私の進むべき道ーー誕生日を迎えて

誕生日ということで多くのメッセージを、フェイスブックやメールでもらいました。ありがたいことです。そこで、進む道について考えてみました。

  • 豊かな人生を送ることを目指したい。それは「自由」を拡大していくことだ。私は肉体的自由を土台に、経済的自由と時間的自由を得て、最終的に精神的自由を獲得していく旅をしていると考えている。カネ、ヒマ、カラダ、そしてココロである。今からは心の時代に入っていく。
  • 人には3つの側面がある。「公人・私人・個人」である。公人は仕事、私人は家族、公人は自分自身。公人、私人ともうまく回すのは簡単ではなく骨が折れる。仕事に関する本、家族に関する本もきわめて多い。しかし、最後は個人の領域である。この領域は自分で育てていくという意志と具体的な行動の積み重ねがなければ大きくはならない。その行き着く先は、「ライフワークとネットワーク」だ。ライフワークはタテ掘りで、ネットワークはヨコ掘りである。深く、広く。いずれか一方がものになるだけでも大したものだが、その二つが重なり合うのがもっともいい。重なりが大きくなればなるほど、しあわせは深くなる。
  • 昨年に大きく改造した「図解ウェブ」のテーマは、「集大成と新世界」である。過去に手をつけた分野をライフワークとしてまとめるのが集大成だ。「図解コミュニケーション全集」全10巻と「名言の暦」全10巻がそれにあたる。「図解」はこの3年で第6巻まで刊行できた。名言という表現になっている毎朝の「人物」探求は、2016年以来丸7年がたって、2500日を越えている。それをまとめた冊子は2025年には10巻になる予定だ。ここ数年は「図解と人物」の集大成を目指したい。
  • 「新世界」については、コロナ禍の3年間のリモート生活ですっかり人脈が変わってしまった。橘川幸夫さんの深呼吸学部を中心に、全国(海外も)の老若男女との縁が広がり、深まりつつある。ネットワークは拡大中で、新天地を開拓中の感があり、楽しい日々を送っている。ここには未来がある。
  • 今年ひいた「中吉」の御神籤でも「古きをすてて新しきにつくがよい」「元気を出して捨てるべきはすて進む所へすすめ」というお告げであった。この道を歩いていこう。

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2006年に「年賀状廃止宣言!」を行いました。「今年は通常の年賀状を廃止することにしまして、このメルマガやブログを中心として皆さんにご挨拶することにしました」は2006年の宣言です。もう17年前です。以下は、その時のブログの記事。

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ある私立大学の先生(70歳)から葉書が届いた。定年となり、自分のやりたいことを強く意識し、世事に煩うことをやめたいので、年賀の挨拶はしない、よろしく、という内容だった。シャーロックホームズの研究家で名高い河村幹夫先生である。三菱商事時代に日本エッセイスト賞をとり、取締役にも昇任したが、自ら大学教授へと転身した方だ。2度目の定年(一度目は自主定年)ということになる。ビジネスマン時代は、この方の生き方に共感を持っていたので、その後も時々お目にかかっていたり、年賀状でのやり取りをしていた。

私も、早々と今年は年賀状を出すのを止めることにしている。毎年、数百枚の年賀状のやり取りをしているが、その労力は膨大にもかかわらず、多くは儀礼的なもので、年に一度の交流が多くなってしまっている。

まず、ここ数年ネット時代の中でホームページ、メルマガ、ブログといったメディアに挑戦してきており、この世界での知り合いが多くなってきたので、年賀状の役割はこういったメディアで代用したい。メルマガには、知人の多くに登録してもらっているので、漏れる人はそう多くはない。むしろやり取りをする人が増え、人との縁が広がっていくということになる。

また、大切な友人や先輩、先生に対しては手紙や葉書で一人一人に近況をきちんと知らせるようにするなど交流を強めていきたい。人との縁が深くなっていくということになる。

親戚に関しては、家族で写った写真を載せた年賀状を送るのが我が家のならわしとなっているがこれは継続する。子供二人の成長や夫婦の状況も、この写真年賀状を見ればわかるから、親戚には好評だ。我が家の歴史にもなってきているので続けられるだけ続けていきたい。

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「名言との対話」1月3日。千家尊福「年の始めの 例(ためし)とて 終わりなき世の ねでたさを、、、、、」

千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日(1845年9月7日) - 大正7年(1918年)1月3日)は、日本の宗教家、政治家。81代出雲国造出雲大社宮司。享年74。

