「幸福塾」はコレクターの3回目ーー漫画・新聞雑誌・漱石・映画・文字・児童書・出版・鼻煙壺

「幸福塾」はコレクターの3回目。

以下、塾生の学びから。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日幸福塾、冒頭「野田一夫」先生のご本の編集作業がいよいよ大詰めになったと久恒先生よりお話頂きました。原稿をチェックして改めて解った事は、「75歳~90歳の年齢をまさにアクティブに生き、『自由の拡大』をまさに実践した人物である事を再確認できた事。医者も驚く筋肉(肉体的自由)、多数の著書からの恵み(金銭的自由)、創設した組織には留まらずさっさと後継者へ渡す(時間的自由)、言いたいことは言う/嫌なことはしない(精神的自由)…。円満な家庭、日本一の交友、偉大なビジネスパーソンを輩出(孫正義澤田秀雄など)…いつまでも役割を果たしつつ『自分らしく長く生きる』…最高の晩年。少しでも近づきたい、ぜひ手に取ってみたいと思いました。一方最近の読書では、『アートの達人に会いにいく』の著者である原田マハ氏について紹介頂きました。大原謙一郎、福武總一郎、フジコヘミングなどの「超大物」とのインタビュは月1回ペースで9年掛かったとの事。これもあとで登場する『蒐集』の一つか。さて本題は『コレクタ』の3回目。『個人コレクタ』について引き続き久恒先生よりレクチュア頂きました。中でも『博物館、辞典、文庫』として、その名が後世に長く生き続けているコレクタ達。①米澤嘉博氏(1953-2006)の漫画図書館、東京お茶の水の母校脇に構えた3階建てのビルに14万冊の蔵書!コミケ即売会主催者として知られる。②宮武外骨(がいこつ:1867-1955)新聞雑誌の蒐集、著作の筆禍事件・発禁処分多数、明治の奇人として権力に反抗するも、東大「新聞雑誌文庫」の館長として役人に。③原武哲(1932- )夏目漱石辞典、人物描写には遺族関係者に会ったり、書簡を蒐集。漱石研究には、この本観ざるして通れないバイブルという存在に。漱石に惚れたヒト。④松永武(1935- )映画ポスター、シナリオ、チケット、写真などの蒐集、50年間継続する新聞スクラップは一日3時間掛ける。演劇、文楽、落語、…生き様(芸能人、俳優)⑤中西亮(1928-1994)世界の文字、学生時代家業の印刷工場を継ぐ、文字の世界へ興味を持つ国内外問わず研究のため各地を訪問、フィールドワーク。⑥鳥越信(1929-2013)児童文学研究の傍ら、児童書を蒐集、12万冊。後に大阪府へ寄贈。⑦布川角左衛門(1901-1996)、出版業界のあらゆる資料を蒐集、消えてなくなる「歴史を残す」という使命感、強い意志。⑧沖正一郎(1926-2016)鼻煙壺(紙たばこを納める)の蒐集1200点を大阪府へ寄贈。a)膨大なコレクションを納める大きな建物を維持する財力。b)一つのテーマを通して様々な角度から蒐集、最後は使命感がドライブする強い意志。c)価値のあり無し様々だが、対象物は皆「やがて消えてなくなる」運命。といった共通した背景を知る事が出来ました。一方、ひとつ題材を通じ、こだわってまんべんなく集めることは、コレクション同士の関連性や地理的・歴史的条件を踏まえた世界観の醸成に重要な役割を果たしている事を理解する事が出来た事が本日の学びとなりました。有難うございました。
  • 久恒先生、皆様、本日も幸福塾ありがとうございました。今回も「コレクタ-列伝」で好きなものをコレクターしている人物から、幸福について考えるという内容でした。
     今回紹介された人物は、漫画図書館の米澤嘉博さん、明治周辺人物事典の宮武外骨さん、夏目漱石周辺辞典の原哲武さん、映画資料の松永文庫の松永武さん、世界の文字の中西コレクションの中西亮さん、出版資料の布川文庫の布川角左衛門さん、児童書の鳥越コレクションの鳥越信さん、鼻煙壷の沖正一郎コレクションの沖正一郎さんの様々なコレクションが紹介されました。どの方もコレクションの量がすごいと思いました。本は、出版関係の本を250000冊集めた布川さんやほかの方も何千点ものコレクションをされた方がおられ、保管場所や維持管理が大変だろうなぁと思いました。特に印象に残った内容は、夏目漱石周辺の人物138名から出会いや交流など調べた辞典を編集した原哲武さんです。