「幸福塾」は「美術館を遺した経営者」の2回目でした。
下記の美術館をつくたった経営者を中心に解説。ここにあげた美術館は、すべて訪問したところ。
川村記念美術館。大原美術館。逸翁美術館。アサヒビール大山崎山荘美術館。ポーラ美術館。平木浮世絵美術館。永青文庫(細川コレクション)。京セラ美術館。東洋陶磁美術館(安宅コレクション)。中村屋サロン美術館。
前回は以下でした。
国立西洋美術館。アーチザン美術館。大倉集古館。五島美術館。静嘉堂文庫美術館。出光美術館。根津美術館。山種美術館。三渓園。
説明しきれなかった美術館は、以下。
畠山記念館。太田記念美術館。三井記念美術館。松岡美術館。泉屋博古館。林原美術館。パナソニック電工汐留ミュージアム。森美術館。原美術館(ハラミュージアムアーク)。ワタリウム美術館。岡田美術館。藤田美術館。野村美術館。福岡市美術館(松永安左衛門コレクション)。白鶴美術館。フジヤマミュージアム。東京富士美術館。黒住教宝物館。ギャラリーおほもと。北村美術館。西山美術館。ビュッフェ美術館、ヴァンジ彫刻美術館。戸栗美術館。徳川美術館。三菱一号館美術館。東京ステーションギャラリー。
以下、塾生の学びから。
- 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今回は「美術館を遺した事業家たち」の2回目ということで、10の美術館を紹介頂きましたが、それぞれに設立した人物の事業や美術品収集の経緯、その後の物語など興味深く伺いました。中でも安宅コレクションの東洋陶磁美術館、永青文庫細川コレクション、中村屋サロン美術館などが印象に残りました。また、美術館は庭園や建物についても、著名な建築家や造園家などが携わっていることが多いということも魅力のひとつだと思いました。アサヒビール大山崎山荘美術館やDIC川村記念美術館などは、季節の良いときに是非訪ねてみたいところです。また、美術館での鑑賞の仕方として、はじめにざっと見て回り、後から気になったところをじっくり見る、解説は先に読まない、 自分の目で観る、 自分の居間に飾りたいかどうかで観る、という話も大変参考になりました(これまで逆でした)。美術館は色々な面から楽しめるところだと改めて思います。次回も楽しみです。
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本日もありがとうございました。今回も美術館を作った実業家たちのお話でした。またいろいろな場所の美術館が多く、旅行したくなりました。美術館にまつわる方たちのお話は前回と同じく面白かったです。中村屋のチキンカリーにまつわる話、ぜひ食べてみたいです。佐治敬三さんのだめと言わずに「やってみなはれ!」は、自分でやってみるのももちろんですが、子どもへの声がけに、心がけたい言葉の一つです。自由だけれど自分で考えて切り開く力がつきますね。箱根のポーラ美術館。京都のアサヒビール大山崎山荘美術館、、、景色がすばらしいですね。美術品はもちろんですが、建物、庭園もまるごと、作った人、設計者、庭師さん、美術品の目利きの方、など、パンフレットやHPに記載があったりするので、行った美術館などは、確認してみたいと思いました。次回もよろしくお願いいたします。
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「幸福塾」本日もどうもありがとうございました。日本の実業家たちのつくった美術館の2回目でした。川村勝巳(大日本インキ製造会長)の「DIC川村記念美術館」、大原孫三郎(倉敷紡績社長)の「大原美術館」、小林一三(阪急創業者)の「逸翁美術館」、山本為三郎(朝日麦酒初代社長)「アサヒビール大山崎山荘美術館」、佐治敬三(サントリー)の「サントリー美術館」、鈴木常司(ポーラ化粧品社長)の「ポーラ美術館」、平木信二(リッカーミシン創業者)の「平木浮世絵美術館」、細川護立(細川家16代当主)の「永青文庫細川コレクション」、稲盛和夫(京セラ創業)の「京セラ美術館」、安宅英一の「東洋陶磁器美術館」、相馬愛蔵・相馬黒光(中村屋)の「中村屋サロン美術館」と、魅力的な美術館が次々と紹介されました。美術館の紹介にとどまらす、経営者としての哲学、若いときの留学経験の影響、それぞれの人をめぐる人間模様など非常に楽しくかつ勉強になりました。 とりわけ経営者としては小林一三の名言が印象的でした。「金がなければ何もできない人間は金があっても何もできない。」など。中村屋の相馬黒光も知らなかったのですがインドの革命家をかくまったり女性解放運動などすごい人だったのだなと思います。細川内閣成立の裏話なども興味深かったです。深呼吸学部の皆様がこれから一緒に参加されることを楽しみにしています。
