人口波動学「人口波動で読む日本史」ーー人口容量「3万人ー26万人ー700万人ー3200万人ー1億2千800万人」

14時から古田隆彦「人口波動学」の6回目を受講。「人口波動で読む日本史」。

  • 日本では時代ごとの専門家が人口を推計してはいたが、日本史全体を通じて人口を調べた人はいなかった。
  • BC3万年ー1万年の「石器前波」は、世界人口600万人、日本は3万人(可住面積で推計)。
  • 世界の人口波動と日本の人口波動はほぼ同じ波。日本は少し遅れる。
  • 石器前波3万人。石器後波26万人。農業前波700万人。農業後波3200万人。工業現波1.28億人。工業後波?
  • 人口容量は自然環境X文明(世界をどう理解するか「認知」。世界にどう働きかけるか「道具」)
  • 気候(寒冷期・温暖期)が、人口容量に大きく影響している。食糧問題、飢饉、
  • 人口重心」は京都からしだいに東上し現在は岐阜県にある。

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人口波動で読む日本史。

  • 石器前波:3.8万年前に日本に到着。寒冷期で大陸と地続き、旧石器。単語から始まって言語能力が高まっていった。第1次情報革命「モノから情報へ。道具から長小國へ、女性器、男性器」
  • 石器後波:BC1万年前ーAD500年。26万人。温暖化。縄文の土器、土偶は動植物の精霊。石器+土器。氏族・地縁集団。縄文集落。第2次情報革命「用具から情具へ。火焔土器。飾り」
  • 農業前波:BC500-1200年。700万人。温度上昇で農業。400年頃に弥生人が中国、朝鮮、東南アジアから伝わった稲作と仏教を活用。ミソロジーから「神」の誕生、神話の時代。神道。513年儒教伝来、538年‐552年仏教伝来。農耕民、工人集団。弥生集落。鉄器の鍬など。水の利用。300年、ヤマト王朝の古墳時代大和朝廷聖徳太子)。奈良時代(田畑私有制・大荘園)。平安時代律令・摂関・院政)、平氏・源氏。文化「空也紀貫之清少納言紫式部法然、、)。第3次情報革命「四大絵巻、、、」。
  • 農業後波:1200-1800年。3250万人。気温下降、上昇。大神という中心神。日本型仏教(浄土系・日蓮禅宗)。日本型儒教朱子。陽明。古学派)。鉄は武具から用具へ」。灌漑。農耕民、商工人、武家武家政権ー長い室町時代‐安土桃山ー江戸前期。気温低下で三大飢饉(享保飢饉1732年・吉宗。天明飢饉1782年。天保飢饉1883年家斉)。第4次情報革命「和紙技術と木版印刷貸本屋、瓦版、絵草紙店。真淵・宣長・玄白・近松、、)
  • 工業現波:1800-2100年。1億2千800万人。温度上昇。科学(数字。システム。分析)。技術の発展。君主制立憲君主制。文化・文政1804-1830年天保、幕末、明治、大正、昭和前期。富国強兵で人口7200万人で限界、海外へ、大東亜戦争。戦後日本の加工貿易のハイテク、市場経済グローバル化。昭和後期のバブルー平成、令和で限界。人口減少へ。オリンピック、新型コロナ。12800万人で限界。資源と環境。市場原理。農高工安。第5次情報革命「情報技術。電子。IT.技術」
  • 次の時代は?

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夜は橘川さんの深呼吸学部80回目。

企画書。地域メタバース。旅行社。メタチャット。参加型社会学会。言葉の力。、、。

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今日のヒント 田辺聖子

幸福な人は自慢屋であり、教訓家になることが多い。偶然の結果、健康や成功に恵まれたにすぎないのに、自分の能力のせいだと過信する。

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朝:ヨガを1時間。

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「名言との対話」2月12日。田辺茂一「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」

田辺 茂一(たなべ もいち 本名の読みはしげいち、1905年2月12日 - 1981年12月11日)は、出版事業家、文化人。紀伊國屋書店創業者。

東京生まれ。慶應専門部室。 紀州備長炭を商う「紀伊國屋」の跡取りであったが、書店経営を志し1927年に紀伊國屋書店を創業する。1945年、戦災で新宿の店が消失。1947年、前川国男の設計の店で再開。1964年、紀伊国屋書店本店が前川国男設計で完成。1966年、紀伊国屋演劇賞を創設。

経営が安定した1950年以降は、経営に関与せず、銀座を中心に飲み歩き、華麗な女性遍歴を重ね、「夜の新宿市長」と呼ばれた遊び人である。「僕は経済も経営も分からない。分かろうとも思わない。女性を通じて社会を理解するのがライフワークだ」。

立川談志が58歳で書いた『酔人・田辺茂一伝』(中央公論新社)のkindle版を読んだ。長く付き合ったことがわかる。

田辺は談志の人生の師だった。たまり場となった銀座の泰明小学校の路地の地下の「美弥」で、多くの芸人、文化人など有名人と交流する場を田辺がつくった。

多くの有名人の名前が出てくるが、多すぎるので、石原慎太郎岡本太郎芥川比呂志吉行淳之介らの名前をあげておこう。その店から始まって、六本木、渋谷、赤坂などの「アモール」「順子」「眉」「姫」「深海魚」「檻の中」などのバーの名前が躍っている。

談志は田辺茂一との交流の中で、名言を聞き出している。「人生曇ってていいのだよ」。「物事の本質が判るのは50過ぎてから」。、、、女性遍歴の人を「千人斬り」と俗にいうが、田辺は三千人と言っていたそうだ。田辺茂一自身は、「120歳まで生きるといわれた」と語っていたが、享年は77であった。

冒頭の「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」が気に入っている。足早に追い抜いてくライバルと無闇に競争せずに、自分の領域をじっくり時間をかけてマイペースで歩いていけばいいんだよ、と田辺茂一は教えてくれる。