夏目漱石、本人ではなく、周辺の人について調べたことが興味深く感じました。周辺の人からより深く夏目漱石のことを知ることができるのではと思いました。コレクションされている人は、コツコツとライフワーク活動を行い、そのことで個人としても自己実現により幸福を感じ、また多くのコレクションを市や団体に寄付することで社会貢献にもなり、本人も他人も幸せにしていく構造になっているのではと思いました。大変興味深いお話をありがとうございました。また次回もよろしくお願いたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今日は個人コレクターの3回目。独自な視点で大量な文献や情報、モノを集めた人の話で、漫画図書館の米澤嘉博、明治周辺人物事典の宮武外骨夏目漱石周辺事典の原武哲、映画資料の松永武、世界の文字を収集した中西亮、児童書研究の鳥越信、出版資料を収集した布川角左衛門、鼻煙壺収集家の沖正一郎の話を伺うことができました。特に印象深かったのは夏目漱石周辺事典。漱石本人や著作物ではなく、漱石と交流のあった周りの人の記録を集めているところが面白いと思いました。対象となるものの周辺にあるものを集めると、新たなコレクションになるということが分かり、自分にとって新たな発見でした。ただし、どの収集家も量が膨大。どうやって保管していたのかも気になります。そして最後は収集物が図書館や博物館となり、本人は生きた「辞典」となって賞が贈られる。と、いうことで、ここまでに至るコレクションは中途半端ではできない!と思いました。それを知ることができたのも良かったところです。もう1回コレクター編が続くということで、次回も楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。個人のコレクターがテーマでした。漫画14万冊の米澤嘉博、新聞・雑誌の収集で賭博の歴史・リンチの歴史・舌禍史の宮武外骨夏目漱石と出会った138名を解説した夏目漱石周辺事典の原哲哉、新聞のスクラップに1日3時間もかけた映画資料の松永武、世界の文字を集めた中西印刷の中西亮、古今東西の児童書を集めた鳥越信、出版の歴史資料を集めた布川角左衛門、最後に鼻煙壺を集めた良品計画ファミリーマートの社長の沖庄一郎といった顔ぶれでした。よくまあ、それぞれ独自の狭い対象にこだわって、長い年月にわたって集め続けてきたものだと感心しました。たぶん最初はただ興味をもって集め始めたのがずっと続いてきたのだと思います。そして一種の使命感のようなものをもつようになって一層熱心に集め続けてきたのでしょう。出版社などはちゃんと保存していないので、結果として個人が蓄積することになり、それがコレクション、○○文庫、事典などとなって後世に残り、文化をつくるのに貢献してきたのだと思います。以上の本題に入る前の話題の中では、原田まは「アートの達人に会いにいく」に興味を持ちました。また、原田まはが42歳から小説家になったこと、フジ子ヘミングも40歳過ぎてから世に出たことも興味深いことでした。次回以降も楽しみにしています
  • 本日もありがとうございました。個人コレクターの方々のお話でした。米沢嘉博さんの漫画関連14万冊、鳥越信さんの児童書など10万冊!いったいどのくらいなのか見てみたいものだと思いました。宮武外骨さんの新聞雑誌の収集からの頓智・滑稽・賭博・リンチなどの歴史本について、名前が雰囲気出ていて面白いですね。また、沖正一郎さんの鼻煙壷1200点とか、原武哲の『夏目漱石周辺人物事典』で138人の夏目漱石の関係者をたどって辞典を作ったお話など、コレクターといってもいろいろで、毎回楽しませていただいてます。 コレクターというだけあって、みなさんの収集量の多さと集めていた期間の長さに、毎講義、圧倒されています。今回は、個人のコレクションが、公の美術館や博物館に展示され、事典などにまとめられ、つまりそのものの歴史となることが分かりました。ここまでいくと、そんな魅力的なものに出合えたことが、幸せといえますね。次回もよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。個人コレクターの方々のお話でした。