「エッセイの タイトルのよな 句を詠まん」

 

 

「文藝春秋」に短いエッセイが並んだ欄がある。今は冒頭は藤原、正彦「古風堂々」で、最後は塩野七生「日本人へ」だ。10月号では藤原のエッセイは53回目だが、塩野のものは241回目になっている。この二人はレギュラーで、それ以外は毎回単発で人が変わる。

長田育恵(劇作家・脚本家)「万太郎のまなざし」。この人はNHK「らんまん」の脚本を書いた人。植物と人間、生命あるものは美しく、愛おしい。それがテーマである。私もドラマを見ているが、もう少しで終わる。牧野富太郎の自叙伝などを私は読んでいるが、このドラマは別のものだなと感じることがあるが、創作だと思ってみているが、いい内容だ。

絲山秋子(作家)「沼田高校の鐘」。子、孫、曾孫、玄孫、来孫、昆孫、仍孫、雲孫。現在50歳の人が25歳で子が誕生すると、75歳で曾孫、100歳で玄孫(やしゃご)に会えることになる。人生100年時代とは、曾孫どころか、玄孫を見ることができる時代になるのである。

雨宮正佳(前日銀副総裁)「落語・江戸・経済」。雨宮副総裁は総裁就任を断って学界に転じて東大教授となった。なぜ落語か。青山高校時代に落語研究会に所属しており、今でも落語を語る人であることを知った。天保の改革に反対した町奉行の遠山の金さんこと、遠山金四郎を主人公にした小説をいずれ書くのではないか。

由井緑郎(パッセージ社長)「好きなことを好きなだけ」。鹿島茂の息子である。神保町にできたパッセージというシシェア書店の経営者だ。この店は世界最大のシェア型書店になったそうだ。

石川次郎(雑誌編集者)「木滑良久さんが遺した言葉」。マガジンハウスの名編集者の石川次郎さんの上司であり、この7月に亡くなった木滑さんを追悼した文章だ。私はお二人に面識があるから、楽しく読むことができた。

他にも、「愛と孤独と相続」と題した臨床心理士や、新選組ゆかりの施設について書いている京大教授のエッセイもなかなかいい。

この欄は今まで冒頭と最後の2つだけを読んでいたが、時宜を得た人選と、思いがけないテーマで充実していることがわかった。最近、エッセイ本を読む機会が多い。この欄も愉しみにしたい。

ーーーーーーー

土曜の朝はヨガを1時間。汗をかいた。

ーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」9月16日。大杉栄「一犯一語」。伊藤野枝「自分の思うことをずんずんやる代わりに人のわがままの邪魔はしません」

大杉 栄(1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家

伊藤 野枝(いとう のえ、1895年明治28年〉1月21日 - 1923年大正12年〉9月16日)は、日本婦人解放運動家無政府主義者作家翻訳家編集者

大杉栄伊藤野枝の夫婦は同じ日に死んでいる。1923年9月16日である。関東大震災直後に、その前の幸徳秋水大逆事件で軍部から危険視されて、殺害された。それは指示を出した甘粕憲兵大尉の名にちなみ、甘粕事件と呼ばれる。

愛知県出身の大杉栄は22歳から、電車事件、屋上演説事件、赤旗事件に至るまでたびたび監獄に入った。長い刑期を有益に過ごすため、「一犯一語」の原則を立てる。一つ犯罪を犯し監獄に入るたびに、一つの語学ヲマスターしようという腹である。エスペラント語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、、。3ヶ月で初歩を終えて、6ヶ月では辞書なしで本が読めた。

大杉栄は、賀川豊彦からファーブルのことを聞いて興味を持った。賀川は弱肉強食の理論書のように悪用されたダーウニズズムに対抗するためにファーブルを持ち出したのである。関東大震災当時の大杉はファーブルの「昆虫記」の訳を手がけていたが、第1巻しか訳すことはできなかった。