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本日もありがとうございました。遅れての参加でしたが、興味深く拝聴いたしました。サントリーの佐治敬三氏の「下からイノベーションの種が芽生える」想いに心打たれました。自由って、人を活き活きさせるのだと思った次第です。会社は潰れたが美術館は残っているのもあれば、会社も美術館もなくなってしまったものもあると聞いて、無常さを感じました。また、会社の社長が設立した美術館はこれでもかこれでもかとたくさんあることにも驚きました。 本物の美術品を数多く入手できる財力にただただ驚愕です。ポーラ美術館に興味を持ちました。建物に美しさを感じました。決して遠くはないので、足を運んでみようかと思った次第です。そして、作品+建物+庭の三点セットで、五感で味わうことも知りました。美術館は作品を鑑賞するところと思っていたので、新たな楽しみ方を学んだ次第です。
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本日もありがとうございました。今回は関西の美術館がいくつも含まれていましたので、前回より興味深く聞くことができました。また、創設した方のことだけでなく、創設に関わった人(建築家、庭師、作品を集める人など)のことにも触れてお話いただいたので、美術館の意外な共通点を知ることができ、楽しかったです。経営者が茶器や絵画等の美術品を収集したきっかけはいろいろあるにせよ、その当時の一流の人とつながって立派な美術館を建てた。そのおかげで、日本中に美術館が点在し、それぞれの地域で今も観る人を魅了している。ありがたいなぁと思いました。すべての美術館を訪れるのは無理でも、今まで通り過ぎていた身近なところから、少しずつ観に行こうと思います。これからも美術館にまつわるお話をご紹介いただきますようよろしくお願いいたします。
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「名言との対話」9月28日。アベリー・ブランデージ「アマチュアリズム」
アベリー・ブランデージ(英: Avery Brundage, 1887年9月28日 - 1975年5月8日)は、アメリカ合衆国のスポーツ選手で、国際オリンピック委員会(IOC)の第5代会長などを務めたスポーツ界の重鎮。
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身。イリノイ大学で土木工学を学ぶ。卒業後、建設業の会社を設立し1947年まで営んだ。
1912年、ストックホルムオリンピックで近代五種競技。近代十種競技に出場。1914年以降、3回にわたり全米選手権で優勝している。
1928年、全米体育協会会長、1929年にアメリカオリンピック委員会会長、1930年に国際陸上競技連盟副会長。
1936年に国際オリンピック委員会理事、1945年からの副会長を経て、1952年には会長に就任した。1972年に引退するまで20年にわたって会長をつとめた。享年87。
ブエランデージは常にアマチュアリズムの遵守を説き、「ミスター・アマチュア」と呼ばれた。
「アマチュア」という言葉は、オリンピックでは長い間、論争の種になってきた。スポーツは貴族のものであり、金のためにスポーツをする労働者を排除するという思想であった。第5代会長のブランデージは極め付きのアマチュア論者であったが、20年の在任中には、実際にはそうもいかなくなった。例えば、アルペンスキーの用具メーカーが協賛する冬季大会などを批判している。ブランデージのアマチュア精神には、差別的な思想が残っており、時代遅れの恐竜という批判もあった。
ブランデージは、1940年の幻の東京オリンピックと1964年の東京大会実現にも功績があった。1972年の冬季札幌オリンピック開催と成功の恩人として、藻岩山で祭神として祀られている。神様になったのである。
ブランデージは日本文化の愛好家としても有名な美術コレクターだった。日本の着物姿の男性が使う小物入れである根付から始まり、日本の絵画、陶器、彫刻、そして青銅器、象牙彫りなどのアジアの美術品を収集し膨大な7700点の個人コレクションをつくった。それをサンフランシスコ市に寄贈した。日本絵画も優れたものが多い。市はサンフランシスコ。アジアン・アート・ミュージアムを設立している。
「アマチュア」という言葉はきれいな言葉ではなかった。労働者差別、人種差別などの歴史が入っていたのだ。オリンピックはショー的な要素も加わり、クーベルタン男爵がつくった時代とは姿をすっかり変えている。最近、2020年東京オリンピックの金にまつわる汚職が取りざたされている。オリンピックの歴史に少し触れただけでも、暗い歴史もあり、複雑な様相が浮かび上がってくる。札幌冬季オリンピック招致運動の行方も含めて、どうやらオリンピックは曲がり角を迎えたようである。