青海エイミー『ジミー』ーーー珍しく、真面目に小説を読みました。

青海エイミー『ジミー』(メタ・ブレーン)を読了。

マイは十七歳の普通の女子高校生、バンコクからの転校生ジミー(父は台湾人。母は日本人)との交流から希望を手にする物語だ。以下、小説の文中の主人公の言葉で再構成してみる。

学校のこと。「階層。役割と立ち位置。序列とルール。自分のグループ。分をわきまえる。自分の立ち位置。自分のポジション。空気を読む。生き残るため、日々、気を張り続ける。みんなもやってるのだもの、仕方ない。生き残るため、日々、気を張り続ける。みんなもやってるのだもの、仕方ない。ヒエラルキーと微妙なグループ意識。腹の探り合い。共感性シュウチ。安全な場所。同じ村に住む者同士。私は、他には何もない。取取柄もない。だから、こんなつまらないことして、面白いかのようにふるまってる。お役目。卒業するまで変わらないはずだ。違うキャラになればいい。私たちの退屈は変わらないだろう。変化が、欲しいのだ。十年後や二十年後に、今より楽しいなんてまったく想像できない。」

自分のこと。「ナチュラルに可愛いわけではない。見方によってはブス。何もない。取柄もない。ブサイク。」

学校外でサラリーマンとの関係がある。「獰猛さの中に、自分を投げ込みたい。問題は、性欲というものではないらしいことだ。セックスも飽きる。私がやっただけ。やらせたわけじゃない。セックスで金をもらって、どこが悪いんだ。そうでなければ、奪われるだけで収支があわないじゃないか。ウィンウィンだよ。バカだ。役目。楽しいわけじゃない。」

家庭のこと。「母は、不満と不機嫌のかたまり。父は気づく感性がない。」

ジミーとの関係。「既読になった。向こう側にジミーがいるのを感じる。『一生懸命生きている人を、変だとは、思わない』『Everything will be all right.』 可哀そうというか、せつないというか、変な感じがある。思ったことを言いすぎる。かっこつけられない。」

希望。「本当は、手に入らないものが、欲しいんだ。本当のことは、初めてなんだと思う。私に起こる、本当のこと。初めてのこと。これから、ずっと。私たちは、初めてのように。」

ジミー

ジミー

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小説とは何か。人間を感じる、そして時代や社会が見える。小説は器が大きい。経験もだけでなく知りえたこと、考えたこと、想像したことを、自然な形で散りばめられる。この小説には、それがある。

この小説には文体がある。説明など余計なものがない。接続の言葉がない。透明感のある文体で読ませる力がある。小道具も効いている。

子どもと大人の間の現代の女子高校生の姿と内面が過不足なく描かれている。空気を読み目立たないように、反発を受けないように、いじめにあわないように演技する主人公。情報過多でわかったふりをする先入観のかたまり。つよがりと本音の交錯。主人公は狭い世界でそれなりに必死で生きている。しかし、希望はない。

そういう女子高生が、ある人間関係を通じて初めてのことを知っていく旅にでる、本当のことに目覚めていく物語だ。今から始まる新しい体験、新しい方法、新しい出会い。違う世界、次元の違う世界に入ろうとする勇気が生まれた。そのきっかけはジミーという異物との遭遇だった。互いに質問し合うことの意味、素直な表現ができるという関係、安心感。究極の人間関係の構築が始まっていく。

勇気を手にして変化と喜怒哀楽に満ちた本当の人生に掉さしていく。荒れる海を航海する船の舳先にたってしぶきを浴びていく。安全な狭い船室に閉じこもらずに、危険と驚きの同居する世界を目にするであろう未来がみえる。

私には珍しく、真面目に小説を読んだ。この小説には、時代と人間がリアルな姿で描かれている。爽やかな読後感がある。初めての小説を書いた著者の豊かな将来を予感させる。

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ヨガ。

電話で友人たちの近況を確かめる。

深呼吸学部。家族についての表明というテーマもあった。絵にかいたような家族はなかった。それぞれ深刻な問題を抱えている。世代と家族も大きなテーマだ。

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「名言との対話」4月23日。上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」

上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家である。作品に「母子」「序の舞」「晩秋」など。著作に「青眉抄」。

松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者文化勲章を受章。松園の美人画花鳥画に置き換えた画風。上村淳之は上村松篁の長男で文化功労者。奈良の松柏美術館では、この三代の画家の作品と歴史に触れることができる。

近代美人画の大家・上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった松園は多くを語らなかった。 松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者だ。

上村松園、上村松篁、上村淳之という三代にわたる日本画家の松柏美術館は、2015年に訪問した。奈良の近鉄グループの総帥・佐伯勇の自宅は現在では上村松園ら3代の日本画家の松柏美術館になって解放されていて訪問し、3代にわたる上村家の画業を堪能したことがある。母・上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」と言い、その息子は「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない 」と言う。親の姿勢がそのまま子に伝わっている感じがする。

その三代の作品展が東京富士美術館で開催された。新型コロナ騒ぎでわずか2日間の開催となり、急きょ見に行った。松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者文化勲章を受章。上村淳之は上村松篁の長男で、鳥を描く画家で文化功労者

松園は「生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!」と述べている。その願いは、3代にわたる画業に結実している。

以下、3人の言葉を拾う。

松園:享年74

絵は鏡と同じえ。そのまま自分が写るのえ。心して生きておいき
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである
女は強く生きねばならぬーーそういったものを当時の私はこの絵(遊女亀遊)によって世の女性に示したかった
凝っと押し堪えて、今に見ろ、思い知らせてやると涙と一緒に歯を食いしばされたことが幾度あったかしれません、全く気が小さくても弱くてもやれない仕事だと思います
その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる、、、といった絵こそ私の願うところのものである。芸術を以て人を済度する。これくらいの自負を画家はもつべきである。(済度:迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと)

松篁:享年98

「少しでも香り高い絵を」と、私はこれまでも願ってきたし、これからもそういう画境を目標に描いていきたいと思う。

淳之:86歳

「鳥というものの生態をよく見て、その生きざまの美しさ、哀しさ、潔さ、清らかさを色濃く感じて、美しい形にまとまり、その感じたイメージが十全に表現できてはじめて、「いい絵だ」といえるのではないかと思う。」

そして松園の次の言葉のとおりの美人画をわれわれは目にすることができる。「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清聴な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」「画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます」「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香りの高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである」「真善美極致に達した本格的な美人画を描きたい」

松園の天の啓示論「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」も傾聴に値する。心したい言葉である。