T-Studio「名言との対話」:センテナリアンの「片岡球子」(第23回)と「日野原重明」(第24回)をリリース。

「副学長日誌・志塾の風」171121

多摩大T-Studio「名言との対話」で2つをリリース。

「異次元の高齢化に立ち向かうために、何が必要なのかを、センテナリアンと呼ばれる100歳の人生を生き抜いた先人の名言から答えを見つけていきます。」

www.tama.ac.jp第23回「片岡球子」。日本画家、103歳。

片岡 球子(かたおか たまこ、1905年明治38年)1月5日 - 2008年平成20年)1月16日)は、昭和平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者文化勲章受章者。北海道札幌市出身。

www.youtube.com第24回「日野原重明」。医師。105歳。

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 - 2017年(平成29)7月18日[1])は、日本医師医学博士聖路加国際病院名誉院長上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを務めた。

www.youtube.com午後。

・研究室で事務処理

・ラウンジ:水嶋教務課長と「授業評価」(voice)の数字について確認、全学の統一が必要。杉本係長と「多摩大式コンピテンシーの構造と評価」の図、「戦略会議」の国際交流の打ち合わせ。

 夕刻。

・多摩大目黒高校で橘川先生と一緒に松井先生から教室見学と説明を受ける。

・橘川先生と懇親:いくつかの案件を考える。

 

「名言との対話」11月21日。伊藤昌哉「優れたリーダーには、三人のブレーンがいるということです。この三人というのは、一人はジャーナリスト。二人めは医者。そして三人めは宗教家なんです」

伊藤 昌哉(いとう まさや、1917年11月21日 - 2002年12月13日)は、日本の政治評論家。池田総理の首席秘書官

伊藤昌哉「池田勇人 その生と死」(至誠堂)。西日本新聞政治記者で筆力があることもあり池田勇人の総理時代の様子があますところなく描かれている出色の本である。この本は、本来「安保からオリンピックまで 在職4年4か月」という題で池田勇人総理の回想録として出版されるという約束になっていた。一度も約束を破ったことのない池田総理ではあったが、ガンで退陣を余儀なくされ、1年を経たずして亡くなった。秘書として仕えた著者の伊藤昌哉は、ずっとつけてきた日記をもとに、この書を完成させた。最後に、鎮魂歌として伊藤は「私が本当にあなたのなかに生きれば、こんどは私のなかにあなたが生きてくる。池田あての私から、私あっての池田にきっとなる。私はそう思ったのです。」と書いている。
池田総理が発するすべての文章を書いていた伊藤昌哉は、後には政治評論家としてテレビで鋭い情勢分析をする人として記憶している。

池田総理の秘書官を努めている間に、お供して世界の首脳に数多く会った伊藤は彼らの共通項を3人のブレーンを持っていることとみた。批判してくれるジャーナリスト、激務を乗り切るための健康を司る医者、そして宗教家だ。宗教心の厚かった伊藤らしい見立てである。

池田勇人総理は「私心をなくして、薄氷を踏む思いでやって、なおかつたりない。そのたりないところは偉大なものにおぎなってもらうよりしかたがない」と語っていた。その偉大なものとは宗教であり、それを体現した宗教家だろう。