「海遊録--朝鮮通信使の日本紀行」(申維翰, 姜在彦訳注・東洋文庫)を読了。
- 作者: 申維翰,姜在彦
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1974/01
- メディア: 新書
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徳川吉宗の将軍職襲位を賀すために朝鮮から派遣された朝鮮通信使に製述官として随行した申維翰の日本紀行。
1719年4月にソウルを出発し、翌年正月に復命するまでの「死生冥海の役に身を駆ることとなった」著者の261日間の詳細な記録である。
朝鮮と日本とは抗礼という対等の礼を行う対等外交ということになっていた。
日本は国号を大和としたが、梁の武帝が大和を改名して野馬台(邪馬台)にしたという世伝を記している。
日本の風俗、景色、人情、社会の有様などが日々余すところなく記されており、読者も江戸時代の様子を眼に浮かべることができる。著者は「眼で見、足で踏んだものは、何一つとして、世間の奇異にあらざるはない」と述懐している。日本人とのやり取りは朝鮮語を操る翻訳官以外とは筆談であった。
- 日東の俗は、たいてい人に克ことに務め、克ちえないなら死あるのみとする。
- 女は艶やかな黒髪に花簪、鼈甲の櫛を挿し、顔には脂粉をほどこしている。そして紅緑彩画の長袖を着て、宝帯を腰に束ね、腰は細くて長い。
- 観衆のざわめきは林の如く、往くほどにいよいよ盛んとなり、我が目境の接するとこと、煩わしさに堪えられない。
- 日本の官職は、世襲をもってするゆえに、人を択ばず、怪鬼の如き輩がいずくんぞその任を能くなしえようか。笑うべきことだ。
- 器が不潔であっても食わず、主を見てろう色(いぶせく醜い)であっても食わない。列店に美女が多い所以である。
- 結構は新浄にして、一点の塵もなく、、
- 医学は、日本でもっとも崇尚するものである。
- 女性の容貌は、多くのばあい、なまめかしくて麗しい。
- 家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたないに狎れあう。
- 日本の男娼の艶は、女色に倍する。
朝鮮通信使一行は400人を超える異国からの大代表団であり、毎日のように士人、文士、庶民が怒涛のように押し寄せて「書」をねだる姿に驚愕しつつ、眠る時間や食事の時間を削って対応している。
- 遠近から詩を求める者跡を絶たず、紙幅を積み上げて書を乞う。書き終われば、薪を積むが如くにまた集まる。
- 詩を乞う群倭が環立して人垣をつくっている。
- 海外の所山を考えうるに、富士山に並ぶものはないであろう。
- 大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。
- 我が国の事をどうしてかくも詳細に聞いているのか、、、けだし、彼らは、自国の故事については曖昧である。
- 秀吉は、大阪に居て兵を苦しめ、貨を汚し、人の髄を剥ぎ、人膏を、、、その奢侈欲にあき、手遅延や草木も範金、布金の観あるにいたった。
- 平賊秀吉が、奴隷から身を起こして源信長に代わり、王となった。、、家康は、、けだしまた人傑である。吉宗は、人となりが精悍にして俊哲、、。気性が魁傑にして、かつ局量あり、武を好んで文を喜ばず、倹を崇んで華美を斥ける。
- 雨森「(秀吉)は、少しの功徳もない。」
雨森東(芳洲)とは同志であり、かつ好敵手であった。
- 顔面は藍色で語は重く、胸中を吐露しない。、、ときに年52.毛髪は半白であった
- 狼人である。、、獅子の如く吠え、針鼠の如く奮い、牙を張り、、、。
- もし彼をして国事にあたらしめ、権を持せしむれば、、、。名は一小島の記室にすぎぬ。
- 傑出した人物である。よく三国音(日本・朝鮮・中国)に通じ、よく百家書を弁じ、、、