「名言との対話」1月8日。周恩来。
- 「改革といっても、革命といっても、自分から始める以外にない。」
- 神田神保町の小さな愛全公園のなかに「周恩来ここに学ぶ--東亜高等予備校跡」と書かれた碑が建っている。周恩来には日本留学経験がある。1917年に19歳で日本に留学しこの予備校(初代校長・松本亀次郎)で日本語を学び大学進学の指導を受けるが、果たせず失意のうちに1919年に帰国する。「十九歳の東京日記」(小学館文庫)には1年数か月の青春の苦悩が記されている。あの優れた指導者も必ずしも順風な人生ではなかったのだ。今日は周恩来の命日。
- 文化大革命の時に、孫文の銅像が破壊されようとしたとき、信義を大切にする周恩来が「日本の大切な友人である梅屋庄吉から贈られたもの。決して壊してはならない」と止めて難を逃れたことがある。それは中国革命を支援した梅屋庄吉の財によるのだった。
- 「「建国の父」毛沢東より5歳年長の周恩来は「建国の母」といわれた。最古参の共産主義者として国民党との内戦を勝ち抜き、そして1949年の中華人民共和国の建国から1976年に死去するまで実に26年間首相を務めている。この間、文化大革命など様々の試練が襲うが、民衆の支持があり一度も倒れないから不倒翁と呼ばれた。新中国ではもう一人不倒翁と呼ばれた人物は改革開放路線を主導した蠟小平である。蠟小平は何度も失脚しながら最終的に起き上がるが、周恩来は一度も倒れたことがない。現在の中国は二人の不倒翁の敷いた路線によって羽ばたいている。
- 暴力ではなく、道義によって中国革命を成功させようとした周恩来は、自己を強化し自己を鍛え抜いていくことこそが大事であると信じている。全ては自分自身の問題だということを教えてくれる。。