図解塾「世界の名著」講義ーーカント『純粋理性批判』。ヘーゲル『法哲学要綱』。クラゼヴィッツ『戦争論』。マルクス・エンゲルス『共産党宣言』。ミル『経済学原理』。

図解塾は、「世界の名著」の4回目。

カント『純粋理性批判』。ヘーゲル法哲学要綱』。クラゼヴィッツ戦争論』。マルクス・エンゲルス共産党宣言』。ミル『経済学原理』。

 

 『法哲学要綱』 ヘーゲル(1770 年~ 1831 年)

  • 本日もありがとうございました。内容に入るまでの近況報告についてですが、久恒先生のブログの中で「ラジオ深夜便」や「ヒストリーチャンネル」などでいい言葉を多く発見されているのを知りました。私も聴いてみようと思いました。今日の「世界の名著」はカント『純粋理性批判』、ヘーゲル法哲学要綱』、クラウゼヴィッツ戦争論』、マルクス・エンゲルス共産党宣言』、J.S.ミル『経済学原理』でした。カントやヘーゲルやミルについては難解で、よく分かっていないのですが、最近よく読んでいる教育哲学者の苫野一徳さんのキーワードになっている「自由の相互承認」に結びついているのではないかと思いました。「自由」について古今東西、誰がどう言ってきたかその変遷を見るのも面白いということが出ました。確かに、今でも毎日のようにニュースで流れてくる「自由で開かれたインド太平洋」という言葉の「自由」や「新自由主義」など、発信する人がどういう意味で使っているか、考える必要はありますね。
  • 今日もありがとうございました。ゴールデンウィークの皆様の過ごし方、とくに久恒先生のパワフルなお話に圧倒されました。素晴らしいですね。本日の「世界の名著」も勉強になりました。今との差を感じながらまとめると、面白いかも。と思いました。また、名著同士のつながりを感じられ、その時代の先達からの教えに、その時代背景をプラスしていったのが、連鎖のようにつながっていることを改めて感じられました。また、「自由」についての考えがその時代背景を学ぶことになるのだなと感じました。『純粋理性批判』カント…まず本のタイトルとなっている「批判」は「きちんと考えること」。見える現象と見えないもの神・愛・死後などの人間の認識には限界がある。先験的な部分の範囲と限界をきちんと考える。デカルトらの神の存在と、ロックによる経験論から、「人間とは何なのか」を「きちんと考える」とした。 法哲学要綱』ヘーゲル…自由な言論が抑制されていた時代で、単に自由を叫ぶのではなく、「公共心のある自由が、真の自由のあり方である」と考察していて、現在にも通じていることで、公共心と自由のバランスがとても大事だと思いました。『戦争論クラウゼヴィッツ…戦争は、政治手段の一部として説いていて、一番ひっかかったのは、よほどの自信がなければ事前の決定を変更してはならない。ことです。現在、この時代に近づいているようで怖いなぁと思いました。『共産党宣言マルクスエンゲルス…革命によって多数の労働者に政治的権力を。→他人の活動を自分のものにする資本主義社会から自分の活動を自分のものにする労働者が主役の共産主義へ。→個人の自由な発展から万人の自由な発展からの結合社会形成へ。言いたいことが分かるような分からないような。『経済学原理』ミル…働く人が増えても、生産量も比例して増えるわけではないので、貧しくなる。だから、生産力をアップし、人口増加の制限すると、豊かな社会となる。という説。なるほどと思いましたが、今の日本にそのまま当てはめるのは難しいことかなぁと思いました。本日もたくさん学べました。名著読んでもないのにこれだけ今日の学びが書けて、自分なりに素晴らしいことだと思ってます。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は図解で読み解く「世界の名著」の4回目。カント『純粋理性批判』、ヘーゲル法哲学要綱』、クラウゼヴィッツ戦争論』、マルクスエンゲルスの『共産党宣言』、J・S・ミル『経済学原理』の5冊でした。どれも大きな影響力と歴史に名を残す大作で、難易度も一段と高く、久恒先生の図解でなんとかついて行ったという感じです。 この中で一番難解に感じたのがカント。「批判」哲学という言葉からして迷路ですが、「批判」とは「きちんと考える」ことの意と伺い、それだけでも視界が開けた感じがしました。また、いろいろな思想の根っこには「人間の自由」への追求があるとも感じました。例えば、カントの哲学を前提として「公共心のある自由」を真の自由としたヘーゲルのほか、J・S・ミルも『自由論』で個人の自由の重要さを論じている。『共産党宣言」も「各人の自由な発展」を目指すとしており、「自由を求める」ところは同じなのだと思いました。また、クラウゼヴィッツ戦争論』は、最近の情勢を目の当たりにして、より一層説得力をもって訴えかけてくるものと感じました。そしてそれぞれの名著は書かれた当時の時代背景や社会の状況も反映しており、そうした視点で全体の繋がりや関係性を見ていく、という話も興味深く伺いました。名著シリーズ、次回も楽しみです。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、「図解コミュニケーション全集」第7巻「応用編1 世界の名著」を使っての学習の第4弾。「純粋理性批判(カント)」「法哲学要綱(ヘーゲル)」「戦争論クラウゼヴィッツ)」「共産党宣言マルクスエンゲルス)」「経済学原理(J・S・ミル)」の5つの名著について、前回と同様、それぞれ1枚にまとめられた図解を使って、久恒先生から解説していただきました。複雑で難解な内容を図解にコンパクトにまとめていただいたことで、5つの思想を俯瞰して見ることができました。また、作者が生きた時代も含めてながめると、5つの思想の関係性や現在(現実に起こったこと)とのギャップなども見えた気がしました。 具体的には、5つの図解に共通する言葉(自由、国家、社会等)がいくつかあったことから、各々の視点の違いに気づきやすかったり、やはり著者それぞれが先人の理論を学んだ上で思考し書いたであろうことも推察できました。さらに、それぞれが想定した未来や理想像と現在起こっている状況とを比較すると、時代的に遡ってしまっている部分やギャップを感じる部分などに気づくことができたので、興味深かったです。次回、次の時代の理論に進むので、どのように展開していくのか気になってきました。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 本日も図解塾ありがとうございました。遅れての参加になりましたが、「世界の名著」を学ぶことができ良かったです。カントやヘーゲル、クラウセヴィッツマルクス、J・S・ミルなどが図解により紹介されました。高校の授業で名前は聞いたことがありましたが、内容はよくできていませんでした。図解によりなんとなく把握できたり、気になるキーワードについて現代に置き換えて考え、とても興味深い内容でした。自由とは何か、豊かさとは何か、戦争とは何かを考えさせられました。特に印象に残ったことは、現象としてとらえるのできない共通する概念のない事例として「神の存在」「愛の意義」「死後の世界」についてです。目には見えないですが、とても大事な概念だと思いました。普段考えたことのないことを考える機会を持てて大変有意義な時間を過ごすことができ、ありがとうございました。次回も楽しみにしています。よろしくお願いたします。

