「図解塾」6期の8回目の講義ーーテーマは「諸文明における宗教の層序学」。

「図解塾」6期の8回目の講義。テーマは「諸文明における宗教の層序学」。

以下、塾生の学びから。

  • 本日もどうもありがとうございました。いやぁ、「諸文明における宗教の層序学」の図解を見て圧倒されました。世界の大宗教を歴史的に見て3つの層に分け、世界の主な地域を網羅して美しい形にまとめてあって、本当にすごいです。私たちの世界を見る目というのは、歴史的にも大きく影響を受けてきた中国と西欧が大きな部分を占めていて、イスラム世界のことやインドについては遠い存在で、ほとんど知りませんでした。バラモン教ジャイナ教ヒンドゥー教ゾロアスター教など名前は知っていても、その位置付けについて初めて知りました。日本にあまり研究者がいないということもあるのかもしれませんが、人口が中国を抜いて1位になりこれからどんどん発展するインドについてもっと知る必要があるということを強く感じました。また、イスラムについても最近ではヒジャブの着用問題とか女子教育の問題などマイナスイメージしかもてない報道がなされていますが、全部がそうではないと思います。そのあたりももっと知る必要があると思いました。非常にレベルの高い内容で、なかなか聞けない話でありがたく思っています。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。今日は梅棹先生の『文明の生態史観』の中の「諸文明における宗教の層序学」を久恒先生の図解で学びました。まず世界の宗教をその発祥から現代に至るまでを地域を含め地球規模で俯瞰する図解に目を見張りました。それぞれの地域で最古層となる民族宗教があって、それに重なるように第二層、第三層としてキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教が展開していく様子が描かれていて、壮大な図解。この図を眺めながら梅棹先生の文章も併せ聴くことで、少しずつ理解が進みました。中でもインドのヒンドゥー教や中東のイスラム教など「中洋」地域についてはなじみが薄く、由来を辿ってみると 意外な発見もあり興味深く感じました( ヒンドゥー教バラモン教の巻き返し 。イスラム教はユダヤ教に近いなど)。この図を見ていると、モザイクや曼荼羅、また脳細胞の図のようにも感じ、相互に影響したり反発し合うような関係も見えてくるように思えました。次回も「宗教の層序学」を読み進めるとのこと。どんな発見があるか楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。「諸文明における宗教の層序学」というタイトルの世界宗教曼陀羅のような図をもとに、ユダヤ教キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の、それぞれ発生したときから現代までの流れを見ました。一枚の図にあらわされていて、歴史と地理の関係性が一目でわかり、また以前から目にしている文明の生態史観の図と重ね合わせて、受け入れやすくお話を聞くことができました。ほぼ触れこなかったので、無知な状態で、この図をもとにお話しを聞くことができて、良かったと思いました。ユダヤ教キリスト教からのイスラム教との関係について、つながりがあるとは新しい発見でした。またその地と住んでいる民族の性格と宗教の関係が深いことが面白そうです。次回からは、この図の1か所ずつを掘り下げていくということで、興味深く受講できそうです。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。図解塾、本日も『梅棹文明学プロジェクト/第5巻_文明の生態史観』『宗教』をテーマに、久恒先生よりレクチュア頂きました。宗教と宗教をとりまく外界との関係において、『地域対応』と『段階対応』2つの変遷がある事、そして両者はともに地域に関係性を持っている事を前回まで夫々の図解を通して学んできました。今回これらを1つに集約した図を久恒先生より紹介頂きました。