万葉歌碑の旅。今日は府中市を訪ねました。
まず、府中の大国魂神社。
奈良の都から遠く離れた東国から集められた防人たちは武蔵国府(埼玉県と多摩地域)の府中から、多摩よこやまの道を通り、東海道を経て、難波津(大阪)に集められ、船で瀬戸内海を通り、九州の大宰府に送られた。任期は3年であった。
武蔵国には渡来人に由来する高麗郡、新羅郡(新座部)などが生まれた。府中に置かれた国司は21郡を管轄し、行政機構の整備と日本文化を浸透させる和歌の普及に努めた。万葉集には武蔵国の東歌や防人の歌が載っている。
府中の並木通りの南端にある大国魂神社に近い場所に建つ歌碑。万葉仮名で書かれている。
「武蔵野の 草は諸むき かもかくも 君が寄りにしを」
「武蔵野の草はあちこちを向いている、そのように私も右と言われたら右、左と言われたら左、とにもかくにもあなたのお気持ちのまま、私はあなたのものよ」。
次に、府中郷土の森博物館を訪問。
大賀一郎を知った。蓮博士。2千年蓮。
岡山第一中学校(現在の岡山朝日高等学校)を卒業後、第一高等学校を経て、東京大学に進む。南満州鉄道株式会社の研究員、大学の教壇に立つかたわら、古代ハスの研究を本格的に行う。1951年には、千葉県で2000年前の地層から発掘された三つの古代ハスの種子のうち一つを開花させることに成功した。昭和20年から20年間、府中に住んだ。
ーーーーーーーーーーー
「名言との対話」イングリッド・バーグマン「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない」
イングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman, 1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞を受賞した、際立った美貌と知性を持つ世界最高の女優である。
1939年にスエーデンからアメリカに渡り、『別離』に出演しスターの道を歩いた。絵女優としては3つの時期に分けることができる。
ハリウッド時代(1939年 - 1949年):『別離』(1939年)。『カサブランカ』(1942年)。『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)。『ガス燈』(1944年)。 ヒッチコック映画。『ジャンヌ・ダーク』(1948年)。ヘミングウェイは「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切っている。21歳で結婚し娘を生んでいたバーグマンは映画監督のロッセリーニと不倫関係になる。
ロッセリーニとのイタリア時代(1949年 - 1957年):『ストロンボリ』など5本の映画に出演。離婚しロッセリーニと再婚、そして離婚。
後半生(1957年 - 1982年):『追想』(1956年)。『オリエント急行殺人事件』(1974年)。 『秋のソナタ』(1978年)。『ゴルダと呼ばれた女』(1982年)。3度目の結婚をするが、これも破綻。
5カ国語をあやつって舞台、映画、テレビで活躍し、3つのアカデミー賞など数多くの賞に輝いた名女優だった。いくうかの名画を私もみている。
イングリッド・バーグマン自身の言葉をピックアップしてみる。
「私は世界一内気だが、内には御されぬ獅子がいた」「私は多くを望まない。ただすべてが欲しいだけだ」「私は一度の人生で聖女から娼婦へ、そして聖女に戻った」。
「私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない」とバーグマンはきっぱりと言う。女優という公人としては、どのような注文にもこたえる才能があり、果敢に挑戦していずれも成功している。「幸福の鍵は、健康と健忘である」というように、不倫スキャンダルで全米を騒がせたバーグマンは、過去のことは忘れて今を生きたのだろう。3度の結婚と離婚、そして後にカメラマンのロバート・キャパとも恋愛関係にあったと「自伝」であきらかにしているような奔放な私人としての生活も送っている。公人と私人の双方の生活と人生の土台にあった信条のとおりに生きた女性であると総括しよう。