NPO法人知的生産の技術研究会-九州で立ち上げの記念講演。

福岡。

NPO法人知的生産の技術研究会-九州の立ち上げの会で記念講演を行なった。博多駅前の福岡商工会議所で17時から1時間45分。

講演テーマは「図で考えれば、世界が見える」。

 

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 名刺交換した方々からみると、九州全域から見えているようだ。

福岡県:中央区、南区、博多区春日市北九州市

熊本県玉名郡大分県別府市、 鹿児島県鹿児島市長崎県長崎市長崎県島原市、、、、。

 

代表は、ピエトロの高橋社長。副代表2人、事務局長1人、幹事長1人、幹事7人、会計1人、監査1人、、、。

 

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終了後、ほとんどの人が宴会に参加。楽しい懇親。博多は学生時代を過ごしたホームグラウンドなので懐かしい。

 

 

 

 

 

多摩大アクティブラーニング発表祭(9回目。2学部1研究科。外部2大学。附属高校):史上最高の発表数。

多摩大アクティブラーニング発表祭。

 金アクティブラーニングセンター長:「9回目。55件の発表(史上最高)。全学園・全学的行事(2学部・1研究科。附属高校)。地域・AL・ホームゼミ42件、手塚山大・東京理科大・明治大5件、高大連携8件。地域創造・問題解決・相互成長。教員の成長が学生の成長へ。アクティブラーニング技法=文献研究とフィールドワーク。」

・手塚山大菅学長補佐「6年前から参加。しだいに学会の様相を呈してきた。社会に役立つ人材。研究を教育に生かす。」

・東京経済大山本先生「4年目」

・多摩大目黒松井先生「中高生の発表」

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 今回は、 5つの会場を往き来し、12の発表を聞いた。

第四次産業革命(韓国チェジュ島フォーラム。AI・ロボット化。器械と人間の調和・電子政府・環境問題)」「いちょう団地」(騒音・悪臭・高齢化。2000世帯の500が外国人。ボランティア・ダンス交流・日本語教教室)「インターゼミ多摩学班」(子育て世代対応・シェアリングサービス・若者のニーズ)「上海東海学院サマースクール」(上海見聞)「多摩未来奨学金」(SNS。HANA)「e-Sports」(2024年オリンピック種目へ。日本は15分の一の市場。e-Sports秋葉原)「日本アニメ産業の未来(低年収・長時間労働西東京。インバウンド)」「仙台・オータムフェア(メッセージ収集。目黒区民キャンパス。角田市金沢市。ミッドタウンで紹介)」「八王子コンソーシアム」(サロン)」「多摩未来奨学金」(生業マルシェ。若者奨励金。認知度)「在宅高齢者の食事」(咀嚼・味)「インターゼミアジア班(モンゴル帝国のユーラシア交流史。経済連携による平和と安定。リーダーの思想と視野)」

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 私の全体的な感想は以下。

ヨコヘの広がり

・地域の広がり(大多摩。奈良。仙台。韓国。中国。、、)

・テーマの広がり(アニメ、震災、、、、)

タテへの深まり

・高校生から、大学生、大学院生、院生OB、周辺住民、外部関係者、、

サキへ(先端的テーマ)

e-sports、AI、、、。高校生のiPadミニを使っての発表。

 

 関係した教職員の全体撮影。f:id:k-hisatune:20171209203303j:image

 

 初参加の目黒高校のメンバー。田村校長。f:id:k-hisatune:20171209203318j:image

 

 

 「名言との対話」12月09日。浜田庄司「 願は大きく立てよ。立てたら向きは変えるな。あとは非妥協一本やりでいけ」

濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年明治27年)12月9日 - 1978年昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家

 栃木県益子の浜田庄司参考館。浜田は30歳で益子に入り20年経って50歳でほぼ完成の域に達した。3万坪の敷地の中に立つ参考館は1977年開館している。益子は浜田の理想の陶郷であった。

