「幸福塾」は「個人のライフワーク」の1回目。週刊誌の「名言」インタビューを受ける。

「幸福塾」は、いよいと「個人」の領域へ。今回はその初回。

f:id:k-hisatune:20221110061950j:image

以下、取り上げた人物とライフワーク。藤原与一田辺茂一大平正芳和田芳恵・岩崎與八郎・横山隆一・諸橋徹次・守屋荒美雄・東くめ・住井すゑ・鎌倉芳太郎。そして大岡信林真理子。鳥居民。ガウディ。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は『「個人」ライフワーカー』の1回目で、15人分の解説がありました。共通点として、長く続けられていたということ。コツコツと積み重ねていくことでライフワークとなったものや、探求心から完成するまでに時間がかかったものなどいろいろありましたが、結果的にそのワークが完成したものもあれば、未完成のものもありました。中には、未完成になることがわかっていながら取り組んだ人もあり、その場合は他の人に引き継いでいるとか、自然と引き継ぐ人が現れたりしているようです。「ライフワーク」を聞いている中で、各人の思いの深さや覚悟などに触れることができ、またそこに至るまでの時代背景も重ねることでより一層、功績の凄さを感じることができました。 「ライフワーク」と意識して取り組んだ人、結果的に「ライフワーク」と言われた人など様々ですが、いずれにしても、人生において長期間没頭できるものがあったことは、本当に羨ましいです。私も、人生をさらに楽しむために、まずいろんなことにチャレンジして、その中から長く続けていくものを見つけて取り組んでいきたいと思います。引き続きたくさんの方のライフワークに触れたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。個人として自己実現を目指すライフワーカーとして、完成された方が偉人と評価され、未完の方は残念とされておりますが、どちらにしても充実した人生を過ごされたと思います。
    横山隆一氏のように、トキワ荘の壁土を収集保持していても社会的評価はされないでしょうが、本人として満足できるのでしたら充分なのだと思います。また、林真理子氏の小説は、日経に連載されたものしか読んでませんが、所謂トレンディ小説家とのイメージしかなく、「代表作もミリオンセラーもなにも書いていません。まだまだ頑張ります」との言葉、「最高傑作は、次回作です」と答えた映画監督を思い出しました。チャレンジしてみたい作家がひとり増えました。幸福塾に参加させて頂いて、行ってみたい所、読んでみたい作家を次々に教えていただき、知的好奇心を刺激され、幸福感に満ちてます。次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。幸福塾はいよいよ「個人」の領域へ。本日はその第1弾、「ライフワーカー」について久恒先生よりレクチュア頂きました。「倖せの構造」が示す「公人」(仕事主義者)が一個人として夫々没頭したテーマとは?果たしてそれらは、ほかの人があまり興味を示さなかったり、あるいはあまりのスケールの大きさに容易に手が出せなかったりとそのカタチは様々、継続した取り組みから創造されたそのスゴイ成果物は、1)完成した、2)未完のまま死去で無念、3)壮大過ぎて未完でも良し等と、状況も様々。そこから見えて来たものは「ヒトと違ったモノ・コトへのこだわり」であり、夫々が見せてくれた「精一杯の生き様」はこれからを生き抜く我々に勇気を与えてくれたひと時となりました。①藤原与一言語学者):全国をフィールドワークし集めた記録:「方言の山野海陸」、②田辺茂一(出版事業家):「毎晩呑みに、夜の新宿市長」、③大平正芳内閣総理大臣):「外交、日中国交回復に貢献、実行の人、総理在任中に死去」、④和田芳恵(編集者):「樋口一葉研究、批判~反論がライフワークに」、⑤岩崎與八郎(実業家):後の鹿児島大工学部を作る「卒業生に稲森和夫」、⑥横山隆一(漫画家):「珍品収集、川端康成の胆石」、⑦諸橋徹次(漢学者):「漢和辞典を出版」、⑧守屋荒美雄(教育者):「地理教科書、地図帳出版」、⑨東くめ(童謡作詞家)、「口語の童謡、子供が喜ぶ」、➉住井すゑ(小説家):「終戦玉音放送、農地改革を言い当てた」、⑪鎌倉芳太郎(染色家):「首里城採寸、復興」、⑫大岡信(詩人):「新聞連載29年間、180字で解説」、⑬林真理子(小説家)「日大総長、出版意欲、危機感」、⑭鳥居民(歴史作家):「昭和20年、終戦の重層的ドキュメンタリ大作、絶筆」、⑮ガウディ(建築家):「没後100年でサグラダファミリア完成?」…当方は特に大平正芳氏の「半ばで倒れるも、深く大きい志」に深く感銘を覚えました。現在の紛争や環境といった地球規模の課題に対し、今こそ世界をリードして行けるこんな日本のリーダーシップが有ったらと思わざるを得ませんでした。次回幸福塾では引き続き多様な「ライフワーカー」について堀り広げるとの事、更なる「スゴイ生き様」との出会いに今からワクワク致します。12月に予定の「セミナーハウス」での合宿も楽しみ、参加したいです。「第8波」「インフル」とやらも気になる頃ですが、万全準備したいと思います。宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、みなさま、幸福塾ありがとうございました。