本日発売の「週刊現代」にインタビュー記事。図解塾は「比較宗教論」などの図解講義。落葉八景。

 

本日(16日)発売の「週刊現代」の「珠玉の名言 だから私はひとりで生きる」にインタビュー記事が掲載された。テーマは「孤独」。

 


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夜は図解塾。梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明学研究」の図解講義の4回目。2時間。

「比較宗教論」「二つの流れ」「西型と東型の対比」「インドにおける仏教の運命」を説明し、その後各自の感想などを発表し合った。


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以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。梅棹忠夫著作集第5巻「文明の生態史観」の4回目。今回は4枚の図解を使って、世界の宗教の全体像と関係性等について解説がありました。特に関係性については、各教義の違いにこだわるのではなく大枠(本質)で捉え、宗教を取り巻く外界との関係をはじめ、大きく二つの流れ(西型と東型)があることや、その二つの対比などが示されました。6つの宗教が東西に(バラモン教・仏教・ヒンドゥー教が東型、ユダヤ教キリスト教イスラム教が西型)に分かれ、しかもキリスト教と仏教は現在、ともにその中心地が発生地域から移動しているということや、世界観が「東型」は輪廻転生、「西型」は終末的とのことでした。今までは、各宗教の中の教義の違いや、どの国でどの宗教を信仰している人が多いのかなどを学ぶことが多かったので、宗教間の関係性に気づきませんでした。そのため、今回、東西で対称になった図を提示していただいたことで、世界の宗教を前回の講義とは違った視点で、大雑把に掴むことができました。 そして、お話を聞く中でふと「お天道さん」のことを思い出しました。「お天道さん」って具体的に何なのか知りませんが、子どものころに大人から教えられました。八百万の神を信仰する日本独自のもので、宗教ではないかもしれませんが、日本がいろんな宗教を自然に受け入れていることにつながるのかなと、想像した次第です。毎回新しい学びがあるのでワクワクして参加しています。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日は第6期図解塾の4回目。『梅棹文明学プロジェクト/第5巻_文明の生態史観』。先週に続き今週も『宗教』をテーマに久恒先生より4つの図解についてレクチュア頂きました。①「宗教を取り巻く外界との関係の研究」では、オリエント(西アジア/エジプト)から西欧、北インドから日本(極東)という東西ルート夫々において2つの仮説夫々での社会との関係性を説明。『地域』では、「移動」「分裂」を繰り返す過程での変化。『段階』では、地層に見立てた時代の流れに応じた変化について説かれていました。②「ふたつのながれ」では、「悪い世界が終わる(終末)」事を信じ研鑽を勧め、経典、絶対神に象徴される世界観と、「生死を繰り返しながらステージが上がる(輪廻)」ので悪行を慎む、という世界観、③「東西対比」では、②における「終末」と「輪廻」双方宗教観について経典・絶対神預言者を具体的に並べて構造比較、④「インド仏教の運命」では、発祥→隆盛→衰退→壊滅と時代の流れに沿ったステージ変化が夫々示されていました。1.  微細にとらわれず全体を視野に置きつつ構成要素をモレなく並べて関係性を簡単な言葉で整理する。2. 整理は、ある「仮説」に則り行なう。3. 方向、大小様々な視点で関連要素を比較し、関係性を重層的に表わす。という梅棹先生が示された説明ロジックが、図解によってより容易かつ明確に理解する事が出来ました。特に断片的な事実のみ説明するのではなく、全体視野のもと関連印史観の関係性を示すことにより「世界観」という一つのモノサシを持つ(=真理を理解する)ことにより、それ以降に出て来た事柄に対しても的確迅速に理解・対処が出来る。「真理」を得る事で、利害関係を超越した正しい見識を持つことができる。ただしこれを実践する為には、高い視座のみならず、世界観を形成する為の「専門性」が併せて必要でこれを満足する膨大な取材がこれを支えている事を忘れてはならないと感じました。今日パソコン・SNSメディア活用により検索がより容易になっては来ているものの、「他に足りないモノは無いか」と常に思考し取材するフットワークの良さの重要性を感じる事ができた事が本日の学びとなりました。本日冒頭で久恒先生ブログに登場した船山信次先生ご提唱の「地球誕生46億年の歴史1年カレンダ」における、「近代科学誕生:12月31日23時59分58秒」につきましてご参考まで、国立環境研究所配信の「古代からの大気中CO2濃度変化」のグラフ(南極氷床のボーリング調査に基づくデータ)を添付致します。社業の一環で小学5年生対象に「温暖化問題」を説く出前授業の冒頭にも引用している興味深いモノなので併せて参照頂けましたら幸いです。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。今回は「宗教と宗教をとりまく外界との関係の研究」「ふたつのながれ」「西型と東型の対比」「インドにおける仏教の運命」という4枚の図解を使って、梅棹先生の「比較宗教学」の大枠を学びました。多様で複雑に関係している世界の宗教ですが、ユダヤ教キリスト教イスラム教を「西型」宗教、バラモン教・仏教・ヒンドゥー教を「東型」宗教と、大きく括り、それぞれ共通している構造やながれを比較すると、驚くほど対称性のあることが分かり、面白いと思いました。例えば、「西型」には「聖なる本」や「絶対神」「予言者」がいるという点で共通しているが、「東型」にはこれらはなく多神教。