府中美術館「映えるNIPPON  江戸ー昭和 名所を描く」展ーー4人の広重

府中美術館「映えるNIPPON  江戸ー昭和 名所を描く」展。

www.city.fuchu.tokyo.jp画像 映えるNIPPON 江戸から昭和 名所を描く

4人の広重。

国輝。小村清親。高橋由一。開化絵(一点透視図法)。中澤弘光《上高地大正池》(国立公園)和田栄作《三保富士》。向井潤吉の民家。

 

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午後:70年小説のソーシャル編集会議に30分ほど遅れて参加。沖縄の具志さんの作品がテーマ。様々の角度からのアドバイス、疑問などを楽しい雰囲気で1時間ほど話し合いました。タイトル、流行語、世相、歴史、男女の心理、、、、。これで一段と磨かれるでしょう。ラフ原稿段階でのソーシャル編集の威力を感じました。ある程度親しい関係で、柔らかな物言いの人たちだとうまくいく。

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「名言との対話」6月6日。瀬川昌男「夜空を見あげ、星をあれこれつないで、遠い昔の人間や神様の物語を楽しく思いかえしてください」

瀬川 昌男(せがわ まさお、1931年6月6日 - 2011年7月10日)は、日本のSF作家、科学解説の書き手、児童読物作家。

 東京生まれ。東京教育大学教育学部心理学科卒。大学卒業後、自宅で脳波および心理学研究を手がけるかたわら、文筆活動に従事。1956年、『火星にさく花』を発表。子供向けの宇宙解説やSFのほか、伝記、海外小説の再話、精神宇宙研究など多彩な執筆活動をおこなった。

『火星にさく花』を読んだ柴野拓美は感激し、同人「科学創作クラブ」への参加することなり、、瀬川はSF同人誌『宇宙塵』の創刊メンバーとなった。

小松左京の提唱から、1968年に石原藤夫大宮信光が中心となって始まった「SFファン科学勉強会」という会合があった。略称「SFフ科会」は瀬川が初例会の時に提案した。語呂として「SF不可解」に通じるので、会では大受けだったそうだ。

1955年「少年少女のための科学の教室」(泰光堂)、1956年「火星にさく花」(講談社。(少年少女世界科学冒険全集)から、1998年「魂は生きている 複合精神宇宙論序説」( コスモヒルズ )、2002年「おばけめぐり」(金の星社) まで、47年間で60冊の著作を世に送った。宇宙や星に関するテーマがほとんどだが、ダーウィンン、シュバイツァーアインシュタインなど科学者の伝記もある。翻訳も「トムソーヤの冒険」「十五少年漂流記」「ガリバー旅行記」など17冊にのぼる。

『星と星座の伝説 夏』(小峰書店。1978年)を読んだ。「不幸な英雄ヘラクレス」「たなばた物語」「星になったケンタウロス」など7つの作品が入っている。私が手にしたのは1987年の第25刷だから、ずいぶんと多くの子ども達に読まれているようだ。

「星座のはじまり」という章がある。西洋では星座は5000年前にイラクに住みついたカルディア人の羊飼いから始まり、バビロニア人、ギリシャに伝わる。BC130年頃にはプトレマイオスは48の星座を紹介している。現在では88になっている。

そして、さそり座、いて座、りゅう座ヘラクレス座、ケンタウルス座、などの解説をしてれくれている。子どもの頃に星座について風呂の帰りなどに母から教えられたが、なかなかぴったりと絵姿が浮かばなかった。今回理解が少し向上した気がする。おりひめ、ひこ星の七夕物語を久しぶりに読んで、楽しかった。

夜空には、遠い昔の人間や神様たちの物語が散りばめられている。都会では星をじっくりと見る機会はなかなかないが、以前、岩手の山間の寒村に家族で泊まったときに、深い闇の中で夜空に輝く満天の星の数々をみて感激したことを思い出した。子ども頃から星と親しむことは素晴らしいことだと改めて感じ入った。瀬川昌男の仕事は、子どもの心を育てることだったのだ。尊い仕事だ。