陶磁器、漆器、木工、金工、家具、、、など浜田が16歳から生涯にわたって蒐集したあらゆる民芸が存在している。地理的には、日本はもとより、中国、朝鮮、太平洋、中近東、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、、。歴史的には、紀元前から近現代まで。集めた生活工芸品は4千点に及ぶ。これらを人々に参考にしてもらいたいという意味で参考館と名付けた。これらの蒐集品は浜田の仕事の水準を落とさないように監視する役目も持っている。自分を感動させ、自分をはるかに超えているものに浜田は惹かれた。自分に語りかける物や自分の及ばない物に浜田は昂奮した。この参考館は訪問者や芸術家が未来を準備すること助けるためにある。浜田の方法は、「相手に聞く。土に聞き、釉に聞き、火に聞く」であった。

 浜田庄司東京高等学校窯業科で河寛次郎と出会う。卒業後は河井のいた京都市立陶磁器試験場に就職する。知り合ったバーナード・リーチに誘われ、3年間イギリスのコーンウェルに滞在する。関東大震災で混乱の中、日本に帰り、河井宅で過ごす。当時の河井寛次郎は方向感を失っていた。京都で知り合った柳宗悦河井寛次郎浜田庄司の3人組は日本の美の新しい方向を見いだした。 英国で田舎暮らしを知った浜田は、栃木県の益子に居を構え、作家活動に入る。益子焼きは1852年大塚啓三郎によって始められた。まだ歴史は浅い。「土は粘着性と可塑性(肉体と骨格)を持ち、火に強い必要がある。一番単純な土が最良だ。」

片足を都会に置き、必要な時はいつでも都会に出て共同体の一翼を担う。そういう田舎暮らしを楽しむ生活にあこがれた。田舎に家を持ち、しかも都会の活動から切り離されずにいられる益子を選んだ。寒い季節は焼き物の伝統のある沖縄(壺屋)に、暖かい時期は益子というように往ったり来たりを考えた。健やかさと正しさを大事に考えた。そのために焼き物の伝統が生き続けている田舎に仕事を場所を探したのだ。

最初絵描きになろうと考えていた浜田は15歳で「用の美」の工芸を目指すことになった。隣に住む木村荘八の蔵書の中からルノワールの「美術志望者が少しでも工芸に進めば工芸の質が向上する」という言葉を見つけたのである。「民芸」という言葉は、1925年頃に生まれた。当時浜田は31歳あたりだ。浜田は83歳で没しているから、70年近くの年月を工芸に励んだ。その成果は、悠々たる大きさ、堂々とした形姿、地味ながらこくのある釉色、生き生きとした絵付け、温かく親しみに満ちた味わい、、という作品に結実している。志を早く立てることの成果であり、そして長く仕事をした成果でもある。「私の陶器の仕事は、京都で見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と浜田は人生を総括している。

「良い土から悪い物をつくるよりも、劣った土で良い仕事をする方を選ぶ」という浜田庄司は「 願は大きく立てよ。立てたら向きは変えるな。あとは非妥協一本やりでいけ」というそのままの人生を送った。願とは志のことだ。大きく高い志を立てて、自分に妥協せず、方向感を大切に歩むことが大切だであることを教えてくれる。

授業「立志人物伝」11回目:テーマは「日本への回帰」--司馬遼太郎と梅棹忠夫

 「副学長日誌・志塾の風」171208

午前

・杉本係長:戦略会議の打ち合わせ

・久米先生と雑談

・「立志人物伝」の授業。本日のテーマは「日本への回帰」。司馬遼太郎梅棹忠夫

・金先生:来年度

午後

・岩澤さん

・事務局との定例会議:杉田学部長。宮地事務局長、川手総務課長。

・こえラボ(BS多摩に入居)の岡田社長:新年から配信するpodcast「偉人の名言366」の打ち合わせ。声の録音。本の購入。、、、。

 

