万人少ない。閉じこもりで交通事故も減少。

ウイルスとの共生:文明論が必要。バイキンマンのいないアンパンマンはいない。抵抗力、免疫力。地球46億年、微生物・ウイルス30億年、ホモサピエンス20万年。人類は新参者。賢く制御していくことが必要。病院・診療所への来訪者は20-25%ダウンし困っている。

第2波か? PCR検査を増やしているから多くなっているに過ぎない。100年前のスペイン風邪と違って一週間で病原体が特定できた。過大におびえることはない。ワクチンは秋、第3段階だ。

日本は「マスク2枚と10万円の国」と。本当の対策がない。給付金、Goto、休業補償、代理店の税金ビジネスなどゆがんだ対策。全体知。新聞1300万部の減少で科学部が弱体化。科学ジャーナリズムの弱さ。日経サイエンスだけ、8月号。中間層の厚み、健康保険制度。ジャパンモデルの要因は何か。DNA?自衛?、、。、

世界の変化:米中二極論は間違い。コロナが問題をあぶりだした。日本の基幹産業(鉄鋼、自動車、エロクトロニクス)がメルトダウン中。株式時価総額ユニクロ6.4兆円、オリエンタルランド5.7兆円。日鉄0.9兆円、東レ0.9兆円、日立3.3兆円。

調整インフレの金融政策のアベノミクスで安易な円安にして緩んだ。世界GDPシェアは1988年16%、2018年6%、2050年1.8%(三菱総研)。2011年の3.11、2020年のコロナ。

米中はリーダー失格。中国が香港、台湾問題で脱・中国の雰囲気、失いつつあるものが大きい。東南アジアの3500万人の華人・華僑の失望、警戒心。台湾はコロナで成功。中国のグリップ力は低下した。アメリカはトランプの失敗。15万人のコロナ死者。バイデンと10ポイントの差。1月のAI予測「トランプの再選はない」。6つの州で負けている。「スリーピーJoe」といわれ退屈な77歳。副大統領がポイント。女性、マイノリティが切り札。副大統領は大統領になる可能性がある。暴露本2冊。米ソ冷戦はイデオロギー選択の競争だった。韓国でもアメリカは失敗。韓国は中国に接近。北もいらだち。日本はアメリカへの過剰同調。F35の105機購入など。東南アジアの目線は中国にもアメリカにも不安と疑問。アセアンの希望は成熟した民主主義と技術力の高い資本主義国の日本が選択肢になることだ。

イギリスのブレグジットアメリカの影響力の後退。ドイツにおける在独米軍の撤退によって中東での存在感も減少になるだろう。イスラエルサウジアラビアだけになってしまった。イラン、トルコ、シリア、リビア、、、。ロシアのプーチン2036年まで大統領か。憲法改正で領土問題は厳しくなた。G7に韓国とロシアは入れる案も。日本は全方位で失敗。日本は鎖国状態になった。ナショナリズムの空気あり。こいう時こそグローカリティだ。

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17時半:仙川で20代からの親友のプリ君との懇親会。「サルバドーレ・BAR」。20時まで。結構飲んだな。

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「名言との対話」7月30日。今日出海「どんな奴でも軽蔑したらいけない。そこから汲み取ろうと思ったら、誰からでも、いくらでもくみ取れる」

今 日出海(こん ひでみ、1903年明治36年)11月6日 - 1984年昭和59年)7月30日)は、日本小説家評論家、舞台演出家。初代文化庁長官。

天台宗僧侶で小説家の今東光の5歳年下の弟。フランス文学を専攻。1933年、明大教授。 1945年文部省社会教育局文化課長となり、すぐに芸術課の初代課長となった。1949年フィリピン戦線の従軍記録「山中放浪」を発表。1950年「天皇帽子」で直木賞。「三木清における人間の研究」などの人物論で知られる。1968年佐藤栄作首相に請われて文化庁初代長官となり、約4年間務めた。1972年国際交流基金の初代理事長を8年間務め、モナリザの日本初公開(1974年)、および、パリ唐招提寺展を実現した。 1978年文化功労者。 80歳で没。

東京帝国大学仏蘭西文学科では、辰野隆鈴木信太郎らに学んだ。小林秀雄三好達治中島健蔵らが同期である。

『迷う人 迷えぬ人』(新潮社)を読んだ。友人、知人との交友録である。兄の今東光は「偽悪の人」、舟橋聖一は「無駄を嫌う人」、「女運」の久保田万太郎石川達三は「己を愛する人」、桑原武雄は「合理の人」、亀井勝一郎は「求道者」、「迷えぬ人」中島健蔵らが登場する。

反抗の人・今東光は女には優しく従順で東光極悪説は俗論。舟橋聖一は意志が強い勤勉家で精力家。芸能人が賞をもらうなど地位を高めたのは久保田万太郎のおかげ。石川達三の合理癖とは違って桑原の合理的説明は説得力は弱い。奇怪なほどい博識の中島健蔵は流れに身を任せる迷わぬ人。マルクスボーイから真宗に転向した求道者・亀井勝一郎の歩いた道は間違っていることもあり得る。、、、、今日出海の人物眼は鋭く、辛口でかつ愛情深い。「迷い」という視点で人物を描くというのは奇抜である。

「どんな奴でも軽蔑したらいけない。そこから汲み取ろうと思ったら、誰からでも、いくらでもくみ取れる」という今日出海の人に接する姿勢は、『迷う人 迷えぬ人』によく出ている。

文化庁国際交流基金などでも初代のトップとして活躍するなかで、小説家としての目に加えて、人を見る目が鍛えられた。誰からでも学ぶ姿勢は一貫していたのだろう、持ち込まれた役職は80近きに及んでいる。誰からも学ぶ姿勢を学びたい。 

迷う人迷えぬ人 (1963年)