弥生美術館「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物」展。
11月6日に弥生美術館で企画展がありみてきた。
1886年生。死去は1965年で79歳。25歳、永井荷風に激賞され文壇にデビューし、大小説家になっていく。『潤一郎訳源氏物語』26巻は、49歳から53歳まで。『細雪』は56歳から戦中をはさんで61歳で完成。63歳、文化勲章。73歳、右手が不自由となり口述筆記。78歳、ノーベル文学賞候補。
谷崎潤一郎は発禁処分、上映禁止処分を受け、物議をかもし続けた作家である。
『鍵』は猥雑性が国会の法務委員会で取り上げられた。門下生と妻を接近させて嫉妬心で自らの情欲を高めようとした姿を描いた作品。
『富美子の足』:「変態」をユーモラスに描き出す。
『神童』:春之助「人間の美を讃える芸術家になろう」
『蓼食う虫』:離婚を決意しながら、実行に踏み切れない夫婦を描く。「要に取って女というものは神であるか玩具であるかの孰れか、、」。松子は神だった。
『痴人の愛』:代表作の一つ。ナオミのモデルは「せい」。
『細雪』:着物を愛する女性のバイブル。谷崎は着物に深い思い入れがあった。
『神と人間との間』:谷崎、佐藤春夫、最初の妻・千代がモデル。佐藤春夫とは「小田原事件」「妻譲渡事件」を起こしている。
『瘋癲老人日記』:松子が前夫ともうけた娘がモデル。主人公と谷崎の年齢は同じ77歳。
松子については、ご寮人様と呼び下僕のようだった。家事をさせない。松子は谷崎が求めるイメージをさぐり演じようと必死だった。松子は崎にインスピレーションを与え続けた。『盲目物語』はご御寮人様のことを念頭に置き自分は盲目の按摩のつもりで書いている。
弥生美術館では着物姿の女性たちをみかけた。購入した『谷崎潤一郎をめぐる人々と着物』という図録のサブタイトルは「事実も小説も奇なり」だ。
1人の天才が開花するには、多くの人たちの犠牲がある。
ーーーーーーーーーー
母の「遺歌集」についての編集に着手。昨日から始めて、形が見えてきた。
ーーーーーーーーーー
今日のヒント(日経新聞「読書」)
・小宮隆太郎(「通念の破壊者」)「こんな面白い時代はない」(高田創)
・林聖子(文壇バー「風紋」のママ)「関係が細い糸電話のようになっていても自分から切りはしない」
・伊集院静「ミチクサが多いほうが、人生は面白い」
ーーーーーーーーーーーーー
朝、ヨガ。夕、散髪。
ーーーーーーーーーー
「名言との対話」12月4日。鳥越信「鳥越コレクション」
鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013年2月14日)は、日本の児童文学研究者。享年83。
兵庫県神戸市生まれ。福岡県嘉穂中学、旧制姫路高等学校から早稲田大学国文科に編入。早大童話会に参加。小川未明、濱田広介らの童話を、未来への展望がない形式だとして批判し、「少年文学宣言」を起草し、童話会を早稲田大学少年文学会に改称した。
卒業後は岩波書店編集部に勤務しながら児童文学の研究に努める。1957年退社後、1960年早稲田大学教育学部講師となり、のちに教授となる。
1978年早大を退職後、「鳥越コレクション」と呼ばれた約12万冊の児童書・研究書を大阪府に寄贈し、大阪府立国際児童文学館が開館し、鳥越はその総括専門員となった。
聖和大学大学院教授を務め、定年退職後は、中京女子大学(現・至学館大学)子ども文化研究所客員教授を務めた。
古今東西の児童文学に通じ、書誌的研究や児童文学史に業績がある。初期には自ら創作もした。主な著作は以下。『日本児童文学入門』『児童文学と文学教育』『日本児童文学史研究1・2』『子どもと文化・子どもと文学』『講座日本児童文学』『日本児童文学史年表1・2』『戦後児童文学への証言1・2』『日本児童文学大系』30巻 共編『復刻絵本・絵ばなし集』33冊 共編『校定新美南吉全集』 12巻・別巻 共編『桃太郎の運命』『世界名作の子ども像』『日本児童文学大事典』 3巻 共編。
1976年『日本児童文学史研究』で日本児童文学者協会賞、1977年『日本児童文学史年表』で日本児童文学学会賞、毎日出版文化賞特別賞受賞。1982年、赤い鳥文学賞特別賞受賞。1993年、国際グリム賞を受賞している。
鳥越自らも創作をしたこともある。古今東西の児童文学に通じ、書誌的研究や児童文学史に業績を残している。1960年代から1970年代には、翻訳児童文学のリライト、ダイジェストを非難して完訳主義を提唱。抄訳ものが衰退し、岩波書店、福音館書店の完訳ものが生き残った。永井豪『ハレンチ学園』などのマンガと擁護する阿部進を批判している。
2009年には、大阪府が国際児童文学館を中央図書館に移転させる決定を行ったことに対して、橋下徹知事を相手に寄贈図書返却と文学館長としての収入の確保についての争議を起こし一部の寄贈図書の返還を求め、提訴すると表明した。知事が全資料の返還に応じる発言をすると、「単に戻せというのではない。予算は凍結し、資料が生かされる道を原点にもどって考えようと言いたい」と会見で述べている。
数々の国内外の受賞歴などをみると、児童文学分野での業績と影響力は比類がないと感じる。そのもとになったのは、12万冊に及ぶ「鳥越コレクション」だろう。10万冊を超える本の収集という行為は並大抵の情熱ではない。
因みに、個人で10万冊の蔵書を形成しているのは、徳富蘇峰、渡部昇一、立花隆などが思い浮かぶ。蘇峰は地上3回、地下1階の堂々たる文庫に「近世日本国民史」を書くための資料を持っていた。鳥越の場合は、大学時代から一貫して児童文学というライフワークに重点を置いて収集したのであるから、その執念には敬服する。狂気ともよぶべき使命感があったと思う。