梅棹先生著述の朗読を聞きながら果たしてこの図から感じたのは、①乾燥した大陸中央での巨大文明から発生した宗教が年代の進行とともに成熟しつつ近隣地域へ伝播しながら形が変わっていく様をまさに立体的に捉えることができた事、②キリスト教vsイスラム教等という今日では対立する関係として取りざたされることの多い両者が、実は同一のルーツを持つ(今に残る儀式に共通項有)事、③古くは「地続きの隣接した地域」間での争い~統合が繰り返されるも、やがて異種同士の「共存」が観られるというような『疫学』的な変化が認められる事、等という興味深い事柄でした。脳ミソの構造に模した更なる立体的な図の表現や、興味ある領域をタッチしてその時代の疑似空間へ侵入し世界感を体験する等といったワクワクする提案も塾生間で確認する事が出来ました。先日聴視した寺島先生のリレー塾におきましても世界史/日本史等というジャンルの型を取っ払い、互いの関係性を立体的多角的に確認する事により理解を深めるという教科についてレクチュアが有りましたが、こうした新たな組合せや角度で考察しようとする姿勢の大切さに気付けた事が本日の収穫となりました。有難うございました。次回も宜しくお願い致します。
  • 第5巻_文明の生態史観』『宗教』をテーマに、久恒先生よりレクチュア頂きました。宗教と宗教をとりまく外界との関係において、『地域対応』と『段階対応』2つの変遷がある事、そして両者はともに地域に関係性を持っている事を前回まで夫々の図解を通して学んできました。今回これらを1つに集約した図を久恒先生より紹介頂きました。梅棹先生著述の朗読を聞きながら果たしてこの図から感じたのは、①乾燥した大陸中央での巨大文明から発生した宗教が年代の進行とともに成熟しつつ近隣地域へ伝播しながら形が変わっていく様をまさに立体的に捉えることができた事、②キリスト教vsイスラム教等という今日では対立する関係として取りざたされることの多い両者が、実は同一のルーツを持つ(今に残る儀式に共通項有)事、③古くは「地続きの隣接した地域」間での争い~統合が繰り返されるも、やがて異種同士の「共存」が観られるというような『疫学』的な変化が認められる事、等という興味深い事柄でした。脳ミソの構造に模した更なる立体的な図の表現や、興味ある領域をタッチしてその時代の疑似空間へ侵入し世界感を体験する等といったワクワクする提案も塾生間で確認する事が出来ました。先日聴視した寺島先生のリレー塾におきましても世界史/日本史等というジャンルの型を取っ払い、互いの関係性を立体的多角的に確認する事により理解を深めるという教科についてレクチュアが有りましたが、こうした新たな組合せや角度で考察しようとする姿勢の大切さに気付けた事が本日の収穫となりました。有難うございました。次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。 今日は前半は、久恒先生から寺島実郎氏の「世界を知る力と対談編」「日米中の現状と未来」についてのお話をお聞きしました。日本のことだけでなくグローバルに世界を見ることの大切さがわかりました。後半は、梅棹先生の『文明の生態史観』の中の「宗教と宗教の外界との関係の研究」や「諸文明における宗教の層序学」について学びました。 特に印象に残ったことは、宗教界全体を理解するにあたり、各宗教の地域対応と段階対応を一緒にした図によりとても理解しやすくなることがわかりました。宗教の変異を第一層、第二層、第三層にすると宗教の流れがよくわかりました。またバラモン教キリスト教イスラム教のつながりや仏教、ゾロアスター教道教ユダヤ教ジャイナ教など各国でどのように拡がっていったか、図解にするととても分かりやすかったです。仏教の発生やキリスト教の発生、イスラム教の発生なども興味深かったです。一つ一つの宗教を深く掘り下げて理解するのもいいですが、世界の宗教を図解で全体像を把握することで今この宗教が、世界全体の中でどういう位置づけか、近代においても勢いがあるかなども理解したり、感じ取ることができました。ありがとうございました。次回も楽しみにしております。
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「名言との対話」1月25日。牧野伸顕私ならどうするということをなぜ、考えないのか」

牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日文久元年10月22日) - 1949年昭和24年)1月25日)は、日本政治家

11歳で岩倉遣欧使節団に参加し、そのままフィラデルフィアの中学に入学。帰国後開成学校(東京帝大)に入り、中退し外務省に入省する。ロンドン大使館、太政官などを経て黒田清隆首相秘書官、福井県知事、茨木県知事、文部次官。イタリア公使、オーストリア公使。第一次西園寺内閣の文部大臣。男爵。第二次西園寺内閣の農商務大臣。第一山本権兵衛内閣の外務大臣。官僚政治家、自由主義的政治姿勢、薩摩藩閥の一員という独自の位置を持った。第一大戦後のパリ講和会議の次席全権として采配をふるった。子爵。元老と内大臣の仲介者として後継首班の奏請に関与していく。内大臣。伯爵。2・26事件では英米派の代表として襲撃されるが無事だった。

父は大久保利通(次男)、娘婿は吉田茂、ひ孫は麻生太郎という系譜の中にある人物で、大臣などの要職は多かったが、不思議なことに首相には就任していない。しかし常に政治の中枢にいた。薩摩閥にありながらオールドリベラリストとも呼ばれる自由主義者でもあり、保守と進歩の均衡の中、政治と宮中の間に立つという独特の立ち位置の人である。

牧野の娘婿である吉田茂は、ワシントン大使館に赴任した。若き吉田は東京から届く電信を受け取り、すぐに大使に渡すという単調で意味のない仕事に嫌気がさし、自分のように有能な人間を大事な仕事に使わないのは日本の損失だととして、 外交官を辞めると岳父の牧野に手紙を書く。

「お前はなんという大馬鹿ものだ。我以外みな師なりという言葉を、お前は忘れたのかと叱責し、「大使よりも先にその電文を読むことができる立場にある。その廊下の間の何秒間で電文を見て、私ならどうするということをなぜ、考えないのか」と諭す。続けて「後で大使の行動を見て、自分の思ったことと違ったら、それがなぜかと考えてみる。そうやって勉強すればいいじゃないか。思ったとおりだったら、自分は大使並みだと喜べばいいじゃないか。こういう勉強ができる恵まれた立場にいるにもかかわらず、それを絶望したとは何事であるか」と返事をしている。

あまりできがよいとは言えなかった若い頃の私も、折にふれて上司たちから同じような教訓をもらってきた記憶がよみがえる。たとえば、役職者の重要会議に出す書類のコピーとりは、上司が読まさせて教育しようと考えてのことだ。たとえば、担当者として書類を書く時、どうせ上が直すだろうという安易な考えで気合を入れていないのを見破られれる。どうせ、上が考え、決めることだと安易に情報をあげるだけで済ませてしまっていて、「君なら、どう考えるか」と訊かれて返答に窮してしまう、、、。仕事というものは、上司というものは、ありがたいものだと思う。企業などの組織は実は学校だったのだとつくづく思う。

牧野伸顕は明治政府の立役者・大久保利通という父と、戦後日本を立ち上げた娘婿・吉田茂をつなぐ、重要人物であることは論を俟たない。明治新以降の人物や書物をみていると、この人の影を常に感じることになる。明確な像として結ばない、影の薄い印象の人だった。私が感心したのは、牧野伸顕という人物の仕事への取り組み方だ。

吉田茂とのエピソードでは、「自分ならどうするか」、常に回答を用意しようとする心構えの大事さを教えてくれる。そこで吉田が外務省を辞めていたら、戦後日本はどうなっただろうかと考える。池田勇人佐藤栄作へと続く吉田学校の人脈もなかったかもしれない。人は人によって育てられ、そして人を育てる。そういった人の流れが歴史を形づくっていくのだ。

以上を、数年前に書いた。牧野自身について追加する。牧野の残した膨大な記録は貴重である。参考資料は、「国史大辞典」「日本大百科全書」。

牧野伸顕大久保利通の次男であり、薩長藩閥政府の主役であった薩摩閥の巨頭で、昭和天皇の側近で政治の重要事項に関与した人物である。様々の本で牧野の名前がでてくることを経験している。つまり、日本近代の後半、つまり「尊王攘夷」路線の破綻の時代を疾走した人物だったのだ。機会をつくって『日記』は読んでみたい。