寺島実郎の「世界を知る力」8月編(東京MXテレビ)ーー「最新シリコンバレー報告」「21世紀の日本の国家構想」

寺島実郎の「世界を知る力」8月編。

シリコンバレー最新報告(7月)

  • 基礎知識:ゴールドラッシュ(1849年)。スタンフォード大学(1891年)。マイクロコンピュータ時代(1970年代)。インターネット・IT革命(1990年代)。データリズムの時代(GAFAM)。IT・DXの総本山(21世紀)。
  • 4つの主体の総合で発展:資金提供「NSF(国立科学財団)」「ベンチャーキャピタル」。人材供給「スタンフォード大学」「イノベーター」。KFS(Key Factor For Successは「ソーシャル」「モバイル」「クラウド」。
  • 最新の印象:米国の分断の皮肉(多国籍・多民族が支えている)。消える日本の存在感(円安・没主体性)。AI・DXの潮流「生身の人間の身体性」「人間を満足させるのは人間(愛・友情・連帯、、)」
  • 光「GAFAM5社の時価総額9.2兆ドル」「小さい家でも1.5-2億円超」。陰「マネーゲームによる大型詐欺事件・セラノス事件」「サンフランシスコ中心部の荒廃(治安の悪さ)。極端なギャップ。

日本

  • 8月15日:日本人310万人、アジア人2000万人以上の死。
  • 宿命:中国とアメリカ。日米中トライアングル。21世紀の国家構想があるか。
  • 二つの国家構想:明治は樽井藤吉「大東合邦論」(アジア主義)と福沢諭吉「脱亜論」(西洋文明国と歩む)の二つ。脱亜論の上から目線は、脱亜から親亜へ、それが侵亜へ、そして大東亜共栄圏へ。微妙。
  • 21世紀の対外構想(智恵のある構想):1:米中の対立に巻き込まれてはいけない、尖閣問題を提起せよ。2:対米関係の再設計、新しい世界のルール形成を。沖縄に国連アジア太平洋本部の設置で軍縮と非核を推進など。日本自身の構想力が問われている。

以下、図メモ作成から始まる理解のプロセス。

1・テレビ映像を聴きながらキーワードを書き出す図メモ。2・知らない言葉などを調べて理解を深める。3・自分の知識を加える。4・大きな枠組みをマルで囲い、そして大きな流れを赤の矢印で示す。5・その上で上記のように要旨をまとめる。6・そして直近の図解塾で解説する。

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夜:ユーチューブ「遅咲き偉人伝」の録画は、尾畠春夫(スーパーボランティア)と松岡和子(「シェークスピア全集」33巻の完訳者)。

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「名言との対話」8月20日甘粕正彦「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年明治24年〉1月26日 - 1945年昭和20年〉8月20日)は、日本軍人(陸軍)。享年54。

仙台市出身。1923年東京麹町憲兵分隊長で憲兵大尉のとき、関東大震災の混乱に乗じて無政府主義者大杉栄伊藤野枝らを絞殺した甘粕事件)で知られる。軍法会議で懲役10年の判決を受けるが、恩赦により短期で出所し、フランスに渡る。1年5カ月の生活だった。

1929年帰国し、中国東北部へ渡り、関東軍に協力して満州事変などを画策し、「満州国」の建国に関与した。満州国協和会中央本部総務部長、満州映画協会(満映)理事長などを歴任した。敗戦後に服毒自決した。

「甘粕大尉」の名は、李香蘭こと山口淑子や、アナキスト伊藤野枝のことを調べる中で、わずかに知ってはいたが、今回、角田房子『甘粕大尉 増補改訂』(ちくま文庫)を読んで、その鮮烈な生涯の全貌を知った。この本のオビには「日本陸軍の暗部を生きた男」との文言がある。膨大な資料と克明な証言で甘粕正彦の実像に迫った労作である。

残忍な人殺し、思いやりの深い人情家、右翼の大立者、帝国主義者、豪放磊落、神経質なふさぎ屋、快活なユーモリスト、わがままで癇癪持ちのワンマン、典型的な能吏、有能俊敏の事業家、細心な事務屋、国際的な謀略家、ハッタリ屋、スタンド・プレイの名優、芸術愛好家、キザなスタイリスト、、。この矛盾に満ちた謎の人物の実像はいかなるものなのかに迫りたい。

甘粕正彦の言葉。

「生き甲斐は、民族の長たり、政治の首長たる皇室、皇室の有たる日本国に、凡てを空しゅうして仕ふること、、」「人間には運命がある。それから逃げることはできない。運命に従って、まじめにやることが一番大切だ」「人間は死ぬ時期と場所とが大切だ」「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

外から見た甘粕。

「法廷で部下をかばうため、すべての罪を一身に引き受けた」(甘粕三郎)。「彼の言行力の旺盛なる、かつ勇敢なるは感服に値す」(橋本欣五郎)。「金の使いぶりのきれいだったのは、甘粕と河本大作の二人だった」(澄田四郎)。「全く、私心というもののない人だった」「筋の通った立派な男だった。それに、ものわかりがよく、人情豊かで、部下のめんどうも実によくみてくれた」(三原朝雄)。「甘粕は右か左かにこだわらず、その人間を見た」(古海忠之)。「あれだけの人物はなかなかいない」「人が手を出さない、いやなことを敢然とやった」(川喜多長政)。「本当はよく気のつく、やさしい人だった」(山口淑子)。「私利私欲を思わず、そのうえ生命に対する執着もなかった」(武藤富男)。「一つの国を立派に育て上げようという大きな夢に酔った人だった」(森繁久彌)。

甘粕の言葉では、「大ばくち もとも子もなく すってんてん」を採った。敗戦から3日後に満映の理事長室の黒板に自筆で書いていた言葉を飯島満治が見ている。満州国の建国自体が日本の大きなバクチであり、そこに身を投じた自分の人生もバクチであったという感慨であろう。

今後も甘粕正彦という謎の人物をめぐる証言を目にするだろう。じわじわとその実像を深めていきたい。