立志人物伝12回目。テーマは「日本への回帰」ーー司馬遼太郎、梅棹忠夫。柳田国男。東山魁夷。岡倉天心。柳宗悦。

志人物伝12回目。今年最後の授業。テーマは「日本への回帰」。前回のアンケートで杉原千畝について取り上げて欲しいという声があったので解説。

日本のインテリは西洋かぶれが中心だが、最後は日本に帰ってくる人も多い。

  • 司馬遼太郎:大阪外大蒙古語。産経新聞記者。日本史を書き換えた。司馬史観空海(774年)から坂の上の雲(日露)。誇り。竜馬がゆく坂の上の雲翔ぶが如く。1000万部ー2000万部超。NHK大河ドラマ。国民作家。梅棹の文化功労者パーティ、オーラ。俺は何しにこの世に、、。東大阪の記念館(安藤忠雄)透明感と清涼感。11m。古本屋。72歳。宮崎アニメ。街道をゆく(46歳から25年)。構成力。みどり夫人。
  • 梅棹忠夫:動物学・生態学民族学・文明学。文明の生態史観と情報史観(農業・工業・情報産業)。民博。知的生産の技術100刷。ダビンチと光悦。図解は曼荼羅。学問はモデル形成、図、新理論。オリジナルだけを書く。本は引用しないために読む。不勉強でよかった。自分の目と頭。フロンティアは興奮。思いつきこそ独創。知研50周年。65歳で視力喪失。生存の証・著作集!。月刊ウメサオ、3年で40冊。短文の連続。飾るな。カメラの日付。情報の再編。還暦「文明学シンポ」。比較文明学。万年助教授。民博創立。
  • 柳田国男:梅棹の45歳上。役人。関東大震災。本筋の学問。農村。民俗学。伝承、信仰、自らを知る学問、アイデンティティ。還暦から研究会。一国民俗学
  • 東山魁夷日本画。遅咲き。準備期間が大切。61歳で欧州、安定を捨てる。唐招提寺の壁画。鑑真との対話。63歳から72歳。
  • 岡倉天心:歴史の中に未来の秘密がある。変化こそ唯一の永遠である。日本画の再興。大観から平山郁夫まで文化勲章者多数。帝大の卒論。五浦の美術館。茶の本。東洋の理想。
  • 柳宗悦:民芸。庶民の生活に根ざした器物。古民家再生。白洲正子。日本民芸館(駒場)。インド人は思索、中国人は実行、日本人は鑑賞に長けて。眼。柳兼子夫人は声楽家

人生鳥瞰図の解説:例として、ユニクロ柳井正とセコムの飯田亮の人生鳥瞰図。

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ラウンジ:樋口先生と久米先生と懇談。

午後は都心に出かけるつもりだったが、コロナの感染者の増加もあり、自粛。

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「名言との対話」12月18日。田中美知太郎「時代感覚と永遠感覚。衰退か完成か」

田中 美知太郎(たなか みちたろう、1902年明治35年1月1日- 1985年(昭和60年)12月18日)は、日本の哲学者西洋古典学者。

新潟に生まれ東京牛込で育つ。京都帝大でギリシャ哲学を専攻。1945年に東京の空襲で思い火傷を負い生涯その傷跡が残った。1952年のサンフランシスコ講和条約の際には、多くが多数講和に反対する中で、小泉信三らと共に支持する側にまわった。

法政大、東京文理科大を経て、京都大学教授に就任する。日本西洋古典学会第2代委員長をつとめ、1968年には日本文化会議を設立し終身理事長であった。1972年 文化功労者。1978年 文化勲章。

プラトン』『ソクラテス』『ソフィスト』『ロゴスとイデア』などの著作がある。『田中美知太郎全集』(全14巻:筑摩書房、1968~71)、『田中美知太郎全集』(増補決定版・全26巻:筑摩書房、1987~90)がある。

オビに「最高の人生論!」と書かれた文春学芸ライブラリー『人間であること』を読んだ。田中美知太郎からは何を学ぼうか。

哲学者は真理を文字で表すだけでなく、時代の中で自らの生涯で明示しなければならないとする。26巻の全集が生涯の記録であるだけでなく、時代の中でどうふるまうかが哲学者としての重要なメッセージだという。サンフランシスコ平和条約支持の発言、保守系の日本文化会議での活動などがその証左であった。

古典研究者であり、保守論客であった田中は、今を生きるだけでなく永遠を生きようとした。簡単にヒットラー崇拝者になったり、大東亜共栄圏を論じたり、戦争に負けると突如平和主義者に変貌したりする友人、知人たちに心の中で絶交していたのだ。

近代の終りの40年と現代の始まりの40年を生きた田中は、普遍的なるものの追求者であった。時代感覚と同時に永遠感覚が重要であると考えていた。それは時代を越えたものを志向する生き方である。戦う哲学者であった田中は「平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていればそれで守られるというものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」と辛らつな発言もしている。

また「老年」については、ヘーゲルは文明をオリエントが子ども、ギリシャが青年、ローマは大人、西ヨーロッパが老人と考えていたと紹介している。最後の時代が最高の時代というわけではなく、努力や条件しだいで最高の段階に達することができるということであり、文明にも衰退もあるし、完成もあるという。

同様に人も年をとると誰もが衰えてゆくのではなく、孔子のように人間努力によって高い段階に向けて完成されていく人もいると紹介している。衰退していくか、完成に向かうか、この問いかけは高齢社会の生き方の重要な岐路であろう。田中美知太郎からは、「時代感覚と永遠感覚」、「衰退か完成か」の二つをいただくことにしよう。

 

人間であること (文春学藝ライブラリー)