 
   

「名言との対話」12月8日。柳沢吉保「言葉は心の表れなれば大人たる者の慎むへき第一なり」

柳沢 吉保(やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保 万治元年(1658年)12月8日--正徳4年(1714年)11月2日)は、江戸時代前期の幕府側用人譜代大名。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。

甲斐源氏武田氏一門である甲斐一条氏の末裔。武田氏の滅亡後、武田遺臣が徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が家康に仕官した。上野国藩士として江戸市ヶ谷に生まれる。館林藩主の綱吉が将軍になるに従って幕閣に入り、老中首座(大老格)になるなど綱吉のもとに異数の出世を遂げる。小納戸役530石から始まり、830石、1030石、2030石、側用人12000石(大名)、3万2000石、6万2000石、7万2000石、8万2000石(武蔵川越藩主)、侍従(老中格)、左近衛権少将(大老)、9万2000。綱吉死後、甲府で15万1200石の大名となる。その表高と内高を合わせると実際には22万石余だった。甲斐恵林寺甲州市塩山小屋敷)において武田信玄の百三十三回忌の法要を行なっている。側室の正親町町子は後に吉保の半生を王朝風の日記文学として記した『松蔭日記』を記している。

綱吉の死後は、将軍家宣には新井白石が重用される。駒込六義園に隠居。柳沢吉保には甲陽日記『楽只堂年録』229巻がある。編纂は白石のライバル・荻生徂徠だ。

今まで館林、甲府六義園などを訪問した時に、柳沢吉保の影がちらついていたのだが、その点がようやく繋がった。その線を確かなものにするために早急に川越を訪ねることにしよう。また、異例の出世への処し方、政治の考え方、赤穂浪士の処遇に関係したこと、同時代の学者たちとの交流など、この人物に興味がでてきた。

吉保は謹直誠実な人となりであった。『楽只堂家訓』や我が子に与えた『庭訓』を著し、主君の恩に報いること、日頃の立ち居振る舞にも触れている。その『庭訓』15ヵ条の最後の条が冒頭の言葉である。平成からうかつなこと、いやしいことを言わないように、言葉遣いには細心の注意を払えという。心したいものだ。

 

 

 

 

リレー講座:寺島学長「2017年の総括と2018年への展望」

 「副学長日誌・志塾の風」171207

・中村その子先生

・趙先生:来年度

・木村先生:多摩大スケッチ

・飯田先生:ちょい飲みクリスマス会

・山本さん:多摩大電子新書

 

・八木さん、高橋さん

・学長報告:志塾会。音声テープ、、、。

・リレー講座:寺島学長「2017年の総括と2018年への展望」

・・もの作り国家・日本の凋落。中間管理職の空洞化。熟練の価値の後退。

・・昨日の株の445円の下落:トランプのエルサレムへの大使館移転というイスラエルファクター。これで中東の液状化へ。全イスラムを敵にまわした。

・・日本の株高:実体経済は低空飛行。異常な株高の要因は公的資金(日銀ETF買い・年金基金GPIF)で56兆円。外資も先週末3兆円。実力は1万5千円以下。株の75%は高齢者所有。

・・北朝鮮:政治リスクは高まっているが、株価は高騰(根拠なき熱狂)。政治と経済の乖離。要因1は戦争経済の予感(武器商人トランプ・懐の深い軍需産業)要因2は政権のウオールストリートシフト(規制緩和派)。トランプ政権は産。金・軍複合体。戦争計画の具体化。北朝鮮木造船の漂着。食料難、決死、農業に兵士の投入ができなかった。中国による北朝鮮への軍事介入の可能性と台湾併合。トランプのディールはないか。米軍の日本駐留のビンのふた論(日本軍国主義を抑える役目)。

