東京駅で打ち合わせの後、仙台へ。

東京駅の大丸のカフェ英国屋で、N出版社の編集者と数年来の大型企画の打ち合わせ。進行状況を確認した上で、刊行スケジュールが決まった。

その後、新幹線で仙台へ向かう。

夕食は私たち夫婦と仙台で合流した息子の3人で、数時間話に花が咲いた。

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chatGPT。

文章の校正と校閲を試した。校正は文章の外形を整えること、校閲は内容のチェック。どちらもできるが、GPTは校閲の方が得意だそうだ。

である調から、ですます調への変換も簡単。

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「名言との対話」5月18日。グスタフ・マーラー交響曲を書くことは、私にとって、世界を組み立てることなのだ」

グスタフ・マーラーGustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)は、主にオーストリアウィーンで活躍した作曲家指揮者

交響曲と歌曲の大家として知られる。作品は色彩豊かな管弦楽法をもつ。作品に、9曲の交響曲のほか、歌曲「なき子をしのぶ歌」などがある。

愛読書がドストエフスキーの作品だったマーラーの辛辣な舌鋒、奇矯な言動は、多くの敵をつくり、また多くのマラー伝説を生んだ。

マーラーの影響は、音楽の世界はもちろんだが、他の芸術にも及んでいる。日本でも、切り絵画家の宮田雅之はマーラーを流しながら作業を行っている。

以下、歴史上の偉大な作曲家の名言を紹介する。

「源へ戻ろう、新しい力を汲み上げるため。(ヴェルディ)」

「評論家なんて、言おうと気にしないことだ。これまで評論家の銅像があったかね。(シベリウス)」

「私は音楽に恋をしているのです。(ブラームス)」

「仕事をするときは上機嫌でやれ、そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない。(ワーグナー)」

「神がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かうだろう。(ベートーベン)」

フィンランドの作曲家シベリウスは1907年には5歳上の巨匠マーラーと対面している。シベリウスは「交響曲においてはすべての動機を内的に関連させるスタイルの厳格さ、深遠な論理が重要である」としたのに対し、マーラーは「交響曲は一つの世界のようなものである。そこにはすべてが含まれていなければならないのだ」と反論した。1911年。「競争は他の者たちに任せて、私は自らの芸術を徹底的に追求しよう」と本物の音楽を求めていく。1914年のアメリカ旅行では、雄大な自然を音楽で表現しようとしたが、「荘厳で、広大で、人間の力ではどうしようもない」。マーラーは「芸術は自然よりも偉大だ」と対照的だった。

マーラーの言うように、作曲という仕事は、建築家と同じように自分の世界を音を材料に組み立てることのようだ。独自の材料を駆使して誰も見たことの無い世界を創造する。これは表現者の行き着くテーマだ。