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本日:息子のところに3人目の孫が誕生。女の子。

 

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「名言との対話」5月10日。二葉亭四迷「言文一致」

二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日元治元年2月28日) - 1909年明治42年)5月10日)は、日本小説家翻訳家。享年46。

江戸市ヶ谷出身。漢学、フランス語、洋学を学ぶ。東京外国語学校露語科に進学するも中退。在校中の親友・太田黒重五郎は、後の小説『浮雲』のモデルである。芝浦製作所九州水力発電などの創設にかかわった実業家で、音楽評論家として活躍した太田黒元雄の父である。

1886年坪内逍遥を訪問する。1887年に『当世書生気質』『小説神髄』などで名高い坪内逍遥の本名を使い小説『浮雲』を発表。この「はしがき」で二葉亭四迷を名乗る。「くたばってしまえ」をもじった筆名である。写実主義による描写と、日本初の言文一致体で大きな衝撃を与えた。またロシアのツルゲーネフ猟人日記』などの翻訳にあたった。

内閣官報局、陸軍大学校を経て、1899年に東京外国語学校ロシア語科の教授となる。1906年にはロシア滞在中に学んだエスペラント語で、入門書を出版している。

1904年からは大阪朝日新聞に入社。東京朝日で『其面影』『平凡』などの小説を連載する。1908年、朝日新聞特派員としてロシアに赴任。1909年、帰国途中のベンガル湾の船内で客死する。

日本における言文一致体を初めて世に問うたのが二葉亭四迷ということになっている。『余が言文一致の由来』という随筆を読んでみた。これは懺悔話で、文章が書けないからそうなったという話だった。文章が書けないので坪内逍遥先生に相談したr、圓朝の落語のように書くようにとの示唆を受ける。書いたらそのままでいいということになった。「です、ます」調の敬語を使わずに、「だ、である」調の東京弁の文章となった。次に書いた山田美妙は、逆に「です、ます」調での言文一致の文章を書いた。四迷は美文調は嫌いであり、こなれていない漢語を使わなかった。以上が言文一致体の日本初お目見えの実情だった。

もうひとつ『旅日記東海道線』という随筆も読んでみた。往路は鉄道の旅だ。ロシアの軍人と一緒になる。敦賀では「理想化にして実際家」と四迷が評価する後藤男(後藤新平男爵)に紹介される。「霜降の背広に黒の山高帽を冠り、鼻眼鏡かけた英姿颯爽の一丈夫」と活写している。大阪から神戸に出て復路は船旅で、朝日の村山社長、鳥居素川編集局長らの見送りを受ける。これは1908年の東京朝日新聞に書いたもので、言文一致体で面白く読むことができた。

私場合、若い時代に「だ、である」調で書くと、格式張って文章が必要以上に難しくなるという経験があった。漢語を使い過ぎるのだ。ある時、人に話しかけるように、「です、ます」調にすると、文章がスムーズに書けるようになった。著著の多くは「です、ます」調になっているはずだ。二葉亭四迷は江戸生まれの東京弁だから、生きのいい「だ、だる」調が合っていたのだろう。

「見たとおりに書け」「話すように書け」とは、国語の先生によく言われたが、なかなか難しかった。見たとおりには書けるはずはない。見たものを順番や、構造や、関係を考えて書くほかはない。また「あのね」を冒頭に持ってくると書きやすいとか、いろいろな技術を身に着けてようやく文章が書けるようになるのである。

日本語の「言文一致」の始まりのエピソードは、懺悔の物語だったのが面白い。文章術に関する本は、毎年のように刊行されているし、名著も多い。しかし、皆が文章書けるかというとそうでもない。何か欠陥があるはずだ。そう思って『図で考えれば文章がうまくなる』(PHP)という図解文章を2005年に書いた。それを思いだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Akiko Suzuki