図解塾:梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明研究」の48枚の図解講義が終了。

図解塾は、梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明研究」の48枚の図解講義が終了。今回は「比較という方法」「文明学と日本研究」「経済機構の比較文明学」「高度技術社会の成立」「宗教の比較文明学」「近代日本とキリスト教」「言語と文学の比較文明学」の7枚の図解の解説講義。

以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。準備がさぞ大変だろうといつも思っています。本当にお疲れ様です。また、本題に入る前の近況報告もなかなか楽しいです。柏(でしたっけ)の川柳のグループで「天」を受賞されたとか。垣内さんの河井継之助山本五十六記念館の旅の報告もとてもよかったです。阪神タイガースの名前の由来も初めて知りました。本題の「文明の生態史観」の最終回は、はじめにことわられたとおり、超スピードでなかなかついていくのが大変でした。断片的な感想になってしまいますが。 今日のはじめのスライドの、地球文明系「自分はどういうところにあるのか」「文明の統合法則をつかみたい」という最終目標が印象的でした。これまでにも再三言われてきた、「文化」ではなく「文明」であること、それが18世紀に原型ができたこと、「文化」がdivergenceで「文明」がconvergenceという方向性の違いがあること。日本の文明は知と教養において世界最高水準(昨今の現状をみると、ホントかな、と思ってしまいますが)で学者や僧侶の教養主義と、明治以来の実学主義が結びついた知的大衆社会。「宗教の比較文明学」では土着宗教の再編成と日本における新興宗教の出現は全体像が見えてよく分かりました。キリスト教徒が韓国では多いのに日本では1%しかいないことについては、昔から不思議に思っていました。ある友人は「韓国の人たちは中国や日本に侵略されて苦難の道を歩んできたからではないか」と言っていますが、よく分かりません。次回からは「日本研究」。毎回のパワポ資料作成がちょっと大変ですが、また楽しみでもあります。
  • 先生、みなさま、お疲れ様でございました。今日は比較文明学研究の追い込み日でした。「比較という方法」では、日本文明論では、中国・ヨーロッパ・インド・ロシアの文明と比較して日本文明について構造の特性と認識の変遷を調べようとしていること、「文明学と日本研究」では、統治機構が文明の核心をついていて、日本は封建的だということ。「経済機構の比較文明学」では、現代日本の企業は、組織主義であり、藩の論理である。というところが成程と思いました。「高度技術社会の成立」では、「知的大衆社会」というくくりにされている日本がなぜか誇らしく思いました。「宗教の比較文明学」ではいろいろな宗教の位置関係が示されていて、「近代日本とキリスト教」では人口の1%という数字が他国に比べて少ないことが分かりました。「言語と文学の比較文明学」については、標準語が、中国語や英語、フランス語などに制度化されなくてよかったと思いました。次回からは7巻の日本研究ですね。よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は、図解による梅棹忠夫『比較文明学研究』の最終回。最後の7枚の図解を一気に読んで梅棹文明論・文明学の理解を深めました。「文明」の理解には「文明」を比較してその「統合原理」が何であるかを理解することが肝(図解『比較という方法』)。文明の統治機構には武官中心の封建型と文官中心の帝国型があり、日本は前者であるのに対し、中国は後者(図解『文明学と日本研究』)。また、経済を動かしているしくみには、強力な国家機構を背景にした「植民地国家」と、移住中心の「僑民型国家」があり、日本は「植民地国家」型(図解『経済機構の比較文明学』)。同じ植民地国家でも、西ヨーロッパと日本は異なり、日本は江戸の幕藩体制がベースの組織主義。一方の西ヨーロッパはギルド社会から生まれた職能制。このあたりの違いは現代の日本の会社組織と西欧の会社組織の風土の違いにも通じているようで、とても興味深く伺いました。 また、日本は「知と教養」において世界最高水準である(図解『高度技術社会の成立』)との見方も印象に残りました。江戸時代から醸成されていた「教養教育」と明治以降の「実学教育」の2本柱が相乗効果を発揮するところに日本の強みがあるとのこと。個人的にも教養と実学のバランスが大切であると感じます。『宗教の比較文明学』『近代日本とキリスト教』では、情報産業の中にあって個々人への処方箋、カウンセリングの機能が期待されていることを、また『言語と文学の比較文明学』では、日本語が国際化の波をかぶりつつ、何とか凌いできていること、などを改めて知ることができました。久恒先生の47枚の図解で、何とか『比較文明学研究』を概観することができ、大変良かったと思っています。ありがとうございました。