「まるごと 馬場のぼる」展(練馬区立美術館)ー「子供だましの絵本は、結局は子供もだませぬ」

練馬区立美術館で開催中の「まるごと 馬場のぼる」展。

馬場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日 - 2001年4月7日)は、日本漫画家絵本作家

手塚治虫福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス[3]」と呼ばれた。やがて大人漫画絵本も執筆し、日本経済新聞の連載4コマ漫画『バクさん』、絵本『11ぴきのねこ』シリーズ等が代表作となった。 「子供だましの絵本は、結局は子供もだませぬ」

青森県三戸町に生まれる。小学校時代は成績優秀者で「三戸町長賞」を受賞。旧制中学を4年で終了(4修)して海軍に入り特攻隊員となる。戦後は大工見習い、代用教員などをしながら独学で漫画の勉強を開始する。

21歳、児童文学者の白木茂と知り合い、昭文社を紹介され「怪盗カッポレ団」で漫画界にデビューした。上京し白木茂宅に寄宿。23歳、長期連載漫画「ポストくん」を開始し人気を博す。24歳、手塚治虫、福井英一らと「東京児童漫画会」の会員となる。結婚。

29歳、「ブウタン」で小学館漫画賞。32歳、「漫画集団」に入会し大人漫画もてがける。。37歳、サンケイ児童出版文化賞。1967年40歳、「11ぴきのねこ」を刊行。41歳、サンケイ児童出版文化賞。44歳、斎田喬戯曲賞。46歳、文芸春秋漫画賞。50歳、全国各地の郵便局などを訪ねる「まんがルポ」を郵政省広報誌「ポスト」で始める。52歳、児童福祉文化賞奨励賞。54歳青森県褒章。58歳、ボローニャ国際児童図書展でエルバ賞。60歳、逓信記念日郵政大臣表彰。62歳、デーリー東北賞。66歳、日本漫画家協会文部大臣賞。68歳、紫綬褒章。70歳、読売国マンガ大賞選考委員特別賞。72歳故郷の三戸町名誉町民。73歳、東奥賞特別賞。2001年、逝去。享年73。

1967年、40歳になってライフワークとなった「11ぴきのねこ」が刊行される。シリーズは半世紀以上にわたり世代を超えて愛され続けている。この6冊のロングセラーは、2021年7月現在で累計456万部を超えている。

「私は、いわゆる猫好きではなく、猫を描くのが好きなのです。猫の生き方は人間に似て、面白いです」

ストーリー漫画を築いた手塚治虫柔道漫画で人気を博した福井英一とともに、児童漫画界の三羽ガラスと呼ばれていた。手塚治虫の葬儀では弔辞を読んでいる。

ほんわかした素朴なユーモア。ペーソス。フフッと頬が緩む小さな笑い。決して人を貶めることがないとう笑い。

本人は「漫画家が絵本をかいている」と言うスタンスにこだわっていた。

『公式図録』に手書きのメモとおもわれる「絵本についての考察」が掲載されている。その中からいくつか言葉を拾う。

・絵と文は互いに持ちつ持たれつの関係。

・文は出来るだけ簡明に、絵で語ること。絵で語ることによって物語は大きくふくらみ、感銘深いものになる。

・絵は具象でなければいけない。その上に物語をふくらませるための配慮、洞察といったものが必要である。生きた絵をかくことが最も大切。

・教訓をむきだしにすることはやさしい。それは最もヘタなやり方だからである。親はこれを喜ぶが子供はけ敬遠する。

・大人の鑑賞に堪える絵本。

・子供だましの絵本は結局は子供もだませぬ。

ここに馬場のぼるの絵本についての考えがある。

練馬区立美術館は、混んでいた。女性が多い。「馬場ワールド」にはファンがいまなお多いのだ。

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「大学経営」のインタビュー2時間。「宮城大学時代」がテーマ。

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幻冬舎オンラインの連載2回目。ヤフーニュース(15時01分)でもながれている。

news.yahoo.co.jp

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「名言との対話」9月13日。小田切進「自分が挑戦すべきテーマを探せ、自分の「星」を探しだせ」

田切 進(おだぎり すすむ、1924年9月13日 - 1992年12月20日)は、日本近代文学の研究者。

東京都生まれ。8歳上の兄は文芸評論家、近代文学研究者小田切秀雄東京府立第十中学校から第二早稲田高等学院を経て早稲田大学国文科で学んだ。

改造社で『改造』の編集に従事し、プロレタリア文学に関する評論を発表。1955年より立教大学に勤務し、のち教授。1990年に退職し名誉教授。

高見順伊藤整らと日本近代文学館の設立に努め、1963年、専務理事、1964年、この設立運動で高見とともに菊池寛賞を受賞。1971年より理事長。神奈川近代文学館の設立にも尽力し理事長。

1973年、編著『現代日本文芸総覧』で毎日出版文化賞。1993年、紀田順一郎尾崎秀樹共同監修の『少年小説大系』全32巻(三一書房)が第16回巖谷小波文芸賞を受賞。

著作に「昭和文学の成立」、編著に「現代日本文芸総覧」などがある。

駒場東大前の日本近代文学館には何度か訪問している。

高見順、小田切進ら有志の文学者・研究者が、文学資料を収集・保存する施設の必要を広く訴え、1962年5月、設立準備会を結成、翌1963年4月、財団法人 日本近代文学館が発足し、高見順が理事長。1965年起工式、その翌日に高見順理事長死去し、伊藤整が理事長に就任。1967年4月、東京都目黒区駒場に開館。2007年9月、千葉県成田市に分館を建設。資金はすべて募金によるもの。120万点の資料が収蔵されている。

私は2021年の日本近代文学館の「中里介山大菩薩峠』--明滅するユートピア」展など何回か企画展をみている。この文学館にある「BUNDANカフェ」は居心地がいい。壁には背の高い本棚がある。メニューは文豪が飲んだコーヒー、小説に出てきた食べ物などがあり、私も行くたびに毎回楽しんでいる。

緊急事態宣言下では美術館、博物館は開館していない期間が長いが、ところが2001年にも日本近代文学館神奈川近代文学館は開いていたのはありがたかった。

日本近代文学館理事長を経験した小田切1984年、神奈川近代文学館館長に就任している。横浜の港の見える公園に建つ文学館で私の行きつけの文学館だ。以下、訪問した企画展をあげてみよう。

2021-05-24 「三浦哲郎展--星をかたりて、たれをもうらまず」。2020-10-19 「大岡昇平の世界展」。2019-12-14 「没後50年 獅子文六展」。 2019-11-04 「中島敦展ーー魅せられた旅人の短い生涯」。2019-06-19 「江藤淳展」。2017-10-04 山本周五郎展。2017-06-14「生誕120年 宇野千代展--華麗なる女の物語」。2016-06-12「鮎川信夫と「荒地」展」。2015-04-21 「谷崎潤一郎--絢爛たる物語世界」展。2014-02-11黒岩重吾展。2013-05-06 「井上ひさし展」。2010-12-26 特別コーナー三島由紀夫−没後40年・生誕85年」展。2010-05-03 「城山三郎展-昭和の旅人」。

こうやってリストアップすると、小田切進には随分とお世話になっていると思う。

「自分が挑戦すべきテーマを探せ、自分の「星」を探しだせ」は、立教大学で学生に向けて発した言葉である。自分が生きた時代の文学と文学者たちを顕彰する「近代文学館」をつくることが、小田切進の挑戦すべきテーマであり、自分の「星」であった。文献をよむと、運営の方法について強引だとの批判も受けてたようだが、実現しようという意欲が強かったためでもあったのではないか。