米沢嘉博さんの漫画関連14万冊、鳥越信さんの児童書など10万冊!いったいどのくらいなのか見てみたいものだと思いました。宮武外骨さんの新聞雑誌の収集からの頓智・滑稽・賭博・リンチなどの歴史本について、名前が雰囲気出ていて面白いですね。また、沖正一郎さんの鼻煙壷1200点とか、原武哲の『夏目漱石周辺人物事典』で138人の夏目漱石の関係者をたどって辞典を作ったお話など、コレクターといってもいろいろで、毎回楽しませていただいてます。 コレクターというだけあって、みなさんの収集量の多さと集めていた期間の長さに、毎講義、圧倒されています。今回は、個人のコレクションが、公の美術館や博物館に展示され、事典などにまとめられ、つまりそのものの歴史となることが分かりました。ここまでいくと、そんな魅力的なものに出合えたことが、幸せといえますね。次回もよろしくお願いいたします。
  • 生、本日の幸福塾をありがとうございました。途中からの参加で全体を把握しておりませんが、なかなか個性的な方々が登場されていると思いながら、拝聴しておりました。なんだか楽しそうに生きているのが伝わってきました。印象的だったのは、登場されたコレクターお一人お一人をとても楽しそうに語られる久恒先生のあり方でした。だからこそ、楽しく生きているのが伝わったのではないかと思った次第です。ホントは参加すべき状態ではなかったのではないかと思っています。ですが、今回参加しないとこのままフェードアウトしてしまうと思い、参加いたしました。 次回は万全の体制で臨みます。
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    chatGPT4を試す。意図を入れると、小説の企画案が即座に返ってきた。
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    「名言との対話」5月17日。近藤勇「薩摩の初太刀をはずせ」
    近藤 勇(こんどう いさみ、天保5年10月5日1834年11月5日〉- 慶応4年4月25日1868年5月17日〉)は、江戸時代末期の武士新選組局長。享年33。
    東京都調布市出身。天然理心流宗家四代目を主命。1863年、14代将軍・徳川家茂の上洛警護の浪組に参加。京都で浪士組を発案した清河八郎尊王攘夷の真意を知り、離脱。京都守護職となっ松平容保会津藩図預かりとなり、壬生浪隊を結成する。新選組の隊名を下賜される。近藤は、新見錦、田中伊織、芹沢鴨らを暗殺、自殺させ、近藤主導の体制を築く。
    八月十八日の政変により、誕生した一橋慶喜松平容保会津藩主・松平定敬桑名藩主)の「一会桑政権」の一翼を担う。1864年7月8日、勤王派が集う池田屋に突入し、新選組の名を挙げ、全員が幕臣となる。
    鳥羽伏見の戦い幕府軍が破れる。近藤は幕府から「甲陽深鎮撫」を命じられる。板垣退助の迅衝隊との甲州勝沼の戦いで敗れて敗走する。新政府軍との流山で、近藤は捕縛される。変名を名乗ったが、見破られ、斬首され、京都三条河原でさらされる。
    近藤勇については、盟友で副長の土方歳三とともに、小説やテレビなどでよく取り上げられていること、日野市の新選組隊士の記念館などでよく知っている。
    池田屋事件で勤王の志士たちを襲ったこと、仲間の暗殺を繰り返した非情の人、容貌も恐ろしげという印象を持ってた。豪胆で沈着な武士だった。近藤勇三国志演義の豪傑・関羽に憧れている。また加藤清正を尊敬していた。ところが近藤に会っている渋沢栄一によれば、穏当な人物で、事理の解る人であったと観察している。ただ、近藤は薩摩を嫌いで、薩摩人に対しては過激な言動をとっていたと述べている。
    捕縛された近藤の処分をめぐって、土佐藩薩摩藩の意見の相違があったらしい。穏やかな処分を主張する薩摩藩を説き伏せ、斬首に決めたのは土佐藩谷干城であった。ここで思い出すのは、西郷隆盛佐幕派庄内藩に寛容な処置を行って感謝されたこと、新政府軍の黒田清隆が函館五稜郭に立てこもった敵将の榎本武揚の助命に命を懸けたぉことだ。
    「薩摩の初太刀をはずせ」と、薩摩示現流の威力を知っていた近藤勇は薩摩嫌いであったが、意外なことに薩摩人は寛容であったのだ。この辺りは、もう少し調べたい。