橘川幸夫「参加型社会学会・深呼吸学部」の講義。滑川海彦「英語についての対話シリーズ」第1回。

「参加型社会学会・深呼吸学部」(改名):第3期18回目・通算110回目。16時から18時。第4期「他者との対話へ。行動と関係充実のステージへ。」

f:id:k-hisatune:20221002051733j:image

  • 未来フェス:地域型とテーマ型。リアルとオンライン。好きな町未来フェス。教育未来フェス(熊本・八王子)。AI未来フェス五。アート。図書館。結婚。未来フェスサミット。
  • 深呼吸ゼミ:研究開発型講義。インストラクター(橘川・久恒・亀田・滑川)。自分で調べる時代。Wikiを完成させていく。フランチャイズ方式。第1弾は福岡教室(11月7日)。代表・テーマ・報告書・報告会・出版。塾の時代の卒業生のゼミ。展開案(旅行・放送局・民間図書館・電気自動車設計)。(福岡に縁のある人物の研究。西日本新聞の社説・記事)
  • バーチャル役員会
  • 気分調査
  • 自分出版協同組合
  • AIクリエイティブ同盟:テキスト、絵、音。文学賞
  • 参加型社会支援装置:セルモーターネットワーク。0から1は天才、旧来メディア。SNSなどネットメディアの本質は普通の人のレスポンス、RT。素材サイト。無料提供。
  • ミッシングリンク:連続の中で欠けた隙間。ミッシングリンク・メディア。外形は古いが中身が新しい。人材の育成と経験の蓄積。このプロセスが重要。
  • 創造性学科(岡本太郎組)・分裂教会・文化翻訳、、、。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

21時から:滑川海彦「英語についての対話シリーズ」第1回は田原真人さん。

f:id:k-hisatune:20221002051757j:image

  • 世界をコミュニケーションとして理解:記号ではなくコミュニケーション。多言語環境。ダイレクト表現。相互調整。通じればいい。文化的背景。日本人の英語ギライの原因は確固たる日本語、英語があるという幻想。ゲルマン語の系統(オランダ語、英語、ドイツ語。福沢)。
  • 子どもの英語教育。同時通訳は棒高跳び・本の翻訳はマラソン、映画の字幕スーパーは間違いが多い。ファクトチェック。ユーチューブが役に立つ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」10月1日。小野寺百合子「あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」

小野寺 百合子(おのでら ゆりこ、1906年10月1日 - 1998年3月31日)は、日本翻訳家随筆家ノンフィクション作家。享年91。

東京生まれ。東京女子高等師範附属高女卒。1927年、小野寺中尉と結婚。第2次大戦中に夫の小野寺信(ストックホルム駐在武官)とともに、7年間にわたり暗号電報打電など情報活動に従し和平工作を行った。

戦後、その経験をもとに『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』(共同通信社)を書いた。クリミヤ半島のヤルタでの連合国の首脳会談でドイツ降伏後3カ月でソ連は対日参戦するという秘密協定の内容をつかみ、貴重な情報を提供したが、参謀本部に無視された。その陸軍武官の情報活動とそれを支えた妻の物語だ。また、スウェーデン社会研究所の設立に尽力し、スウェーデン社会福祉制度を研究し、スウェーデン福祉に関する共著もある。1981年にはスウェーデン国王から勲一等北極星女性勲章を受章している。

そして、小野寺百合子は60歳以降、スウェーデンの児童文学翻訳などにあたる。代表作は、トーベ・ヤンソンの「ムーミンパパ」シリーズ「海へ行く」「思い出」「少女ソフィアの夏」「不思議な旅」は多くの読者を得た。黒いシルクハットとステッキがトレードマークのムーミンパパは、家族思い、冒険家、哲学的、少年っぽさ、小説家でもある。2022年7月に東京富士美術館ムーミンコミックス展」をみたが、この人が翻訳者だったことを、今日初めて知った。

小野寺百合子の生涯はNHKドラマになっている。女スパイからムーミン翻訳者となっていく軌跡を追ったドラマだ。主演は薬師丸ひろ子。たった2人(夫婦)でも戦争は止められると信じていた。夫の小野寺信は陸軍少将になるが、後に百合子は『平和国家への研究 小野寺信遺稿集』を刊行している。

「あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」は、ムーミンパパの『ムーミン谷の仲間たち』の中で、登場するスナフキンの言葉だ。個人崇拝を戒めた教訓である。「非交戦国家」宣言をして中立政策をとっていたスウェーデンは、ヒットラードイツ帝国の圧力を受けて、8000人超の義勇兵を送るなどソ連と闘うはめになってしまった。こうういう歴史の教訓をこの言葉は教えてくれる。重い意味のある言葉なのだ。小野寺百合子のこの訳には深い意味が込められている。

第2次大戦中のスウェーデンでの活動の教訓が、60歳以降のムーミンパパの翻訳に生きている。平和を希求する小野寺百合子は、ムーミンパパの翻訳で遅咲きの人生を締めくくったのだ。

この文章を書いている最中に、新党さきがけの党首だった武村正義さんの訃報が目に入った。この人の愛称は「ムーミンパパ」だった。それを思いだした。これもなにかの縁だろう。