・英エコノミスト2018年は「振り子は揺れる。政治と市場」。トランプ主義とマクロン主義。

・2017年は歴史的節目:1517年のルターの宗教改革から500年:宗教の中世から政治の自立の近代へ。聖書への原点回帰。1549年のイエズス会のザビエル日本到着はカソリックの対抗改革。グーテンベルク活版印刷革命(聖書)は情報技術革命。1917年のロシア革命から100年:第一次大戦日英同盟による集団的自衛権で参戦。共産主義への恐怖。55年体制ソ連崩壊で東西冷戦終了。労働組合の凋落。連合13%未満。若者は自民党に5割投票。

・ジェロントロジー(体系的学際的老年学);高齢者を生かし切る社会システムへ。

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今回のヒント。

1:朝日新聞日曜版GLOVE購入。

2:運命の5年間(1914年ー1919年)の研究。1914年第一次大戦。1915年対支21ヵ条の要求。1917年ロシア革命シベリア出兵。12019年ベルサイユ講和条約。923年関東大震災。1925年治安維持法

 

 夜は、旧知の日本経済新聞の中沢編集員らと懇談。

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「名言との対話」11207。俵萌子「肝心なのは、より高く高くと、自ら求めて変わっていくこと」

俵 萠子(たわら もえこ、1930年12月7日 - 2008年11月27日)は、日本評論家エッセイスト

1965年の産経新聞退社後は、女性、家庭、老人、教育を中心とした評論活動で名を知られた。「政治を変えたい女たちの会」設立、東京都中野区教育委員に就任。また自身がガンに犯されたことで、「1・2の3で温泉に入る会」を設立、がん患者団体支援機構の理事長をつとめるなど活動は多彩であった。ガンに関する本は100冊上読み、良寛の「死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉にも励まされている。『癌と私の共同生活』(海竜社)という本も書いた。

著書一覧を眺めると、親、離婚、子ども、性教育、教師、などがテーマである。その俵萌子は保守派の論客で産経の同僚・俵孝太郎と結婚し1男1女を設けるが、思想的に相容れずに離婚している。

俵萌子は50代になり陶芸と絵画に熱中する。陶芸の師匠から「自己満足のものを何千個つくっても上達しない」と言われ、本気で打ち込み、父の故郷である群馬県赤城山麓に1995年65歳で美術館を建てる。そして仲間を募って陶芸工房を主宰する。「私はね、103歳まで生きるねん。77歳の今日まで25年かけて、赤城山の原生林を開いて美術館を建てて、花いっぱいの庭も整えたんよ。その年数以上は心ゆくまで楽しまなくちゃ」と語った。原稿を元手にした小さいが個性的な美術館だったが、年間で1万5千人ほどが訪れている。しかし、それほどの時間は残されていなかった。

「より高く高くと、自ら求めて変わっていくこと」という俵萌子の生き方に学びたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜:多摩大「志塾会」(学部OB会・大学院OB会)のセミナーで講師。午後:日本私立大学協会・教育学術研究委員会。午前:研究室で仕事。

 18時半から20時半。九段サテライトで 多摩大「志塾会」の初回セミナー。志塾会(学部同窓会と大学院同窓会の合同)セミナー。オール多摩大で知の再武装へ。毎月一定の日に九段でセミナーを行う予定。

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 本日は私が講師。テーマは「大学改革の多摩大モデル」で45分。

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 午前:研究室で仕事。

 

 

