朝はヨガを1時間。
「土曜日は 無念無想の ヨガ時間」「心身は 身心なりと 悟るヨガ」
ーーー
万葉歌碑巡りで調布へ。「秋晴れや 妻に引かれて 歌碑巡り」。
多摩川に さらす手作(てずくり)さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき
(多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のように、さらさらにどうしてこの娘がこんなに可愛いのだろう)
赤駒を山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣らむ
(赤駒(馬)を山野に放牧して捕えられずに、夫を多摩の横山を歩いて行かせることか、馬がいれば乗せてやりたい)
白衣観音神社に「武蔵国調布多摩川絵図」があった。これは天保年間に描かれた鳥瞰図絵だ。富士山もみえる。
多摩川は古代から暴れ川であったため、橋をかけても流れるので、渡し船が各所にあった。昭和46年の京王相模原線の開通で、順次姿を消して、昭和48年に最後の「菅の渡し」が廃止された。
多摩川には江戸中期から明治30年代にかけて「筏流し」があった。奥多摩のスギ、ヒノキを筏(いかだ)に組んで、筏乗りが掉さして、六郷羽田まで運ぶ。途中、羽村の堰を越えて、拝島か立川で一泊、翌日は府中か調布、三泊目は二子、四日目に六郷に着く。そこから船積か引き筏で本所・深川などの材木問屋に運ばれた。大正末まで続いた。
橋本で昼食。
ーー
17時から田原真人さんの紹介で、「ものづくり大学」(埼玉県行田市。梅原猛総長の命名)の井坂康志教授と対談。テーマは「人生100年時代」で、あっという間に1時間半たった。
井坂先生はドラッカーの研究者。早稲田大学政治経済学部(経済学士)、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得(社会情報学修士)。東洋経済新報社編集者からの転身組。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」11月12日。山田晃「この悪習に染まってはならない。仕事は自分から求め、積極的に取り組もう」
山田 晁(やまだ あきら、1884年(明治17年)11月12日 - 1973年(昭和48年)2月12日)は、日本の実業家。ダイキン工業初代社長。
山口県宇部市出身。小倉工業学校機械科卒業。少尉任官後、大阪砲兵工廠に就職。そこから技術屋人生が始まる。いくつかの企業で活躍した後、1924年に、後にダイキン工業となる合資会社大阪金属工業所を設立し、初代社長を務めた。フロン冷凍機技術とフッ素樹脂などを独自開発したことで知られ、ダイキンの主力となるエアコン開発の礎を築いた。
山田晃は、常に不可能はないと考え、不利な条件や幾多の困難を乗り越えて、技術と製品を磨き上げ、今日のダイキンを育てあげた人である。不撓不屈の精神をあらわすエピソードは多い。
若き大阪陸軍砲兵工廠時代。「この悪習に染まってはならない。仕事は自分から求め、積極的に取り組もう」と深く自戒している。
経営については「三キリをモットー」とした。踏み切り、割り切り、思いきり。踏切りとは、70-80%の見通しで踏み切ること。割り切りは、とは将来有望ならば多少の犠牲を惜しまないこと。思い切りとは、不利になったら躊躇なく断念すること。
「公私一如」という言葉を好んだ。公が先である。公とは「各人が所属する社会、団体、例えば地域、階層、会社、協会、組合などの利害を第一におもんばかること」と定義している。会社は誰のものでもない。会社は統合のシンボルである。この考えで会社を引っ張っていった。
社長を譲り、会長就任時には「会社と運命をともにし、会社の成長発展をいちずに念願することは余人に劣ることなしと自覚している」と述べている。
現在、ダイキン工業は150ヵ国に事業展開し、世界38カ国に拠点を持っているグローバル企業となっている。空調事業では2010年から世界一位、フッ素化学製品は2位、換気、フィルター事業でも世界一位である。2017年度の売上高は2.3兆円、それが2021年度には3.1兆円で経常利益は3100億円、そして2022年度は3.8兆円、3600億円を予想している。従業員は8万8千人という大企業である。近年の成長は著しい。私の自宅も今年はコストパフォーマンスがいいダイキン工業のエアコンに買い替えている。
山田晃は「精神一至何事かならざらん」、「為せば成るの精神」で、生涯を88年の生涯を突っ走った。この人の猛烈ぶりには感嘆するが、所属した軍隊、企業、職場での取り組み方に成功の秘訣があるように感じる。どの組織でも大なり小なり、悪習は存在する。それが世の中であると考え、その悪習に染まっていく人が多いのが普通だ。優れた能力も、その過程で立ち枯れになる。山田晃は違った。上司から言われた仕事をこなすのではなく、自ら問題を把握し、解決していこうとしている。一心不乱に考え、実行し、すぐれた製品を完成させ、その組織に多大な貢献をしている。
リクルート創業者の江副浩正が「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」 といった言葉を思い出す。私も企業に勤めていた時、やや大きな提案をしたところ、上司から「そこまで頼んでいない」と言われ、反論したことを思いだした。
仕事は、自分から求め、機会も自ら創り出し、そのことによって自分を成長させ、山田晃のいう「公」に貢献するというサイクルをまわしていこうとすることが大事だと思う。そのことをあらためて感じることとなった。