東京ステーションギャラリーの「横山崋山」展。

「横山崋山」展。東京ステーションギャラリー。累計850館目。

漱石の『坊ちゃん』の中に、ある青年との掛け軸と金子のやりとりがでてくる。この掛け軸が「崋山」の軸と青年は言う。坊ちゃんは印譜を調べて「渡辺崋山も横山崋山にも似寄った落款がない」というくだりがある。明治時代までは「二人の崋山」と呼ばれていたのだ。海外に渡った作品も多く、忘れられた絵師となった。その復活の初めの企画展である。

横山崋山は画題によって画風を自由に変えることができた。狂気と毒気に満ちた曽我「蕭白」風の絵、ユーモラスな表現に満ちた「人物」絵、おとなしい「花鳥」図絵、パノラマ鳥瞰図の「山水」絵や独特の富士山、蘭亭曲水図、京を描いた花洛一覧図、またドキュメント風の天明火災絵巻や動物仮装のちょうちょう踊図屏風などの「風俗」、そして描き方の面白さと同時に記録的価値の高い上下合わせて30mを超える「祇園祭礼図巻」は詳細な実地調査に基づいている。 

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「名言との対話」10月16日。保直次「夢を見、夢を追い、夢を喰う」

保直次(1916年2月5日-2012年10月16日)は、実業家。徳之島町名誉町民。享年96。

 鹿児島県徳之島出身。神之嶺尋常高等学校卒業、出征復員後1948年鹿児島市でキャンディーストア開業、1961年城山観光ホテル(株)を設立し鹿児島市の高台城山に城山観光ホテルを開業。1969年には福岡に博多城山ホテル開業。城山合産(株)を設立し養殖事業を奄美等で展開。先見性と独創的経営で城山観光グループを1代で1000億企業に育て、鹿児島経済界に多大な功績を残した。

鹿児島と姉妹都市となったイタリア・ナポリの高台に立って眼下の地中海の広がりと遠くのベスビオ火山を見渡して鹿児島の錦江湾および桜島と比べ、「よしっ!このような景勝の地にホテルを建設しよう」と思い立って城山に着目し、東洋のナポリの地に城山観光ホテルを建設する。このホテルは鹿児島のシンボルとなった。天皇陛下や重要人物の常宿にもなっている。私の九大在学中の1970年に博多城山観光ホテルができ、外人女性を起用したパンフレットなど話題になった。この開業の前後に博多東急ホテル西鉄グランドホテルなどができ、福岡がコンベンション・シティとして始動する契機になった。

徳之島は、横綱朝潮太郎、コメディアンの八波むと志、長寿者の泉重千代などを生んでいる。この島の景勝の地に保直次の信念を刻んだ立派な記念碑が建てられ、信念「夢を見、夢を追い、夢を喰う」が彫られている。後年、妻の好子は「城山には自分の生命をかけ、男冥利(みょうり)に尽きたと思う。ロマンを追い求め、事業家として足跡を残せたことを誇りに思う」と故人をしのんだ。保直次は夢とロマンを追い求めた人である。夢を見なければ、実現することはない。