図解塾:梅棹忠夫「日本探検」ーー「名神高速道路」「大本教」「高崎山」

図解塾。『梅棹忠夫著作集』第7巻「日本探検」。

名神高速道路」「大本教」「高崎山1」「高崎山2」

前回は「福山誠之館」「北海道独立論」。次回は「出雲大社」「日本探検始末記」。それで「日本探検」シリーズは終了となる。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。冒頭は寺島先生の「世界を知る力」から。東京MXTV放映をご覧になりながら「黒インク」で図メモ「1巡目」を作成。すばやくひらがなでメモ。「見逃し配信」で「2巡目」、書ききれなかった漢字や詳細情報を「赤インクで」追記。併せて趣旨や番号を添えて流れを作る…自分でやってみると、1巡目のメモが読めなかったりで2巡目で大苦戦。落ち着いてメモを取る事の難しさ、嗚呼。続いて久恒先生のブログから話題を幾つかご紹介頂きました。①池波正太郎『男の作法』。時間は貴重、締め切りは守る。早々に仕事を切り上げ、あとは自分の為の時間に。その為には『段取り』が大事。俯瞰して仕事全体を掌握。段取りとはスケジューリング。早めに着手し考える時間を創出する。チャンスが増える。…その通り!しかし、なかなか思い通りにならないのが実態で…日々の社業でも反省しきりです。②文芸春秋に短編エッセイがいくつか並んで掲載。長田育恵「万野郎のまなざし」:NHK連ドラ『らんまん』の脚本家、植物と人間、命のいとおしさがテーマ。作家絲山秋子「沼田高校の鐘」25歳で子が誕生すると、75歳で曾孫、100歳で玄孫(やしゃご)…人生100年時代、健康・体力。生活基盤の維持が益々重要と、個人的な今後を勝手に心配。など等。続いて久恒先生著述による『実年期の肖像』のご本、アマゾンのセルフ出版で準備は着々進行中、今回表紙のデザインが完成しお披露目。昔の日本映画でよく目にする縦長のフォントがクラシックだが知的なイメージ。『65~80歳の実年期』が一番濃いのでそこを一番明るい色に!…まさに図解的見地の装丁、納得です。そして本日メイン『日本探検』。梅棹忠夫先生の著述に基いた久恒先生お手書きの「図メモ」を、塾生がパワポ化。これを眺めながら久恒先生のレクチュアを拝聴しました。本日は4本。①『名神高速』:江戸の昔、日本の道は「ヒトの道」。近代の「道路」の概念が無く「歩道しかない」。明治になり先ず水運と鉄道が栄えた。馬車~自動車での移動は一般的でなかった。…300年続いた『江戸幕府』制度により、陸上交通の発達が著しく遅れたとも聞いた事が有りますが、幹線道路1本引くにも用地買収がもれなく発生。~「待つ」事が仕事とか。②『大本教』(おおもときょう):世界救済(同じルーツを持つ)と社会改造(世界統一)を目指す。本拠地の丹波亀岡は、明智光秀が城主だった土地で「反逆の精神」が強かった。日本政府は「神道」(かみの国)~大本教は「大本が居て、後に神道ができた」と見解が相違。平和運動、兵役拒否、戦争反対を掲げるも治安維持法で解体の憂き目に。エスペラント語を推進、世界中に仲間、おおらかな雰囲気、「勉強に来なさい」と入信を強要せず。「世の中を変える運動」:創価学会大本教。…今でも、どこかで、信者が活動しているかもしれない。③『高崎山』(1)大分市、ほら貝の合図で餌まき、餌付けに成功。サル1匹ごとに名前を付け観察、相手もなついた。同じように鹿児島県幸島(こうじま)、サルの戸籍を作り何世代にもわたる調査、若いサルは革新的、イモを塩水で洗って食べる、両手にイモを持ち2足歩行も。徐々にフォロワが増え、全体的な動きに。「口コミ」「流行」…ヒトだけじゃなかった「文化」の形成。すごい発見。博物学→生物学→社会学(個体学:ステータス、性生活、コトバ…)→文化人類学へと取り扱い分野はどんどん広がる。④『高崎山』(2)日本の昔話、サルと猟師が多く出てくる、日本人のサルへの親近感(餌付けで人獣の関係が続いた?)…猟師の観察眼と精神交流は近代の研修者に引き継がれ、新しい学問へ進化。そしてアフリカの地(マウンテンゴリラ)へ!。今回学んだ4つのテーマはどれもが身近なものばかりですが、凡そ半世紀前の研究にもかかわらず、今更『知らなかった事柄』に多く出会う事が出来ました。梅棹先生のフィールドワークの進め方である、「知らないまま現場へ突っ込んでいく」「膨大の資料を読み込み、現場で得た情報の裏付けを取る」という両輪による研究スタイルは、未開のジャングルのみならず、なじみ深い事柄においても新たな発見をもたらす、ホンモノの生きた学問であると確信できた事が、本日の収穫となりました。次週も引き続き『出雲大社』『日本探検始末記』とクライマックスへ進んでいくとの事で益々ワクワク致します。有難うございました。