大杉の妻は伊藤野枝である。福岡県出身。上京し上野高等女学校を卒業後、郷里で親の決めた結婚をするが、すぐに婚家を出て再上京。上野高女時代の英語教師・辻潤のもとに身を寄せる。平塚たいてうの「青鞜社」に入社。1915年から『青鞜』の編集長になる。1916年『青鞜』を辞め、辻潤と別れてアナキスト大杉栄と同棲。1921年アナキストの赤瀾会結成に参加するなど活発な活動を続けた。

大逆事件で殺された幸徳秋水や、アナキスト大杉栄社会主義者・山川均らの足跡を追っていると、よく見かける名前が伊藤野枝だ。栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)を読んだ。

以下は、この本の目次からとった言葉だ。壮絶な人生である。

  • わたしはけっしてあたまをさげない。わたし、海賊になる。恋愛は不純じゃない、結婚のほうが不純なんだ。貞操論争・堕胎論争・廃娼論争。カネがなければもらえばいい。あなたは一国の為政者でも私よりは弱い。結婚制度とは、奴隷制度のことである。この腐った社会に、怒りの火を玉をなげつけろ!失業労働者よ、団結せよ。非国民、上等! 失業、よし! 村に火をつけ、白痴になれ。、、、。
  • 「自分の思うことをずんずんやる代わりに人のわがままの邪魔はしません」。貞操という発想がおかしい。避妊はいいが堕胎はダメ。セックスワークは普通の労働。いざとなったら、なんとでもなる。、、、

野枝は9つ上の辻潤との間に男子2人。10歳上の大杉栄と間に女子4人、男子1人を生んでいる。摩子、エマ、エマ、ルイズ、ネストルという名前をつけている。1913年から1923年まで10年間で7人だ。エマは尊敬するアメリカのアナキストフェミニストエマ・ゴールドマンからとっている。

松下竜一ルイズ 父に貰いし名は』 (講談社文庫)という小説がある。ルイズはパリ・コミューンで大活躍したアナキストのルイズ・ミッシェルからとった名前である。この本は、アマゾンでは次のように紹介されている。ルイズは野枝の四女である。

「虐殺された大杉栄伊藤野枝の遺児の青春と自立を追う。「主義者の子」という重い十字架を背負いながら、1人の女として自己を確立していく軌跡を、克明な取材で綴った感動の記録。単なる人間ドラマで終わらない、昭和という時代を明らかにする生きた証言がある。第4回講談社ノンフィクション賞受賞作!」

私の高校の先輩である松下竜一は、『豆腐屋の四季』で有名な人であるが、自然保護、平和などの運動に関わり続け、短歌、小説、随筆、そして伝記文学まで多くの作品を残した作家である。伊藤野枝とその残したものを知るために『ルイズ 父に貰いし名は』も読んでみたい。

大杉栄関東大震災が発生したとき「地震のおかげで原稿の催促をされなくなって助かったよ」とのんびり構えていたが、自宅で甘粕憲兵大尉らにつかまる、その夜のうちに惨殺されて井戸に放り込まれた。妻の野枝もリンチを受け、扼殺(手で首をしめて殺す)され、素っ裸にされ、井戸に放り込まれた。28歳という若さであった。。

大杉栄の「一犯一語」は人を食ったスローガンである。逆境を逆手にとって勉強したのだ。ビジネスマン時代、私は「一仕事一作品」という原則を持っていた。2-3年で変わる職場毎に、何か仕事のテーマに関する知的生産物を残そうという意思であったが、自身の成長のためには良かったように思う。「一犯一語」は大杉栄らしい原則だが、我々はこれにならって、原則を持つべきだろう。

伊藤野枝の「自分の思うことをずんずんやる代わりに人のわがままの邪魔はしません」は、アナキズムの本質を言い当てた言葉だ。夫婦とともに信奉したアナキズムとは、他人の支配を受けない、受けなくてもやっていけるという思想だ。権力階級の資力や支配がどれほど大きくとも、人間の生きる権利を奪うことはできない。助け合って生きていく。困った時はお互い様。相互扶助の輪をひろげていくと行政はいらなくなる。だから無政府主義者と呼ばれるのだろう。要するにアナキズムとは、自助と共助の思想なのだろう。公助をあてにしない、そういう思想なのだ。