今日は「個人」の1回目「ライフワーカー」ということで、15人の方の「ライフワーク」を概観しました。ライフワークの中味はバラエティーに富んでおり、例えば「方言の記録」「辞典」「地理教育」「ピアノ」などのほか「女性を通じて社会を理解」や「偉人の珍品収集」まであって、大変面白く伺いました。印象深かったのは、詩歌の解説『折々のうた』が6,762回続いた大岡信サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注ぐも未完のまま亡くなったガウディなど。完成・未完にかかわらず、「ライフワーク」は長く続けているところに共通点があり、「続けること」の大切さや凄さを感じました。また、「外交」がライフワークであったという大平正芳氏の「大きく飲み込み解毒して消化する」という言葉には清濁併せ吞む人物の大きさが感じられ印象に残りました。本題のほか、久恒先生作の川柳のご紹介もあり、「幸せは 小さいほうが 安心だ」「チト早い 二度寝起きたら モウ遅い」「ストレスは 生きてる印 悩みましょ」「寝る前に メモを残すと 朝解ける」などがお気に入りとなりました。次回も楽しみにしています。
  • 本日も幸福塾ありがとうございました。今回の個人のライフワーク①をテーマにした人物紹介の感想は、ライフワークを完成した人も未完成だった人もその時を一生懸命に生きて多くの人に影響を与え、どの方も人生を幸せに生きたように思えました。私もライフワークをもって毎日を過ごしたいと思いました。私は、「地域」について関心があるので「地域」の食べ物や人物、地域の課題など調べることをライフワークしたいと思っています。本日、紹介された人のうち、地理教育者で「地理の父」の森谷荒美雄氏のことが特に印象に残りました。教科書用地図を自ら著作、制作、販売し「帝国書院」を創立し、持ち運びできる地図をはじめに作った人がいるとは知りませんでした。 持ち運びできる地図のおかげで、ずいぶん人の生活が変わったのではないかと思いました。ライフワークも続けることで世の中に役立つこともあることがわかりました。岡山にそんな人がいたとは全く知りませんでした。今回紹介された人のほとんどの人のことを知らず、私が知らない興味深いライフワークをされた方は、無数にいることを実感しました。川柳の紹介で、良かったのは、「ユニクロ スシロー ニトリ 衣食住」で現代の衣食住がちょうど当てはまっていて、確かにと思いました。次回も楽しみにしております。ありがとうございました。
  • 今日もエキサイティングな、さまざまな人たちのライフワークの紹介をありがとうございました。知らなかった方も半分くらいいて、とても勉強になりました。方言の藤原与一氏、樋口一葉一筋の和田芳恵氏、偉人の珍品収集の横山隆一氏、漢字事典の諸橋轍次氏、地理教育の守屋荒美雄氏、口語による童謡の東くめ氏、沖縄文化のフィールドワーカー鎌倉芳太郎氏、昭和20年だけで12巻も書かれた鳥居民氏・・・・名前を知っている人たちのライフワークも半端ない年数と量に圧倒されました。折々のうた29年間で6762回の大岡信氏、40年間にわたり年に5冊のペースで書いてきた林真理子氏、きわめつけは100年かけて完成するというサクラダファミリアのガウディ氏。いつも新たなものを書かなければならないという林真理子さんの言葉がたいへん印象に残りました。続けることは大変なこと、しかしその大変なことを一つ一つ乗り越えてきた、その結果であることに改めて感動を覚えました。
  • 久恒先生、本日も幸福塾をありがとうございました。後半1時間ほどでしたが、参加できて本当に良かったと思っております。これだと決めたことを積み重ねていくことも、幸せに生きるキーの一つであることを学びました。また、続けるのも決して平坦な道のりではないことについても、そうだよなぁと思いました。続けることは、問題を解決し続けていくプロセスであることも、響きました。続けるって、成長のプロセスでもあるかもしれないと思った次第です。 完成させた人が偉人だと評価されますが、未完であっても、そのプロセスを尊重したいです。続ける対象に巡り会うのはご縁だと思うので、キャッチできる自分でありたいと思った次第です。続けることに力を入れるのではなく、気がついたら、続いていた・・・そんな境地に至るべく、一日一日をじっくりと味わって過ごします。
  • 本日もありがとうございました。最初の孤独と孤立の違いについて。孤独は楽しんでいること。それをライフワークとする。それからのいろいろな方の、身近なところから立派すぎるものまで、多種多様なライフワークのお話を伺いました。楽しかったです。完成した人、未完の人、という視点でみるのも面白いですね。ライフワークにも、大岡信さんの『折々のうた』のように、新聞の紙面で毎日180文字で「うた」を解説する、というような決まり事、公でも、個でも、(私でも)の決め事、みたいなものもある方が多かったです。楽しくて、少しだけしばりのあるものが、ライフワークにつながりやすそうです。”続ける”ということは、やはり”難しい”と思ってしまいがちですが、そこに”楽しい”という前向きな気持ちが乗る何かに、たくさん出会いたいものだと思いました。楽しそうに川柳について語ってらして、先生にはたくさんライフワークがありますね。次回も新作、楽しみにしております。
 