島根県出雲出身。出雲国造家尊澄の嫡男として生まれた。28歳、出雲大社宮司出雲国造、神社制度の改正で改めて出雲大社宮司となる。政府の大教宣布運動の大教正となり、神道西部官長を命ぜられ庶民教化を統括した。1882年、宮司を辞し、神道大社教初代官管長。

1884年特旨により男爵。 1888年管長を辞し、元老院議官、 1890年貴族院議員。次いで、文部省普通学務局長、そして埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事を歴任した。 1908年には西園寺内閣の司法大臣となる。

梅棹忠夫著作集第7館「日本研究」の「日本探検」の「出雲大社」を読んだ。以下、そのときの読書メモ。

  • 相嘗(あいなめ):神人供食。祭りは神と人との交歓である。
  • 農耕の神:イネ、コメ、酒。農業神。
  • 天下無双の大廈:「完全に東南アジアですな」。
  • 神の粘性係数:神殿の大きなもの。「雲太、和二、京三」。出雲国杵築明神、東大寺仏殿、京の大極殿。大社の神には人間の体臭がない。みだらなももが完全に欠けている。植物的神聖さ。
  • 神とひとの歴史::大化の改心は神事と政務を分離。出雲は平安朝初期まで古代的秩序である祭政一致が保存された。天照大神の長男の子孫が天皇家(伊勢の大神宮)、二男の子孫が出雲臣。天照大神系の顕(政治)と大国主神系の幽(祭祀)の二重構造。二重構造の原因は破壊の不徹底にある。神仏習合の波は日本的な神々をおそった。仏教の発展はあったが神は温存された。日本的二重構造。世界宗教の挑戦への固有信仰の応答。明治の神官は宗教活動を許されず神社の管理人となった。第80代国造千家尊福神道大社を設立し布教。
  • 縁むすびの神さま:神無月と神有月。神々は集まって男女の縁むすびを相談すると信じられている。出雲大社にお礼参りにくる。近代以前の神前結婚は嫁入り婚で神が誓いの確認者。明治以降の人前結婚は家族制度と一体だった。神前結婚で式場は家から外にでて媒酌人は神さまに戻る。家族制度は崩壊。この神前結婚は戦後に勢いを増す。ふたたび縁むすびは神の手にかえった。
  • 神々の復活::結婚は神さま、葬式はお寺という分業。お寺は家と結びついて戸籍を管理。神さまの仕事が増えてきた。神前結婚、七五三、地鎮祭、、、。司会業、保証業、浄化業。科学と民主主義という世俗と神聖なる儀典の主宰との二重構造の発生だ。日本文明には二元的構成原理がある。

千家尊福国学、和歌をよく、遺集『の道ゆきふり』、『筑紫の道ゆきふり』などがある。今も残っているのは、尊福は作詞した「一月一日」か。「年の始めの 例(ためし)とて 終わりなき世の めでたさを」から始まる歌である。この歌は人口に膾炙しており、私もここまでは歌える。「松竹たてて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ」と続く。これが尊福の作詞だったのだ。

ここで再度、梅棹忠夫の解説を聞こう。

日本の神道は、紆余曲折を経て、天照大神の長男の子孫が天皇家(伊勢の大神宮)、二男の子孫が出雲臣という位置づけとなっている。神道は天照大神系の顕教(政治)と大国主神系の幽教(祭祀)の二重構造となっているのだ。

そして仏教の進出で、神仏習合の波が日本的な神々をおそい、仏教の発展はあったが神も生き残った。これは世界宗教である仏教の挑戦への、神道という固有信仰をもつ日本という国の応答であった。ここでも二重構造となっている。

宗教をめぐる日本のこうした二重構造の原因は、破壊の不徹底にあるという見方である。日本人の宗教生活は、神道と仏教の併存、もっといえばキリスト教も加えたごった煮の中で営まれている。そういった受け止め方は、宗教に限らず、あらゆる分野にある新しきものと古きもの共存である。雑種という言い方もある。破壊の不徹底であるのだが、これは日本文明の柔軟さだともいえる。

伊勢派は顕幽両界の主神が伊勢、出雲派は顕幽一如で同列という主張の争いがあったが、現在では、天照大神の長男系(天皇家)が伊勢神宮大国主神を祀る次男系が出雲大社という位置づけになっていると理解しておく。神道については、このあたりでとめておくが、さらに学びが必要だろう。