チケットの半券、、「久恒図解塾 日本探検④-1 日本探検-1高崎山 高崎山 高崎山 幸島 20Sep. 2023 坦内 国立公園 ウマ・シカの 社会の研究 進化論 形態の問題だけ × 動物の習性・ 社会生活 生態学的 段階 サルの飼付け 天然記念物 の成功 に指定 戸籍 系図 都井岬 霊長類研究グループ サル はどんな社会を持っているか? (社会学的段階) 個体識別が必要 飼付けの成功 社会学的社会心理学的段階へ ”むれ”の構造 イモを塩水で 洗うサル 自由な性関係 =若いサル (複雑なサイコロジー 全国的サル調査 (サル・ブーム) ↓ 日本モンキーセンター 日本モンキーセンター 愛知県(犬山) (犬山) 団体識別 ラボラトリアン (実験室科学者) フィールドワーカー (野外研究者) (新しい文化 の発明者) 名鉄の支援 サル学、 霊長類学 (プロリマトロジー) 実験用サルの供給 サルの動物園」というテキストの画像のようです

  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は梅棹先生の文明学「日本研究」の続きで、「名神高速道路」「大本教」「高崎山」①②の4枚の手書き図解をパワポに書き直したものをもとに、久恒先生から解説を伺いました。「名神高速道路」では、日本には、欧州のような馬車の歴史がなく「歩道」が中心、したがって「道路」という観念がなく、工業化のために、「道路」を「建設」していく必要があった、という見方がとても面白いと感じました。次に「大本教」。身の回りでは見聞きすることが少なく、ほとんど初めて伺う内容でしたが、世界の宗教を大きく包み込むような発想でとてもユニークなものを感じました。3つ目の「高崎山」①②では、日本のサルの研究を俯瞰して、「サルに対する親近感を抱く日本人」と「断絶感をもって臨む西洋人」という視点で、「日本は進化論不要!」(連続的なつながりがある)と言い放っているところに、梅棹先生の痛快さを感じました。ありがとうございました。9月の図解塾に参加させていただき、久恒先生と皆さま、ありがとうございました。今回は、画面をオフにし、聞くことに重点を置いて参加しました。梅棹忠雄先生の「日本探検」という著作の特定のテーマを受講メンバーが図解し、説明しました。その後、久恒先生が補足の説明をしてくださいました。図解があることで、内容を理解しやすく、どのトピックも非常に興味深いものでした。取り上げられた内容は、「日本探検」の中で、①名神高速道路、②大本教、③高崎山の猿、そして④世界に進出する猿の社会学についてでした。1. 全体的な印象として、身近なテーマから始まり、世界の視点と日本の視点を比較しながら、日本の強みを知り、日本と世界の文化を深く研究することの楽しさを実感しました。これにより、新しい気づきや発見が得られることを強く感じました。2.  名神高速道路に関して、道路建設と社会の関連性について非常に興味深い内容でした。日本の道路の発展が遅れた理由の一つとして、ヨーロッパでは車道として整備されたのに対し、日本は歩道として整備されたことを理解しました。また、日本が土地への伝統と歴史を尊重する国であること、そして道路建設という現代的要求との対立構造が以前存在していたことについても興味深く感じました。3. ②大本教については、宗教の世界会議の開催やエスペラント語の使用など、異なる宗教との交流を通じて世界の平和を願う思想を持った宗教団体であることに印象を持ちました。これは非常に興味深い内容でした。4. ③高崎山の猿については、芋を塩水で洗う若いサルを見て、それに続く猿たちの行動が社会学的および社会心理学的に価値があることを理解し、人間の社会にも似たような側面があることを再認識しました。非常に参考になる内容でした。5. ④世界に進出する猿の社会学については、(他の動物にはあまり、「お」と「さん」で呼ばないが猿のみ「お猿さん」と呼び親しみを込めている}日本では、猿に関する説話や伝承が豊富にあり、猿に親しみを持ち、自然との共感を感じている一方、西洋では人間との隔たりや進化論を強調することがあり、猿に対する考え方や受け止め方が異なることを理解しました。日本独自の類人猿の社会学および社会心理学は、世界的に見ても珍しいものであり、日本の強みだと感じました。大変楽しい時間を過ごすことができ、感謝しております。次回の参加を楽しみにしています。
  • 本日もお疲れ様でした。日本探検から、大本教高崎山名神高速道路のお話でした。日本について、宗教とおさるさんと、高速道路。注目するものがおもしろいです。大本教については、周りで聞いたことのない宗教で、個人ではなく世界を救済する平和運動を目的としている点がよいなぁと思いました。高崎山はさるについて。さるの社会学について、特に群れの構造についてが、動物園でのサル山が思い浮かび、親近感がわきました。愛知の犬山の日本モンキーセンターで全国の猿の調査が行われていたとは、知りませんでした。また西洋は進化論と捉えているのに対し、日本は猿に親近感を持ち連続的自然なものとし、世界でも新しい学問なのだということを聞き、童話や昔話にさるがよく出てきたのは、そういう考えもあったのかと腑に落ちた感じがしました。 名神高速道路、かごだった日本の道は歩道で、馬車だったヨーロッパの道は車道だった。というのはなるほどと思いました。そのため道路観念がなかったが、近代的高速道路を建設し工業国となった。そこには、建設したいが、現状を保存したい論理が対立し付帯工事が多くなった。これも日本の性格というか体質がよくあらわされていると思いました。今回はわかりやすく楽しかったです。次回もよろしくお願いいたします。
  • 先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、梅棹忠夫著作集第7巻「日本研究」の2回目。塾生が、事前に写し換えた図解(久恒先生が著作集を手書きで図解にしたものをパワーポイントに落とし込んだもの)を使って著作の内容を説明し、先生が補足で解説してくださるという方法で、日本探検の4枚の図解「名神高速道路」「大本教」「高崎山」①②について紹介されました。 「日本探検」というテーマのとおり、これらは実際に梅棹先生が現場を歩き、多くの資料を研究したうえでまとめるというフィールドワークの結果であるとのこと。今回ご紹介のあった題材の「道路、宗教、猿」については、確かに身近に存在しているものなんですが、その背景や分析された内容をお聞きしてみると、知らなかったことや気づかなかったことが多かったので、新鮮な感じがしました。例えば、道の成り立ちについて、日本の道は「歩道」であり、西洋では「車道(馬車の道)」であったという文化の違いから近代高速道路の建設の困難さがあったことや、私が図解を担当した「大本教」については戦前から万教同根思想を持った宗教があったということ、猿に対する価値観の違いが日本人と西洋人の自然観の違いに通じていることなどです。次回は「出雲大社」や「始末記」など日本探検の続きとなりますが、どのような視点からどれだけ深く探検されたのか、その結果を伺うのが今から楽しみです。引き続きよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」9月20日鈴木梅太郎「放っておいても一人前にやってゆく連中は心配しないが、そうでない教え子ほど可愛い、、」