 13時ー17時半。

 日本私立大学協会・教育学術研究委員会。テーマ「私立大学の将来像」。

アルカディア市ヶ谷。出席者は全国407の私立大学の理事長・学長・副学長ら。

・村田私学部長(文科相)「高等教育政策の諸動向について」

小杉礼子労働政策研究・研修機構)「就業構造の変化と大学の役割」

・佐藤東洋士(桜美林大学総長)「高等教育の未来を拓く私立大学」

・住吉廣行(松本大学学長)「地方創生と私立大学」

・濱名篤(関西国際大学理事長)「大学教育の質保証に向けた制度改革」

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 以下、引っかかったポイント。

・教育の成果の予算への反映。定員割れ大学への予算減額措置。専門職大学の申請は10数件。学び直しのリカレント教育。成人・勤労者、退職高齢者。人づくりに2兆円。

・フリーターは半減。大学は非正規雇用は少ない。大卒内の賃金格差拡大。再就職者が辞めた原因は長時間労働。ドイツの「労働4.0」ではAIにより2極化(中間層の雇用収縮)と完全監視リスク。学び直し支援の充実。技術力と人間力。STEM人材が必要。コミュニケーション能力が重要。

・河合雅司『未来の年表』に着目。2018年国立大学倒産の懸念へ。2021年介護離職増。2022年一人暮らし社会。2024年社会保障費大。2030年東京郊外にゴーストタウン。2033年3戸に一戸が空き家。2035年未婚問題。2039年火葬場不足。2040年自治体の半数が消滅危機、後継者不足。2050年現在の居住地の20%が誰も住まない。2053年一億人。2055年4人に一人が75歳以上。2059年5人に一人が80歳以上。2115年総人口が5055万人。

・提言「私立大学審議会」「審議会への中小規模大学の登用」「都道府県に高等教育制作室」「定員割れ大学への補助金不交付は地域社会の崩壊」「社会貢献係数」「私大中心の地域プラットフィオーム」

・ディプロマポリシー。内部質保証は通用するか。見える化。アセスメントプラン(測定可能。直接・間接基準)。最終的に何ができるようになったかを自己説明できること。専門と汎用。学習成果に関し産業界とのチューニング。アクティブラーニング型インターンシップ。人生100年時代構想会議(授業料減免と給付型奨学金。成績不良者への支給打ち切り。良い取り組みをやっている大学のみ対象。カリキュラムに産業界。実務家教員)。支援大対象大学には外部人材を理事任命。、、)。無償化の条件が出てくる。

 

 

「名言との対話」12月6日。仁科芳雄「環境は人を創り、人は環境を創る」

 仁科 芳雄(にしな よしお、1890年明治23年12月6日 - 1951年(昭和26年)1月10日)は、日本の物理学者である。日本量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。

岡山県浅口市の仁科会館は日本の現代物理学の父と言われる仁科芳雄を顕彰したした建物を訪問した。岡山中学、第六高等学校、東京帝大電気工学科を首席で卒業した秀才で、理化学研究所で活躍した。文化勲章受賞者。仁科は湯川秀樹朝永振一郎という2人のノーベル賞受賞者を育てていることも特筆すべきだ。仁科は親方と呼ばれていた。仁科の師は理研長岡半太郎である。
スポーツ万能で絵も上手、音楽も得意だった。故郷では浜中の神童と呼ばれていた。
基礎科学の研究の重要性をいつも語っていた仁科は「終始一貫」という書を残している。

「しかし、爆弾の形にせよ、原子炉の形にせよ、原子核エネルギーを取り出すことは、非常に興味があります。おそらく、それは世界中の物理学者の野望であるはずです」と言った仁科は、1935年には原子核実験室で円型加速器サイクロトロンを完成させた。1940年に広島に新型爆弾が落ちた時、これを原子爆弾であるとすすぐに断定した。戦後、仁科が開発した「サイクロトロン」はGHQから軍事 研究の嫌疑を受け、東京湾の海中に投棄されてしまう。

長岡半太郎仁科芳雄湯川秀樹朝永振一郎、そしてノーベル賞受賞者が今日まで続いているという日本物理学の輝かしい伝統をみると、人をめぐる環境というものの大きな影響を感じる。人は時代の子であり、環境の子である。しかし一方で人は自分を巡る環境を創ることもできる。この循環の中で、人も時代も進歩していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多摩大学インターネット放送局「T-Studio」久恒啓一の『名言との対話』--第25回は「石井桃子」

