ユーチューブ「遅咲き偉人伝」23は、宇野千代。

ユーチューブ「遅咲き偉人伝」23をリリース。取り上げた人物は小説家の宇野千代

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 『生きていく私』(角川文庫)。自由奔放に99年の人生を生きた宇野千代の自伝。85才の時の執筆だ。4回の結婚、13回の自宅建築、、、。人生を肯定した楽天的生き方に感銘を受ける。

 以下、人生観と仕事観。

  • (失恋)いつのときでも、抗うことなく、自分の方から身を引いた。
  • 泥棒と人殺しのほかは何でもした。
  • 小説は誰にでも書ける。それは、毎日毎日坐ることである。
  • 私はいつでも、自分にとって愉しくないことがあると、大急ぎで、そのことを忘れるようにした。思い出さないようにした。そして全く忘れるようになった。これが私の人生観、、、
  • 私の書くものは、ほんの僅かしかない。とことんまで手を入れるのが癖であるから、それほど、可厭になるものは書いていない。
  • 私は、どんなときでも、どんなことでも、それが辛い、苦しいこととは思わず、愉しい、面白い、と思うことの出来る習慣があった。
  • 私は、辛いと思うことがあると、その辛いと思うことの中に、体ごと飛び込んで行く。
  • 何ごとかに感動すると、すぐに行動しないではおられないのが、私の性癖であった。
  • 何事かをし始めると、狂気のようになるのが、私の性癖であった。
  • 何でも面白がるのが、私の癖であった。
  • 私は12、3年前から、足を丈夫にするために、毎日、1万歩歩くことを始めた。
  • 一かけらの幸福を自分の体のぐるりに張りめぐらして、私は生きていく。幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っている。
  • 幸福は伝染して、次の幸福を生む。
  • 人間同士のつき合いは、この心の伝染、心の反射が全部である。、、、幸福は幸福を呼ぶ。
  • 小説を書くこと、きもののデザインをすること、、、どちらの仕事の内容も、それまでには全くなかったものを、新しく発見し、切り開いて行くと言うことでは、少しの違いもない。
  • 若さの秘訣というものがあるのかどうか、、好奇心が旺盛である。、、、素早い行動、、、。男たちへの憧憬、、、
  • 「人の世はあざなえる縄の如し」と昔の人も言ったが、誰の手が、その縄をあざなうのか、知ることも出来ないのである。
  • 私には年齢と言う意識がなかった。
  • 自分の幸福も、人の幸福も同じように念願することの出来る境地にまで、歩いて行くのである。その境地のあるところまで、探し当てて歩いて行く道筋こそ、真の人間の生きて行く道標ではないか、、。

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明日の「幸福塾」の準備。

岡本太郎プロジェクトのミーティング。発表は12月18日。

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「名言との対話」11月29日。田中絹代「私は役をやるうえで、監督から痩せろと言われれば痩せ、太れと言われれば太ることができます」

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日)は、日本女優映画監督

山口県下関市出身。琵琶の師匠になるはずが、途中で映画女優を志望するようになり、1924年に松竹に入社。その年に主役に抜擢される。1928年には人気スターになり、1929年、松竹蒲田の看板スター。1931年から始まったトーキー時代も看板スターだった。1938年の『愛染かつら』は空前のヒット作となった。

清純派女優であったが、戦後は汚れ役に挑戦するようになる。日米親善使節としての渡米後にスランプに陥るが、『西鶴一代女』街娼役もこなすなど女の一生を演じ復活する。

1953年には映画監督としてデビューし、10年間で6作品を生み出した。

1950年代には自身40代半ばとなる。主演は減っていったが、老婆役で新境地を開いていく。1958年の『楢山節考』の老婆役は高い評価を得た。その後は、脇役として母親役を好演している。

1970年以降は、活躍の場をテレビドラマに広げ母親役やナレーションで親しまれた。1974年には、『サンダカン八番娼館 望郷』で元からゆきさんの老婆を演じ、国内外で高い評価を得た。

生涯で260本の映画に出演している。年譜をみると、1927年に12本、1928年に16本、1940年は8本、1947年3本、1950年3本、1952年4本、1959年5本、1963年4本、そして最後は1976年である。凄まじい仕事量である。

毎日映画コンクールでは「田中絹代賞」が設けられ、第1回は吉永小百合が受賞。1986年に新藤兼人の原作で、その吉永が主演し、田中絹代を描いた『映画女優』も公開された。

田中絹代は、抜群の記憶力と勘の鋭さでスターダムにのし上がったのだが、常に新しい役柄に挑戦していく姿が印象に残る。清純派、汚れ役、老婆と主役を演じ、そして映画監督にまで進出し、テレビドラマでも脇役となって母親役を演じ、ナレーションも担当している。

役柄の根本を理解し。自分なりに咀嚼し、提案をするという女優であり、結果的に黒澤、小津、溝口、成瀬、木下など、名監督が競って起用した。「私は役をやるうえで、監督から痩せろと言われれば痩せ、太れと言われれば太ることができます」と語っている。そのことを示す有名なエピソードがある。名作『楢山節考』では老婆の役作りのために歯を4本抜いているのだ。田中絹代という女性が体当たりでキャリアを積みあげていく姿は感動的である。

映画監督としても女優の経験を生かした作品を撮っている。『恋文』は戦後の女たちの困難な歩みを表現した作品。『月は上りぬ』では、細やかな演出で三姉妹の心の機微を描いた作品。『乳房よ永遠なれ』は中条ふみ子の生涯を描いた女性賛歌の作品。『流転の王妃』は愛新覚羅浩の大陸流浪を圧倒的な演出力で描いた作品。『女ばかりの夜』は売春婦たちの更生自立を描いた作品。『お吟さま』は茶道の千利休の養女お吟の悲恋をキメの細かい演出で描いた作品。

故郷の下関には、下関市立近代先人顕彰館(田中絹代ぶんか館)が2010年にオープンしている。下関在住の直木賞作家で、田中絹代を書いた古川薫が名館長をしていた顕彰館をぜひ訪ねたいと思う。