



「名言との対話」の10月分の人選を終了。
「明治生まれ」がテーマの今年も最終コーナーに入る。8年目の来年は「明治時代に亡くなった人」というアイデアはあるが、成立するかどうか。
小野寺百合子・郡司信夫。岩垂邦彦。津田左右吉。日野原重明。佐佐木喜善。ル・コルビジュ。村野四郎、クレマッチー。水原秋櫻子。ジャコメッティ。榎本健一。木下尚江。石川武美。エドワード・デミング。野村胡堂。二階堂進。澤田廉三。佐藤亮一。鎌倉芳太郎。九條武子。細川護立。佐藤武夫。浄弘信三郎。松前重義。田中耕太郎。ナポレオン・ヒル。窪田権四郎。中川臨川。ゲッペルス。上田敏。蒋介石。
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日本近代文学館で開催中の「住井すゑ、九十五年の軌跡」展を訪問。
『橋のない川』全7巻という大作を書いた作家。55歳で夫が亡くなった後からライフワークにとりかかる。天皇制と戦争と部落がテーマ。59歳「第一部」「第二部」を刊行。61歳「第三部」。62歳「第四部」。68歳「第五部」。71歳「第六部」。92歳「第七部」。95歳死去。「第八部」の構想もあったが、タイトルのみの原稿で終わる。
住井すゑについては、本格的に書く必要がある。
近くの駒場東大、民芸館を覗く。
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東山 千栄子(ひがしやま ちえこ、旧字体:千榮子、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、日本の女優。享年89。
千葉市出身。生家は佐倉藩の城代家老の家柄。養女となり東京に転居。1909年輸入業の河野通久と結婚しモスクワに住む。モスクワ芸術座の「桜の園」の魅力にとりつかれる。1917年のロシア革命で帰国し、夫は戻ったが、千栄子はそのまま日本にとどまった。
1925年、35歳で築地小劇場の第2期研究生として入団する。初舞台、初主演、初ヒットを経て、1927年に「桜の園」のラネーフスカヤ夫人役で評判をとり、1963年まで約310回演じた代表作となった。
1944年、俳優座結成に参加し、中核として多くの舞台を踏んだ。1952年には「桜の園」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。
映画にも多く出演した。木下恵介監督の作品には監督の出ニュー作「花咲く港」以来、13本に出演した。小津安二郎監督「東京物語」の老いた母親役は映画における代表作となった。1969年以降は、テレビが主体となり女優を続けている。1956年、女優初の紫綬褒章。1966年、文化功労者。この人も遅咲きといえる。
この人の生涯をながめて、代表作というものを考えた。「舞台」という分野の代表作はロシアのチェーホフ「桜の園」の舞台である。モスクワ滞在時の20代に舞台をみて感激し、35歳で女優の道に入り、自身が女優として演じ続け、それで60代になって、芸術選奨文部大臣賞をもらうということの、幸運と凄みである、一筋の道を歩んでいる。初恋の人と結ばれ、添い遂げるという感じに近いのではないだろうか。
「映画」の分野では、小津安二郎監督の「東京物語」で笠智衆との老夫婦役であろう。原節子の人気とあいまって、名画といわれる。その義母の役は評価が高く、私の目にも焼ついている。違う分野で代表作をひとつづつ持っているのだ。
「テレビ」の時代になっても、東山千栄子は歩みをとめない。1976年、86歳の時に黒柳徹子の「徹子の部屋」のユーチューブの映像をみた。黒柳によれば、日本いや世界でも最年長の女優だと語っていた。89歳で亡くなっている。
宮城大学時代に、柳田邦男さんを講演会にお呼びしてじっくりと話を聞いたことある。このときのテーマは「いのち」であり、「人生における代表作」を意識せよというメッセージが頭に残っている。
20代で外国でみた舞台に魅せられて、自分が演じる側にまわり、60代まで演じる。そしてその延長線上に、時代の変遷に応じて、映画、テレビと歩みを進めた人である。
東山千栄子の言葉は、見出せなかったが、ライフワークともいうべき「桜の園」を採ってみることにした。