「副学長日誌・志塾の風」171205

17時-19時:湘南台のグローバルスタディーズ学部の学部運営委員会に出席。

--定員。時間割。離学。入試。就職。

 

 ■多摩大学インターネット放送局「T-Studio」久恒啓一の『名言との対話』
http://www.tama.ac.jp/t-studio/hisatune/index.html

 高齢社会の生き方を100歳人生を生き抜いてきたセンテナリアンに学ぶ第3弾。児童文学一筋を貫き、300冊を超える子供向けの絵本などを世に送り出した石井桃子の聖なる生涯。

www.youtube.com----------

湘南台で弟と食事。

 

 

「名言との対対話」12月5日。吉本せい笑わせなあきまへんで」

吉本 せい(よしもと せい、1889年12月5日 - 1950年3月14日)は、吉本興業創業者、芸能プロモーター

明石家さんまダウンタウンなど、人気芸人の宝庫ともいうべき吉本興業。日本の「お笑い界」を席巻する吉本興業の創業者が吉本せいである。山崎豊子の小説『花のれん』のモデルである。そして

20歳で老舗荒物問屋「箸吉」の息子と吉本吉兵衛と結婚。22歳、「第二文芸館」を買収し寄席の経営を始める。変化する入場料、物販のアイデア。機転と気配りの天才。複数の寄席を「花月」と改名。寄席以外にも、ものまね、義太夫、娘義太夫、剣舞、曲芸も興業に加えていく。客を呼べる看板芸人にはサラリーマンの10倍以上の破格のギャラを出す。吉本せいは、優れた起業家であった。

落語に比べ歴史は古いが地位の低かった万歳に目をつけ、エンタツアチャコのインテリ万歳で成功をおさめる。万歳を新しい名前「漫才」に変えて芸能の世界を変えていく。ラジオ時代に乗って客をどんどん増やしていく。ついにせいは「女今太閤」「女版小林一三」と呼ばれるまでになる。吉本せいは、大実業家となっていく。

「心許すときはしっかりその人を観なはれ。時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くことです。実行する、せんはこちらが決めればよろしい。失敗は何にでもつきもんです。恐れてては何もできまへん」

吉本興業の使命は大衆を「笑わせる」ことだった。人を観る。時代を先取りする。意見をよく聞く。そしていいと思ったものは失敗を恐れず断固実行する。お笑いに人生を賭けた女大将は、「笑わせなあきまへんで」と常に言いながらお笑いの集団を組織していった。吉本せいをモデルにした2017年10月から始まったNHK朝ドラ「わろてんか」でその人生ドラマを楽しみたい。

 

 

児玉博『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』(小学館)--企業の事業展開、人事、マネジメントについて考えさせる優れたノンフィクション

児玉博『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』(小学館)を読了。

 イランで現地採用され、業績をあげて東芝という名門企業の社長になってアメリカの原子力事業を6400億円で買った栄光の経営者。であったはずだが、それが契機となって東芝は奈落の底に落ちこんでいく。異端の戦犯経営者の告白を中心とした東芝問題の実像を大宅賞作家が描いたノンフィクション。児玉さんは先週お会いした方。

テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅

テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅

 

この本は、企業の事業展開、人事、マネジメントについて考える恰好の材料だ。

・ 西田(1943年生まれ)という人物はいかなる人物か?「情報を集めるだけ集め、学び、考え、判断していく。これを繰り返す」「勉強家」「庶民的で気さくな性格」「負けず嫌い」「起床は4時半。集中」「情報を集めろ、重層的にしておけ」「営業にいく国の成り立ち、歴史、思想的背景、思想家、民族の英雄、、、」「常に、5-6冊の本を読む」「読書せよ」「就寝前には藤沢周平作品」「日本、世界を東京からではなく、パリやボンなどから見れることが必要」「どうしたらできるかを考える人」「1973年イランで現地採用」「経済、政治、文明、文化の知識、教養がビジネスで問われる」「学問の世界だけでは自分の人生が実現できない」「時代に中におかれた個人」

