視点と視座--佐々木俊尚「キュレーションの時代」(ちくま新書)

佐々木俊尚「キュレーションの時代」(ちくま新書)を読了。情報社会の未来とそこへ至る道筋が見える素晴らしい本。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

この本が提供した情報の未来のビジョンは以下の通り。

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世界の情報を流通させる巨大なソーシャルメディアプラットフォーム。
その上に形成されていく無数の情報ビオトープ
それらのビオトープに接続し、視座を提供する無数のキュレーターたち。
そしてそれらキュレーターにチェックインし、情報を受け取るフォロワーたち。
グローバルなプラットフォームの上で、コンテンツやキュレーター、それに影響を受けるフォロワーなどが無数の小規模モジュールとなって存在する。その関係性はつねに組み替えられ、新鮮な情報が外部からもたらされていk。
そういう生態系の誕生。

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ビオトープとは「情報を求める人が存在している場所」という意味だが、そういう小さな圏域の中で濃密な情報流通が行われている。圏域の中である種の物語のような文脈という意味でのコンテキストによって相互に「関係」を確認していく。

この本の中では、視点と視座についての説明が新しい。視点は視座の一部だ。

視点「情報のノイズの海に差し込まれた杭」「杭のまわりの水流に手を伸ばせばよい」「ものごとを見る立ち位置」「キーワード」「ジャンル」

視座「どのような位置と方角と価値観によってものごとを観るのかという、そのわくぐみのことです。」「立ち位置だけでなく世界観や価値観など、そこには人にしか持ち得ない「人の考え」が含まれている。」「他者の視座にチェックインしして、その人たちの視点で世界を見ていくと、鮮やかな新情報が次々と流れ込んでくる。」「視座にチェックインし、情報のノイズの海を渡る」

  • 「共鳴と共感を生み出すためのコンテキストの空間が絶対不可欠であって、そしてそのコンテキストを生み出すためには、検索キーワードや場所や番組といった「視点」の杭だけでは成り立たない。
  • 「人が介在することによって、「杭」は立ち位置や見る角度といった「視点」だけではなく、世界をどう見るのか、どう評価するのかという世界観や価値観という「視座」に進化する。」
  • 「私たちはその「視座=人」にチェックインすることによって、その人のコンテキストという窓から世界を見る」

「事実の真贋をみきわめること」は難しいけれでも、、、「人の信頼度をみきわめること」の方がはるかに容易である」

この「視座」を提供する人が、「キュレーター」と呼ばれている。視座の提供がキュレーションだ。キュレーターとは情報を司る存在という意味につかわれるようになっている。キュレーションとは、収集し、選別し、そこに新たな意味づけを与えて、共有すること。そしてコンテンツ(内容)にコンテキスト(文脈)を付与する人がキュレーターである。

細分化した圏域で閉鎖的になっていく文化と、インターネットによってアンビエント化し開放的になっていく文化の共存。断絶と共有の同時化。こういう世界では、ローカルなコンテンツがグローバル化する時代になっていく。国毎の垂直な情報圏域では、マスメディアは崩壊しミドルメディア化して)細分化していく。一方で、細分化されたミドルメディアはグローバルな方向に水平に流動化していく。

多様性を許容するプラットフォームが確立していけば、多様性を保ったまま他の文化と融合して新たな文化が生み出される。つまり、グローバル化とローカル化は同時並行的に、相互依存的に起こってくる。そういう世界になりつつあるということだ。

情報社会の先頭を走るキュレーター・佐々木俊尚さんのキュレーション活動は次の通り。キュレーターになる法。
グーグルリーダーに700のサイトを登録。毎日、500から1000の記事の見出しに目を通し、その中から数十の記事について本文を読む。その中から重要な記事は、自分のためにブックマーク。このブックマークを「なぜ重要か」というコメント付きでツイッターで提供する。1万だったフォロワーが、一年余りで10万人近くまで増えた。十数本の記事をコメント付きでツイッターで紹介すると数百はリプライが返ってくる。

人類の長い長い歴史と、世界の広い広い空間を、佐々木さんの視座を借りて旅をした感じになった。深い深い名著である。