多摩大学「入学のつどい」(平成20年度)--新職場での仕事が始まった

k-hisatune2008-04-05

新しい職場である多摩大学での最初の公式行事である入学のつどいがあった。
今年は歩留まり率が高く経営情報学部では天津の大学からの留学生を含め405名が入学した。
野田一夫学長代行(1989年ー1995年初代学長)は意気軒昂で、次期学長予定者である寺島実郎さんの代行としてつとめると挨拶した。原稿なしの挨拶で、80歳とは思えぬ精悍な表情で場を支配した。声にはりがあり、内容も心をうつ。野田先生は優れた教師であることを改めて実感した。
洞爺湖サミット会場の北海道のホテルでの準備会合出席のため出席できなかった寺島実郎(副学長)さんはビデオによるメッセージで登場。多摩大学将来構想委員会座長として活動するなど多摩大との縁が深まっている。20歳にならんとする入学生だが、1989年から1990年生まれが多いと思うが、1989年はベルリンの壁の崩壊、91年はソ連崩壊という時代だった。グローバル化とIT革命の掛け算の20年だった。人は環境の子である。人生で何をやるか?大学時代は人生の基盤づくり。リレー講座では6回講義をする予定で、一流の発信者の主張を聞いて欲しい。ものごとを深く考える力を身につけた社会人となって時代と正面からぶつかって欲しい。
新入生代表の挨拶もよかった。経営情報学部の代表は不登校をテーマに入学した女性で、メモをみながら笑みを浮かべて挨拶。人生の充実、仲間づくり、社会に向けての朝鮮を宣言。グローバルスタディズース学部代表は、ペルーから来日した学生で英語のスピーチコンテストなどで優秀な成績をあげ、将来は国連やNGOなどで子供の教育に関わる仕事をする夢を持っている。
在校生はサークル連合本部長をつとめる3年生でゆったりした口調で、大学には挑戦する歌いや環境がそろっていると話す。グローバルスタディーズ2年生の一期生は、英語でのスピーチだった。スポーツジャーナリストとして世界を舞台に活躍することを考えている学生だった。
設立母体である田村学園の田村邦彦理事長は、日本は場当たり的な対応に追われているとして「荘子」にあるわだちの中の鮒の逸話をあげて、差し迫った問題に対処すると同時に根本的、構造的な問題解決にあたれと、問題解決能力の養成を訴えた。
表彰式では大学の名誉を高めた集団や個人の表彰。
そして全教員の紹介が壇上で行われた。その後、学園歌斉唱。学園歌「この輝ける日々よ」は、阿久悠作詞、三木たかし作曲である。これも初代学長の野田先生の人脈のなせる業だ。ちなみに宮城大は、野田先生の友人の小椋桂による作詞・作曲だった。
壇上に新入生代表などの学生が最初から座っている点など自由な雰囲気が満ちているとの印象を持った。

その後、引き続き大学院の入学式に出席。博士課程2名、修士課程32名。
野田代行からは、この大学院は専門職大学院のさきがけという位置づけであること、対象はビジネスでそれぞれの専門家が役に立つことを教えるのがこの大学院の考え方であること、入るより出ることに価値があることなどが語られた。田村学園の田村嘉浩常務からも励ましの挨拶。
研究科長は総合する力を強調、同窓会副会長からは説得力のある励ましがあり年間240万円の奨学金の説明もあり、院生会代表からは成長するチャンスを得たこととモチベーションの維持についてのアドバイスがあった。多摩大学大学院は700名の卒業生のネットワークがあり、同窓会が活発に活動している。
。実務経験3年以上が入学の条件になっているため、会場にいる大学院生は全員が30代から40代初めの社会人である。壇上から眺めていると目が違う。意欲にあふれている表情をしていてすがすがしい。春と秋に入学できて一学年60名定員。
ラウンジで野田先生を囲んで大学院の先生たちと昼食の弁当を食べながら懇談。
午後は大学院生に対するガイダンスに出席。各先生たちが自分の講義の内容を説明するという時間である。
各先生の説明を聴いているとかなり高度な内容であると感じた。サントリー日本郵船電通などの実務経験豊富な専門家が多く、実に興味深い。わたしはナレッジマネジメント・情報デザイン分野に属すことになっており、「実践知識経営」という講義を通年で持つことになっている。図解コミュニケーションは知識経営にあたっての有力な武器であるということでこの講義名になった。企業経営、コミュニケーション、考える社員、全体と部分、構造と関係、問題解決などをキーワードに説明をした。

朝9時から夕方までびっしりと続くプログラムだった。いよいよ新しいステージが始まる。