「西型」の終末的世界観に対し「東型」は輪廻転生。そのような違いがあるにもかかわらず、日本の浄土宗とヨーロッパのプロテスタントは似ているという話もあって、前々回にあった「文明の生態史観」の 「西欧と日本は似ている」という  話に繋がり、微妙に興味深く感じました。また、物事をとらえる際には大枠を「思いつく」ことが大事、そのためには専門性を大切にすること、広く世界を知っていること、という話も印象に残りました。次回も続きが楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。文明の生態史観からみた世界の大宗教、西の「終末論的宗教観」と東の「輪廻的宗教観」でまさにクリアーに左右対称な比較の図が示され、大局的に掴むことができました。思えば、世界史の断片的な知識はあっても、受験生のような言葉だけの中身のないものであったことをこの歳になって痛感しています。この図式を頭に入れて、改めて世界史を学び直したい気持ちにさせられました。最後の感想を言い合うところで出てきた「お天道様が見ている」というのがローカルなのかグローバルなのか、大変興味深いところです。また、死後の世界についても共通性がありますが、そもそもどのように生じてきたのか、ということも考えました。昔の人々は自然災害、疫病、暴政など今と比べるとはるかに苦しんだと思います。仏教の極楽浄土、キリスト教などの天国に望みを託したのでしょう。内容以外でも「仮説を立てられる力」「専門をもつとともに幅広く見る力をもつ」など大切なことを学びました。ありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。仮説を思いつく力が大事。仮説は図である。いろいろな面に適用でき、法則となる。この考えを元に、宗教の比較文明論のお話を聞きました。地層などからその土地の宗教の変わり方の仮説をたて、キリスト教と仏教は、イスラム教やヒンドゥー教にとってかわられ、いろいろな場所をたどり、枝分かれしたりしながら、極西の西ヨーロッパ、極東の日本にたどりついた。比較すると相反している宗教だと思いましたが、結局は似ている側面がある、ということが面白く思いました。これらは、専門知識と大まかな広い知識を持って仮説をたてて論じられていて、図をみながらその説明を聞いて、大まかですが、宗教の歴史や、宗教がどういうものなのか知れた気がします。 今まで触れてこなかった分野ですが、関係性が明確に表れているこれらの図で、免疫力強化になるのではと思ってます。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。仮説を思いつくチカラが大事で、それをできていたのが梅棹先生のすごいところだと改めて思いました。前回お休みした際の宗教生態学の考えでは、宗教は病原体と対比されているという話は、まだ少し咀嚼できていませんが、地域宗教が風土病と例えられているところはイメージできました。中洋から西に追い出されたキリスト教、東に追い出された仏教は似ているところがあり、そこから、キリスト教と仏教は同じグループで西ヨーロッパと日本は中洋よりも距離はあるけど、考え方が近くなるというのも全体観や時間的な流れなどから腑に落ちる部分もありました。とはいえ、宗教は難しいです。次回も先生の図に助けていただきながら、理解できるよう臨みたいと思います。
  • 久恒先生、皆さま、本日も図解塾ありがとうございました。梅棹先生の前回の比較宗教論への方法論的おぼえがきの復習の [疫学的アナロジー] による説明は、例えを使うことで流れや仕組みがとても分かりやすく、このことが、本日の具体的な個々の世界の宗教の図解につながってくるので、これは、大事だと思いました。 またどの宗教も疫学的アナロジーや精神の疫学に当てはめて理解することができると思いました。興味深かったのは、キリスト教と仏教の共通する点が、発生した場所とは異なるいずれもほかの土地で栄えたことです。  現代では、インドでは仏教人口が0.1%しかいないというのも驚きました。 比較宗教論では、宗教の教義などの内容より、社会的機能の視点として、システムとしてとらえる事に、宗教をそういうとらえ方もあったことを初めて知り、とても分かりやすいと思いました。特に印象に残ったことはキリスト教も仏教も変容から分裂をしながら、遠く離れたキリスト教なら西ヨーロッパ、仏教なら日本などずいぶんと遠くに広がっていくことが改めて分かりました。段階対応の仮説では、オリエントの第2層のキリスト教北インドの第2層の仏教は、免疫現象(3000年ごとの強い定着)としては、同じ時代の宗教だということが理解できました。比較宗教論の図解は、オリエントと北インドの図が左右対称で、理解しやすく、図表に美しいデザイン性を感じました。そのため、難しい複雑な宗教の内容が、頭の中にすっと入ってきて、構造を理解するスピードが、速まる気がしました。図表の理解の情報処理能力があがる分を本当に必要な内容(全体や流れや原因)の把握に時間をかけることができるのではと思いました。終末的世界観と倫理的世界観の意味や違いについても、分かる範囲で理解することができました。 二大宗教の源流の流れも図表で分かりやすく、メソポタミアではユダヤ教イスラム教は移動せず、キリスト教のみが移動と、 インドでは、バラモン教、ヒンドゥ教は移動せず、仏教のみが移動といったことなどは、メソポタミアとインドの似たような源流の流れを感じました。今回の久恒先生のお話を聞いて、複雑な世界の宗教について細部にこだわりすぎるととなかなか前に進まないのですが、大きく全体像を把握することができました。 また今まで知らなかった西と東、仏教とキリスト教の共通点を知ることもでき、大変勉強になりました。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。

