「図解塾」ーー「梅棹忠夫著作集」第7巻の「日本探検」を終了ーー「出雲大社」「空からの日本探検」「日本探検始末記」

図解塾。『梅棹忠夫著作集』第7巻「「日本研究」の中の「日本探検」を講義中。本日は「出雲大社」「空からの日本探検」「日本探検始末記」を講義。

以下、塾生の学び。次回からは「日本史のしくみーー変革と情報の史観」に入っていく。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、次回塾。はじめに久恒先生ブログから。①「ジャニーズ記者会見」、ジャニー喜多川氏が亡くなった際のブログ記事(2019年7月)では、プロデュース・ネーミングのセンスにおいては往時も今後もピカイチの天才。一方でマスコミ熱狂報道、国民葬的とり扱いに「不思議な感じ」と当時の印象。『カリスマ』の熱気も年月が過ぎ冷静な目で見ると「違和感」、何事も後年の『振り返り』と『再発防止』が必要、か。②ノーベル医学生理学賞受賞大村智先生講演会、『名言の蒐集家』と意外な科学者の側面、両親、恩師、友人、書物から題材。「北里先生の求めたるところ求める」(真似をしない)…周囲からの助言を素直に取り入れ常に自らを省みる素直さと、頑なに守る化学者としてポリシーという両輪は、きっとご本業の研究において結実の原資。③フリーペーパー専門店を訪問し日本中のフリーペーパーを堪能、「そこで暮らす人物」等の地域色の濃い題材のオモシロさ「ヒトが知らない情報」、ある種の「サブカルチャー」か興味深い。④「積極的に治さない瞑想箱庭療法」講演、朝倉新先生(精神科医)。限られた空間の中央に「自分」に見立てたフィギュアを置き、周辺に家族や関係する人物を置いていく、関係性を定義していく…図解と同じだ。毎日繰り返すと日々違った成果物、違って良い、ヘタに分析しない、繰り返しやっていくと自然に治っていく。「毎日繰り返しやる事」が大事。⑤人物偉人伝「スーパーボランティア尾崎春夫氏」編、65歳で経営していた鮮魚店をたたみ、活動開始。「社会人経験」を通じて「実学」を学んだ人、「人生計画を立て実行している」ヒト、レベルが高い。⑥「世界を知る力」寺島・ナベツネ・カリウ各先生方の名物鼎談。米中関係は「デリスキング」(₌リスク低減)、中国:岐路、米国:疲れ。日中関係は「処理水」をめぐり日本は『一次元高い外交』が必要、「共同研究しませんか」位の肝っ玉。日本も情報発信は「多言語」で行うべし、思わぬ誤解を与える隙を与えない。ウクライナ支援は「勝ちすぎない」「負けすぎない」駆け引き、アメリカ。⑦「探検」と「予言」でエッセイ。文明学の梅棹忠夫先生の預言、1995年。前年に日本経済は絶頂を迎えていた。『今後日本はダメになるもはやモノつくりだけではダメ…質が劣化』。それまで完全追従だけで良かった「アメリカ」の衰退で「追う背中」を見失った日本に必要なことは「ヒトづくり…教育」。⑧河井継之助、『出処進退』の大切さ、特に「処」(そのポストに留まる事)と「退」(辞職)はそのタイミングが難しい。⑨安田善次郎(東大安田講堂渋谷公会堂など今に繋がる名建築事業を推進)「今日一日腹を立てない」…なかなかできない事、偉い人!➉西郷隆盛「天を相手に」…天を相手に自分の誠を尽くし、人をとがめる事など無い様自らを戒めた…なかなかできない事、偉い!。今回も「情報シャワー」をたっぷり頂きました。さて今日の本題、梅棹忠夫文学全集『日本研究』の第3弾。図解2件について学びました。(1)出雲大社天照大神の長男が伊勢神宮。次男が出雲大社で両社は対立関係にあったいう解説に非常に驚きました。また両社は徹底的の相手を駆逐させる事無く、お互いに存在を認める「破壊の不徹底」「二重構造」といういかにも中庸な日本的コンセプトで、クリスマスを楽しんだ翌週に初詣する日本人マインドの原型を見る思いが致しました。また、神前結婚は戦後に始まった新しいモノである事がわかり、これも非常に驚いた次第です。(2)日本探検:フィールドワークの第一人者である梅棹先生が成し得る事が出来なかったいくつかのテーマのオムニバス。[近江菅浦:滋賀県]漁業・稲作の集落で家庭内手工業から大農機具メーカーへ発展、[瑞浪岐阜県]陶磁器産業、明治6年に輸入したことがきっかけで皿などの生産を開始。[生駒山:大阪奈良県境]地上波アナログテレビの試験放送をはじめ民放各局も追従などナド…地形、気候、動植物・鉱物といった自然と、文化・文明というヒトの暮らしや生き方という双方異なる切り口の環境同士の組み合わせを背景に、様々な特産品や産業へ発展して行ったモノ・コトへの探検テーマと、『個人的な紹介』を経る、あるいは『文献・現地調査』するという夫々のアプローチの手法が紹介され、具体的な計画が有っても着手できなかった当時の梅棹先生は勿論関係する方々の無念や、後年これを引き継ぐ新たな流れがあるのか等とあれこれ想像し、今回も「解ったつもり」のジャンルでたくさんの新発見に大変ワクワク致しました。おわりに当方今週の気付きをご紹介します(東京新聞9月14日切り抜きより)。東京目黒にあるチーズケーキ専門店『ヨハン』は昭和53年創業。7名の職人さん全員が前職を定年退職後に入社したいわゆる「セカンドキャリア」で、前職は樹脂メーカーエンジニア、鉄道会社職員など様々。「互に教え合い、助け合い」ながら仲間と仕事が出来充実しているそう。平均年齢は73歳!熱意さえあれば仕事はどこでもできる、新しい世界でも心配無用。と、これから定年を迎える世代(当方も)に向けてエールをもらったような気が致しました。先述の「スーパーボランティア尾崎春夫氏」が語った「人生設計」に本腰を入れて取り組まないとなぁ…。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は梅棹忠夫先生の「日本研究」の内、「出雲大社」「空からの日本探検」「『日本探検』始末記」の3つを、久恒先生の図解で学びました。「出雲大社」では、伊勢と出雲の微妙で絶妙な関係(対立・補完)がとても面白く感じました。天照大神のもと、長男が天皇家(伊勢)、次男が出雲大社であり、長男が政治や人間の世界を、次男が神々の世界(縁結び)を司るという「二重構造」になっているとのこと。「二重構造」は「破壊の不徹底」から来ているとのことですが、同じように神々と仏教の併存など、日本的なものの根っこにあるのではないかと思われる気質、懐深さ、温かさも感じました。