「あしたのために あしたのジョー展」(世田谷文学館)

世田谷文学館あしたのジョー展」のオープンの16日に見てきました。

週刊少年マガジン」の1968年1月1日号から1973年5月13日号まで続いた、漫画史に輝く名作です。同じマガジンで連載していた梶原一騎の「巨人の星」と双璧の作品です。この時期は私の大学生時代であり、二つともファンでした。1960年代末は「右手にジャーナル、左手にマガジン」が団塊世代の姿でした。年配の夫婦の姿を多くみかけました。

原作は高森朝雄ペンネームは梶原一騎です。「あしたのジョー」は、ちばてつやと高森の二人の合作でした。矢吹丈(ジョー)の永遠のライバルの力石徹が紙面で死んだときには、寺山修司が葬儀を敢行しました。またよど号ハイジャック事件の犯行声明には「われわれは明日のジョーである」とあったことも話題になりました。社会的影響力が大きかったことがわかります。日本漫画史上最高傑作といってもいいでしょう。

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ちばてつや

・コマの割り方、つまり「演出」が作品の大事な命だと思いますね。

・完成させるとね、小さい一歩かもしれないけど階段を登れるんですよ。

・「マンガ」は「ガマン」なんです。

・どれだけの時間とエネルギーを費やせるかってことが勝負ですよね。

・一日一生と思うぐらいの気持ちでやっていました。 

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ちばてつやは1939年生まれだから、80歳を越えたところ。「あしたジョー」描いていたのは、20代の最後から30代の前半だったのか。手塚治虫は「自分がストーリー漫画を始めて以降、ほんとに新しいものを加えたのはちばてつやだけだと思っている」と語っています。

2005年からは栃木県宇都宮市文星芸術大学教授になっています。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から会長。2019年4月1日より文星芸術大学学長に就任している。人柄がよく、後輩の漫画家たちにもしたわれていることがよくわかるのだが、どこでも自然に押し上げられるようです。

2014年 には 文化功労者になっています。漫画家としては横山隆一、水木しげるちばてつや萩尾望都(2019年度。先日テレビ出演の姿をみた)の4人。ちばてつやは、長生きすれば漫画界初の文化勲章の可能性があります。そうなったら、漫画はほんとうに文化の領域に確たる位置を占めることになるでしょう。 

ちばてつや--漫画家生活55周年記念号(文藝別冊)

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午前は大学

・授業準備。図解塾準備。

・松本先生:総研の運営体制。

夜:デメケンミーティング:アルゴリズムネットワーク建築。今村淳。武井浩三。加賀利航平。ヨルモリ。Miro。

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「名言との対話」1月18日。磯田光一「自主責任に耐えうる「個人」が確立されたとき、われわれは「戦後」という制約を破った新しい世界に出会うであろう」

磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18日 - 1987年(昭和62年)2月5日)は、日本の文芸評論家、イギリス文学者

神奈川県生れ。東京大学大学院修士課程修了。東京工業大学教授、日本ペンクラブ常務理事。三島由紀夫論などで文壇に登場、以後旺盛な批評活動を展開。1979年、「永井荷風」で第1回サントリー学芸賞、1978年の「思想としての東京」、1983年の「戦後史の空間」「鹿鳴館系譜」など、近代文学史の書き直しを意図した仕事をすすめた。他に「殉教の美学」「左翼サヨクになるとき」などがある。著作集全10巻がある。

  「摘録 断腸亭日乗」(上)(永井荷風著・磯田光一編)を読んだことがある。それはいま気がついたが、磯田光一の編だったのだ。 「墨東奇談」などの作者・永井荷風は38歳から79歳で亡くなる前日まで、42年間にわたって日記を書き続けている。胃腸を含め病気の多かった荷風の別号はが断腸亭で、日乗は日記のことである。この42年間には、関東大震災があり、5・15事件があり、2・26事件があり、満州事変、そして太平洋戦争、敗戦、復興の激動期だった。永井荷風の日記を追いながら、昭和史を検証したのだろう。

磯田光一 『戦後史の空間』(新潮文庫)を読んだ。アマゾンの紹介によれば、「 無条件降伏による敗戦、そして占領。制度改革、新憲法家督の廃止。安保改定と高度成長。衛生的高層不燃住宅、高架式自動車専用道路…。日本の戦後を有形無形に造りあげてきたこれらの事象は、我々の何を、どのように変質させたのか? 解放と喪失、理念と現実のはざまを生きた個々の感触を、文学作品に表現された鋭敏な具体性のなかに見極め、微細かつ大胆に検証する昭和の精神」となる。

 この本の中では、最後の章の「もう一つの日本」が考えさせられる。戦後を検証するのに、作業仮説として3つをあげているのがユニークだ。

一番目は、1945年にアメリカでなくソ連に占領されたという想定だ。第一党は共産党、衛星国の日本は日ソ安保条約を結ぶ。左翼官僚主義文学が主体となるが、アメリカの占領より不幸であるとはいえない。

二番目は、アメリカ合衆国日本州になる仮説だ。強者の文化の受容と同化によって、アメリカの妾(めかけ)になり、民族国家であることを捨てる。安保条約は自動消滅し「核の傘」は保証される。

三番目は明治維新薩長による同民族占領であり、アメリカによる占領は初の異民族占領と考える仮説だ。日本は明治以来、占領下にある。日本国憲法を脅迫による瑕疵は取り消さない限り追認したことになるという法定追認という考え方で現状を追認する立場だ。

磯田光一はそれぞれの仮説が行きつく先を克明に論じながら、日本の戦後を考える。この論考を読んでいる過程で、一時話題になったアメリカの51番目の州になるという説、半藤一利薩長による占領論などが頭に浮かんだ。磯田は戦後が獲得した最大の思想の一つは「個人」という観念だとする。そして「個人」が確立されたとき、戦後という制約を破った新しい世界に出会うだろうとしている。それが磯田光一のいう「もう一つの日本」だった。複雑怪奇な「戦後」についての磯田なりの時代認識の答案である。小林信彦サモワール・メモワール」、田中康夫「なんとなく、クリスタル」、占領下の文学としての明治文学をあげているのを不思議に思っていたら、時代の構造と個人の実感の総合は、観念的論文よりも文学作品のほうが鋭敏にとらえているとの指摘が「あとがき」にあった。

1970年の三島事件ののちに、昭和という時代を思想史的に把握する方向に踏み出し、この本と「鹿鳴館の系譜」「左翼がサヨクに」なるとき」の三部作をライフワークとして完成させている。磯田の死後33年経った。果たして「個人」は確立されつつあるのか、近い将来において確立されるのか。2020年の日本はその問いに答え得るであろうか。

戦後史の空間 (新潮文庫)