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落葉八景。


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「名言との対話」11月16日。中西悟堂日本野鳥の会

中西 悟堂 (なかにし ごどう、 1895年 ( 明治 28年) 11月16日 - 1984年 ( 昭和 59年) 12月11日 )は、日本の 野鳥 研究家で 歌人 ・ 詩人 。

石川県金沢市出身。5歳で東京に小学校に入学。高等小学校卒業後、紙問屋、給仕などをし、工手学校の夜間部で学ぶ。1911年、天台宗深大寺で僧籍につく。1914年から曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通う。1920年から島根県の長楽寺、普門院の住職となる。

30代をむかえた1926年から千歳烏山に住み、昆虫や野鳥の観察を開始し、全国の山々を巡り野鳥の観察を行う。1934年、鳥類学者、柳田国男などの民俗学者新村出などの文化人の後援で、「日本野鳥の会」を設立する。鳥類保護思想の普及と鳥類研究の推進が目的である。探鳥会を催すなど、会員数は1800名に達した。「野の鳥は野に」を合言葉に自然の中で鳥を楽しむことを提唱した。戦後は鳥類保護法の制定にも尽力している。

中西悟堂『フクロウと雷』(平凡社)を読んだ。

「私の家から、谷一つへだてた丘の農家、、」「軽井沢に鹿島ノ森をあるいていると、」など、フィールドワークのたまものであることがわかる。水の中で一日中袋をかぶってカイツブリという鳥を観察する記録は圧巻だった。普段はたった一人で大森林や、深い渓谷、高山を歩き、手帳に浮んできた想念を記録していく。自宅での多くの鳥たちと生活している。家族同様であった。

現在では普通に使われる「野鳥」という言葉は中西の造語である。また「探鳥会」という観察会と言葉も彼の造語である。第1回の富士探鳥行には、柳田国男北原白秋金田一京介ら100人が参加している。こういったオーガナイザー能力は大したものだ。

「昆虫や鳥類や即物の生態の観察には、卓越した多くの綿密な頭脳と、多くの熱意に充ちた生涯とをかけても尚あまりある研討の対象」であると語っている。そのために日本野鳥の会をつくったのである。

「神の無限の才能と創造力とを現実に見るような精巧さと多様さとの驚くべき種々相」「生命の保全と種族の保存との法則に貫かれている生活の万華鏡」「自然は常に最も偉大な師である」「自然が見せてくれる教訓は絶大無限である」「自然の環境に置かれてある限り、人々は常に美と徳との善き調和の中に置かれている」「自然の諸事物は、森の王女のように、心に跳んだ人々に発見される幸運を待ち、言葉を賦与される機会を待っている」

中西悟堂は57歳から冬でもパンツ一枚、上半身ハダカで過ごしている。「心の修養などは、あてにならぬ」「からだの修養からはじめよ」が信条であった。15歳年下で、悟堂が40歳の時に結婚した妻の八重子は「常識というものをどこかに置き忘れてきたような人ですが、人間に対する価値判断はびっくりするほど鋭い。心が童児のようにきれいだという点でも、深く敬意を表しております」と夫を評価している。

日本野鳥の会は存在感を放っている。近所の公園でもカメラを抱えた野鳥観察が趣味の人々をよく見かける。JAL時代に日本野鳥の会と組んでプロジェクトを行ったことを思いだした。新鋭のMD11という飛行機を日本の空に導入したとき、この機種を「Jバード」となずけ、絶滅危惧種の鳥を機種ごとに命名した。ヤイロチョウヤンバルクイナエトピリカなどの稀鳥の名で呼んで保護を印象づけた。このとき、日本野鳥の会の方々と連携した。この素晴らしい活動を行っている団体の創設者が中西悟堂だったのである。