次回からは、比較文明学を踏まえ、梅棹忠夫『日本研究』に入っていくということで、こちらも楽しみです。引き続きどうぞよろしくお願いします。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。梅棹文学全集「文明の生態史観」がいよいよ大詰め。いつもの様に久恒先生よりレクチュア頂きました。図解は実に7枚、ラストスパート! ①比較という方法:文化は単語の様なモノ。着物、畳…日本文化。一方文明は一つの生活体系にまとめたモノ。日本文明原型が完成したのは江戸時代。 ②文明学と日本研究:文明学は社会科学、比較を通じて違いを類型する事で構造的的に理解する。宗教、芸能、文学…全15ジャンル。文明とは「収斂・同化」そして統治機構化する。日本は「封建型」で地方自治地方分権、武士が支配。一方対極は「帝国型」文官(試験に通ったヒト)が支配…中国? ③経済機構の比較文明学:国家(政治)と経済(企業)との関わり方、江戸の日本は各藩が「義」の関係で組織を回し、現在では「企業」という組織がこれに代わる。これに対極的なのは西欧のギルト社会で専門的な同業者の繋がり。苗字に名残、Carpenter、Coock、Tarer…企業名ではLufthansa(ドイツ航空)か? ④高度技術社会の成立:「知」とは人間を制御するモノ。近代日本は科学技術(実学主義)で発達、一方江戸時代は儒教イデオロギー)。もともと寺子屋で教育は標準化されていたおかげで水準が高く、明治の実学教育への転換を受け入れた。 ⑤宗教の比較文明学:浄土真宗(東洋)とプロテスタント(西洋)は同質。一方、新興宗教が勃興、今をユートピアに変え理想世界を目指すという主張、死んだら…では遅い。神道系(PL教団天理教…)と仏教系(創価学会)に分類。政治と宗教の合体。 ⑥近代日本とキリスト教:信者数は人口の1%で宗教としては失敗(?)、しかし社会へのインパクトは大きい。クリスマス、神前結婚もキリスト教が影響した近代のモノとか。一方対極的な物はイスラム原理主義で、神と民を繋ぐ僧侶が不在、民は神と直接対面。 ⑦言語と文学の比較文明学:中国で「漢字」の出現、『表意文字』(見れば意味が解る)一方、後年毛沢東政権下で『簡体文字』が採用され変化。漢字が伝来した日本では『カタカナ』の併用で外来語に対応し乗り切る。… さて近代日本成長の原動力となった『実学』は実は江戸時代から存在していた様です。長岡藩家老だった河井継之助は若き日に江戸藩邸から長崎までの遊学の折、備中松山国(岡山県高梁市)の陽明学者であった山田方谷(ほうこく)の門をたたき、半年間学んだ「実学」で後に長岡藩の組織・財政改革を実行し家老まで出世します。明治維新で折り悪く戦乱に、戊辰戦争では西軍(薩長)の侵略に対し「武装中立」を主張も、回避叶わず「北越戦争」が勃発、継之助自身も銃弾で膝を撃ち抜かれ重傷。あえなく城を明け渡し会津目指し敗走の途上で傷が悪化し命を落とします。その際、「これからは武士に代わって商人の世になる。おみしゃん(おまえさん)は商人になりゃい(なりなさい)」と部下に言い遺したそう。その部下の名は外山修造(幼名寅太)、後年大蔵官僚、日銀大阪支店の重責を経て阪神電鉄アサヒビール甲子園球場および球団を創設、部下からの信望厚く「是非、球団名に社長のお名前を」との嘆願に従い「タイガース」が誕生したそうです。その時代に自分が何をすべきか、その為に何を学ぶか。真摯に考え行動した先人達の姿をふり返り今後に生かしていく事は非常に大事だと、図解④「高度技術社会…」を眺めながら強く感じ入った次第です。夏休みを利用し訪れた偉人達ゆかりの地の記憶が新しく、本日のレクチュアは当方にとって非常に鮮烈なものとなりました(関連パワポを添付致します)。さて、次回からは梅棹文学も新シリーズ「日本史のしくみ」に入っていきます。久恒先生お手書きの原稿を塾生がパワポに起こすスタイルも非常にワクワクしております。次回も宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 8月の図解塾に参加させていただきました。久恒先生、皆さまありがとうございました。今回は、①比較という方法②文明学と日本研究③経済機構と比較文明学④高度技術社会の成立⑤宗教の比較文明学⑥近代日本とキリスト教⑦言語と文学の比較文明学など図解にて分かりやすく説明していただきました。 特に印象に残ったのは、①「比較文明という方法」の中で、地球文明系の説明で、宇宙という果てしない流れの中で自分はどういうところにあるのか、人類史の中で未来を見通せないか、文明の統合法則をつかみたいという内容です。今回の図解塾の図解での説明の全てに当てはまる内容のような気がしました。地球文明の中でも特に今住んでいる日本を通しての文明研究と日本研究が大切だと感じました。日本を通して文明や文化について考えると現代の生活が見えてくるように思いました。日本文明の原型は江戸時代にできているというお話を聞いて確かにそんな気がしました。③経済機構と比較文明学では、近代日本の経済機構で近世の殖産産業は各藩をもとにしており、少し前の日本の企業の編成は、従業員が生きていくための原理として(組織主義)藩の論理がもとになっているということは、納得しました。