日本シャンソン館ーー芦野宏記念館ではない。

新潟、群馬の旅を終えた。人物記念館は7人。芦野宏、生方たつゑ、塩原太助、宮柊二田中角栄会津八一、良寛。これから資料を読み込んで人物を描いていく。

歌を詠む人は4人だった。刺激を受けて温泉に浸かっているいる間に俳句がいくつかできた。「黄金の 海漕ぐ車 秋越後」「上中下 越の路ゆく 秋の風」「浅き秋 湯の庭すべて 山水画」。

今朝、9月1日の「名言との対話」のエドウィン・ライシャワーも書いた。

http://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2019/09/01/071744

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芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本シャンソン歌手声楽家

芦野宏シャンソンは『こころの歌』とも言われていますが、歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくるものだと思います」

日本に於ける1950年代後半から1960年代前半にかけてのシャンソン・ブームの立役者のひとりでもあり、『NHK紅白歌合戦』には1955年から10年連続出場を果たしている。また、俳優としてもテレビドラマ『コメットさん』(1967年TBS国際放映)や映画『天使の誘惑』(1968年松竹)に出演している。テレビでうたう姿は記憶にある。

1995年に私財を投じて日本シャンソン館群馬県渋川市に開設し、自ら館長としてシャンソンに関する資料収集や展示、又はミニライブなどのイベントを積極的に進めた。日本シャンソン館は、1階展示室・2階展示室・多目的ホールシャンソンライブをおこなえるシャンソニエなどがある本館、保存庫、パリのカフェを再現したカフェ「ロゾー」、日本一の品揃えを誇るショップ、四季折々の草花のある庭園がある本格的なものであり、現在も稼働している。志をこのような形で残すことは素晴らしい。

2010年7月には石井好子の後を受けて第2代日本シャンソン協会会長に就任し、後進の育成と指導、そして現役歌手としての音楽活動も行っていた。

「生涯、大好きな歌に生きて、皆様に愛され、惜しまれながら旅立つことが出来て幸福な人生だったと思われます」と夫人はお別れの会で礼状に記している。

芦野が歌った「幸せを売る男」の歌詞は「心にうたし 投げかけ歩く 私は街の 幸せ売りよ いかがですか そわかときくあ  いかがですか ありがとうは 私どもの商売は 幸せ売る商売 夏も秋もいつの日も 歩きまわる仕事  あなた方が悩み深く 笑うことを忘れた時  この私を思い出せば 悩みなどは消えて笑顔」である。
「歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくる」。これはある歌い手に対して芦野が語った言葉だが、それは芦野自身についても言えることだろう。「幸せを売る男」の歌詞と歌う姿を思い出すと、シャンソン歌手としての芦野は、まさに幸せを売る男だったという感じがする。

以上は2月4日の「名言との対話」で書いたものだ。今回の日本シャンソン館の訪問ではまた違った面をみた。芦野宏は二科展にも入選するほどの絵描きでもあった。この館の二階のシャンソニエでは土日にシャンソンのコンサート(4000円)が開かれており、この日も開催前に歌手や演奏家が、そしてセンスのいい婦人などが次々と集合していた。シャンソン関係の物品販売所、保存庫、庭園などもある。雰囲気のいい空間だ。日本シャンソン館は1995年の開館。来年には25周年を迎える。生きている記念館だ。芦野宏記念館ではなく、日本シャンソン館と命名したのは志が高い。

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「名言との対話」9月3日。文鮮明「幸福は、人のために生きる人生の中にあります」

文 鮮明(ぶん せんめい、朝鮮語: 문선명、ムン・ソンミョン、1920年1月6日陰暦)- 2012年9月3日)は、韓国宗教家

世界平和統一家庭連合(統一教会)、国際勝共連合を含む統一運動の創立者。学生時代から名前は知っていたが、評価は両極端に分かれる人だった。異端、似非、という枕詞が生涯ついてまわり、誹謗中傷を受け続けた宗教指導者である。

2009年に刊行された自叙伝『平和を愛する世界人として』の日本語版を読んだ。本人が直接記した自叙伝は読みごたえがあった。風聞だけでは人の真意はわからない。16歳でイエスと神様に出会う。1941年、19歳で日本留学。暴利をむさぼらず、稼いだ金は貴い目的である神様の仕事である宣教活動のために使った。旋盤機械、漁業、マグロの加工工場、販売、レストランの経営など事業を大きく展開した。韓国・北朝鮮アメリカで計6回の悲惨な獄中生活を送る。アメリカでの40年近い活動を行う。数次にわたる世界巡回を実施した。そのとき、韓国の土と石を訪問国に埋め、持ち帰った土と石を韓国に埋め、朝鮮半島と世界をつなごうとした。

文鮮明によれば子孫に残すべきものが二つある。伝統と教育だ。ハングルは子音と母音の単純な組み合わせだけで、あらゆる音をすべて記すことができる。この伝統を大事にする。そして芸術学校、国際中高等学校、大学などを世界各地で建てて運営した。教育者は、自分一人が裕福に暮らす方法ではなく、私たちの時代のあらゆる社会的な諸問題を解決することのできる知恵を教えなければならないという方針だった。人類の飢餓問題を解決のためには種を蒔く心が必要であり、パンをあたえるよりも技術を教えることが大事だとして教育活動に力を注いだ。

朝鮮半島は地球に唯一残った分断国家であり、世界情勢の縮図であり、半島が統一されれば世界が統一されるとの信念を持っていた。ドイツ統一の研究の結果、東ドイツの権力者に「統一されても命の危険はない」という信頼を植えつけたことが成功の大きな要因だとみている。韓国が北朝鮮を思って為に生きるときにこそ、北朝鮮も心を開くという。世界の指導者たちと会い続けた。北朝鮮訪問では、金日成主席から「核が平和目的にのみ使わなければならない」と文の主張に同意されている。

道を切り開き、道を案内する人・文鮮明は、青年時代から「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」を座右の銘として自己を鍛錬した。そして「為に生きる」という原則を持っていた。「自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません」「志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです。志を立てることは、木を植えることと同じです」という。真の人生は、世界的な宗教指導者が誰でも語るように、個人の私的な欲心を捨てて、公益のために生きる人生である。人は自分のためにはがんばれないが、人のためにはがんばれる。それが幸福への道だろう。

平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝

平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