テヘランの現地採用から始まり社長になった西田の選択と集中とは?半導体事業に1.7兆(東芝メモリー)、WH買収に6千億という大胆な投資を行った。東芝セラミックス東芝EMI、東芝不動産、銀座東芝ビルなどを売却した。

東芝を絶望の淵に落とした原子力事業買収とは何か?ブッシュ政権による原子力ルネッサンス。中国は2030年迄に原発140基建設。インドは現在の20基に加え30基以上の建設。2025年迄に170兆円に成長と予測。2030年迄にアジア・アフリカで156基の新規需要。世界潮流は加圧水型原子炉(PWR)。中国は2050年には500基導入を目指している。原発は安全保障と密接に結びついている。2011年の東日本大震災によってコストが大きくかかる構造になっていった。原子力事業を甘くみていた。

・WH買収の実態?企業価値は2400億円。2700億円で落札。当初は最大4000億円と見込む。結果として6400億円で買収。WHはショー・グループから疑惑まみれのS&Wという建設会社をプット・オプション付き(ショーが売りたい時には東芝は買い取る)で買収。原発建設の遅延でWHとS&Wは深手の傷を負い、損失を流し続けた。しかし、東芝はそういう事態に眼をおおっていた。現地企業をマネジメントができなかった。

・西田会長と自らが後継指名した佐々木社長の確執:「社長室からどなり合う声」「選んだ者と選ばれた者が歯をむき出すようにして罵り合う」「顔を合わせない」、、。人事抗争によって沈みゆく東芝を大物OBたちは見て見ぬふり。粉飾決算。つくられた数字で成り立つ会社へ。盟主が去った後の経営陣は烏合の衆と化した上場企業とは思えぬ体たらくをさらし続け、経営者会議は何も決められない。人事抗争と人物の払底。

東芝の石坂泰三、土光敏夫などがつとめた財界総理といわれる経団連会長職を望んだとされる異端の経営者によって、名門東芝という巨大企業が原子力という「神の火・悪魔の火」に関わる事業展開で転落するストーリーをロングインタビューで構成した優れたノンフィクションだ。

 

「名言との対話」12月04日。リルケ「現在もっている最上の力より以下の仕事をしてはならない」

ライナー・マリア・リルケRainer Maria Rilke1875年12月4日 - 1926年12月29日)は、オーストリア詩人作家シュテファン・ゲオルゲフーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに時代を代表するドイツ語詩人として知られる。

リルケは、ロダンとの交流の中で芸術観に感銘を受けて「言語」を通じて対象に迫ろうとした。ロダンの対象への肉迫と職人的な手仕事は影響を与え、抒情を捨てさせた。リルケロダンの私設秘書となって講演旅行に付き添った。それを『ロダン論』にまとめている。

「旅はたった一つしかない。自分自身の中へ行くこと」

リルケは日本では森鴎外によって紹介された。堀辰雄立原道造ら『四季』派の詩人に影響を与えている。

詩人・村野四郎に圧倒的な影響を与えたのはリルケである。それはハイカラ趣味の源泉でもあった。「リルケの詩はその都度、いつも私が辿ってきた各段階にふさわしい新鮮な示唆を与えてくれた」と言う。

小説家・野上弥生子は「現在もっている最上の力より以下の仕事をしてはならない、とするリルケの言葉は私たちも死ぬまで忘れてはならないものであろう。」と述べて仕事に没頭している。「後日に思いを残す未練が生じないように、その時点において思い浮かべるすべてを書き尽くすつもりで集約の気分に発してとりかかる姿勢を常に私は基本方針としていた。」と、谷沢永一がいうのと同じ厳しく固い決意である。最上の仕事の連続が生きている証となって結実するのだ。持てる力を十全に発揮した仕事をしよう。