「空からの日本探検」は3日間で日本を一回り(千歳・鹿児島・東京)し、日本列島に「はめ込み細工」や「有限感覚」を感じた、というもの。「『日本探検』始末記」は、残念ながら幻に終わってしまった梅棹先生の研究構想で、秋田の森林地帯から日本林業の運命を考えるなど、ピックアップされた土地と興味深いテーマが並んでいて、梅棹先生のフィールドワークから考える研究方法や姿勢などを感じることができました。次回からは「日本史のしくみー変革と情報の史観」とのことで、梅棹先生ならではの視点からの日本史を学べそうで、楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。「出雲大社を梅棹先生が取り上げたのは、もともと「縁結び」から日本の結婚について興味をもって調べ始めたということでした。しかしどんどんと深みにはまって、実は日本人の精神構造や社会の深層を流れているのが二重構造だったというところに行き着いた、という深い内容でした。天照大神系は天皇家で表舞台で光を浴びる「顕」の世界に対し、出雲系は表には出ず神事などを執り行う「幽」の世界と棲み分けた。ナンバー2を徹底的に破壊することなく共存するという日本独特のやり方を再認識しました。そして「縁結び」は主流派から追いやられた出雲が見いだした役割であったことも知りました。それにしても日本というのは不思議な国です。
    未完になった近江の長浜や岐阜県の陶磁器の町などもそれぞれ非常に興味深いものがありました。村落共同体と工業化がいかにして共存してきているか、すばらしい目のつけどころだと思います。梅棹先生がもし現代の日本をご覧になったら、どこを探検しようと選ばれるでしょう。そんなことを考えながら聴いていました。
  • 本日もありがとうございました。日本探検の出雲大社のお話では、出雲と伊勢は対立・相補関係にあることを知りました。日本は二元的構成原理というのは日本人の性格にもあらわれているのかなと感じました。また、日本探検できなかった場所についても述べられていて、秋田の森林地帯、岐阜の陶磁器、など、興味がある箇所が上がっていて、お話を聞きたかったなと思いました。次回からは日本史に入りますね。またよろしくお願いいたします。
  • 恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、梅棹忠夫著作集第7巻「日本研究」の最終回。前回と同様、塾生が写し換えた図解(久恒先生が著作集を手書きで図解にしたものをパワーポイントに落とし込んだもの)を使って著作の内容を説明し、先生が補足で解説してくださるという方法で、2枚の図解「出雲大社」と「日本探検始末記」について紹介がありました。「出雲大社」では、2つの項目を対比するような形の図解により、出雲大社伊勢神宮の関係や、出雲大社における相嘗と祭りの関係、仏教と神道との関係などが表されていたので、外国では見られない二元的構成原理(二重構造)になっていることがよくわかりました。それぞれ対立していたり、区別されたりしているけれど、他方を破壊することなく両方とも存続している。日本人が柔軟性のある考え方を持っている理由は、こういう歴史があったからかもしれないと思いました。 また、「日本探検始末記」では、梅棹先生が日本探検として「やってみたかったこと」についてまとめられていました。具体的には、滋賀県の近江菅浦(陶磁器)や岐阜県瑞浪市(湖岸集落)、奈良県大阪府の県境にある生駒山(電波事業と放送事業の歴史)、秋田の森林地帯、日本群島(空から各地訪問)など様々なところを探検し、書き記したかったとのこと。もし、それらの探検が実現していたら、梅棹先生はそこからどのような「未来の日本」を想像されたのでしょうか。その点も、すごく興味が湧きました。次回も楽しみにしていますので、引き続きよろしくお願いいたします。
  • 9月の図解塾に参加し、久恒先生や受講生の皆様ありがとうございました。今回も受講生がそれぞれの担当を図解し、説明し、久恒先生がさらに補足説明を行い、感想を共有しあう素晴らしい経験ができました。その中で、非常に興味深い内容に触れ、楽しいひとときを過ごすことができました。 今回は、梅棹忠夫先生の著書「日本探検」から、特に「出雲大社」と日本探検「始末記」が紹介されました。この中で、私にとって印象的だったのは、出雲大社伊勢神宮の関係についての学びでした。出雲大社大国主命主祭神とし、出雲地方の神々を祀っています。一方、伊勢神宮主祭神天照大神で、日本の皇室との深いつながりがあり、皇室の祖先とされています。このことは、図解を通じて初めて具体的に理解できました。  また、伊勢神宮出雲大社が、天照大神の長男である伊勢と次男である出雲との流れにより、国譲りという出来事を通じて対立関係の二重構造にあることを知りました。これは、これまで神社が同じような存在だと思っていた私にとっての驚きでした。また、日本人が結婚式を神社で行い、葬式を寺院で行うことが多い理由についての説明も、日本の文化と心の二重構造について新たな視点を提供してくれました。 私は今回初めて図解を作成し、説明を担当しましたが、図解を作成することで理解がより深まり、他の人に説明することで考えが整理されることを実感しました。図解のわかりやすさを再認識しました。 また、日本探検「始末記」において、梅棹忠夫先生が提唱する考え方にも共感しました。自らの足で現地を歩き、経験を通じて知識を得るフィールドワークの大切と文献研究の重要性がよく理解できました。 学びの内容としては、近江菅浦の村落共同体から精密工業村への歴史的変遷、岐阜県瑞浪市洋陶の発祥地伝統的工芸から陶磁器産業、生駒山の電波通信と放送事業の歴史と現状、秋田県の森林や林業の現状や課題、日本群島を空から訪れることで日本文明における航空事業の在り方を考える、文明論的探検と探検的方法など多岐にわたりました。ただ、今回、日本探検「始末記」で取り上げた内容のいずれも、梅棹先生が、現地を訪れることができなかったとのことで、その点は残念です。もし現地を訪れることができたなら、梅棹先生のさらなる日本文明に対する深い洞察や新たな発見をあったかもしれないと思いました。
     今回の学びを通して、日本の文明や文化についての理解が深まり、日本の文明の位置づけや意義を再考する良い機会でした。次回の学びを楽しみにしています。
     
