4年ぶりのお祭りを楽しんだ日。

4年ぶりの「長池ぽんぽこ祭り」に参加し愉しんだ。

大分の郷里・中津の鶴市傘鉾(かさぼこ)祭りも4年ぶりという。全国で4年ぶりにお祭りが盛大に行われているのだろう。

屋台の店が出て人出の多い会場、そしてイベントを開催するアリーナ会場はみたことのない光景が広がっている。

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夕刻からは、「空間工房」というグループの演奏を楽しんだ。
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ヨガで1時間たっぷりと汗をかく。

9月分の「名言との対話」の人選。

野田先生の奥様から電話をもらった。懸案が解決へ。

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「名言との対話」8月26日。浜口雄幸「第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは此の世に於て平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である」

濱口 雄幸(1870年5月1日(明治3年4月1日) - 1931年(昭和6年)8月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵大臣(第29・30代)、内務大臣、内閣総理大臣、立憲民政党総裁などを歴任した。

東京駅八重洲口の人の行き交う通路の太い柱に「浜口首相遭難現場」という看板がかかっている。昭和恐慌の最中、金解禁をうらみに思う右翼勢力から撃たれた場所だ。よく通りかかるが、意識している人はまったくいないようにみえる。東京駅の南口には、「原首相遭難現場」の表示もある。東京駅は要人が通るため、暗殺が起こる場所だったのだ。上司との折り合いが悪く、10年近く地方へ飛ばれた浜口は、精悍な風貌と満場を圧倒する演説からライオン宰相と呼ばれた。その時、苦しい呼吸の下から「男子の本懐」と言っている。覚悟の人であった。それが城山三郎の小説のタイトルとなった。

城山三郎の名著『男子の本懐』は浜口雄幸井上準之助の物語で私も感銘を受けている。2022年にAudibleで城山三郎『人間的魅力について(文芸春秋 文化講演会)』を聴いてみた。浜口首相の東京駅で暗殺事件は、幣原喜重郎広田弘毅、真珠王・御木本幸吉も、それぞれの立場で目撃していたことに驚いた。

 浜口雄幸『随感録』(講談社学術文庫)を読んだ。土佐高知生まれ。1929年に総理就任後、金解禁、中国関税自主権の承認、ロンドン海軍軍縮条約の締結など困難な課題に取り組んだ。大蔵省に入るが、上司への直言のため、山形、松山、熊本など地方勤務を余儀なくされている。しかし勉強は怠らなかった。

浜口は後藤新平から目をかけられ、満鉄理事の就任を望まれるが固辞し、次に後藤が逓信大臣になった時には次官に就任する。そして浪人生活中に、後藤の勧誘で政党政治家への道を歩んでいる。浜口は熟慮した上で、自己の意志を貫いており、出処進退に悔いることはないと断言している。

幣原外交と井上財政と呼ばれる政策を断行した。この本の「自序」では、「建艦競争の危険防止と、国民負担の軽減とを、二つながら成功せしめたことは、聊か余の満足するところである」と触れている。その浜口が修養上の参考を目的として著したのが本書だ。

以下、本文から。

  • 議会の弁論に於いて、、、攻撃は難く防御は易い、、攻撃演説の場合に於いては、、、政府軍の金的に命中せしめなければ成功とは言えない、否、少なくとも五分以上の相撲を取らねば攻撃軍の敗戦、、。
  • 政治の目的は、国民の物質的生活を充実せしむると共に、更に進んで其の精神的生活を充実せしむるにあらねばならぬ。
  • 緊張せる心の力と、緊張せる肉体の力との共働的活動に依って、人間というっものは摩訶不思議なる大きな事業が出来るものである。
  • 多読濫読よりは、斯道の権威者の力作一又は二を、徹頭徹尾精読数回に渉って十分に之を頭脳に消化するに如かずと思う。
  • 問題は最後の五分間だ。そこが最も大切な処だ、うんと踏ん張るべし、、、。公人が公事に臨むや、終始一貫、純一無雑にして、一点の私心を交えないことである。。
  • 衣食住は政治の大きな仕事だが、人間はパンのみで生きるのではない。人間の精神面が並存していることを認識しないと真正の政治はできない。
  • 人の心ほど弱いものはない。此の心一度弛めば、小にして其の身を亡ぼし、大にして国を亡ぼす

 2017年にNHKラジオアーカイブ「声でつづる昭和人物史」を聴いた。昭和史を深掘りする保阪正康の解説で吉田茂犬養毅とともに、浜口の肉声を聴いた。浜口雄幸「国民にうったう」「経済難局の打開について」は、ライオン宰相浜口雄幸の金解禁をめぐる肉声の演説が心を打つ。

1900年11月25日の日本経済新聞の「日本の政治家10傑」が掲示されている。識者へのアンケート結果によると、10位:田中角栄、9位:三木武夫、8位:石橋湛山、7位:山縣有朋、6位:浜口雄幸、5位:池田勇人、4位:西園寺公望、3位:伊藤博文、2位:吉田茂、1位:原敬。浜口首相は堂々の6位である。 

「第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのではこの世において平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である」は、『随感録』にある名言中の名言である。

「偉人は凡人の修養の結晶物であり、大業は其の偉人の努力の結晶物である」。そのままの非凡なる凡人であった浜口雄幸の言葉には励まされる人も多いのではないか。私もその一人だ。

随感録 (講談社学術文庫)