森村誠一さんの「写真俳句」に触発されて「フォト川柳」を始めよう。

7月24日、作家の森村誠一さん死去。この人の著書は『人間の証明』『悪魔の飽食』などの小説を読んできた。

2022年5月に老いる意味』(中公新書ラクレ)を読了。「最先端にいるというのは、未来に接続していながら、自分が耕した過去にもつながっていることだ」「作家という仕事には定年がない」。「私は100歳まで現役を続けるつもりである」と語っていた。享年は90だ。著書リストをみると、1965年から2011年9月までの46年間に、実に375冊の本を上梓している。

森村さんは「写真俳句」を提唱し、実行していた。森村さんにならって「フォト川柳」を目指したいと思ってきた。私の『戒語川柳』シリーズは3巻まで刊行している。4巻は、写真と川柳を組み合わせた句集を作ってみようか。例えば、こんな感じ。

 

たまらんな カラスも行水 炎熱や

待ったなし なのに待ったの 大相撲

わが青春の 想い出ひびく ゲタの音

コロナ明け 劣化の進んだ 同窓会

森村誠一さんの「写真俳句」に関する過去のブログ。

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「名言との対話」7月26日。ゲルダ・タロー「崩れ落ちる兵士」

ゲルダ・タロー(Gerda Taro、1910年8月1日 - 1937年7月26日)は、ユダヤポーランド人の報道写真家。

本名はゲルタ・ポホリレ(Gerta Pohorylle)。スペイン内戦で活躍し、戦争の最前線を取材する女性フォトジャーナリストとして初めて死亡したとされている。

「タロー」はあくまで仕事用に作った架空の名前であり、ヨーロッパで増大する政治的偏見を克服し、アメリカ市場で良い収入を得るために作られた名である。ロバート・キャパ名の初期の作品の多くは実際にはタローによって作られたものが多いといわれる。

キャパ(1913-1954)と言えば世界で最も著名な写真家の一人である。世界で最も偉大な戦争写真家だ。キャパは「現代フォトジャーナリズムの創案者にして父」との評価がある。キャパは1954年にベトナムで地雷を踏んで5月24日に死亡。

2013年のNHKスペシャル「沢木耕太郎が推理!戦場写真・最大の謎」をみた。キャパと恋人(タロー)の旅路、傑作を撮ったのは誰? 恋人が撮った写真で有名になった若いカメラマンのその後という触れ込みだった。

その後、みなと未来地区の横浜美術館で「キャパ展」が開かれたので訪問した。正確には「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」というタイトルであった。

このキャパという名前は、実はアンドレフリードマンと女性写真家ゲルダ・タローの二人が創りだした架空の写真家の名だったのだ。二人ともユダヤ系だった。そして二人とも戦場で命を落とす。タローは26歳の若さだった。

ロバート・キャパとフェルダ・タローは、われわれを農家や畑、パンを買う行列、弾薬工場、駅、カフェ、劇場にも、塹壕にもつれていってくれる」。それは君がいい写真を撮れないのは、あと半歩の踏み込みが足りないからだよ」という姿勢からきているものだ。

有名な「崩れ落ちる兵士」は、1936年にキャパが撮影したとされる傑作である。スぺイン内戦中の人民戦線政府の兵士がコルドバのセロ・ムリアーノの戦いの最中に銃弾を受けて倒れるところを至近距離から激写した写真であるとされた。ピカソの「ゲルニカ」と並び反ファシズムのシンボルとなった、キャパの代表作だ。沢木耕太郎の『キャパの十字架』や、NHKスペシャルでは、本当の戦闘時の写真ではないと指摘されていて、まだ真贋論争が続いている。

ゲルタ・ポホリレが本名の女性報道写真家は、フェルダ・タローという名前に変えることを余儀なくされて、そしてアンドレ・フリーマンとの合同のネーミングであるロバート・キャパとして歴史に名を刻んだのである。

 

 

 

 

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