現代の企業編成は、それが少し緩んだ組織主義なっているように思いました。④高度技術社会の成立では、高度の知性を有する知的大衆の存在(知的大衆社会:日本、西欧、北米)という内容は、興味深い内容でした。現代は無階層的大衆社会になっており、個人の知的自由度が広がってより生活しやすくなり、そのことが高度技術社会にも貢献しているのではと思いました。⑤宗教の比較文明学では、無数にある新興宗教を3つのグループ(神道系、新しい教団、仏教系)に分けて考えるととても分かりやすかったです。⑥近代日本とキリスト教では、生老病死についてのお話で、現代社会は、老と病の時期が、高齢社会を迎え長くなっており、病院で亡くなる人が多いため、死を日常生活であまり見なくなっているとについてあらためて気づかされました。現代人は、死について考えることが消去されやすい日常生活なので、生老病死をバランス良く考え、どのように死を迎えるか、どのように人生を生きていくかを考えることが大切だと思いました。皆さんとの意見や感想など情報共有することもとても楽しかったです。本日はありがとうございました。次回も楽しみにしております。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明学研究」の最終回。7枚の図解「比較という方法」・「文明学と日本研究」・「経済機構の比較文明学」・「高度技術社会の成立」・「宗教の比較文明学」・「近代日本とキリスト教」・「言語と文学の比較文明学」について解説がありました。
    今回特に印象に残ったのは「近代日本とキリスト教」です。布教された当時、人口の1%しか信者が増えなかったとのこと。ということは、教団としては布教に失敗したということになります。しかし、日本社会に与えたインパクトは大変大きく、教団が伝えた教理以外の情報も含め、その後の日本文明に広く影響を与えました。身近な例としては、現在、信者でなくても多くの日本人がキリストのことを知っており、年末になると誰もが当たり前のようにクリスマスを祝うというくらい生活に溶け込んでいます。宗教に対する日本人の懐の広さ故なのかもしれませんが、それぞれの教団の教理や情報を受け入れ、自国の文明を進化させているのは素晴らしいし、すごいことだなぁと改めて思いました。 次回からは第7巻「日本研究」に入るとのこと。第5巻にあった内容とどのようにつながり、深まっていくのか、大変興味が湧いてきました。引き続きよろしくお願いいたします。
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    「名言との対話」8月23日。黒田清隆「大隈どん、貴君の片足を失ったのは、私の片足を失ったより残念じゃ」

    黒田 清隆(くろだ きよたか、旧字体黑田 淸隆1840年11月9日天保11年10月16日〉- 1900年明治33年〉8月23日)は、日本陸軍軍人政治家。享年59。

    • 2015年に竹橋の国立公文書館大日本帝国憲法の原本のコピーを見たことがある。漢字とカタカナで書かれている。「第一章 天皇。第一条 大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス。」睦仁天皇黒田清隆総理の印が押してあった。
    • 黒田は組閣にあたって「政府は超然として政党の外に立つ」という超然主義をとった。政府は議会・政党の意志に制約されず行動すべきという趣旨を述べた。このため超然内閣と呼ばれた。大日本帝国憲法は政党内閣を前提としてはいなかったことがわかる。その後枢密顧問官、枢密院議長等を歴任している。
    • 「榎本(武揚)を殺すのなら、そんな新政府、自分は辞めて坊主になる」とは、五稜郭の戦いで降伏した榎本武揚の処分に際し、黒田が同郷の西郷隆盛に榎本の助命嘆願した際のことばである。黒田は坊主頭になった。その榎本は新政府で能力を大いに発揮している。幕末には西郷隆盛と、賊軍となって戦った庄内藩にも寛大な処置をして感銘を与えている。黒田は大きな度量の人であった。
    •  一方、黒田には放蕩癖があり、酒乱でも有名であり、妻を殺傷したという噂がある。このとき黒田の窮地を救ったのは同郷の大久保利通であった。「此の大久保をお信じ下さるなら、黒田をもお信じ下されたい」と一言を発し、その場が収まった。こういうエピソードもある。
    • 外国人判事を導入するという条約改正案を出した大隈重信外務大臣に対し、玄洋社の来島恒喜が爆弾を投げ、大隈は片足を切断した。「大隈どん、、」は、ある時は敵であり、ある時は味方であった大隈を黒田総理が見舞った時に大隈外相ににかけた言葉である。この事件によって、条約改正はできなくなった。
    • 黒田清隆は、豪快でありながら、深謀があり、愚直で頑固であり、その硬骨がすぐれた調整能力につながるという不思議な魅力を持った大人物であった。
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