     

 

ウオーキング中にアオサギを発見。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」10月4日。池野成一郎「平野が貰わないのなら、私も断る」

池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日慶応2年5月13日) - 1943年昭和18年)10月4日)は日本植物学者

東京出身。帝国大学植物学科を卒業した翌年の1891年に帝大農科大学助教授に就任。ドイツに留学。

1896年に友人の平野作五郎を助け平野はイチョウ精子を発見。池野はソテツの精子を発見した。この功績で912年、両者は帝国学士院恩賜賞を受賞した。

2023年のNHK朝の連続小説「らんまん」の万太郎(牧野富太郎)の親友の波多野泰久のモデルである。波多野は画工の野宮(平瀬作五郎)のイチョウ精子の発見を助けるというという史実とあう。

牧野富太郎自叙伝 草木とともに』を読んだ。なんどか、池野が登場している。「池野成一郎博士のこと」では、牧野は4つ年下の学生であった池野とは、「互いに隔てがなく、最も親しく交際した」とし、一緒に東京郊外の植物採集にでかけ、1888年にアズマツメクサを一緒に見つけたと記している。1890年、一緒に東北へ採集旅行に出かけ、仙台、栗駒山、水戸、磐城などの思い出を語っている。「優秀なる学識の上に、なお仏、独、英等の語に精通」していると評している。牧野の『日本植物志』の刊行が矢田部良吉教授の圧迫で危機に瀕したときには、「同君の大いなる助力を受けた」としている。池野の好物の虎屋の餅菓子をもって亡くなる数日前に見舞っている。池野は、ドラマの徳永助教授のモデルとされる松村任三の妹と結婚している。

また、「ナンジャモンジャの木」では、ふたりで青山練兵場に夜に入り込み、ナンジャモンジャの木の花をとり、戦利品として保存していると、思い出を語っている。二人は生涯にわたる親友だった。

東大教授となった池野成一郎は「イチョウ」「ソテツ」の発見による学士院恩賜賞の受章の知らせを受けた。画工の平瀬は賞からはずれたのだが、池野は「平野が貰わないのなら、私も断る」と応じ、結局は二人の受賞となったという友情のエピソードがある。因みに恩賜賞は、最も権威のある日本学士院賞のなかでも、特に優れた業績に与えられる賞である。現在では天皇。皇后が授賞式に臨席する。

池野成一郎は、優れた学者であると同時に、友情に厚い人格者だった。ドラマでは前原滉が好演した。そのイメージで池野成一郎を記憶にとどめたい。