 
 
1人が既読
 
いいね!
 
 
 
コメントする
 
 
送信
 
 

f:id:k-hisatune:20221110062016j:image

昼前には、週刊誌の取材があり、昨日からの勉強で何とかインタビューに答えられた。来週の刊行が楽しみだ。

ーーーーーーーーーー

「名言との対話」11月9日。吉田秀雄「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」

吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 1963年1月27日)は、日本実業家電通の経営者で、「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。

北九州市小倉区出身。10歳のときに父がなくなり、吉田家の養子になり、旧制小倉中学、七高、東京帝大経済学部を卒業。日本電報通信社(後の電通)に入社する。

広告屋は実業、ビジネスではなかった。「ゆすり、かたり、はったり、泣き落とし」のだったと吉田は後に振り返っている。1936年、広告専門の会社となった。1942年、取締役、そして常務取締役。戦争勝利にむかって1943年から1944年にかけて186社あった広告代理店を12社に統合される。吉田の手腕もあり、電通は全国ネットワークを持つ唯一の代理店となった。

終戦終結を告げる天皇陛下のラジオ放送を聞いて、吉田は「これからだ」と叫んだ。1947年、吉田は社長に就任。「電通がその仕事振りによって広告業の文化水準を新聞と同じにまでに引き上げたい」と就任あいさつで述べた。そして「商業放送の設立」「クリエイティブ技術の向上」「マーケティング理論の確立」を掲げた。ラジオ放送とテレビ放送の時代に向けて放送各社を支援していった。1955年に株式会社電通と改名。9年間の吉田社長の時代に取扱高は877億円と6倍近くになり、利益は34倍になった。

吉田は1955年に「鬼十則」を制定している。

  1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。2仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。3大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。4難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。5取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。6周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。7計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。8自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。9頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。10摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

この「電通鬼十則」は小林一三が感心し、没後には朝日新聞天声人語」にも取り上げられた。近年、過労死問題で、この鬼十則がやり玉にあがり、社員手帳からも削除された。

  • 「私が若い人にとくに言いたいのは、一日、一日のささやかな努力を怠ってはならないということである」
  • 「大学を出たインテリの悪い癖は、実行する前にまずできるかできないかを自分の頭で考えてしまう。小さな個人の頭脳で割り切れることは人生には1割もない。後の9割はやってみねばわからない。だからどんどん体当たりしていく人が、不思議なくらい次々と仕事を解決していく」

吉田秀雄は、今日の巨大電通の基礎をつくった経営者である。「鬼十則」は電通躍進の推進力としてもてはやされてきたが、第5則「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。」が、世間の指弾を浴びることになったのである。他の項目の中で、第1則「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」は至言である。会社組織には業務分掌があるが、それに従っていては、発展は望めない。そこからはみ出し、本当の目的に向かって大きく行動することが大事だ。吉田秀雄はそれを言っているのだ。この精神が巨大企業をつくったのだ。