鈴木 梅太郎(1874年4月7日 - 1943年9月20日)は、戦前の日本の農芸化学者。米糠を脚気の予防に使えることを発見した事で有名。勲等は勲一等瑞宝章東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。帝国学士院会員。文化勲章受章者。享年69。

静岡県出身。14歳で単身徒歩にて上京する。115歳、東京農林学校に入学。19歳、帝国大学農科大学に入学、卒業時には全卒業生を代表して答辞。大学院で学び、農学博士。27歳、ドイツのベルリン大学に留学。1906年帰国し盛岡高等農林教授。33歳、東京帝国大学農科大学教授。44歳、理化学研究所主任研究員。52歳、東京帝大農学部長。60歳、退官・64歳、合成酒を発明し、理研酒工(株)を創設、この会社は協和発酵を経てキリンビールに引き継がれている。69歳、文化勲章

毎年1000人以上が脚気で死亡していた時代に、米糠が効くことを発見した。白米はいろいろな成分が不足しており、糟と麦と玄米が脚気に効く。その成分を抽出しオリザニン命名、これが後のビタミンB1である。

脚気は手足のまひ、しびれなどを引き起こし、国民病と呼ばれるほど流行した。明治時代には年間数万人が死亡する。軍隊でも流行し国家的規模の問題となった。陸軍はドイツ留学の森林太郎(鴎外)が「細菌説」をとった。日清戦争で4000人以上、日露戦争で2万7千人が死亡した。海軍はイギリス留学の高城兼寛が麦飯を推奨し、妊娠ではゼロ、日露ではわずか3人となり、脚気を撲滅した。

1919年に鈴木梅太郎オリザニンを米糟から抽出し、翌年にビタミンが発見された。それ以来脚気による死者が激減した。これによって、鈴木は理研に莫大な利益をもたらしている。鈴木はビタミンの発見者でもあり、抜群の業績からノーベル賞候補にもなった。鈴木は理学研究所では、物理学の長岡半太郎、工学の本多光太郎と並び、理研の三太郎と呼ばれている。

2000年10月23日の朝日新聞で、この1000年で最も傑出した科学者は誰かという面白い企画があり、読者の人気投票を行っている。1位野口英世、2位は湯川秀樹、3位は平賀源内。鈴木梅太郎は堂々の11位だった。

鈴木は研究者として超一流だっただけでなく、教え子1000人を数える大教育者でもあった。研究面では「独創は学問といわず実業界その他あらゆる面で最高の指針だ」という言葉も残しているが、冒頭の言葉以外にも 「途中で止めては何もならない」など教育者としての言葉もなかなかいい。

また東京帝大時代は農学部長をつめたし、退任後は理研酒工を創業するなど、管理者、経営者としても活躍しているのは見事である。

私は多摩大時代に半年遅れの9月卒業式のときに、こういった鈴木梅太郎の言葉を引用して挨拶をしていた。確かに、心配するということはかわいく思うことでもある。