MLBの全選手がジャッキー・ロビンソン(黒人初のメジャーリーガー)の永久欠番「42」をつけた日。

ドジャーズの試合をみていたら、プレーしている全員が「42」の背番号をつけていた。4月15日は黒人のジャッキー・ロビンソンが初めてメジャーデビューを果たした日で、ガラスの天井をうち破ったその偉大な貢献を記念して1997年に永久欠番となった42の背番号をつけている。永久欠番は1939年のルーゲーリッグの4番から始まる。

有色人種の大谷もいずれ野球殿堂入りし、永久欠番になるだろうが、それはロビンソンが道をつけてくれたのだ。

日本でも導入されている。巨人では1番の王、3番の長島、4番の黒沢俊夫、14番の河上、34番の金田が永久欠番だ。こういった制度は、サッカー界やホッケー界などにもある。人物で歴史に思いを馳せる、こういった制度は素晴らしい。

さて、ジャッキー・ロビンソンとは誰か。

ジャック・ルーズベルト・ロビンソンJack Roosevelt "Jackie" Robinson1919年1月31日 - 1972年10月24日)は、アメリカ合衆国プロ野球選手内野手)。1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。

ニグロリーグマイナーリーグを経て、1947年メジャーリーグデビューし通算10年プレー。ナショナルリーグMVP 1回。1949年新人王。。1947年首位打者 1回:1949年盗塁王 2回:1947年、1949年。MLBオールスターゲーム選出 6回、1949年 - 1954年。。

1962年には1939年のルー・ゲーリッグ以来となる有資格初年度で野球殿堂入り。1997年にはロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となった。

 2013年4月12日、彼を題材とした伝記映画『42 〜世界を変えた男〜』が公開され、4月第2週(4月12~18日)の全米映画興行収入ランキングで初登場首位を飾り、野球映画史上最高のオープニング記録を打ち立てた

 「「不可能」の反対は、「可能」ではない。「挑戦」だ!!」

「もし、他人に何かのインパクトを与えるような、生き方が出来なかったとしたら、人生などそれほど重要なものではないと思う」

ジャッキー・ロビンソンは「一流になれ、そうすればものが言える」と言った。有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。その道のりは苦難をきわめた。しかし敵を実績と人柄で黙らせて尊敬を勝ち取って一流の人物になっていく。「ものがいえる」、ということは人が意見を聞いてくれるということである。人に影響を与える。それが高い価値のある人生なのだ。

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夕刻は、温泉「森の彩り」

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「名言との対話」4月15日。柳生博「日本人のいちばんの魂の置き場所は野良仕事だと思う」

柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年昭和12年〉1月7日 - 2022年令和4年〉4月16日)は、日本俳優司会者タレント声優団体役員

茨城県出身。東京商船大学に入学するが、禁止になり断念し中退。俳優を目指す。映画『あれが港の灯だ』でデビューし、30代後半の連続テレビ小説『いちばん星』の野口雨情役で広く名を知られる。クイズ番組『100万円クイズハンター』の司会を担当した。『平成教育委員会』の解答者や『生きもの地球紀行』のナレーションも長く担当するなどマルチに活躍。NHK大河ドラマ竜馬がゆく』『八代将軍吉宗』に出演している。味わいの深い演技は定評があった。

自然愛好家であり、1976年に八ヶ岳山麓北斗市に一家をあげて住み、作庭家としても活動した。自宅周辺に1万本以上の植林を続け、息子の柳生真吾(2015年に47歳で死去)とギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を開設した。日本野鳥の会」の第5代会長、名誉会長に就任している。

柳生博加藤登紀子 自然を生きる 自分を生きる』(河出書房新社。2019年刊行)を読んでみた。八ヶ岳の柳生と鴨川の加藤の対話を本にしたものだ。

柳生家は江戸時代の柳生新陰流の末裔である。その柳生家には「男子は13歳になったら一人旅をさせる」という家訓がある。博は中学2年で八ヶ岳へ旅をする。それ以来、人生の節目ごとに訪れている。

もともと吃音であったのだが、山村聡という名優が、「どもりくらいの方が役者として大成するんだよ」「おまえ、40歳くらいになったらいい役者になるんじゃないか」と励ましてくれた。

柳生は八ヶ岳へ移住してくる若い人たちに希望を託している。また高梨沙羅大谷翔平の生き方や言葉に感銘を受けている。

以下、柳生博の言葉。

「老人が貧乏くさくなったらダメだよ」。「お金を出すことと、挨拶は短くすること、そこにジョークを投入できればなおよし」。「オール・オア・ナッシングではなく、いま可能な範囲での改善策を講じることの大切さ」。

NHK「あの人に会いたい」では野良仕事の魅力を「森を切り植えて、切って植えて、花を咲かせて、鳥を呼んで、これを幸せと言わずして、「何を!」という感じです」と語っている。

野を良くするのが野良仕事なのだろうか。こういう幸福感は日本人の幸福感なのだろう。

柳生博は「木を植える」ということを続けた。そして若い人を育てた。同じことである。木は人であったのだ。