文書・書類の整理中。

大学:文書・書類の大がかりな整理中。大事な書類はスキャナーで読み込んでデジタル化。講演メモ、図解データベース、、、。私をつくってきた本。私がつくってきた知的生産物である本。現在進行中のプロジェクト資料の入ったダンボックス。未来へ向けて準備中のデジタル化した資料。これらに囲まれて仕事をしていきたい。

自宅:各種(書籍、知研、、)連絡。図解塾の準備。夜はデメケンのミーティング。

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「名言との対話」2月8日。青木日出雄「科学技術に属するもの事故は、技術自体の欠陥と人為上のミスとの複合的なエラーによって引き起こされる」

青木 日出雄(あおき ひでお、1927年2月8日 - 1988年6月8日)は航空・軍事評論家。

北海道旭川市生まれ。陸軍士官学校出身。1956年に航空自衛隊入隊。1966年、東京湾全日空機が墜落し、退職して就職する予定だった民間航空会社はそれどころではなくなり、『航空情報』の記者になった。編集長を経て、1974年に月刊誌『航空ジャーナル』を創刊し、社長に就任した。

1985年8月の日本航空123便墜落事故では、深い専門的知識で断片的情報を的確に読み取り、いち早く原因が人災であることを指摘して注目を集めた。1983年の大韓航空機撃墜事件、1986年のチャレンジャー号爆発事故チェルノブイリ原子力発電所事故においてもニュース番組に解説者として出演している。

軍事アナリストの小川和久、朝日新聞田岡俊次も青木門下生だ。『航空ジャーナル』の第3代編集長の中村浩美は甥、最後の編集長となった長男青木謙知も、航空評論家を継いで活躍中だ。JAL時代、広報部で仕事をしていた私は、関川栄一郎川や鍛冶壮一などの航空評論家とは付き合いがあったが、不思議なことに青木日出雄とは縁がなかった。

今回1988年1月発行の『ガンを見すえて生きる』を読んだ。航空評論家の目で見たガン闘病記である。青木は、航空機事故のほとんどは人為的ミスによるものであり、人間が介在する限りは、人為的なミスと言うのは必ず起こると語る。1975年の御巣鷹山日航機事故については「事故の原因はボーイング社の修理チームの作業場のごまかしである」と述べている。

原発については何でも反対派と何でも安全派しかない状態を憂いている。事故がないという前提に立っているから、事故後の対応については対策がゼロになっていると警鐘を鳴らしている。そして、アメリカの1979年のスリーマイル島放射漏れ事故、ソ連の1986年のチェルノブイリでの原子炉の爆発事故。「次は統計確率論からいって日本の番に当たっている。早急の対策が必要といっても過言でははないだろう」と2011年3月11日の東日本大震災時の原発事故を予言している。

その青木は、甲状腺咽頭、肺にまでガンにおかされた。これを「事故」ととらえて、航空評論家の目で全貌をみようとした。ガン告知から変わったのは、雑誌に書きとばしていた原稿を本の形にしようとしたことである。書きたいテーマはひろがっている。ガンとわかってからの方がむしろ忙しくなった。「やらなければならない仕事がある、ということは、患者にとってはひとつの救いとなる」。仕事へ仕事へとかりたてながらガンと対決したのだ。この世に生きたことの証を残そうとしたのだろう。

青木は「医療であれ、原子力発電であれ、航空機や自動車であれ、科学技術に属するもの事故は、技術自体の欠陥と人為上のミスとの複合的なエラーによって引き起こされると言ってよい」と断言し、原因究明や対策を講じるためにも、科学ジャーナリズムが頑張らねばならないと主張する。専門家だけでなく、一般人の知識レベルの向上が必要だと書いている。しかし、青木の死の後も、2000年に新聞の一般紙は4700万部あったが、2020年には3245万部と1500万部の減少となっており、今回の新型コロナによる世界規模の大災害でもメディアの量と質の退潮の影を感じる日々を私たちは目撃している。

技術の欠陥と人為ミスによる事故、それは災害においても同様だ。科学の未熟さと技術の欠陥、それに人為ミスが重なり合って、大災害へとつながっていく。

ガンを見すえて生きる―告知からの出発