寺島実郎の「世界を知る力」(時代との対話)のテーマは「教育」ーー原体験的緊張感

寺島実郎の「世界を知る力」(時代との対話)のテーマは「教育」。

対談の相手は、慶應義塾塾長で日本学術振興会理事長、中央教育審議会会長をつとめ、近年の教育改革を主導した安西祐一郎(1946年生)。二人とも団塊の世代

以下、2人の対談と私の場合。

  • 団塊世代:期待される人間像(1966年)。全共闘運動は丸山真男(市民主義)とマルクス社会主義)の結婚。産業戦士へ。
  • 「原体験的緊張感」:安西は慶應大の工学出身。20代後半に「人間と社会を見つめよう」と人文系へ転向。「後がない」状況で、カーネギー・メロン大学で心理学とコンピュタサイエンスをかけあわせた分野で「これだ」と思った。寺島(1947年生)は早稲田大院卒で三井物産入社。IJPCプロジェクトで中東、イスラエルに7年間。限界を悟りものが書けなくなって、学び直しへ。(久恒1950年生:大学紛争から離れて探検部に。青白き秀才路線からの脱却。「外的世界の拡大は内的世界を深化させる」という信条の獲得)
  • 戦後日本:価値軸の混乱。私生活主義(今、ここ、私)。教育勅語のの副読本化(2017年)による公。歴史と地理。国家・社会は歴史の産物。外から見た平和国家日本。イデオロギーにからめとられないように見直しが必要。(久恒:日本人としてのアイデンティティの喪失。精神というインフラの再建が最重要課題)
  • 現在は転機:高校の新設「歴史総合」必修科目、近代から始めた。現場の動揺と混乱。「学び方を学ぶ」、それは見方を学ぶこと、思考の方法を学ぶこと。(久恒:図解思考とネットワーク型世界観)
  • 大学:安西「感動の体験の場。心のエンジンをまわすガソリン。一人一人が立ち上がる。めぐり逢い。生死をわけるような判断力を養う原点。宇宙飛行士」。寺島「先生の生き様。スパーク。モスラ先生の言葉で読書の道へ。サンライズ」(久恒:「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。優れた教師は自らやってみせる。偉大な教師は心に火をつける」
  • グローバル人:安西「どこへ行っても自分でいられる人。相手の心を感じられるか、自分の言葉で語ることができるか。感謝する想像力。自分への誇り。クローズからオープンへ」。寺島「忍耐力を持ち多様な価値観の中を生き抜く人。進化していく」。(久恒:探検精神。外的世界と内的世界。アタマとカラダ。日本と世界。相関と循環。)

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「教育」は学校だけでするものではない。あらゆる職場は人生の学校であり、家庭で子供を育てることも自己教育の場である。出版、メディアも教育がテーマだ。つまり、私たちを取り巻く社会は人を育てる磨き砂であり、人生の学校そのものだ。

最近の雑誌や書物をひらくと、「日本人」の劣化を憂う論調が花盛りだ。例えば、、、。

  • 「今、日本で失われつつある『日本の心』の回復という角度から話したいのです」(童門冬二。『童門流人前で話すコツ』)
  • 「日本人のアイデンティティを問い直し、日本人が将来に向かう指針とできるような日本人とは誰か」(文芸春秋100周年企画「代表的日本人」)
  • 「日本人らしい日本人、すなわち勇気、正義感、創造性、郷土愛と祖国愛、そして何より惻隠の情」(藤原正彦。『文春』2023年8月号)
  • 「慎ましやか、克己心、自由を尊ぶ、思慮深さ、ユーモア、反骨心、矜持、人品、、といったものは本来、日本人が保持していた美質である。(後藤正治。『文春』2023年8月号)
  • 「日本人はインテリジェンスを集めるために努力しなければいけない。同時に、日本の魅力を世界に向けて発信するインフォメーション能力を高めていく必要があります。」「自分たちが当たり前だと思っているものの価値にもう一度気づき、世界に発信することが日本の未来を拓いて行く上でとても重要です。」「明治の偉人たちの生き方に学び、日本人としての精神をもう一遍鍛え上げることが、今の時代にこそ求められていると思います。」(月尾嘉男。『致知2023年9月号』)
  • 「名誉心だとか、廉恥心だとか正直、誠実、仁愛、、、それが失われてしまった。日本人の精神性の劣化が進んでいる。これは危機ですね。」(数土文夫。『致知2023年9月号』)
  • 「私は仕合せな時代に育った。どっちを見ても、優れた政治家、学者、芸術家、芸人なら名人上手が大勢、、、お手本にしたくなるような人が、方々にいた。、、、植木屋、大工、小説家、ジャーナリスト、、」(小島政二郎。『明治の人間』(明治41年刊)

私が2016年以来、毎日書き続けている「名言との対話」も、同じ問題意識に立っている。日本及び日本人の再建は、精神というインフラという土台から始めるべきだと思う。

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上村松園

「名言との対話」8月27日。上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」

上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家である。作品に「母子」「序の舞」「晩秋」など。著作に「青眉抄」。

松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者文化勲章を受章。松園の美人画花鳥画に置き換えた画風。上村淳之は上村松篁の長男で文化功労者。奈良の松柏美術館では、この三代の画家の作品と歴史に触れることができる。

近代美人画の大家・上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった松園は多くを語らなかった。 松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者だ。

上村松園、上村松篁、上村淳之という三代にわたる日本画家の松柏美術館は、2015年に訪問した。奈良の近鉄グループの総帥・佐伯勇の自宅は現在では上村松園ら3代の日本画家の松柏美術館になって解放されていて訪問し、3代にわたる上村家の画業を堪能したことがある。母・上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」と言い、その息子は「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない 」と言う。親の姿勢がそのまま子に伝わっている感じがする。

その三代の作品展が東京富士美術館で開催された。新型コロナ騒ぎでわずか2日間の開催となり、急きょ見に行った。松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者文化勲章を受章。上村淳之は上村松篁の長男で、鳥を描く画家で文化功労者

松園は「生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!」と述べている。その願いは、3代にわたる画業に結実している。

以下、3人の言葉を拾う。

松園:享年74

絵は鏡と同じえ。そのまま自分が写るのえ。心して生きておいき
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである
女は強く生きねばならぬーーそういったものを当時の私はこの絵(遊女亀遊)によって世の女性に示したかった
凝っと押し堪えて、今に見ろ、思い知らせてやると涙と一緒に歯を食いしばされたことが幾度あったかしれません、全く気が小さくても弱くてもやれない仕事だと思います
その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる、、、といった絵こそ私の願うところのものである。芸術を以て人を済度する。これくらいの自負を画家はもつべきである。(済度:迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと)

松篁:享年98

「少しでも香り高い絵を」と、私はこれまでも願ってきたし、これからもそういう画境を目標に描いていきたいと思う。

淳之

「鳥というものの生態をよく見て、その生きざまの美しさ、哀しさ、潔さ、清らかさを色濃く感じて、美しい形にまとまり、その感じたイメージが十全に表現できてはじめて、「いい絵だ」といえるのではないかと思う。」

そして松園の次の言葉のとおりの美人画をわれわれは目にすることができる。「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清聴な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」「画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます」「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香りの高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである」「真善美極致に達した本格的な美人画を描きたい」

松園の天の啓示論「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」も傾聴に値する。心したい言葉である。