YAMI大学深呼吸学部の橘川幸夫さんの講義を4時間堪能。

YAMI大深呼吸学部の橘川さんの講義。面白くて20時から24時まで聴いてしまった。

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地下アイドル。新しい学校のリーダーズロッキングオン。親密5人、悲しむ15人、交流の限界150人。ダンバ数。3万部の壁。佐藤シュガー。子ども芸術大学という保育所。お母さんの喜ぶ顔。仁上さんのトサケン。りてらしい塾。ニューヨーク公共図書館。札幌。内田勝週刊少年マガジン。1966年の巨人の星、1970年の明日のジョー。HDP(ホットドッグプレス)。デイズ・ジャパン。土屋さん。三五館。マンガコミュニケーション。21世紀企画書。スペースインベーダー。マガジンハウスの木滑軍団。平凡パンチ。ポパイ。作家と編集者の共同体の時代。80年代後半から変化。動的メディア(雑誌)と作品メディア(本)。リアリティとクオリティ。フェイクとリーク。リアリティ編集はネットワーク編集。本人たちの発信(大雪)。参加型。可能性と時代ライブ感。30分毎のBOT(深呼吸)にRTする人。参加型メディアはセルモーターしだい。RTとレスポン。2chの失敗。連鎖。雪だるま。編集者は正確さ(著者)と分かりやすさ(読者)で思いやる。人を育てることに喜び。編集と企画に金を払わない。FBのグループでネタを仕込む。情報のスクラップとアーカイブ。地域・新世代商品・カルチャー・交流。108の学科へ。五條堀先生(1月11日)。

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橘川さんとは1950年生まれの同年だ。同時代を生きている。

彼は東京、私は地方から出発(大分、博多、東京羽田、札幌、ロンドン、成田)した。東京にはいなかった。青春を過ごした「場」が違った。彼の原点はロッキングオンという雑誌創刊、私の原点は大学の探検部であり、「組織」についての取り組み方が違った。彼はメディアを「創業」し編集者、ネットワーカーとして不特定多数との対話で出発。私は大学探検部のプロジェクトで学び、大企業で日本海軍を手本に組織を相手に「改革」の連続をしながら成長していった。彼は70年代は音楽(ロック)が中心というが、私はまったく縁がなかった。

講談社内田勝軍団とマガジンハウスの木滑軍団。彼はどちらの出版社とも近くにいた。私はJALの雑誌担当の広報マンとして30代後半の2年間どっぷりと両社とつきあった。取材に必要な航空チケットを提供するという仕事だ。一枚の絵は一万字にまさる」という内田さん、ホットドッグプレス、デイズジャパン、土屋編集長、三五館。木滑さん、ポパイ、ブルータス、ターザン、石川次郎さん、、、など共通の場と人があったようだがすれ違って出会わなかった。30代の最初にアフターファイブ活動の知研で出会っていたが、30代後半にJALの担当として再び出会っていたら面白かっただろうな。

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TOKYO MX新番組「寺島実郎の世界を知る力 全体知への接近」
第3回目放送:12月20日(日)午前11時から。
 

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朝:ヨガ:呼吸とストレッチ。

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「名言との対話」12月19日。栗原すみ子「「占いは、人の運命を確定したり、未来を宣告したりするものではないんです。その人の過去や現在を深いところから読みとり、よりよい運勢を招くために、どんな努力や行動が必要なのかを見つけるための手段です」

栗原 すみ子(くりはら すみこ、1930年11月8日- 2019年12月19日)は、新宿の母」と呼ばれた占い師

新宿の母が伝えたいこと しあわせになろうね』というタイトルの自伝を読んだ。

生まれて間もない息子を実家に預け上京。 「自分の言葉で悩める人を励ましたい、一緒にしあわせになる方法を考えたい」と占い師になることを決意する。24歳だった。2年後あたりから、銀座、渋谷、池袋、中野、大宮、川崎、横浜、新宿で、おみくじを売り占いをする。27歳、占いの鑑定場所を新宿に定める。42歳、18歳の息子を呼び寄せる。44歳、四谷署から路上営業の許可。53歳、二度目の結婚。62歳、茨城県協和町に「幸せ観音像」を建立。73歳、「新宿の母」携帯サイト開始。74歳、鑑定人数が300万人をとっぱ。75歳、テレビドラマで自身を泉ピン子が演じる。88歳、占い師生活60周年、鑑定人数は420万人。

「率先して「いいところ探し」ができる人は、どんな場面でもモテるんですよ」「やさしい人の周りには、やさしい人が集まります」「しあわせな言葉を聞いているとしあわせになれる」「人生に無駄なことなんてひとつもないのよ」「あなたを高めるのは、あなた自身」「相性の悪さなんて乗り越えられるのよ」「「運がいい」というのは、、「あなたが運を味方にできるとき」という意味なのです。運がいいというのは、「今こそ行動しなさい」という意味なのよ」、、。

2006年12月22日には、占い師50周年を迎えたことを記念して、フジテレビ系列の金曜プレステージ枠にて、泉ピン子主演によるドラマ「新宿の母物語」が放送されている。また亡くなったとき、テレビで「新宿の母」がなくなりましたとのニュースが流れているのをユーチューブでみた。多くの人に影響を与えた、そうとうな有名人だったことがわかる。息子が引き継いだ「新宿の母」公式サイトでは「生前、占っていただいてありがとうございました。本当にありがとうございました」との書き込みがある。

占いとは何か。「占いは、人の運命を確定したり、未来を宣告したりするものではないんです。その人の過去や現在を深いところから読みとり、よりよい運勢を招くために、どんな努力や行動が必要なのかを見つけるための手段です」。「本当の占いは、どんなに悪い状況でも、前向きな気持ちになれるものです」。

新宿伊勢丹の入り口横のコーナーを確保した占い師・栗原すみ子は『○○の母』と呼ばれる女性占い師の元祖だ。その後、銀座の母、原宿の母、西新宿の母、浅草の母、池袋の母という女性占い師が続々と誕生する。私が家族でよくいった那須には那須の母がいて、運勢を占ってもらったものだ。私は公民館長のような仕事がまわってくるというお告げだった。そういえば、就職した頃、どこかの街角で占いに並んで、母のことを聞いたら「天寿を全うします」といわれたことがある。母は今年93歳だから当っている。その占い師は新宿の母だったかもしない。

 

新宿の母が伝えたいこと しあわせになろうね