「中興の祖」に関する本を3冊読了。
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童門冬二『中興の祖の研究』(PHP)
徳川吉宗の「享保の改革」:食糧増産による少子化対策が成功し人口増加は522万人。細川重賢(熊本藩主):目標・方法・人材登用。毛利重就(長州藩主):長州士民の救済という目的。松平頼恭(高松藩主):自主的にテーマを設定し、その研究をおさおさ怠らない人物を登用。
中興の祖に学ぶ点は「志」。中上川彦次郎(三井):有為の青年を次々と採用。土光敏夫(東芝):「社員はこれまでの三倍頭を使え。重役は十倍働け。自分はそれ以上働く」。言動一致。
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下村彰義『停滞はこうして打ち破れーー中興の祖に学ぶ組織活性化12則』(PHP)

停滞はこうして打ち破れ!―「中興の祖」に学ぶ組織再活性化12則 (1982年)
- 作者: 下村彰義
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1982/08
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川口奏生『江戸諸藩 中興の祖』(河出書房新社)。
野中兼山。松波勘十郎。恩田木工。二宮尊徳。山片蟠桃。調所広郷。渡辺崋山。村田清風。以上藩主の補佐役。
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今日の収穫
外山滋比彦が『伝達の整理学』(ちくま文庫)を書いた。1983年の『思考の整理学』(筑摩書房)は234万部を記録。95歳となった外山はすでに300冊を超える著書を刊行している。「思考」に続く「伝達」の本である。
私はビジネスマン時代の著作から、ビジネスコミュニケーションを「理解」「企画」「伝達」と表現してきた。少し難しくいうと、「認識」「思考」「表現」。やさしくいうと「よむ」「考える」「かく」としてきた。企画は外山のいう思考のことであり、インタビューでも「伝えたいよりも、表現したいんでしょう」と答えているから、同じ思想である。(東京新聞2019年2月3日、より)
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午後:一般入試一期二日目。本部詰め。杉田、金、久保田先生と懇談。読解力、科学、教養などについて自説を述べた。
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「梅棹忠夫先生と市民」。まず知研のメンバーの追悼文を読了。いい企画になる。
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1月から大学への往復で、なるべく歩くようにしている。ウオーキングの友はアイフォンでのユーチューブや聞き逃し配信だ。今日は往復で有島武郎の『小さきものへ』を聞いた。幼くして母を亡くした3人の子どもたちへの愛情あふれ遺言である。涙がでるほどの名作。
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夜は、NHK大河「いだてん」。東京高師で加納治五郎に学んだ祖父を偲びながらみる。
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「名言との対話」2月3日。村田昭「独自の製品」
村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日 - 2006年(平成18年)2月3日)は、実業家である。村田製作所創業者。
病弱のため京都第一商業を中退し、碍子(がいし)製造の家業をつぐ。1944年村田製作所を設立。1946年からチタンコンデンサーを製造、ラジオの普及とともに業績をのばす。のちにセラミックコンデンサーのトップメーカーとなり、多国籍企業化をすすめた。
不思議な石ころ、とはエレクトロニック・セラミックスのことである。精製された酸化チタンや炭酸バリウムなどの化学原料を焼き固めたものだ。電気を蓄える、電気で伸縮する、伸縮させると電気を発するなど、多様で不思議な特性を持っている。現在では家庭、産業、医療、宇宙ロケットなど多岐にわたって使われている。まだ未解明の性質も多く、無限の可能性を秘めている。村田昭はこの石ころに憑りつかれた。
「事業家としての私の人生を振り返ると、まさに運・鈍・根そのものだった。私にあったのは幸運と遇直さと根気だけ。苦しい時には必ず助けてくれる人が現れた。事業家に一番大切なものは、遇直なまでの誠意である」。日経新聞に書いた「私の履歴書」を膨らませた『不思議な石ころ』を読むと、苦しい時には助けてくれる人が現れる。その源は愚直なまでの誠意である。その言葉には心から納得できる。
京大を中心とする大学研究室の知恵を借りながら製品を世に出し、研究者に入社してもらって思う存分力を発揮してもらい、そして縁のあった人の助言を受け入れて、少しづつ着実に事業を拡大していく物語だ。この村田製作所の歩みは、まさに産学連携のモデルである。「技術者でも商人でもない私がここまでこれたのは、人に恵まれたからである。私の半生は多くの方々との幸運な出会いと、温かいご援助に支えられ続けた賜物なのである」。
村田昭は技術者には自由な雰囲気の中で新しい技術に挑戦し、成し遂げ成功してもらうようにすることを意識してきた。技術者には自由を、従業員には誇りを、地域には喜びを提供しようという考えだった。 今回の平成不況については、1994年の時点で「もうしばらくは、景気が悪いような気がする」と書いている。その通りになった。
「独自の製品」には貿易摩擦など無縁である。村田昭は若いころに父から教わったこの信念を貫き通した。独自の製品を開発し続けて、独特の風貌を持つ一目おかれる企業になった。そういう企業には強力なライバルはいない。個人にとっても独自のテーマを持つことがいかに大事かということを教えてくれる。「独自」こそブルーオーシャンへの道である。