「おしゃべり放送大学」

YAMI大学深呼吸学部の  「おしゃべり放送大学」の「久恒チャンネル」の企画を名古屋の鬼頭さんと急きょZOOMでブレストすることになりました。インタビュー番組。本。旅。名言。人生相談。ポッドキャストとの連携。毎週。1年。、、、、、。さてどうなるでしょうか。

ーーーーーー

「おしゃべり放送大学」は2020年2月4日開局の新しいラジオ放送局。「対話型講義」を中心に、新しい発想で、未来の教育環境を作っていく。APPLEAndroidのアプリがあり、無料で聴取できる。アーカイブは、noteの有料マガジンおしゃべり放送大学|橘川幸夫|noteで聴くことが出来る。

私のインタビューも何本か、流れています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」2月28日。長沢和俊「人類の歴史は『探検の歴史』でもあった」

長澤 和俊(ながさわ かずとし、1928年昭和3年)2月28日 - 2019年平成31年)2月23日)は、日本の東洋史学者

早稲田大学大学院博士課程修了。文学博士。専門はシルクロード史。東西交遊史。中央アジア史。 主著『シルクロード史研究』『シルクロード文化史』『東西文化の研究』『敦煌』『桜蘭王国』他。

訳書に東洋文庫『法顕伝・宋雲行行紀』(長沢和俊訳注)がある。法顕は中国東晋の僧で長安からインドに経典を求めた旅をした人、宋雲は中国北魏の官人で西域に経典を求めて旅した人だ。訳注とは翻訳文をより理解するために補足の説明や意訳した箇所の説明などを記載することを言う。長沢の訳注はこうだ。

「いま顧りみて経過した処を〈尋ねて〉みると、思わず心は動き汗が流れる。危いところを渡り峻嶮をふんで、この身体〔の危険〕を惜しまない所以は、恐らく〔堅い〕志があって、自分の愚直を押し通したからであろう。故に〔私は〕命を必死の地に投じて、もって万一の希望を達したのである」「空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。見渡すかぎり〔の広大な砂漠で〕行路を求めようとしても拠り所がなく、ただ死人の枯骨を標識とするだけである」「われらが真の目的はまだ達していないのに〔こんな所で死んでしまうとは……〕運命は如何ともしようがありません」

『世界探検史』(講談社学術文庫)を読んだ。「人類の歴史は「探検の歴史」でもあった。太古の人々の移動に始まり、アレクサンドロスの東征、張騫の西域探検、ヨーロッパによる「地理的発見」、近代の植民地獲得競争。そして二十世紀には、南北の極地やアフリカ奥地までが踏破され、人類は深海や宇宙へと進出していく。有名・無名を問わず、古今東西の探検家の足跡を網羅し、発見と革新の歴史をたどる」。

 この本によれば、世界の探検史は6つの時代に区分される。第1期は古代で、太古の人類の移動、フェニキア人の活動、アレクサンドロスの東征、張騫の西方探検、などがこの時代である。第2期は中世で、宗教的な動機からしばしば探検活動が行われ、また、アラブ人や中国人もおおいに活躍した。第3期は、ヨーロッパによるいわゆる「地理的発見時代」で、探検の動機の多くは、商業的利潤の追求だった。第4期は17-18世紀で、未知の航路や沿岸部がくまなく探検され、植民地競争が始まる。第5期は19世紀から20世紀初頭で、植民地競争が激化し、内陸部の調査、地質・動植物・民俗の調査もさかんに行われる。そして、第6期、20世紀には、最後に残された極地、内陸アジア、アフリカ奥地まで解明され、さらに深海や宇宙の探検へと進出しつつあり、探検家は記録を求めて研究探検の領域に入っていく。

 この本の「あとがき」は1969年11月である。その年の7月21日は人類が月に足跡を残した人類史上の画期的な日であった。地球から天体へ乗り出したのである。それから半世紀経って、アメリカはNAS火星探査車が火星に無事着陸した。中は月の無人探査機は月の裏側に着陸した。日本のJAXのA小惑星探査機「はやぶさ2」は小惑星Ryuguへのタッチダウンに成功し物質を持って帰還した。宇宙への探検の時代が進んでいる。

 空白地帯を探検して地図をつくるという地理的探検の時代が終わった後、「課題追求型」の探検(川喜多二郎)、スポーツ探検とも呼ぶべき記録競争の探検があると指摘している。1958年に南極を初めて横断した ヴィヴィアン・フックスは「探検とはサイエンスとアドヴェンチャーに魅力にとんだカクテルである」。中尾佐助は「たんけんというのは、やはり地球の上で、自分らの領域の外に秘密を求めていくのがその筋道だ」という。

この本がでた高度成長の時代は「大衆探検時代」だった。大学探検部を含め各種各様の人たちが海外に出ていく。こういった活発な探検行は国力と志気が高い国民によって支えられている。それから半世紀がたち、日本人は海外に興味を失っている。志気が衰えていることの証だろう。

1969年に入学し私が所属した大学探検部では、まず危険を冒す冒険と探り調べる探検は違うと教えられた。「探検とは何か」を常に議論するクラブであり、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」という定義にも目が輝いた記憶がある。その中で「外的世界の拡大は、内的世界を深化させる」という考え方があり、それを私は信奉している。歴史は外的世界の拡大の歴史であり、そのことが人類全体の意識の深まりを惹起していく。今や人類は宇宙探検の時代に入り、発見によって人類に関する知識はさらに深まってくことだろう。

この考えかたは、個人についてもいえる。成長するにつれて外的世界は拡大する。その経験のなかで、内的世界は深化していく。その連続が個人の生涯となる。長沢和俊は「人類の歴史は探検の歴史」だと言ったが、一人一人のの個人の歴史も同じく探検の歴史であると言いたい。

 世界探検史 (講談社学術文庫)