「今日も生涯の一日なり」は学びの記録ーー「たゆまざるあゆみおそろしかたつむり」。

この毎日書き続けているブログ「今日も生涯の一日なり」は何であるのか。それは、私の「学びの記録」だろう。

この学びの記録は、2004年9月28日以来、今日で6877日目。1万日に到達するにはあと8年半かかる。それは、「学びの軌跡」となるはずだ。それは私の21世紀前半の半世紀の日々の投影となるだろう。

人は何によって学ぶか。それは「人・旅・本」であると喝破した人がいる。これを体験と呼びたい。「旅」は移動によって得たカラダを通しての体験だ。「本」はアタマを使った著書の思考の追経験を通じた学びという体験だ。そして「人」はカラダとアタマの両方を使った体験である。改めて、このブログをカラダとアタマという生身の身体を使った体験による「学びの記録」として意識していきたい。

2016年1月1日以来、このブログの後半に「名言との対話」というコーナーを設けて、書き続けてきた。昨年の「名言の暦」は明治時代に生まれた人を取り上げた。一昨年は大正から昭和へかけて生まれた人にした。今年は「近代を生きた人」をテーマにしている。毎年、私家版として書物にしているが、「明治誕生日編」の編集が最終段階に入っている。この366本の名言の中から、「継続する学び」について語っているものをピックアップしてみよう。

  • 2月12日 。田辺茂一「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」
  • 4月14。 アーノルド・J・トインビー 「知力と活力を死ぬまで保ち続ける人については、老齢にともなう問題は起きません」
  • 6月13日 。イェイツ「幸せとは、成長のことである。人間は成長しているときこそ、幸せなのだ」
  • 8月31日 。鏑木清方「毎日続けて行き変化させて行くところに、小説作家と似た興味も覚えていく」
  • 9月23日 。森信三「例外をつくったら、だめですぞ」
  • 10月18日 。アンリ・ベルグソン「生存するということは変化することであり、変化するということは経験を積むことであり、経験を積むということはかぎりなく己れ自身を創造していくことである」
  • 11月27日 。松下幸之助「自分には自分に与えられた道がある」
  • 12月16日 。北村西望「たゆまざるあゆみおそろしかたつむり」

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「名言との対話」7月27日。徳川家慶「そうせい」

徳川 家慶(とくがわ いえよし 1793年6月22日ー1853年7月27日)は、江戸幕府の第12代征夷大将軍(在職:1837年 - 1853年

江戸城で生まれる。1837年に将軍となったが、前将軍の家斉が大御所として実権を握っていた。家斉の死後、水野忠邦に緊縮財政と言論統制蛮社の獄)を主とする天保の改革を行わせたが、わずか2年で挫折する。その後、24歳の安倍正弘らを重用し、島津斉興徳川斉昭らに厳しい処分をした。1853年のペリー来航の最中に暑気当り(熱中症)で死去した。

松平春獄は家慶を「凡庸の人」としているが、家斉の大所時代は「そうせい」と言うほかはなかった。そのため家慶は「そうせい様」と呼ばれている。

歴代将軍の名言を並べてみよう。

  • 徳川家康おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり
  • 秀忠「当家夜をありつの日浅く、今まで創建せし綱紀政令、いまだ全備せしにあらざれば、近年のうちにそれぞれ改修せんと思ひしが、今は不幸にして其の事も遂げずなりぬ、我なからむ後に、御身(家光)いささか憚る所なく改正し給へば、これぞ我が志を継ぐとも申すべき孝道なれ」
  • 家光「植えるのは木ではなく、忠誠心である」
  • 家綱「彼らは何を食べているのだろう。命を助けて流罪にしたのに何故、食料を与えないのか
  • 綱吉「支配者があまりにも寛容に民を扱うと、民は奢りに走り本業を怠るものである。身分不相応な暮らしを許してはいけない。民は為政者を信用しておらず、為政者もまた民を疑っている。このようなことが起こらないように意思の疎通に心がけるべきである」
  • 家宣「生類憐れみの禁令に触れ罪に落ちた者は数知れないものである。私は天下万民のためにあえて遺命に背くこととする」
  • 家継「越前(詮房)を迎えに出よう
  • 吉宗「おしなべて褒められる者にも善人は少なきものよ。なかば褒められ、なかばそしられる者こそ、取りどころはあるなれ
  • 家治「これは先々代様も食べられたものか?」
  • 家斉「改革なんか上下ともに迷惑、あんなことやるものじゃない」
  • 家慶「そうせい」
  • 家定「遥か遠方より使節をもって書簡の届け来ること、ならびにその厚情、深く感じ入り満足至極である。両国の親しき交わりは幾久しく続くであろう合衆国プレジデントにしかと伝えるべし」
  • 家茂「あとは明日にしよう。明日も出仕するように」
  • 慶喜水戸徳川家では義公以来代々尊王大義に心を留めていた。父なる人も同様の志で、自分は庭訓を守ったに過ぎないのである」

以上、徳川幕府の歴代将軍の治世に関する言葉を並べてみた。第15代将軍として260年以上続いた徳川の治世を終わらせた慶喜は、将軍家というより、「尊王」という水戸家の教えを守ったという意識だったのだ。

「そうせい様」と呼ばれた徳川家慶は、家斉の死後に実権を握ってからは、時勢を見極め、有為の人材を登用するという面もあったようである。

いずれにしても、260年以上にわたって15人の将軍をいただき、世界史に例のない長い平和な時代を築いた徳川時代には、そのための多くの知恵があったのは間違いない。